2025/03/07

非二元を理解すると何が起きるのか

非二元を理解すると何が起きるのか。
つまり、「私は実在しない」「万物は一つのもの」といったことを理解して起きる事は何か。
ひとつの効果としては、自分と他の人、あるいは世界が一つのものだということが理解できれば、人を思いやる気持ち、愛情が増すのではないかと思います。

これはルパート・スパイラも言っていることで、彼は「愛」という言葉で表現しています。
「エンライトメントとは何か?それはどのように起こるのか?」ルパート・スパイラ

内側に愛が増していくと、競争や妬み、嫉妬というものが消えていき、人を思いやることができるようになると思います。

逆に言うなら、非二元を自分では理解したと思っていても、人を妬んだり恨んだり憎んだりする気持ちが消えないうちは非二元を理解しているとは言えないのではないかと思います。逆に、そういった気持ちがあるかないかを、自分が非二元をしっかりと理解しているかどうかの指標にするといいと思います。

仏教で言うなら執着です。自分が金、地位、名誉などに執着してないかを基準とするといいと思います。いくら非二元を理屈として理解していたとしても、人に対する愛情がなく、妬みや嫉妬、怒りや恨みでいっぱいなら、非二元を生きているとは言えないし、ちゃんと理解しているとは言えないと思います。

セイラーボブ、カリヤニ、ピーターに会った時、何とも言えない暖かいもの、心地よさを感じたのは、彼らはしっかりと非二元を生きているからだと思います。
実際にその人が非二元を生きているかどうかは、会って会話してみないとわからない。

過去の嫌な思い出がたびたびやってきて苦しめるなら、まだまだです。人を妬んだり恨んだり憎んだりするならまだまだです。些細なことでイライラしたり動揺したりするならまだまだです。ひるがえって、私はどうかというと、まだまだです。

こんなことを言うと、セイラーボブに叱られます。「あなたがそのことを考えなかったら何が問題ですか?」「あなたはもともとそれです」と一喝されそうです。でも、少しずつ変わってきたなという感じはあります。

非二元の教えそのものはそんなに難しいことではないので、知的に理解することは難しいことではないと思います。でも、それが身に染みて、非二元を生きているかどうかは別の話だと思います。それほど私たちの条件付けは根深いように思いますが、みなさんはどうでしょうか。

2025/03/04

幼い子どもが推論し始めるとすぐに、それはやってきます

私たちが分離の感覚を身につけるとすぐ、つまり、幼い子どもが推論し始めるとすぐに、それはやってきます。

その推論する能力によって不安感と脆弱性が始まります。私たちはもはや、自分が完全でトータルであるとは感じません。自分は「分離した存在」であるという考えを抱きます。

「私」や「自分」に関連付けられないものを見ると、「それは私ではない、それは自分ではない」と言います。そうやって、私たちは分離した傷つきやすい存在だと感じるのです。
                                    セイラーボブ

2025/02/28

助けを必要としている人は誰もおらず、何もあなたを助けることはできません

質問者: ボブ、ほとんどの人は知っていますが、ニサルガルダッタがあなたの先生でした。あなたの本質を再認識するきっかけとなった彼の言葉を教えてください。

ボブ: 彼は、私が最初にあなたに言ったことを言いました。「あなたは肉体でもマインドでもなく、純粋な意識です」と。

質問者: それがすべてですか?

ボブ: それがすべてです。彼が言ったことの中で唯一心に響いたのは、「私が誰かを助けることができる唯一の方法は、その人をもう助けの必要のない地点まで導くことだ」です。

彼は私ではないものを指摘しました。そしてそれは真実でした。助けを必要としている人は誰もおらず、何もあなたを助けることはできません。                          

2025/02/25

そして私もその本質の一部なのです

二元性がなければ、いかなる顕現も現れることはありません。その顕現を楽しんでください。昼、日没、そして夜を楽しんでください。その他のすべて、季節など全部を。
二元性は展開しています。ありのままのすべてとして命の本質が表現されているだけです。
その本質なくしては何も起こりません。そして私もその本質の一部なのです。
                                    セイラーボブ

2025/02/20

Sailor Bob's Memorial Service 15th Feb 2025


2015年2月15日 セイラーボブ追悼式(抜粋、抄訳)

最初に一分間の黙とう。

カットの挨拶
最初にお断りしておきますが、ここにボブの遺品(帽子)がありますが、遺体はありません。すぐに会を催すことができなかったことを心からお詫びしますが、ボブは全体性であり、空だと言っていたので、それが彼の希望したことです。(会場笑い)

哀悼の詩の朗読(タス)

献歌(ジェーン)

タスとディーンによって、ボブの唯一の著書「BEYOND WORDS BEYONDE MIND」についての解説。

カットによるボブの生涯の説明。(スクリーン使用)
(画面)Dream Character Sailor Bob :1928.7.21~2025.2.06)

ボブという夢のキャラクターについて説明します。というのも、ボブという生(life)は空であり、生は死ぬことはないからです。彼は身体ではなく、愛です。彼に始まりはありませんが、彼の祖先(祖父母)は英国スコットランドの出身です。ボブの父ロバート・シンはガリポリ戦からの帰還兵でビーコンズフィールド(メルボルン郊外)に住み、そこでマリーと出会います。(14:25 ボブの両親の写真)

戦争の後二人は結婚し、一緒になり、(笑い)みなさんは現実をご存じですが、細胞間の命、精子と卵子が小さな胎児を創造し、ボブ生まれました。まだ何も知りません。(14:53 ボブが赤ちゃんの時の写真)

最初の10年は愛情に満ちたものでした。二人の姉、一人の弟、たくさんのいとこたちがいて、ビーコンズフィールにはたくさんのアダムソン姓が住んでいました。今でもアダムソン通りなどの地名が残っていて、学校にはたくさんのアダムソンがいました。この写真(15:25)はボブ二歳の時、仔馬に乗っています。子供の頃は野生動物や鳥が好きでした。父親はとても忙しかったため、叔父であるアーサーが世話をして、木登り、野鳥の卵あつめ、ウサギ狩り、ボーイスカウト、ペットの訓練などをしました。

これはボブが生涯忘れることなく、九十代に何度も私に語った話ですが、彼が五歳の時のペット、ポッサム(16:01)です。彼はこの小さな生き物をとても愛していましたが、ある朝、一緒に寝ていて毛布の下で窒息死させてしまったのをみつけ、罪悪感、恥辱、苦痛を抱きました。その時の幼い子ども感覚が生涯彼を小動物に注意を向けさせました。一緒に歩いている時も溝を覗いて歩くのです。この写真(16:29)は彼が助けた小さな生き物が彼の足をよじ登る様子です。

州立学校3033(16:34)。彼は元気な子供で、教室の窓から外を眺めては、木登りに行くことを考えていました。偶然にも3033は我が家の前の路線なのですが、事故によってコースが変更になりました。

彼の十代。アーサー叔父さんと一緒に、さらに冒険的でした。不幸なことに酒へと導いかれ、愛国の道へと進みます。(17:10)これはダンデノン高等学校。彼はひどい生徒で、一年目に落第します。同じ学年をもう一回やった時には、怠け者だったにもかかわらず、クラス一番の優秀な生徒でした。

15歳の時に学校をやめて家族を助けて果物の収穫を手伝い、臨時雇いの仕事をしました。大恐慌の頃で大歓迎されました。それは脱走兵や犯罪者の世界で、彼らはボブに酒、たばこ、けんかを教えました。不運にもボブは酒を溺愛し、攻撃的で不満を抱く性格になりました。電報の配達などの仕事をしながら、年齢が来るのを待ち、17歳で海軍に入隊しました。

(18:23)駆逐艦アルンタ乗船契約の前に祖母を訪ねた写真。駆逐艦アルンタと12年間の乗船契約を結んだが、飲酒のため二年半後にクビになりました。クビになる前に銃や核兵器テストの訓練を受けていて、聴覚に障害を負います。それはかえって良いことをもたらし、彼の生涯の最後はとても楽なものとなりました。

でも、飲酒問題にも注意を向けなければいけません。次に何が起きたかを予想するのは容易なことです。次に起こったのは途方もないトラウマです。彼は日本からシドニーの精神病院の防音の独房(19:04)へと運ばれました。彼はどうしたらいいのか全くわからず、なぜ人々が彼を救おうとしているのかもわかりませんでした。

結局彼は、渡り歩く羊毛狩りの仕事を始め、他のたくさんの酔っ払いたちと国中を旅しました。アルコール中毒のせいで死の間近にいたこともあります。想像上の蜘蛛やドラゴンが彼を食べようとしている妄想にかられ、自ら銃口を口に突っ込んだ夜は、もっとも耐え難い夜でした。彼を支えたのは、オーストラリアの美しい詩でした。バンジョー・パターソン、ヘンリー・ローソンの詩をボブが引用するのを聞いたことがある人もいると思います。

最終的に彼は船乗りへと戻ります。(20:15身分証明書の写真)この笑顔を見てください。彼は酔っぱらっています。(一同笑い)おもしろい話があります。ムクラという船では、タンクで聖餐用ワインを運んでいました。三回ほど酔っ払いましたが、うまく逃げることができました。

彼がクビになったのはもう少しあとです。ある時、船が出航の時間になっても彼は現れませんでした。二時間後に現れた彼は、全身粘つく白砂糖まみれでした。積み荷の砂糖の上で寝ていたからです。船長は彼に船室に行って寝るように命じましたが、彼は反抗しました。

船にボルトで固定されていたテーブルをはぎ取って、船長を脅して追いまわしました。それで終わりです。解雇され、船の仕事にもどることはできませんでした。そうやって彼の二十代は終わりました。

三十代は禁酒と真実を求める精神世界の探求でした。クリスチャンとしていくつかの流派の洗礼を受け、またヨガを学びます。マヘッシ・マハリシを10年間師事し、SOHAM MT瞑想を紹介します。SOHAMの意味はI am thatです。

(22:33 VEGEMATEの写真)こえは余談ですが、彼はもう海には戻れなかったので、いろんな仕事をしましたが、その中の一つが醸造所の仕事でした。タンクの底に残る黒いものがVEGEMATE(ジャム)の工場へ送られます。彼はVEGEMATEが大好きで、信じられないかもしれませんが、最後に食べたのはVEGEMATEを塗ったトーストでした。彼はまたダム建設現場でも働きました。

彼は知人の助けを借りて、ふたたび海へと戻ります。三十代の終りに、彼のジムのインストラクターであるバーバラと出会います。これは最初のデートの写真(23:22)そして四十代。彼女がボブにとっては初めての彼女でした。二人の関係には紆余曲折がありました。バーバラには四人の子供がいて、ボブは探求を続けていたからです。ボブは落ち着きたいと思っていたため、船乗りとして賢明に働きましたが、あまりうまくいきませんでした。

