2023/04/19

わたしたちは皆それなのです

2023.4.16ミーティング 40:18から

ギルバート:一つのポインターは、あたなは自分が何であるかを決して知ることはできないというものです。でも、自分が存在するということを否定することはできません。そのため私たちは自己にラベルを貼ることに囚われてしまいます。自己という言葉ですらラベルです。でも、突然の予期しない理解は、それはまったくの無、まったくの何ものでもないもの/無(no thing)だというものです。仏教徒はその経典の中で、あらゆる現象の本質的な性質、いつくかの現象ではなく、すべての現象の本質的な性格は空(くう)だと言っています。

太陽系を調べてみると、私たちは地球に住んでいて、私たちの体は地球やおそらく他の場所からの材質でできています。この太陽系で一番大切なのは太陽です。そして太陽は自ら輝いています。科学者は、太陽の中がどうなっているかを実際には知りません。というのも、誰も中へ行って調べることはできないからです。地球の中心についても同じことが言えます。ニッケルや溶解したものがあるという理論はありますが、中へ行った人は誰もいないのです。

ジュール・ベルヌは地球の中心へと入っていく小説を書きましたが、それは物語であり、私たちは物語が好きなのです。2001年宇宙の旅は物語です。その映画の終りの方にあるシーンがあります。宇宙飛行士がLと呼ばれるAIコンピューターによって宇宙船に戻れなくなります。Lは知性のある生物となって支配権を持つという思考を持ち、その男を戻れなくします。最後には男の生命維持装置を切断し、宇宙飛行士は宇宙空間を漂うことになります。

宇宙飛行士に感情移入して見ているなら、それは最も恐ろしいシーンとなります。宇宙服の中の男は宇宙を漂い、死んでしまうだろう。彼は生命維持装置もなく、そこに残される。もしこれをリアルに受け取ると、彼はどこかを漂っていることになる。これはある種のポインターなのです。あらゆる現象の本質的な性質は空(くう)であり、もし仏陀に注目すると、仏陀は有名なキャラクターですが、基本的に彼が理解したのは、無、空(くう)です。

そして彼は言っています。どこにも自己というものはないと。そして私たちは物語の中で、体に囚われ、体、マインド、私の物語に自己同化し、うわべ上では囚われ続けます。でも、あらゆる現象の本質的な性質は空(くう)なのです。そのため、現象や物語に囚われている人は誰もいないのです。それが理解すべきことなのです。そしてそれは、物語やグルを通しては起こりません。誰もあなたのためにそれをやることはできません。

あなたは自分で確かめなくてはいけません。そして実際にはあなたにもできません。それを「恩寵(grace)」と言う人もいます。神の愛による恩寵により、あなたは束縛から解放される。でも、あらゆる現象の本質的な性質は空(くう)なのです。ですからそれはポインターなのです。ポインターの持つ唯一の価値は、そのポインターが指し示すことに従うことです。

もしポインターについて議論すると、行き詰ってしまいます。ポインターは贈り物なのです。誰からの? わかりません。意識。ラベルを貼ってはいけません。ポインターは贈り物です。全部のポインターがみんなに効くわけではありません。私たちはみなユニークでそれぞれ違います。ある人はあるポインターから何かを聞き、ある人は何も聞きません。

根本的に思考を追いかけるのをやめて、マインドを見つめ、それがどのように機能するかを見ることです。すると、思考が意識の上に現れて、うわべ上ではあらすじや物語を創造し、それが心理上の苦悩や喜びなど今ここから外れるように導いているのがわかるはずです。

マインドがどのように機能するかを見つめることです。誰もあなたのためにやってはくれません。そしてそれは努力を必要としません。それはあたかも、母親が洗濯物を干しながら、地べたで遊ぶ子供を見ているようなものです。母親は子供を見ています。それには努力が要りません。母親は子供を愛しているのです。母親は子供の世話をします。

マインドが何なのか、それがどう機能するのかを見てください。それがあなたを本当のあなたである本質へと引き戻してくれます。あらゆることが「私は在る」という本質へと戻って行きます。でも、その「私は在る」に何かを付け足そうとすると、それが「私は在る」の解決の鍵なのですが、もしその「私は在る」に何かを付け足そうとすると、それが物語となります。そしてそれがそれと自己同化する人の苦悩へと導いていきます。

では、その人とは誰なのでしょうか? 私は誰か? その問いには答えはありません。私は誰なのか? その答えは沈黙です。言葉はありません。生の本質そのもの。知性そのもの。でも、それらはどれもラベルです。では、出口は何か? 出口は、あなたは一度もその中にはいなかったということです。あなたは決して何の中にもいたことがないのです。

すべてのものの究極の本質はたった一つです。わたしたちは皆それなのです。ですから、物語を楽しんでください。「ああ、今日ここへ来る時に信じられないことが起こったの!」とかなんとか言いながら。