2024/09/20

返事のおたよりをいただきました

拓さん早々のお返事ありがとうございます。
そして、ややこしい気分にさせてしまい申し訳ございませんでした

> 私としては、我はどこにもないということをこのブログで書いているつもりです。
> 要するに、主体も客体もないということを言いたいだけです。また、確認と理解の
> くだりは、あくまでも特別な理解やエンライトメントや覚醒のようなことは起きな
> いと言いたいだけです。
> 理解の仕方は人それぞれで、それぞれが何らかの形で理解・納得すればいいのだと
> 思います。

はい、拓さんがブログで書かれていることの要点は上記である点は承知しています。

> 「意識だけがある」という表現も、自分がいると思い込んでいることに対して、そ
> んな自分はいないということを言いたいだけです。

はい。私もそのように思います。

> 説き方はいろいろあるし、思想の体系や説明もいろいろあっていいと思います。ま
> た、その理解の仕方も人それぞれで構わないと思います。「私は実在しない」とい
> う基本さえ外れていなければ。

はい、そのように私も思っております。
的確に表現出来ず、かえって混乱させてしまったようで大変申し訳なく思います。拓
さん書かれていること・表現への批判ではありませんでした。

例えば、私が気になったのは『ただそれだけセイラー・ボブ・アダムソンの生涯の教
え』に書かれている以下のような表現です。

・P94、3行目から
「…本当の自分とは非顕現であり、純粋な本質であるという観点から…」
・P96、7行目から
「…しかしその本質は非現象であり、決して変化したことがないのです…」
・P99、2行目から
「…そのときあなたは、今ここ、明澄で空っぽなこの意識の中に残されるのです。そ
れは心の中で進行してきたいかなる物語や試練によっても汚染されたり傷つけられた
りしたことがありません。その生きた本質は一度も触れられたことがありません。そ
れは一なる本質です。それは決してその本質を変えたことがありませんでした。」

その他の箇所でも、これは私そのものなので、目が目それ自身を見ることができない
ように、対象として見つけることはできない、思考が止んだ時に理解されるもの、と
いう表現もたびたび出てくると思いますが、「非顕現、非現象なる1なる本質」とい
う表現をすると、頭はどうしてもそのようなものが存在すると思って探してしまう
し、さらに「それは見つかるものではない、理解されるもの」との説明が加わると、
かえって混乱するのかな、という疑問でした。
私自身、しばらく非顕現、本質なるものを探し続けて疲弊したくちなので。
私なりの実感では「本当の自分」「本質」というものは確認できませんし、ただいま
ここで現象が流れているだけですので。
思考や言葉なしでも、風は吹くし、呼吸は起きているし、雲は流れるし、心臓は鼓動
しているし、人に呼ばれれば即座に「はい」と返事が出るし、現象はとどまらず自ず
と変化していく、ぐらいの表現のほうが、実際の感覚で確認できるので混乱しないの
かなと感じた次第です。
全体としてボブさんが書かれていることはよく理解できますし、基本的にはそのとお
りだと感じていますので、上記のような表現が私的に気になったということでした。
これは表現の仕方の違いなんでしょうね。しっくりくるかどうかの

お騒がせしましてすみませんでした。
やりとりさせていただき、どうもありがとうございました。

ケン


************

おたよりをありがとうございました。
時々、自分が死んだら全部の思考が停止して、何も感じなくなるのは寂しいなと思うことがあります。いくら小さな波が海に帰るだけだと言われても、もう架空の「私」を感じることもできないのは寂しい気がします。
そこにアウエアネス、あるいは知性エネルギーと呼ばれるようなものがあったとしても、肉体がない以上、それを感じることも表現することもできないと思います。
でも、それも全部、今現在人間という参照点から見た想像なのであって、実際そこに何があるかは、誰にも解きえない永遠の謎だと思います。
このあたりの話は非二元の教師によって味付けの仕方がまちまちなので、あまり深く考えてもしょうがないと思います。
「私は実在ではない」とだけ理解すれば十分かなと思います。
おたよりどうもありがとうございました。