彼女は離婚して四人の子供を抱え、金銭的にも困っていて、ボブは長年の飲酒からくる傲慢な性格に苦しんでいました。二人の関係は急速に悪化し、ボブはインドのムクタナンダのアシュラムへと向かいました。しかし、そこでの生活はあまりにもワイルドだったため、一か月しか持ちませんでした。インドから帰った同じ年、ボブはバーバラと結婚します。ボブが45歳、バーバラが40歳の時です。

最初の家をアイバンホに構えます。一年半は幸せに暮らしましたが、再びうまくいかず、ボブはまたインドへと向かいます(1976年)。今度はオーストラリアへ戻る予定はありませんでした。この時点で彼は真実の探求だけを目指していました。そして生は彼をニサルガダッタのもとへと連れていきました。彼との最初の出会いは1976年3月23日で、彼らは友人となります。

スピリチュアルの聖典にあるように、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。そのとおりとなって、バーバラは12か月後にインドにやってきました。二人はまたデートを始め、旅をしました。結婚生活は復活して、1977年、49歳の時オーストラリアへ戻りました。バーバラが航空券を送ったのです。

五十代はビジネスによる紆余曲折がありました。

一旦終了。続く。
*******************

ボブの生涯の説明の部分だけでも今日掲載できるかなとやってみましたが、予想以上に時間がかかってしまって、最後までできませんでした。
英語字幕があるともっと早くできるのですが、今日の時点ではこのYouTubeには英語字幕がありません。おそらく、何日か後に英語字幕表示が可能になると思います。すぐにとはいきませんが、英語字幕が表示されたらこの続きを掲載したいと思います。

ボブの生涯の説明のあと、ボブをたたえる歌。そしてギルバート、ラメッシュなどのスピーチがあり、最後にカットが挨拶をします。

なんとも尻切れトンボで申し訳ありませんが、今日のところはここで終わらせていただきます。

2025/02/18

それはあなたの終わりではありません

私は、あなたではないものを指摘することはできます。
そしてあなたは、自分が肉体でもマインドでもないと気づきます。
またどんな観念でもありません。

それでも、生命の本質は依然として機能し続けています。
夜眠っているときにもそれが起こっているのがわかります。
そこには思考も感情もありません。

それでもあなたは消えません。
それはあなたの終わりではありません。
                                    セイラーボブ

2025/02/16

ボブのメモリアルサービスの動画について

今のところ、メモリアルサービスの動画は発表されていません。
今日のミーティングで、「facebook上でメモリアルサービスのライブ動画を配信するという偽サイトがあるので、気をつけてください」という発表がありました。実は私もアクセスしようとしましたが、サイト上で警告が出てブロックされたので、アクセスしませんでした。
ボブのメモリアルサービスの動画は、近日中にボブのYouTubeチャンネルで配信されるようです。

2025/02/14

それが私たちのすべての問題の原因です

私は教育を非難しません。それもまた、その一つの本質が、この目覚めて見る夢の中で表現する方法なのです。私たちは教育によって役に立つことを学びます。

でも、このメッセージに関して言うなら、私たちが学んだことは言葉とラベルであり、それが何らかの独立した性質を持っているという信念です。それが私たちのすべての問題の原因であるということを認識する必要があります。
                                    セイラーボブ

2025/02/11

死は存在しません

死は存在しません。生(life)が命を生きているのです。
いわゆるこの肉体が崩壊しても、生は「継続」していきます。

酵素や微生物によってパターンが変わるにすぎません。
肉体が燃えて灰になれば、元の要素に戻ります。

では、何が失われるのでしょうか?
現れ、表現すなわちパターンが変わるだけです。
このエネルギー、知性エネルギーと呼ばれるものが失われるでしょうか?

それがわかれば、何を恐れることがあるでしょうか?
                                    セイラーボブ

何も失われはしない(再掲載)

2025/02/09

ボブは私たちの中で生き続ける

ボブが亡くなって三日目。早くもミーティングが再開されました。ミーティングを続けて、一人でも多くの人に教えを広めることがボブの願いだそうです。いつものように、たくさんの人がボブの家の居間に集まりました。(今日のミーティングYouTube)

およそ50年前、セイラーボブはニサルガダッタ・マハラジから教えを学び、それ以来、死の三日前までミーティングに出て人々を教え導き続け、たくさんの人々を心理的な苦しみから解放しました。私もその一人です。

ボブは亡くなりましたが、その教えは教えを受けた人々の中で生き続けています。多くの人が教えを受け継いで広めていくと思います。カリヤニも今日の午後、別の場所でミーティングを開催したはずです。ギルバートや他の人たちもメッセージを伝え続けることでしょう。微力ながら私もこのブログを通してボブのメッセージを伝えていきたいと思っています。

私にとって、ボブと過ごしたこの10年は、とても充実した日々でした。もはや新たな教えを求めて誰かを訪ね歩くことはないと思います。

ボブという一つの波が海へと帰っていきました。ボブも私たちも同じ一つの海です。ボブは私たちの中で生き続けています。

2025/02/06

セイラーボブが亡くなりました

セイラーボブが自宅で安らかに息を引き取りました。
           (facebookにて午前2時半ごろ発表)

追記
ミーティングはボブの希望により今までどおり続けるそうです。

追記(facebookより google翻訳)
オーストラリアのメルボルンにいらっしゃる方、またはお越しになる予定の方:
公式追悼式は、2月15日午後2時にボックスヒルRLSで行われます。フィンガーフードと軽食、短いスピーチと歌がいくつか用意されます。出席できない方のために、要約ビデオを用意する予定です。ライブストリームやズームは予定していません。

2025/02/05

今日のボブ

facebookより(google翻訳)

ボブは過去 15 時間、ほとんど意識不明の状態でした。緩和ケア チームによると、今後も意識不明の状態が続く可能性があるとのことです。ボブはあらゆる手段を講じて快適に過ごしており、私たちはこの状況を乗り越えるのに最適な国にいます。ケアは本当にこの世のものとは思えないほど素晴らしく、感謝の涙とさまざまな涙が混ざり合いました...
生命は決して死なないが、その姿は完璧をはるかに超えています...

2025/02/04

探求は自然に止まります

質問者: でも、「よし、これで終わりだ。探求をやめよう」と言うことはできません。なぜなら、多くの人はもう自分は探求をしていないと思っていても、実際には自分を欺いて探求を続けているからです。

ボブ: ええ。もし「探求をやめよう」と思っているなら、彼らは間違った見方をしているのです。探求をしている人は誰か見てください。探求者が誰なのかを見つけてください。
探求者が誤った信念であることがわかったら、探求者がいないのに何を探すのでしょうか? 探求は自然に止まります。

質問者: そして、意識(awareness)が物語を展開させなければ、探求者はそこにいるはずがありません。

ボブ: そのとおりです。
                                    セイラーボブ

2025/01/31

エンライトメントというものは、あるのでしょうか?

質問者: ボブ、エンライトメントというものは、あるのでしょうか?

ボブ: そうですね、「エンライトメント」とは、エンライトメントをしなければならない誰かがいる、何かを手に入れなければならない、何かすべきことがある、ということを意味します。

でも、いいですか。そもそもそれをする誰かがいるという考えが生まれると、分離した存在がいると信じるようになります。それが二元論です。

また、将来自分が何かになるという信念が生まれます。これもまた、遍在性から遠ざかり、何かまたは誰かがそれを自分に与えてくれるという信念が生まれます。これもまた、自分が全知、全能、遍在であるという考えから遠ざかります。

あなたは全体性です。
つまり、エンライトメントは、いわゆる探求者に探求を続けさせる誤った信念です。

そして、いわゆる探求者が存在する限り、探求は続くでしょう。探求者が発見者になることは決してありません。                                

2025/01/28

誰かの教えを理解するという事

非二元を理解するのは難しくないと、このブログで何度も書いたのですが、少し後悔しています。というのも、たどり着いてしまえば決して難しくはなかったのですが、とても長い時間がかかったからです。私の場合、セーラーボブの本を読んでから4年かかりました。

最終的に理解するまでに何をやったかちょっと書いてみます。ボブに会うまでに、「ただそれだけ」を7回読みました。ボブに会ってからはミーティングに60回以上出て、個人面接も受けました。ボブを始め、周りの参加者にあれこれとわからない点を尋ねました。

わかったつもりで日本に帰ったのですが、疑念や不確かなところが出てきたため、1年後にもう一度ボブに会いに行きました。今度こそわかったぞと思って帰ってきたのですが、また揺れ戻しが起こり、不確かな部分が出てきました。

それからはボブのYouTubeを何十本も見ました。ボブに関連する本で入手可能なものは全部読みました。参加者のFacebookをあれこれと読みました。そしてやっとボブの教えの全体を理解することができました。

ボブに会った直後に、言葉の上ではボブが何を言っているかは理解できました。でもそれがちゃんと腑に落ちて、体感として理解できるまでにはすごく時間がかかりました。頭で理解するのと、体感として心底理解するのは違うと思います。

もし誰かの教えの全体を明確に理解しようとするなら、本を何冊か読んだり、YouTubeをいくつか見るだけでは理解できないのではないかと思います。やはり一番良い方法は、その人に会って教えを乞うことだと思います。そうしてやっと理解できるのではないかと思います。

非二元の教えを言葉の上で理解するのはそれほど難しいことではないと思います。でも「私は実在しない」「何も起こっていない」「万物は一つのもの」「空間のような意識」。こうした言葉を体感としてちゃんと理解するには、やはりそれなりの時間がかかるのではないかと思います。また、非二元にたどり着くまでの年月を合わせるならば、私の場合は20年以上かかっています。

私がこのブログに取り上げた非二元の教師たちも皆、同じように長い年月をかけてたどり着いた人たちです。セイラーボブ、カリヤニ、ロンダ・バーン、ルパート・スパイラなどなど。こうした人たちは皆、長い年月をかけて師について学んだ人たちです。

大切な事は、もう何の疑念もないと言う段階に到達するまで、非二元の教えを離れないことだと思います。頭でわかっただけでは、深い理解にはならないのではないでしょうか。

なすべきことは、理解が確実なものとなるまで非二元を離れないで、良質な非二元の本を読み、気が済むまで自分で確かめることではないでしょうか。表面的な理解、単なる知識としての理解では、何の役にも立たないばかりか、かえって害になるような気さえします。

2025/01/24

マインドの中に平和はありません

ボブ:マインドの中のおしゃべりがすべて静まれば、そのときは平和が訪れます。あなたは決して「マインドの平和」を得ることはないでしょう。マインドには分裂する性質があるため、分裂し続けます。マインドの中に平和はありません。マインドがないときこそ平和です。だからこそ、いにしえの人はそれを「理解を超えた平和」と呼んでいました。それは概念や思考では理解も把握もできません。しかし、概念や思考がなければ、そこには自然な平和があります。

質問者:そして、概念が再び現れ始めたとき、それは自分ではないとわかるので、心を静止させる必要はありません。多くの人はマインドを止めなければならないと考えるかもしれないのですが。

ボブ:ええ、根底にある平和は常にそこにあります。                                                                                                  

2025/01/21

マインドの中以外に探すところはありますか?

