2019/03/23
The Spiel ⑫ (2019.4.10公開) Am I this PERSON?
Am I this PERSON? Sailor Bob Adamosn interview episode 1
どうして人々は苦悩するのでしょうか?
人々は自分に対して、間違った考えやイメージも抱いているからです。自分自身で調べて見ることです。
言葉は、実際にその物ですか?
自分自身に対して抱いている概念、言葉、思考が、本当のあなたですか?
私たちは皆、あなたも私も誰もかれも、自分は人、個人、分離した存在であるという信念から始まっています。
両親、学校、回りのみんなが、その信念を植え付けます。そして、それが自分だと信じて、さらにそれを強化します。
しかし、いにしえの昔から、聖人、救済者、賢者と呼ばれる人たちは、その本質を見抜いてこう指摘しました。
独立した個人、分離した存在というものはいません。
それが偉大な聖典の中に書かれていることです。
一つの本質(エッセンス)がパターンとなり、姿形となり、すべての物となって現れています。
本質(エッセンス)と私たちが呼ぶものでさえ、それは私たちがそれに貼りつけたラベルにすぎません。
それはすべて、知性エネルギーが振動してパターンとなり、すべての顕現として姿形となったものです。
ヒンズー教ではそれを、ナーマルーパ、名前と形と表現します。名前は私たちが付けたラベルです。形はパターン、姿。私たちもそうです。人、体、マインドなどはすべて姿形です。木、雲、その他すべても姿形、パターンです。
どうして私たちは自身のことを姿、すなわち形だと思っているのですか?
私たちが言葉を覚えた時に、そう教えられたからです。2歳から2歳半の頃に、考える能力が発達し、自身のことをこの名前、すなわち自身に貼られたラベルであると信じました。
そしてそれを調べることはなく、それが間違いであるとは知りません。
でも、私には体があり、両目を通してしか見ることができないように感じます。私は(体を通して)痛みを感じます。
でも、それを感じているのは誰なのですか?
それは分離した存在、個人ですか?
それともそれは起こってくる感覚にラベルを貼ったものですか? 他のものすべてにラベルを貼ったように。
私(me)、私のもの(mine)。その二つは概念であり、それが問題となる私(me)、私のもの(mine)です。
もしそこに「私」がいると考えていると、たくさんの概念や考えを受け取ることになります。
これは私のものだ。私、私のもの、は二つの概念であり、それが問題を引き起こします。
どうして私たちは感覚を自分の体と目から受け取るのでしょうか? どうして他の人の体や目を通して受け取ることができないのでしょうか?
パターンはそれぞれ独自の現われだからです。一つの本質がそれぞれ独自のパターンとなって現れ出ています。
それぞれ、無数の違ったやり方で、驚くべき顕現となって現れています。
木として、花として、その他すべてとなって。
でも、木は自分が木であることを知りません。
花は自分が花であることを知りません。
でも、私たちには考える能力があります。考える能力は非常に役に立つ能力ですが、それはまた自己破壊的でもあります。
それはエネルギーの振動であり、二元的に動くからです。善へと動いたあとは悪の方へと動きます。喜びと苦しみ、幸福と悲しみへと動きます。
どうしてそれ自身が自分を認識することができるでしょうか?それは分割できない一つの本質なのです。それについては何も言うことができません。あるのは「それ」だけです。
そしてそれが顕現となって現れた時、もしそれを区別しなかったら、それは何もないもの(no-thing-ness)、静寂、空です。それは今までも、そしてこれからもそうです。
それは自己を認識して表現するために、振動して様々なパターンとなり姿形となって現われます。
仏陀は、空は形であると言いました。空がパターンとなり、すべての形になって現れています。そしてまた、形は空であると言っています。
私たちは、この姿形を本当の自分だと思っています。
どうしたら、自分は形ではないという経験をすることができるでしょうか?
それはできません。なぜなら、自分は形ではないという経験をしようとしているもの(あなた)が形だからです。それが自身を形のないものとして経験しようとしています。
でも、あなたがそれを調べると、共鳴、知る働きとしての真の実在があります。
それがブッダの言う、「空は形であり、形は空に他ならない」ということです。
あなたが、この形を調べて詳しく見る時、実際それにどんな実体、中身があるかがわかります。
体を調べてみてください。あなたは体ですか?
生まれつきあなたは、自分は体ではないと知っています。
なぜなら、あなたは「私の体」と言います。
「私のコート」「私の家」「私の車」と言うように。
あなたはコートですか? あなたは家ですか? あなたは車ですか?
あなたはそれではないと知っています。
だとしたら、おそらくあなたは体でもありません。
では私は一体何ですか?
あなたは一つの本質です。
もしそう呼びたければ。
それが振動して様々なパターン、姿形となって現われています。
概念、言葉や思考は人間という形が持っている考える能力です。
その能力は他の動物、鳥、昆虫よりも発達しています。
その能力で言葉、すなわちラベルを学びました。
私たちはラベルを貼ることができないもの、形のないもの、空にラベル、名前、形を貼りつけました。
私がその空であり、自分自身とその他すべてのものにラベルを貼ったのですか?
そうです。
そしてそれはすべて見せかけであり、そのように見えているだけです。
空が振動してパターンとなり、姿形となって現れています。
形は空に他なりません。
でもそれは現実のよう見えます。
それはいわゆる現象としての顕現です。
現象の定義は、「そのように現れるもの」です。
それが指摘しているのは、パターン、姿形はすべて現われであり、そうように見えているだけであるということです。
私たちは姿形を実在だと思っています。どうして?
概念上のイメージが働いているからです。その概念は見かけ上の人(ペルソナ)から来ています。私たちは概念のマスクを自身に付けています。
あなたは何ですか? もしその概念のマスクを外したら?