2024/11/19

非二元の教えの胆(きも)

非二元の教えの胆(きも)は何だろうかと時々考えます。「私は実在ではない」とか、「物事は自然に起こっている」とか言われても、じゃあ一体どうすりゃいいの? と思うこともあります。
「私」は実在ではないと理解すると、私たちの悩みはマインドの産物であり、実体のないものだということがわかります。「私」が実在ではないのなら、その「私」の産物である悩みや不幸も実在しない。

非二元の教えは、必要以上に自分を責めたり、不安や精神的苦悩を抱え込んだりしないためにあるのだと思います。責めるべき「自分」も苦悩も想像の産物にすぎない。
10年前、20年前の自分を思い返してみて、その頃何を悩み苦しんでいたかと思い返してみると、そのどれもがそれほどのことでもなかったと気づきます。
そうやって一生を終えると、最後には、この「私」も消えていく。

そうわかっていても、あれこれの悩みや迷いを運んでくるのがマインド。そしてまた「私」はそうした悩みや迷いと格闘、あるいは遊び始める。その繰り返し。
非二元を学ぶと、その格闘、あるいは遊びから、ある種の距離感が生まれ、以前ほどどっぷりと問題に巻き込まれることはなくなる。そこらあたりが非二元の胆なのではないでしょうか?

マインドの活動を停止させることはできなし、架空の「私」を完全に消し去ることもできません。
でも、それが想像の産物だということを知っていたら、起こっている幻想の世界を楽しんで生きる手立てとなるのではないでしょうか。