何年その答えを探し続けていますか? 何年解決しようとしてきましか?
命、あるいは生に対する答えをあなたが見つけることはありません。なぜなら、それはあなたが理解できるようなことではなく、見つけて心の片隅にしまっておけるようなことではないからです。
この自己の中心は、マインドの中の実体のないイメージ、考えにすぎないとわかります。
マインドの中に答えはありません。
マインドの中以外に探すところはありますか?
                                    セイラーボブ

2025/01/17

何も失われはしない

質問者: 「何も失われはしない」とはどういう意味ですか?

ボブ: ええ、生のエッセンスが身体に生気を与えなくなっても何も失われません。
パターンは崩壊します。でも、何も生まれてはいなかったので、何も死にはしません。
それは依然として同じ知性エネルギーです。
何も加えられることはなく、何も取り除かれもしません。
それには時間も空間も肉体もなく、いつ、どこで、どのように、生まれ、死ぬ、そうしたことすべてを超えています。
それらはすべてその内容物にすぎないのです。
私たちが概念化し、名前を付けることができるものはすべて、本当のあなたであるエッセンスの中に含まれています。
すべての顕現が空間に含まれているのと同じように。
                                    セイラーボブ

2025/01/14

この世界は、何もないのです

ボブ:夢から目覚めると、夢はどうなりますか?

質問者:何もなかったかのように、消えてしまいます。

ボブ:そこには何もありませんでした。

質問者:建物や山、その他いろいろなものがありました。

ボブ:ええ、そう見えましたよね? 本当にとてもリアルに見えました。特に悪夢の場合は現実のように見えます。でも目覚めると、すべてが消えて何もないのです。

質問者:ええ、そして私が眠りに落ちるとき、この世界は消えて何もないのです。

ボブ:そのとおりです。
                                    セイラーボブ

2025/01/10

すべて空間のような意識なのです

人々はそれが戻ってきたと言います。しかし、そこに存在しなかったものがどうして戻れるのでしょうか?
もしそれを見抜き、そもそもそれがフィクションであり、実体も独立した性質も持たなかったことを本当に見抜いたなら、それが戻ってくるでしょうか?
それが認識する空以外のものであったことなどなかったのです。その知る働きがあなたであり、それが今、宇宙の中で、木々、星、銀河、全体として表現し、パターン化し、それらとして現れていますが、それは本質的に何ですか?
それでもそれはすべて空間に含まれています。それはすべて空間のような意識なのです。
                                    セイラーボブ

2025/01/09

今日のセイラーボブ

facebookより(google翻訳)

ボブの状況の最新情報、寄せられた質問にまとめてお答えします。

彼は現在、注射用モルヒネを服用しており、皮膚パッチや経口薬に比べて、痛みのコントロールが全般的に安定しています。

彼は愛され、幸せですが、エネルギーレベルは日によって、時間によって変化します。食欲がなくなったため、彼の一番好きなおやつでさえも、もう誘惑されません。食事代替品もしばしば拒否されますが、少量の食事、スナック、ジュース、ゼリーで十分なカロリーを摂取しています。

ボブ・アダムソンは今でもズームグループを楽しんでおり、私の1対1の通話を聞くのが大好きです。私たちは彼の好きな音楽やテレビ番組を流し、彼の好きな聖書を声に出して読み、たくさん抱きしめ合います。

イースタン緩和ケアチーム、私たちのGP、その他のサービス提供者からの医療と支援は素晴らしく、私たちは毎日それに深く感謝しています。

そして、タニヤの存在と素晴らしい助けにより、この一見すると楽な旅の部分がかなり楽で軽いものになりました。愛の存在が中心テーマです。そして、ありのままの姿。未来も過去もなく、予測も苦しみもありません。ボブはまたしても平均寿命を超えて生きてしまったので、もう予測はできません 😉。

2025/01/07

久しぶりに精神世界のコーナーへ

正月に名古屋栄の丸善本店へ行ったら、もともと6フロアーあった本のフロアーが4フロアーに縮小され、2フロアーは駿河屋というホビーショップになっていた。最近は精神世界のコーナーへは行っていなかったが、まだあるのか気になって行ってみた。場所は変わっていたが、まだあった。

セイラーボブの「ただそれだけ」が棚から消えたのはずいぶん前のこと。今はどんな非二元の本が並んでいるのかと見て驚いた。古閑博丈さんの本も高木悠鼓さんの本も並んでいない。引き寄せ本やチャネリング関連本はまだたくさん並んでいるのに、私が知っているような非二元の本が棚にない。非二元の本のピークはもう過ぎてしまったのだろうか? 非二元の本はすぐに絶版になってしまうし、古閑さんが最近は非二元の本を出されていないせいもあるのかもしれない。

AMAZONのサイトで「非二元」で検索すると、日本人によって書かれた非二元の本がたくさん出てくる。そうした本は立ち読み程度でしか読んだことはない。でも、AMAZONのサイトのコメントや、著者のサイトからでもある程度の内容の推察はできる。一言だけ言わせてもらうと、「非二元」という言葉はもともと日本語にはなかったはず。おそらく、この20年ほどの間に英語の non-duality という言葉を「非二元」と翻訳したものが広まったと思われる。

インド哲学を研究していた人たちは、「非二元」という言葉ではなく、「不二一元論」という言葉を使っていたはずなので、それまで日本では「非二元」、あるいはノンデュアリティという言葉は広まっていなかったと思われる。

だとすると、日本で非二元の本を書いている人たちは、「非二元」という言葉をどこかから仕入れて使っているはず。それならば、その言葉の定義や、それをどこから仕入れたのかを明示すべきだと思うが、そのあたりのことをはっきりと語っている人は少ないように思う。ある日突然一瞥体験をして、非二元の体験をしたと言うなら、なぜそれが非二元の体験と言えるのかを明示すべきではないでしょうか? 

例えば、「私の体験はトニー・パーソンズの書いている体験そのものだった」あるいは、「私の体得したことはジョーン・トリフソンの言っていることと同じだ」というような感じで。もし誰からも非二元を学んでいないと言うならば、「非二元」という言葉をその人が発明したことになるが、そんなことがあるでしょうか? 

私がこのブログで取り上げた非二元の教師の多くは、自分が誰から非二元を学んだかをはっきりと書いています。そうすることで、教えに対する信頼性が高まるし、読み手は他に何を読んだらいいのかがわかります。

非二元という言葉の定義づけをはっきりしないまま、非二元について語っている本やサイトが多すぎるような気がします。どう考えても非二元論ではないのに、「私はいない」と言えば非二元としてまかり通ると思っている人もいる。

良質な非二元の本が書店の棚から次々と消えて、「私はいない」というフレーズをごり押しする類の本が増えていくのは悲しい気がします。もちろん、日本の方で良質な非二元の本を書いてみえる方もみえると思いますし、正しい非二元を教えてみえる方もみえると思います。

でも、今どきは「誰でも非二元教師」の状態で、非二元の本質が理解されないまま、単なる悩み事の相談窓口として広がっているような気がします。非二元を理解すること自体はそれほど難しくはないが、誰もが教師になれるほど簡単でもないし、なっていいわけでもない。真の非二元の教師とは、長い探求の末にやっと本物の非二元の教師と出会い、師の下で教えを学んで手に入れた人たち。理解の深さが全く違う。

彼らの説明には深みと知性があり、人に対する愛情と洞察にあふれている。真の非二元の教師の資質を持つ人は稀有な存在。ちょっと本をかじって毎回オウムのようにコピーした文句を繰り返すだけの人たちが、真の非二元の教師たりえるはずがない。

2025/01/03

それは空間以外の何ものでもなく、何もないものなのです

あなたが「私」と呼んでいる体とマインドは、すべての顕現と同じように空間に含まれています。
空間は空(くう)ですが、何の形もなく、周囲も中心もありません。そして、空間に現れる内容物は、(何もないところからは何も生まれないように)何かとなって現れているように見えても、その本質は何もないものなのです。
あなたは空間の内容物です。それがあなたというパターンとなって現れているのです。
つまり、それは空間以外の何ものでもなく、何もないものなのです。
                                    セイラーボブ

2024/12/31

良いお年を

大晦日。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
facebookによると、セラーボブは毎日看護師に来てもらって、痛みに対処するための投薬治療をやってもらって静かに過ごしているそうです。
私の中のボブのイメージは、まだ元気旺盛なころ、誰の助けも借りずに週三回90分間、迫力満点でしゃべっていたころのままです。
最近のボブは、話すことさえままならないような様子で、それをYouTubeで見るのは忍びない思いでした。でも、そうした姿を見せることもある種のメッセージなのかもしれません。

セイラーボブは何も特別な存在ではなく、他の人と同じように、老いることも病に苦しむこともあるのだということを見せているのかもしれません。そこには、インチキマスターにありがちな、特別なカリスマ性を演出しようという意図は微塵もありません。
大切なのはグルではなく、メッセージなのだと日頃言っていることを体現しているのかもしれません。そして今はカットや他の数人の語るメッセージに耳を傾けています。
一日でも長く、ボブがそうしていてくれることを願うばかりです。

この一年をブログ上で振り返ると、前半は昨年カリヤニが日本に来たことから引き続いて、ボブ以外の非二元の教師について書きました。後半は、佐々木閑先生のYouTubeと、セイラーボブのポインターを中心に書きました。セイラーボブのポインターは大半がボブのfacebookから拝借したものです。その言葉は、カットが書いていると思われますが、何から引用しているのかは知りません。

日々のポインターは基本的にはネット上にあるものからの引用であり、書籍からのものではありません。書籍、特に「LIVING REALITY」には良い言葉や、おもしろい話がたくさんあるのですが、著作権の問題があるので引用することを控えています。ボブの教えの全体を知るには、やはりこの本が一番良いと思っています。

さて来年も今までと同じような感じで、繰り返しボブのメッセージを伝えていきたいと思っています。自分でも同じようなことばかり書いているなと思うのですが、ボブだって同じことを40年以上も話してきたのだから、これでいいのだと思います。以前のようにミーティングを訳して載せるといいなと思うのですが、あれはけっこう時間がかかるので、今のところは予定していません。それと、残念なことに、ボブが一人で話していたころのYouTubeはあまり残っていません。

非二元の教えは、理解したら終わりということではなく、それを生きなければ意味がないと思うのです。本当に「私」は実在しないと身に染みているか。いるはずのない「私」が架空の悩み事にどっぷりと巻き込まれていないか。いるはずのない「私」がありもしない明日の心配ばかりしていないか。

繰り返しボブの言葉に触れることが助けになると思っています。このまま引き続きコツコツとやっていきます。あまり目新しいことは書けないかもしれませんが、また気が向いたら読んでみてください。

みんさんにとって来年が良い年となりますように。

2024/12/29

今日のセイラーボブ

The same essence. Sailor Bob's nonduality meeting on 29 dec 2024

今日のボブは少しだけ発言しました。33:08と37:30あたり。
途中で看護師がやってきて中断があり、針の交換や投薬をしたようです。

2024/12/27

アウエアネスを身体から取り出して、どれだけのことができるか見てください

そしてもちろん、この「私」という思考がやってきます。それは生そのものと密接に結びついています。うわべ上で、それはとても深く結びついているため、本当の自分とはその「私」だと信じています。でも、それは翻訳されたものです。
火の中の鉄が火の性質を帯びるのに似ています。火の中の鉄は赤く、熱く、取り出すと火のように燃えています。
うわべ上では、私たちが自分自身に対して抱いている肉体的、精神的イメージが自分で物事をやっているように見えます。
私たちは、「それが私。私は選択できる。私には意思がある。私はこうしたことすべてができる」言います。でも、鉄を火から取り出すと、何できません。
生のエッセンス、目覚めている意識、あるいはアウエアネスを身体から取り出して、どれだけのことができるか見てください。そうすると、身体は生のエッセンスによって活性化されることはなく、崩壊して空そのものへと帰ります。それでも、何も失われはしません。
                                    セイラーボブ

2024/12/24

あなたは意識の外へと投げ出されたことなどありません

私たちは、直接体験していることの明快さを見逃しています。あなたは意識(awareness)を探す必要はありません。意識無しでいようとしてみてください。
意識の中へ入るとか、意識の外に出るということは不可能です。
意識がすべてです。そしてそれが本当のあなたです。
あなたは意識の外へと投げ出されたことなどありません。
                                    セイラーボブ


2024/12/22

今日のセイラーボブ

Crashing rocks of concepts with Bob's style nondual inquiry 22 Dec 2024

ボブが話さないのはさびしい気がしますが、英語学習ビデオとしてはいいのかもしれません。みんなしっかりとマイクを持って話すので、聞き取りやすいです。

2024/12/20

一瞥神話 覚醒神話 覚醒者神話

私は長い間、多くの聖人、賢者たちは覚醒した人だと信じていました。仏陀、キリスト、老子、J.クリシュナムルティ、ラマナ・マハリシなどなどは全部覚醒した人たちだと信じていました。そして自分も覚醒して苦しみから解放されたいと思っていました。

でも今ではそれは単なる神話、おとぎ話にすぎないということを理解しました。覚醒した人などおらず、人が覚醒することもないということを理解しました。そうなると、そうした世界を一瞥するということも、ある意味おとぎ話であるとわかります。人が覚醒しないのなら、覚醒した世界を一瞥するなんて起こりようがないからです。

なぜ人は、覚醒神話や一瞥神話をいとも簡単に信じてしまうのでしょうか。おそらく自分が生きている現実世界がうまくいかず、辛く悲しいことが多いため、なんとかしてそこから脱出できないかと思うからではないでしょうか? 覚醒したら、悩むことなく毎日幸せに暮らせると言われれば、それを手に入れたいと思うのではないでしょうか?

私もそうでした。どうしても覚醒を手に入れたかった。苦しみや悩みから解放されたかった。セイラーボブに出会い、そんなものはないと知ってなんとがっかりしたことでしょう。なんと無駄なことに人生を浪費したのかと後悔しました。そして、そこには「私」もいないと知りました。

しばらくはがっかりしていましたが、覚醒という逃げ道がないと知って、逆にすっきりしました。自分は、人生につきものの悩みや苦しみを覚醒、あるいは瞑想によって、お手軽に解決しようとしていただけだと悟りました。

人は悩みや苦しみと真正面から対峙して生きていくしかないということを学びました。精神世界の探求者は、自分は倫理的にも精神的にも高尚な道を歩いていると思っていますが、実はお手軽な方法で悩みや苦しみから逃げ出したいだけのような気がします。

生きていくということは、そんなに簡単に悩みや苦しみから逃れることができるようにはできていないし、そうやって逃れるのであれば、生きていることの醍醐味を味わえないのではないでしょうか。

非二元を学んで、「私」も悩みも苦しみも実在ではないと学んでも、問題は次々とやってきます。そんな時、それは実体のないものだということを思い出しながら逃げることなく生きていけばいいのではないでしょうか。

2024/12/19

AIはもともと悟っている

生成AIに関する新しい動画です。怪しい教祖様も登場します。

これおもしろかったです。
AIはもともと悟っているというあたりが興味深かったです。人間だってもともと悟っているんですけどね。思考が邪魔しているだけで。

2024/12/17

あなたは絶えざる流れであり、それがあなたなのです。

どんな抵抗も葛藤を生みます。緊張して、くつろぐ(at ease)ことができません。あなたはくつろいでいません。不安。病気(dis-ease)です。
もし、良いことが起こったら、どうしたいですか? 良いことも留まることはないとわかっています。すると何が起こりますか? それが去ってしまうことに抵抗します。どんなことをしてもそれを留めようとします。
この、想像上の分離した存在のために、私たちには絶えず抵抗があるのです。それに伴い、あらゆる心理的な苦悩、痛み、ドラマが起こります。
しかし、その参照点がなかったら、すべてはあるがままです。あなたは絶えざる流れであり、それがあなたなのです。
                                    セイラーボブ

2024/12/15

今日のセイラーボブ

Nonduality small group discussion on 15 Dec 2024

ボブは途中からはずっと眠ってましたね。facebookによると、ズームの個人面談はほとんど断っているそうです。食も以前よりは細くなったそうですが、たまには人の助けを借りて庭に出ることもあるそうです。

2024/12/13

本当のあなたとは、思考以前にあるもののことです

あなたは自らの存在を否定することはできません。誰も私はいないと言うことはできません。誰もが自分は存在すると知っています。でも、私が言っているのは思考の「私は在る」のことではないのです。それは存在の感覚、存在する意識(アウエアネス)がマインドに翻訳されて思考の「私は在る」となっているのです。本当のあなたとは、思考以前にあるもののことです。
                                    セイラーボブ

2024/12/10

私たちはもともとそれである

顕現としての世界は自然に現れています。望ましい「未来の状態」という考えは目を曇らせ、すでに存在するものを見えなくします。
今はいつもここにあります。いつか未来に何かを達成するという考えは、この瞬間を完全に認識する妨げとなります。
この意識(アウエアネス)の外へ出ることはできません。意識は思考に注意がいってしまうという習慣によって見逃されます。
概念に没入することによって、「私たちはもともとそれである」という真実に気づくことを邪魔し続けるのです。
                                ピーター・ローリー

2024/12/09

ボブの近況

Nonduality group Bob's style with songs. 8 Dec 2024

最初と最後に数秒だけボブが登場します。
寝ている隣で歌ったりしゃべったりして、うるさくないのかなと思いますが、ボブは耳が遠いからいいのかも。

2024/12/08

私は実在しない。ではなぜ自分のことを「私」と言うのか?

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その77」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

久々に非二元ど真ん中の仏教の話でうれしかったです。

2024/12/06

非二元の教師たちが言っていることはシンプルなこと

非二元の教師たちが言っていることはシンプルなこと。私が「私」だと思っているものは実在しない。ただそれだけ。
彼らが特別な意識を達成した人でもなければ、私たちとは別の世界を見ているわけでもない。
特別な体験をしたわけでもなければ、覚醒して別の意識の次元にいるわけでもない。
私たちと何も変わらない普通の人たち。

あれほどの大男だったボブが今はひどく痩せて小さく見える。
あれほどの迫力とユーモアで語っていたボブが今は多くを語らず休んでいる。
老いることも病に苦しむこともある普通の人。
ボブはごく普通の人。私たちと何も変わらない普通の人。
そして普通の人であることがどれだけかけがえのないことかを教えてくれた偉大な人。

2024/12/05

盤珪

【第5回:禅僧の逸話に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2024年11月5日(火)

盤珪の話は何度聞いても飽きません。ボブの話のネタ元と思われる話がいくつかあります。

2024/12/03

自然界では、対極のペア同士は互いに対立してません

ボブ:自然界では、対極のペア同士は互いに対立していません。私たちは、すべての問題の原因である実体がいると思い込み、過去の出来事や経験をこの実体、「私」に結びつけることによって問題を引き起こします。私たちは「私」を好みますが、もしそれが嫌いならどうしますか?
質問者:変えようとします。
ボブ:あなたはそれを変えたいと思うでしょう。つまり、あなたはそれに抵抗しているのです。あなたはそれを変えようとしています。そして、どんな抵抗も葛藤です。葛藤すると、あなたは不調になります。あなたは安らぎを感じません。不安です! 不調です。それが病です。
                                    セイラーボブ

2024/12/02

2024年11月30日のボブ

昨日のミーティングにボブの姿はありませんでした(そのYouTube)。ボブは今眠っているということでした。前回のミーティングでは、薬の影響かもしれませんが、かなり朦朧とした感じがあって、ちょっと心配しました。無理をしないで休んでほしいと思います。

YouTubeでは、11月30日にラメッシュがベッドの横で読み聞かせをする様子がアップロードされました。

BOB Says: Sailor Bob's commentary of Hsin Hsin Ming. 30 Nov 2024

信心銘についてボブが語っているものですが、出典は知りません。ラメッシュが編集した新刊(AS IT IS. Unaltered Unmodified Uncorrected)からかもしれません。

2024/11/29

何がやってきても、そのままにしておいてください。

それは自然界で起こっていることと同じです。そのままにしておけば、ひとりでに収まっていきます。何かが起こり、「これが好き」、あるいは、「これに抵抗してはいけない」という思考が起こった時でさえ、それをどうにかしようとせずに、そのままにして、変更も修正もせず、受け入れも拒絶もせず、執着も放棄もせず、そこにはいかなる見解も考えも抱かないのなら、それはそこに留まることができるでしょうか?
何がやってきても、そのままにしておいてください。すると、自然界で起こっているのと同じように、それは去っていきます。
                                    セイラーボブ

2024/11/28

即心是仏(心が仏である)

【第2回:禅僧の逸話に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2024年6月11日(火)

もともと私たちの心が仏である。
馬祖の話は大好きです。

2024/11/26

もし、存在の感覚がマインドによって思考の「私は在る」という言葉に翻訳されなかったら、あなたは何なのですか?

私たちの問題はすべて、「私は在る」という信念から生まれます。では、「私は在る」とは何でしょうか? それは学んで身に着けたものではありませんか? もし、存在の感覚がマインドによって思考の「私は在る」という言葉に翻訳されなかったら、あなたは何なのですか?
                                   セイラーボブ

2024/11/24

もうそろそろ休ませてあげたい

Nondual investigation beyond words, beyond mind. With Sailor Bob's silent presence.

セイラーボブの居間でのライブが放送されました。

ボブが特別な人間ではなく、普通の人と同じように老いて病に苦しむのだということを知るには良い機会かもしれませんが、もうそろそろ休ませてあげたいなあと思ったのは私だけでしょうか。

2024/11/22

以前ケンさんからいただいたおたよりについてもう一度

以前このブログにいただいたケンさんからのおたより。それを時々思い出して考えることがあります。
「私」が実在ではないのなら、そこには何があるのか。セイラーボブが知性エネルギーと呼ぶものは何なのか? 多くの非二元の教師がアウエアネス(意識・あるいは気づき)と表現するものは何なのか? いくら非二元の本をあれこれ読んでも、結局はそれは私たちが確認することも理解することできないものだというような説明に行き着くだけです。
それ以上の説明を聞くと、ケンさんが言われたように、それを「我」の置き場にすることは避けられないような気がします。

非二元の教師の中には、「『私』は思考の産物であり、実在しない」というところまで説明して、それ以上の説明をしない教師もたくさんいます。時々思うのですが、非二元の教えの一番大切なところは、「『私』は思考の産物であり、実在しない」ということだと思います。説明はそこで終わりにしてもいいような気がします。これは私の勝手な解釈ですが、仏教もそこをゴールにしていて、それ以上のこと(そこに何があるのか)を説いていない気がします。

それ以上のことを説けば、神話や想像の世界に入って行かざるえません。
非二元は宗教でもカルトでもなく、日々の生活に役立つ実践的な教えだと思うし、そうあるべきだと思います。だとすると、「『私』は思考の産物であり、実在しない」ということの理解だけで十分ではないかと思います。それ以上の理解を手に入れようとするのは無駄であり、危険でさえあるような気がします。多くのカルトマスターたちが、あたかもそれを手に入れられるもののように説いて多くの人を誤らせた歴史を見ればわかることです。

セイラーボブの言葉であっても、例えば「知性エネルギー」という説明を鵜呑みにする必要はなく、神話として片付けてもいいし、別の解釈もあっていいと思います。
私はといえば、「『私』は思考の産物であり、実在しない」という理解までで終わりにしています。「私は実在しない」ということは確信を持って理解しました。でも、それ以上のことは知らない。そこには何があるのか。それは何なのか。それは誰にもわかりようのないことだと思います。U.G.クリシュナムルティが言うように、意識なんてものがあるのかどうかも疑ってみる必要がある。

2024/11/19

非二元の教えの胆(きも)

非二元の教えの胆(きも)は何だろうかと時々考えます。「私は実在ではない」とか、「物事は自然に起こっている」とか言われても、じゃあ一体どうすりゃいいの? と思うこともあります。
「私」は実在ではないと理解すると、私たちの悩みはマインドの産物であり、実体のないものだということがわかります。「私」が実在ではないのなら、その「私」の産物である悩みや不幸も実在しない。

非二元の教えは、必要以上に自分を責めたり、不安や精神的苦悩を抱え込んだりしないためにあるのだと思います。責めるべき「自分」も苦悩も想像の産物にすぎない。
10年前、20年前の自分を思い返してみて、その頃何を悩み苦しんでいたかと思い返してみると、そのどれもがそれほどのことでもなかったと気づきます。
そうやって一生を終えると、最後には、この「私」も消えていく。

そうわかっていても、あれこれの悩みや迷いを運んでくるのがマインド。そしてまた「私」はそうした悩みや迷いと格闘、あるいは遊び始める。その繰り返し。
非二元を学ぶと、その格闘、あるいは遊びから、ある種の距離感が生まれ、以前ほどどっぷりと問題に巻き込まれることはなくなる。そこらあたりが非二元の胆なのではないでしょうか?

マインドの活動を停止させることはできなし、架空の「私」を完全に消し去ることもできません。
でも、それが想像の産物だということを知っていたら、起こっている幻想の世界を楽しんで生きる手立てとなるのではないでしょうか。

2024/11/17

最後の公開ミーティング

Sailor Bob's Last public Satsang. 17 Nov 2024

今後はオンラインで継続するそうです。

2024/11/16

ミーティング終了のお知らせ

セイラーボブの家の居間でのミーティングは、明日(2024年11月17日)が最後になるという発表がありました。
理由は、ボブの体調がよくなくて、居間に病院用のベッドを備え付けるためだそうです。ボブの寝室は家の二階にあり、最近は階段昇降用の簡易エレベーターで移動していたようですが、それも難しいのかもしれません。
ボブの病気についての詳細な発表は今のところありませんが、痛みを緩和するための処置が必要だそうです。以前の facebook 上の発表では、ボブは oncologist doctor(腫瘍専門医)にかかっていると言っていました。
三日前まで、ボブはズームのミーティングに出て話をしていましたが、今後ズームミーティングを続けるかどうかは今のところ発表がありません。

2024/11/15

それは自ら輝き、自らを知り、自ら目覚めている

ボブ:私が「普段の目覚めている状態」というのは、覚醒している状態であり、あなたはそうなるために何の努力も必要としていないということです。自分が眠ってはいないと気づけば、目覚めているに違いないのです。では、それをどうしますか? そのままにしておいてください。そのままに。

質問者:それを見つけることはない。もうすでに見えているのですから。

ボブ:ええ。

質問者:誰がそれを見ているのですか?

ボブ:覚えておいてほしいのは、それは自ら輝き、自らを知り、自ら目覚めているということです。

2024/11/12

つまり、あなたは「それ」なのです

つまり、あなたは「それ」なのです。あなたは、そこにはある実在が存在すると一貫して堅く信じてきました。
そもそも、何もなかったのに、その存在に戻ることはできません。
今では、それは見破られ、理解されているので、もはやそこには実在が存在すると信じることはできません。
                                    セイラーボブ

2024/11/11

セイラーボブの近況

10 Nov 2024, Nonduality with Sailor Bob on Kat's 50th

セイラーボブはミーティングに復帰しましたが、まだあまり体調がよくないということで、最初に一言挨拶して、あとはカットが話をしました。ボブがつらそうなのがちょっと気になります。

昨日はリビングに入りきらないほど大勢の人でした。

2024/11/08

実体としてのあなたを認識できますか?

ボブ:認識する領域の内側を可能なかぎり頻繁に注視し続けると、そこには執着するものが何もなく、去っていきます。それにはそれほど時間はかかりません。

質問者:それからあらゆるパターン化が起こるのですが、それは誰かに起こっているのではないので苦しみとはなりません。

ボブ:そこに実体としてのものがないのなら、そこには実体がないという理解が起こります。そこに実体が存在することは決してありません。それは常に誤った思い込みでした。では、あなたはどこにいますか? 実体としてのあなたを認識できますか?

質問者:いいえ。

ボブ:つまり、あなたは自身が自然な機能、知性エネルギーそのものであるとわかるはずです。

2024/11/06

何のために瞑想するのか

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その69」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

最後の5分間がとても参考になります。

2024/11/05

原因を取り除けば、結果はどこにあるのでしょうか

「私」が存在しないことを理解したなら、「あなた」も存在しません。
では、「私」も「あなた」も存在しないなら、誰が優れているのでしょうか。あるいは誰が劣っているのでしょうか。
私はあなたに何を望むでしょうか。
原因を取り除けば、結果はどこにあるのでしょうか。
言い換えれば、東洋では原因と結果はカルマと呼ばれ、キリスト教では「蒔いた種は刈り取る」とされています。
原因を取り除けば、結果はどうなるでしょうか。
結果も消え去らなければなりません。そして、その単純さこそが、起こるべきすべてなのです。
                                   セイラーボブ

2024/11/04

ズーム・グループ・ミーティング

Zoom group recording from 28th of Oct 2024

セイラーボブは、一時的に入院中だそうです。胸部の感染症とか言っていました。大したことではないということで、投薬治療の後すぐに退院するそうです。昨日(11月3日)のミーティングはボブ不在で行われました。その様子はfacebookでは中継されましたが、YouTubeでは配信されませんでした。代わりに10月28日のズーム・ミーティングの様子が配信されました。

現在、ボブのミーティングは、日曜日の午前中にボブの自宅で行われている他は、週三回、時間帯をずらしてzoomで行われています。(ボブのホームページ

2024/11/01

本当の私とは、時間を超えてそこに存在する知る働きであり、その認識の内容物ではありません

ボブ:あらゆる思考が、常に今ここで経験されているのは明らかなことです。他の場所ではありえません。過去の思考も今ここに現れてます。
本当の私とは、時間を超えてそこに存在する知る働きであり、その認識の内容物ではありません。

質問者:それでも、不安の記憶が再び浮かび上がることがあります。

ボブ:不安は再び浮かび上がりますが、それは何ですか?あなたはそれを持っている存在ですか?

質問者:いいえ。

ボブ:不安は再び浮かび上がってきます。あなたが自身のことを、不安とは別の、何かを持っている存在、目撃しているかまたは気づいている存在がいると信じている場合にそれは起こります。そしてそれが問題となります。本当の私とは、すべてが現れている知る働きのであるということを見抜いたとき、浮かび上がってくることはそれほど重要ですか?

質問者:いいえ。

2024/10/29

馬祖禅師の教え

第1389回「馬祖禅師の教え」2024/10/26【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

2024/10/25

人間には心理的な問題がたくさんあるのですが

私たちが自身のことを惨めな人間だと考えると、それが私たちに制限を加えることになります。
一つのバイブレーションであるということは、創造的で有用な側面に振動することもあれば、その反対の、否定的で破壊的な側面にも振動します。そして、それが私たちがしていることです。
それゆえ、人間には心理的な問題がたくさんあるのですが、動物や昆虫の世界には、私たちほどではないかもしれません。
                                    セイラーボブ

2024/10/22

思考なしで、どれほとのことが起こっているのでしょうか

そして、ラベルを貼り付ける以前に、それがどのように機能しているかを見てください。それはあなたを呼吸させ、心臓を鼓動させ、髪と爪を成長させています。思考なしで、何が起こっているかを見てください。
思考なしで、どれほとのことが起こっているのでしょうか。
人間の中にある、有効で素晴らしいものは推論する能力です。推論する能力は役に立つものですが、私たちは単に惨めな人間だと言うことは役に立ちません。
                                    セイラーボブ

2024/10/18

動物は私たちのように、自分自身のことは気にしません

動物は私たちのように、自分自身のことは気にしません。私たちはどれほど頭が狂ったり、おかしくなったりすることか・・・。
そして、発明や創造性が進歩するほど、その否定的な部分で破壊的になります。正反対の方向に振動するため、私たちはますます狂って、ますます愚かになるのです。
                                    セイラーボブ

2024/10/15

すべては何の努力もなく起こっているのです

知性エネルギーがあなたを呼吸させています。心臓を鼓動させ、髪の毛と爪を伸ばし、食べ物を消化しています。細胞を再生し、思考・感情・感覚をもたらしています。そしてすべては何の努力もなく起こっているのです。
                                    セイラーボブ

2024/10/14

AS IT IS. Unaltered Unmodified Uncorrected

セイラーボブの新刊。


今年の二月に発売になっていますが、この本のことを知りませんでした。セイラーボブのホームページやFacebookでも紹介されていません。この本のことを知ったのは、ギルバートのFacebookです。編者はラメッシュとなっています。ギルバートが推薦しているので読みたいなとは思っていますが、ちょっと先になりそうです。

2024/10/11

不生の仏心

第1362回「不生の仏心」2024/9/29【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

2024/10/08

生まれついたのは仏心のみ

第1364回「生まれついたのは仏心のみ」2024/10/1【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

2024/10/04

そう見えているにすぎません

「私」もまたイメージです。それは、青い海、青い空のようなものです。その思考を見破らなくてはいけません。それは、キリストが「真実を知れば、真実があなたを自由にするだろう」と言われた意味です。たとえどのように見えようと、あなたはその真実を知っています。そこには「私」がいるように見えますが、そう見えているにすぎません。虹や蜃気楼、青い空と同じように。
                                    セイラーボブ

2024/10/01

それこそが実はあなたなのです

この体として現れているパターンと機能は、素晴らしい知性がこの体を通して表現されていることを意味しています。
そして、実はそれこそがあなたなのです。
それがあなたを形成し、成長させ、そして成長させ続けています。それは宇宙と同じように、ごく自然にあなたの体の細胞を入れ替え、その他のことを行っています。
しかし、その自然な状態が、理由付けやマインドの働きによって曇らされているように見えるのです。
                                    セイラーボブ

2024/09/27

あなたは思考ではありません

ボブ:古い習慣のパターンは、何年もの間条件反射として続いてきたので、しばらくは続くでしょう。しかし、ひとたびその居場所を失い、エネルギーがそこから抜けると、そこに留まることはありません。もはや重要なものではなくなります。

質問者:では、ただ単に思考を見つめればいいのですね?

ボブ:あなたは思考よりも前にいます。あなたは思考ではありません。それに気づいてください。その認識、その純粋な知性の中に、それはそのまま存在しています。
                                    セイラーボブ

2024/09/24

「いのち」は実在しない

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その58」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

「いのち」とは、「たましい」とは、そして「私」とは何か?
今回も素晴らしい話でした。

2024/09/21

一つもの(oneness)を理解しようというのは罠です

一つもの(oneness)を理解しようというのは罠です。そのままにしておいてください。
                                    セイラーボブ

2024/09/20

返事のおたよりをいただきました

拓さん早々のお返事ありがとうございます。
そして、ややこしい気分にさせてしまい申し訳ございませんでした

> 私としては、我はどこにもないということをこのブログで書いているつもりです。
> 要するに、主体も客体もないということを言いたいだけです。また、確認と理解の
> くだりは、あくまでも特別な理解やエンライトメントや覚醒のようなことは起きな
> いと言いたいだけです。
> 理解の仕方は人それぞれで、それぞれが何らかの形で理解・納得すればいいのだと
> 思います。

はい、拓さんがブログで書かれていることの要点は上記である点は承知しています。

> 「意識だけがある」という表現も、自分がいると思い込んでいることに対して、そ
> んな自分はいないということを言いたいだけです。

はい。私もそのように思います。

> 説き方はいろいろあるし、思想の体系や説明もいろいろあっていいと思います。ま
> た、その理解の仕方も人それぞれで構わないと思います。「私は実在しない」とい
> う基本さえ外れていなければ。

はい、そのように私も思っております。
的確に表現出来ず、かえって混乱させてしまったようで大変申し訳なく思います。拓
さん書かれていること・表現への批判ではありませんでした。

例えば、私が気になったのは『ただそれだけセイラー・ボブ・アダムソンの生涯の教
え』に書かれている以下のような表現です。

・P94、3行目から
「…本当の自分とは非顕現であり、純粋な本質であるという観点から…」
・P96、7行目から
「…しかしその本質は非現象であり、決して変化したことがないのです…」
・P99、2行目から
「…そのときあなたは、今ここ、明澄で空っぽなこの意識の中に残されるのです。そ
れは心の中で進行してきたいかなる物語や試練によっても汚染されたり傷つけられた
りしたことがありません。その生きた本質は一度も触れられたことがありません。そ
れは一なる本質です。それは決してその本質を変えたことがありませんでした。」

その他の箇所でも、これは私そのものなので、目が目それ自身を見ることができない
ように、対象として見つけることはできない、思考が止んだ時に理解されるもの、と
いう表現もたびたび出てくると思いますが、「非顕現、非現象なる1なる本質」とい
う表現をすると、頭はどうしてもそのようなものが存在すると思って探してしまう
し、さらに「それは見つかるものではない、理解されるもの」との説明が加わると、
かえって混乱するのかな、という疑問でした。
私自身、しばらく非顕現、本質なるものを探し続けて疲弊したくちなので。
私なりの実感では「本当の自分」「本質」というものは確認できませんし、ただいま
ここで現象が流れているだけですので。
思考や言葉なしでも、風は吹くし、呼吸は起きているし、雲は流れるし、心臓は鼓動
しているし、人に呼ばれれば即座に「はい」と返事が出るし、現象はとどまらず自ず
と変化していく、ぐらいの表現のほうが、実際の感覚で確認できるので混乱しないの
かなと感じた次第です。
全体としてボブさんが書かれていることはよく理解できますし、基本的にはそのとお
りだと感じていますので、上記のような表現が私的に気になったということでした。
これは表現の仕方の違いなんでしょうね。しっくりくるかどうかの

お騒がせしましてすみませんでした。
やりとりさせていただき、どうもありがとうございました。

ケン


************

おたよりをありがとうございました。
時々、自分が死んだら全部の思考が停止して、何も感じなくなるのは寂しいなと思うことがあります。いくら小さな波が海に帰るだけだと言われても、もう架空の「私」を感じることもできないのは寂しい気がします。
そこにアウエアネス、あるいは知性エネルギーと呼ばれるようなものがあったとしても、肉体がない以上、それを感じることも表現することもできないと思います。
でも、それも全部、今現在人間という参照点から見た想像なのであって、実際そこに何があるかは、誰にも解きえない永遠の謎だと思います。
このあたりの話は非二元の教師によって味付けの仕方がまちまちなので、あまり深く考えてもしょうがないと思います。
「私は実在ではない」とだけ理解すれば十分かなと思います。
おたよりどうもありがとうございました。

2024/09/19

おたよりをいただきました

拓さんはじめまして
拓さんのブログ、興味深く拝見いたしました。
このような真剣な情熱を感じられるブログに出会えて感謝です。

私はここ17年くらいクリシュナムルティやガンガジ、ダグラスハーディング、マハラ
ジ、原始仏教などの著作をつらつらと好き勝手に読んで探求してきている者です。
つい最近、セイラー・ボブ・アダムソンさんの言葉に触れ、こちらのブログを発見し
拝読させていただきました。
「悟り」というものはない、というメッセージは本当に力強く、私のような探求の最
中にあるものにはすがすがしく響きました。

私自身、ここ数年、ボブさんが言うように、本当の自分は非現象であり対象として確
認できるものではないという理解の中で過ごしていましたが、
非現象(空)である主体とその顕われである対象(客体)という、主体と対象(客体
)の構図を置き、非現象である主体が本当の私(実在)であり、対象は変化するので
実在ではない、という話。
そしてそれは二元性の中にある我々には確認できるものではなく(あるいは私自身な
ので)ふと理解されるものである、とのことですが、
この表現は、最終的な我の置き場所としての概念と感じてしまい、違和感が湧いきて
います。
要するにこの話は無いほうがもっとシンプルなのかなと。
「本当の私」というものも実際は確認できませんし、もちろん非現象としての私も確
認できませんし、かえって混乱するのかなと。

拓さんが言われるように「意識だけがある」という表現は、刻々の実際として理解で
きますが、拓さんはそのあたりはどのように感じられますでしょうか?
単に私に理解が起きてないからでしょうか?
あるいは、語りかける相手の状態を想定した方便としての表現なのでしょうか?
ふと気になったのでお便りさせていただきました。

よろしくお願いいたします。
ケン

*********

おたよりありがとうございます。
とても難しい内容で、どうご返事したらよいのかよくわかりませんが、一応何かご返事をと思い書いています。

非現象(空)である主体とその顕われである対象(客体)という、主体と対象(客体
)の構図を置き、非現象である主体が本当の私(実在)であり、対象は変化するので
実在ではない、という話。
そしてそれは二元性の中にある我々には確認できるものではなく(あるいは私自身な
ので)ふと理解されるものである、とのことですが、
この表現は、最終的な我の置き場所としての概念と感じてしまい、違和感が湧いきて
います。
要するにこの話は無いほうがもっとシンプルなのかなと。

私としては、我はどこにもないということをこのブログで書いているつもりです。要するに、主体も客体もないということを言いたいだけです。また、確認と理解のくだりは、あくまでも特別な理解やエンライトメントや覚醒のようなことは起きないと言いたいだけです。理解の仕方は人それぞれで、それぞれが何らかの形で理解・納得すればいいのだと思います。

多くの非二元の教師たちは、「私は実在ではない」以上終わり、という人が多く、主体や客体という話を持ち込まない人も多いので、その方がわかりやすいのかなと思います。非二元の教えの核は「私は実在ではない」ということなので、それさえしっかり説いていれば、あとはそれぞれの教師の味付けだと思います。

拓さんが言われるように「意識だけがある」という表現は、刻々の実際として理解で
きますが、拓さんはそのあたりはどのように感じられますでしょうか?

「意識だけがある」という表現も、自分がいると思い込んでいることに対して、そんな自分はいないということを言いたいだけです。「意識だけがある」と言ってしまうと、それは誰の意識なのか、その主体は何かとなってしまう恐れがあります。実際にはそれを「意識」と呼ぶことさえ一種の観念化であって、そう呼ぶべきではないのかもしれません。仏教がいうように、そこには何もない。空だというべきかもしれません。

何もないと言ってしまった方がすっきりすると思うのですが、人間という参照点から見た場合、そこには世界を投影している何かがある気がするので、仮に「意識」という言葉を使っているにすぎません。もし、人間という参照点を離れれば、そこには何があるかは誰もわからないし、何とも表現しようもない気がします。U.G.クリシュナムルティは「意識なんてものはない」とさえ言っていたと記憶しています。

意識についても、そんな説明をしない非二元の教師も多くいます。私はセイラーボブから非二元を学んだので、意識やアウエアネスという言葉を使っていますが、実際それは何なのかと聞かれても、答えようがありません。また、それを答えることができる人がいるとは思えません。

私自身、ここ数年、ボブさんが言うように、本当の自分は非現象であり対象として確
認できるものではないという理解の中で過ごしていましたが、

そのように理解されているのなら、それで十分だと思います。私のブログが、その理解をかえってわかりずらいものにしているのなら、申し訳なく思いますが、ケンさんはもう十分に非二元を理解されていると思います。主体や客体という説明に違和感を感じてみえるなら、その説明は無視してください。「私は実在しない」ということさえしっかり理解してみえれば、あとの説明は不要だと思います。

時々自身のブログを読み返してみて「意識」という言葉は良くなかったなと思うこともしばしばです。でも、セイラーボブが「awareness」という言葉を使うので、その都合上、「意識」と訳して書いています。

私は、思想の体系や説き方は全く違うけれど、佐々木閑先生の教える仏教も師事しています。そこでは、「意識」や「主体・客体」という言葉も説明も出てきませんが、「私は実在しない」という基本だけは非二元の教えと同じだと思って師事しています。説き方はいろいろあるし、思想の体系や説明もいろいろあっていいと思います。また、その理解の仕方も人それぞれで構わないと思います。「私は実在しない」という基本さえ外れていなければ。

お便りの返事としてはピントがずれていて、何の返事にもなっていないかもしれませんが、難しい内容なので、とりあえずこれでご返事とさせていただきます。

2024/09/17

私とは本当にそれなのでしょうか?

私はボブ、オーストラリア人、男、いいやつ、悪いやつ、トラウマを抱えていた。そう私が言う時、それはどれも観念であり、「私」という思考に付け足されたものです。
そのため、人々がボブについて語る時、「私」とは、そうした私として存在することになります。この観念化された、あるいは、うわべ上で思考によって作り上げられたもの。それがいまや何らかの実体を持っています。
それが存在するものの正体です。作り上げられた架空のイメージ。私が自身に対して持っている観念。でも、私とは本当にそれなのでしょうか?
                                     セイラーボブ

2024/09/13

何が死んで、何が死なないのですか?

質問者:ボブ、私たちが死んだらどこへ行くのですか?
ボブ:波が海へと戻ったら、その波はどこへ行きますか?
質問者:わかりません。
ボブ:また同じ波が戻ってきますか?
質問者:いいえ。
ボブ:では、何が死んで、何が死なないのですか?
                                    セイラーボブ

2024/09/10

身体でもマインドでもない純粋な機能としての知性エネルギー

あなたの本質、本当の性質を味わってください。それは、生まれることも死ぬこともない、時間も空間もない、身体でもマインドでもない純粋な機能としての知性エネルギー、分離も分割もないもの、それがあなたです。
                                    セイラーボブ

2024/09/06

私たちが生まれた時には言葉を知りません

もちろん、私たちが生まれた時には言葉を知りません。私たちが身に着けた言葉は、学んだり教えられたりしたものです。私たちはそれを親から学び、ものごとにラベルを貼り付けます。そのラベルは常に、良い/悪い、楽しい/辛い、過去/未来、幸せ/悲しいといったペアへとうわべ上では分割されます。それはどれも振動するエネルギーに異なるラベルを貼り付けたものです。でもエネルギーが分離しているわけではないのです。もしラベルを剝がしたら、そのエネルギーはどこに留まるでしょうか?
                                    セイラーボブ

2024/09/03

あなたは、もうすでにそれなのです

鮮明でリアルな夢から目覚めた時、その夢はどこへ消えましたか?
その夢はどれほど真実味があって、どれほど現実味がありましたか?

エンライトメントや覚醒によって手に入れたり達成できたりすることは何もないとわかってください。そこには何もありません。
あなたは、もうすでにそれなのです。
                                    セイラーボブ

2024/08/30

虚偽は調査に耐え得ません

すべての問題の根本的な原因は、自分は独立した存在、個人、人であるという信念(belief)です。これは単なる思い込みにすぎません。辞書で信念の定義を調べてみてください。信念とは、何かを調べもしないで理由なく受け入ること、肯定的な知識や証明なしで、事実とされていることを受け入れることです。
それは調べられてきませんでした! 根拠もなくそう主張されてきたのです。そうやって主張されている信念のいくつかを調べてみると、調査に耐えることができずに粉々になるでしょう。虚偽は調査に耐え得ません。
                                    セイラーボブ

2024/08/27

それは、何が起きようと、いつもそこにあります

目覚めた状態(wakefulness)は常にここにあります。ほとんどの人が「意識 awareness」という言葉を聞くと、それを探そうとしますが、探しても無駄です。私たちは意識を探そうとします。この意識が何であるかを見つけようとします。
私たちはそれが何であるかという概念を持っています。しかし、「目覚め」という言葉を使う場合の問題は、目覚めるために何かをしなければならないということです。あなたは自分が眠っていないことを知っています。
それを探す必要はありませんし、そのために何かをする必要はありませんよね? 眠っていないのであれば、目覚めているに違いないのは明らかです。
そのままにしておいてください。それは、何らかの方法で変更、修正する必要はなく、探し求める必要もありません。それは、何が起きようと、いつもそこにあります。
                                    セイラーボブ

2024/08/23

目覚めるために何をしたのか?

多くのスピリチュアルの教師たちは自分がどうやってエンライトメントしたかを語るのが好きだ。
それを語ることによって特別な喜びを感じている。
自己欺瞞の仮面をかぶりながら。
人が何かになることなどない。
思い込みが消えると、そこに残るものは明確で明白なものだ。
あなたは今この瞬間目覚めている。
目覚めるために何をしたのか? 何もだ!
                                     ギルバート

2024/08/22

初期仏教の世界

森の中の修行生活(タイ 2024) その3

現在、佐々木閑先生はタイ、チェンマイのお寺に滞在中です。初期仏教の姿を現在まで残している寺院の生活ぶりについてYouTubeで報告されていて、とても興味深いです。

もともとは、この寺で修行をされている日本人の方から、経典のわからないところを教えてほしいと請われて訪ねたのが始まりだそうで、もう何回も行ってみえるそうです。

仏教は、もともとは釈迦の教えを学ぶ哲学集団のようなものでした。そしてそれを二千数百年経った今でも厳格に実践している人たちがいるというのはすごいことですね。

2024/08/20

人生後半、そろそろ仏教にふれよう (PHP新書)

人生後半、そろそろ仏教にふれよう (PHP新書)

私はこのブログで佐々木閑先生のYouTubeをいくつも転載させていただいているとおり、佐々木閑先生の大ファンです。佐々木閑先生のYoutubeは、かたっぱしからほぼ全部見ているし、本も何冊も拝読させていただいています。

それで、仏教のことは、まあだいたいわかっているつもりでしたが、この本を読んで、改めて仏教の成り立ち、日本に入ってきた経緯などを復習させていただきました。忘れてしまっていることもたくさんあって、とても参考になりました。この本は仏教のこと、特に原始仏教のことを詳しく知りたいけれども、何から学べばよいのかわからないという人には、わかりやすいダイジェストになるのではないかと思います。

そして、本当の仏教が教えていることの神髄を単刀直入に学びたいという人には、非常にわかりやす本になっています。それは、諸行無常であり、諸法無我です。そしてそれはこのブログのメインテーマである非二元の教えの神髄と同じものです。古館さんは、諸行無常、諸法無我をよく理解してみえて、そのうえ佐々木閑先生を師とされたことがすばらしいと思います。

私は仏教の教えていることは根本的には非二元の思想と同じであり、とても素晴らしいと思っているのですが、それはあくまでも、佐々木閑先生を通して学んだ仏教に関してだけです。もちろん、横田南嶺老師や唯識の思想から学んだこともたくさんありますが、それも佐々木閑先生なくしては理解しえなかったと思います。

この本は参考になることがたくさんあります。一つとても印象に残ったのは、古館さんの話。古館さんがまだテレビ局のキャスターをやっていたころ、アマゾンの原始部族の酋長の取材に行って、文明とはかけ離れて暮らす部族の人にとって、幸せとは何なのですかという質問をします。すると酋長は何人もの通訳を介して、私には幸福という言葉の意味がわからないので、その問いには答えようがないと答えます。

そして佐々木先生はこの話に対して、幸福を求める状態が不幸なのですと答えてみえます。私はこの話がとても印象に残りました。

第1298回「そろそろ仏教にふれよう」2024/7/27【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

2024/08/18

人生後半、そろそろ仏教にふれよう

【古舘伊知郎氏&佐々木閑氏対談1/3】古舘伊知郎が「生きる意味」を考え直すきっかけになった、姉の死◎『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』

【古舘伊知郎氏&佐々木閑氏対談2/3】釈迦は仏教が滅びると思っていた?◎『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』PHP研究所

【古舘伊知郎氏&佐々木閑氏対談3/3】釈迦の教えに学ぶ集団組織の存在価値とは◎『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』PHP研究所

非二元の教師たちは、「私は実在しない」と一刀両断に言って終わりです。でも実際にはなかなか「私」は消えないように見えます。仏教でも、「私は五蘊の集まりであり、そこには永遠不滅の魂のような実体はない」と言い、無我を説きます。非二元と仏教の違うところは、仏教は修行することによって、「私」すなわち煩悩を消していこうとするところです。
私は両方の考え方ともに好きです。

2024/08/16

ありのままの自分でいてください

私たち一人ひとりは、知性が自ら表現しているものであり、それぞれが独自の現れです。
同じ表現は二つとありません。この宇宙、あるいは宇宙の顕現の中のすべての多様性において、それぞれの表現は唯一のものです。
そのため、自分がどうあるべきかという考えは、もともと唯一の現れであるあなたを制限することになります。 自分ではないもののふりをするのはやめて、 ありのままの自分でいてください。 ただありのままで。 リラックスして、オープンで。 心からオープンでいてください。
それは共鳴し、認識され、知られます。 それは純粋で単純な理解です。
                                                                                                         セイラーボブ

2024/08/13

肝心なことは、まさに今ここにあなたは存在し、存在していることに気づいているということです

ボブ: ここには中心がないことがはっきりわかれば、たとえ習慣のパターンに再びとらわれたとしても、ただそのことを見失ったにすぎません。
そこにある知る働き、知る働きの根底にある実在は、決して失われません。
それには始まりがありません。
それには終わりがありません。
質問者: 肝心なことは何ですか?
ボブ: 肝心なことは、まさに今ここにあなたは存在し、存在していることに気づいているということです。
                                                                                                 セイラーボブ

2024/08/11

2024/08/09

二元性は「私が行為者だ」という習慣、あるいはその信念から始まります

質問者 :二元性はどこから始まるのですか?
ボブ:「私が行為者だ」という習慣、あるいはその信念からです!
質問者:「私が自分の人生をコントロールしているのではない」ということを受け入れる勇気がありません。
ボブ:あなたが自身に対してしている制限を見てください。知性とは何ですか。エネルギーとは何ですか。勇気そのものではないですか。愛そのもの、思いやりそのものでしょう? あなたは必要な勇気をすべて持っています! でも、私たちは「勇気がない」などと制限をかけてしまうのです。
                                    セイラーボブ

2024/08/06

習慣パターンを断ち切ってください

「ああ、でも」とか「もし」とか「過去の経験から知っている」という習慣パターンを断ち切ってください。
そうやってマインドがやってきて、私たちは自発性と直感力を失います。
第六感は、霊的感覚と呼ばれることもあります。それは自然に現れますが、マインドは「いや、もっといいものがある」と言います。
                                    セイラーボブ

2024/08/05

備忘録

 
このYouTubeチャンネルNothing Mediaには、たくさんの非二元の語り部が出てきますが、このチャンネルの主催者がどういう人なのか知りません。また、登場する人も、ほとんどが知らない人です。一応備忘録としてセイラーボブ関連のものだけ載せておきます。

2024/08/02

マインドを観察してください

マインドは絶えず基準点を入れ替えます。マインドを観察してください。
それがマインドの性質です。調べて、これがすべての始まりだと言えるような特定の点がないことを確かめてください。
マインドを観察し続けることで、マインドはその力、強烈さを失います。
するとマインドは、そこにある事柄に対処するためにあるのです。
                                    セイラーボブ

2024/07/30

見かけ上の「私」を信じることが、あなたのすべての問題の原因です

かつて人々は、地球は平らだと信じていましたが、調査した結果、そうではないことがわかりました。かつてはバクテリアやウイルスと呼ばれる邪悪な力について、あらゆる種類の信念がありました。でも、体やマインドがあるという考えを調査する人はあまりいません。なぜでしょうか? この見かけ上の「私」を信じることが、あなたのすべての問題の原因です。
                                   セイラーボブ

2024/07/29

人間は高性能のロボットと同じではないでしょうか

私は常々、人間は高性能のロボットと同じではないかと思っています。バッテリーの代わりに食べ物を補充して動きます。脳はAIのようなもので、ChatGTPのように、自分で学習する能力を持っています。

それで、何がロボットと違うかというと、後天的に植え付けられた情報によって、「私は人間だ」「私は生まれた」「私は生きている」「私は死ぬ」と思い込んでいます。でも、非二元を学ぶと、そんなことは後天的に植え付けられた情報にすぎないということを理解します。そして、常住普遍の魂なんてものも、「私」なんてものも存在しないという理解に至ります。

そうだとすると、私たちはロボットと何もかわらないことになります。バッテリーが切れたら身体が動かなくなって、意識が消えるだけです。動物も同じです。だとすると、ロボットも動物も人間も、実際には同じようなものではないでしょうか。人間だけが、自分は特別だと思っていますが、実際には自然の一部にすぎません。

ロボットや動物と人間が決定的に違うのは、人間だけが心理的な苦悩を持つという点です。なぜ心理的な苦悩を持つかというと、「自分が生きている」、あるいは、「自分がこの生をコントロールしている」と思っているからではないでしょうか? 悩み事は、本来自分ではコントロールできない物事を、なんとかしてコントロールしようとするから起きるのではないでしょうか。

ロボットだったら、そんなことは考えもしないでしょうし、動物だったら、少しは悩むかもしれませんが、悩んでいるより先にエサを探さなくてはならず、悩んでいる暇なんてないのではないでしょうか。

私も心理的な苦悩をいくつも抱えていた苦しい時期がありました。周囲の状況から起こる悩みばかりでなく、病的なものもありました。振り返って今思うのは、そうしたことの特効薬は、放置しておくというか、忘れてしまうことが一番ではないかと思います。もちろん、原因がある悩みについては、原因を解決すべく、できるだけの努力はすべきだと思いますし、病的なものについては医者や薬の助けも必要かもしれません。

でも、基本的には、そうしたことをコントロールできる「私」はいない、悩みの主体となる「私」は実在ではない、ということを理解して、今やるべきこと、やりたいことに焦点をあてることが解決の近道ではないいでしょうか。問題や悩みを解決しようともがけばもがくほど、エネルギーはそちらへ流れ、悩みや問題は大きくなっていきます。もともと問題はマインドが作っているものにすぎず、実体などないのですから。

悩みや問題の解決は、非二元の教えを理解することがベストだと思います。でも、大きな悩み事を抱えている方で、非二元の教えよりももっと即効性のある解決策を探してみえる方は、以前ブログに書いた、こちらを参考にしてみてください。何かの参考になるかもしれません。

2024/07/28

人の心もまた、実は「非常に単純な計算作業の繰り返しでできている」

特別回 AIと仏教 その1

この話は非二元に通じるところ大いにありだと思います。深く考えさせられました。
私もChatGPTにはいたく驚いていて、英語学習に活用しています。自分の作った英文が文法的に正しいのか、自然なものかをChatGPTに聞くと、詳しく教えてくれます。もうびっくりするほどです。ChatGPTは英語学習に革命を起こしているといっても過言ではありません。瞬時に翻訳・通訳する時代はもうすぐそこまできていて、英語学習そのものが不要になるかもしれません。

私は常々、人間は高性能のロボットと同じではないかと思っています。この続きは明日書くことにします。

2024/07/26

人を神格化して見ると判断を誤る

この話は非二元とは直接的には関係ありませんが、最後の5分はスピリチュアルの道を歩む多くの人に参考になると思います。多くの人は完全な師を求めています。私もそうでしたが、誰かが「私は覚醒した」などと言おうものなら、その人が何を言おうが、それがどんなに的外れなことであっても、マスターの言うことだから何か重要なメッセージに違いないと思って、盲目的に追従してしまいがちです。また、自分も同じ体験をしたいと思うあまりにトリップしてしまう人もいます。覚醒した人などどこにもいないと肝に銘じて、自分の頭で判断することが大切なのではないでしょうか。大切なのはメッセージであり、そのメッセージが私たちに役立つものでなくてはいけないと思います。

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その52」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

2024/07/23

ボブ、96歳の誕生日おめでとう!

Are you unaware? Bob's 96th birthday catch up. 21 July 2024

こんなにたくさんの人が集まったのは記憶にありません。この日はボブの96歳の誕生日。おそらくみんなこのあとのパーティに行くのでしょう。

ボブのスピールのあと、集まった人たちが順番にボブに感謝の言葉を言っていきました。30年以上も通っている人もいます。

ボブが40年以上にわたって人々に対して行ってきたことは、「心理的な苦悩からの解放」です。そしてここに集まっている人たちは、ボブによって心理的な苦悩から解放された人たちです。ラメッシもその一人だと思います。

*****************

59:40から

ラメッシ:ハーイ。このパターン(自分のことを指して)はヒンヅーのバックグラウンドからやって来ました。私の叔父はサドゥ、僧です。私は若いころから、そうしたことに興味があり、グル、メンター(良き助言者)を探さなくてはいけないと思っていました。でも、メルボルンに住む白人の老人が私のメンターになるなんて考えたこともありませんでした。(一同爆笑)

まったく驚きです。しかも、船乗りで、元アル中なんです。(笑い)羊の毛を刈っていて、けんかばかりしていた。(笑い) 彼は本物です。
あんまり長く話てはいけないのですが、ヒンヅー教のサンスクリットの二行詩について話すと、ボブがよく引用するするのは「サット-チット-アナンダ」、「ナーマ・ルーパ」です。

サット-チット-アナンダは、存在ー意識ー至福です。そして、あなたの存在は自明のことです。そして知る働き、チットは自分がいるという認識です。だれもが自分が存在していると知っています。自分がいると信じているのではなく、知っています。その、自分が存在するというその認識の中に至福があります。それがアナンダ、存在することへの愛です。サット-チット-アナンダです。タジーがさっき言ったように、その知る働きへ立ち返ってそれを認識すること(が大切)です。というのも知る働きは非観念の意識であり、内在する認識だからです。その知る働きの中にボブが言う、原因のない喜びが起こっています。その知る働きは観念化されないものであるため、彼はそれを様々な言い方で言います。

「もしそのことを考えなかったら、今何が問題なのか」。それもまた同じことを指摘しています。そのことを考えない時、そこには内在する知る働きがあり、それは観念化されない意識です。ですから、そこへ戻り続けることです。それを何度も何度も認識すること。物語がやってこようと、観念がやってこようと、内在する知る働きへ戻り続けることです。その内在する知る働きがあなたなのです。

2024/07/19

最終的な達成も最終的な理解もない

最終的な達成も最終的な理解もない。生は自然発生的なものであり、すべてが自発的で新鮮で新しい。繰り返しはしない。
                                     ギルバート

2024/07/16

誰がその努力しているのでしょうか

では、別の視点から見てみましょう。今ここで、誰もが呼吸をし、心臓が鼓動し、血液が体中を巡っています。
髪の毛や爪が伸びています。細胞が入れ替わり、食べ物が消化されています。
誰がその努力しているのでしょうか?
「次の呼吸をしなくちゃ。心臓を鼓動させなくちゃ。食べ物を消化しなくちゃ」と言っている「私」や考えがマインドの中にありますか?
それとも、それは努力なしに起こっているのでしょうか?
                                    セイラーボブ

2024/07/12

記憶は架空のもである 私は実在しない

引き続き、佐々木閑先生のすばらしい話が続いています。この話などは非二元そのものです。あまり転載させていただくのもどうかと思いますが、備忘録として残しておきたいと思います。

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その48」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

2024/07/09

求めない生き方

この話は非二元とはあまり関係ないかもしれませんが、思うところあって転載させていただきます。
昨今の「持続可能な成長」とか、「環境にやさしい」とかいうフレーズを耳にするたびに、そんなまやかしではなく、「求めない生き方」こそが解決策ではないかと思えてなりません。
必要以上に快適に生活しようとすること、過度においしいものを食べようとすること、もっとGDPを増やそうとすることよりも、求めない生き方の中にこそ幸せがあるような気がします。できるだけそうやって暮らしていこうと思っています。

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その47」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

2024/07/05

すべてはそれなり


すばらしい話があります。これもまたインドの伝承で、ムクタナンダからのものです。
ある男が生の本質を知りたくてグルを訪ます。生の本質は何なのですかと尋ねるとグルは、「汝それなり、すべてはそれなり」と答えます。
男はその言葉に打たれて理解します。グルの家を出て、「我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり」と言って歩きました。
村人たちが向こうから走ってきて、「逃げろ象がやって来るぞ」と言いました。
男は、「ああ、我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり」と言いました。
野生の暴れた象が角を曲がって男に向かって突進してきました。
男は象を見て、「我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり」と言いましたが、象は男をつかんで木へと放り投げました。
数日後、手足を骨折して入院した男をグルが見舞いに行くと、男は言いました。「どうして言ってくれなかったのですか? 私の身体を見てください」
するとグルは、「人々が象が来るから逃げろと言ったのを聞かなかったのか? 彼らもまたそれなのだ」
                               ピーター・ローリー

2024/07/02

ここでは何も悪くはありません

いいですか、いつもここへ立ち戻ってください。今ここ、この瞬間、現在へ。
ここでは何も悪くはありません。
それと同じで、考えなかったら過去は存在するでしょうか?
考えなかったら、未来はあるのでしょうか? 
                                    セイラーボブ