2022/08/31
【盤珪禅師の ”般若心経” 講義を読む】第10回 (2022年8月)
2022/08/30
叛逆の十七文字・日本人の「遺伝子」からみた病気になりにくい体質のつくりかた・お知らせ
叛逆の十七文字 角川春樹
角川春樹さんが主宰する俳誌「河」の投句に角川さんが批評を加えたもの。解説で意味がわかるものと、解説を読んでも意味がわからないものがある。なぜそれが良い句なのかもさっぱりわからない。でも絵と同じで芸術の世界なので、受け手の判断基準で感じればそれでいい。いいなと思う句はまれにしかない。それは絵を見る時と同じ。前衛芸術が理解できないからといって絵が鑑賞できないということではない。
日本人の「遺伝子」からみた病気になりにくい体質のつくりかた 奥田昌子
奥田さんは日本人は穀物などの炭水化物が体質に合っていると説く。炭水化物を取ることによって、腸内環境を正しく保つことができ、病気を防ぐことができるという。米類、海藻を中心とした日本食が健康によいのだそうだ。
最近私は二年ほど続けた糖質制限食(炭水化物を取らない)をやめて、穀物を積極的に取るようになった。それは魚柄さんの本の影響。以前だったら、奥田さんの本を読むことはなかったし、奥田さんの意見には反対だった。炭水化物を取ることによるデメリットはあるが、メリットの方が大きいと思うようになった。体調も良い。要はバランス。いろんなものをバランスよく少しずつ食べるのが良いと思う。
今までかたくなに信じていたことが、ある日突然崩れて方向を変えてしまう私。まさか非二元の教えはそうならないとは思うけど、自分を過信してはいけない。
おしらせ
諸事情により、今後、「読書日記」は精神世界とあまり関係ないような本は掲載しない方向でいきます。
2022/08/27
非二元を理解するということ
非二元を理解するとはどういうことなのか。どんな良いことがあるのか。
非二元を理解するとは「私は実在ではない」「世界は実在ではない」ということを理解することです。もっとやさしい言い方をするなら、「私はいない」「世界は幻想である」です。
非二元の語り部たちだけでなく、仏教でも同じことを言っていて、最近では脳科学でも同じことを言っています。もうそれは驚くほど特別なことではなく、いろんな伝統の中にあることであり、珍しいことではないように思えます。
では、それを理解すると、どんな良いことが起きるのか。もし、「私」がいないのなら、「私」にまつわるあらゆる問題から解放されます。「私」は生まれてさえいないのですから、死ぬこともありません。死への恐怖が消えます。「私」がいないのですから他者との比較や競争が消えます。
人と競争して、金、地位、名声を手に入れようとする必要がなくなります。仏教でいうところの執着が消えます。私の家、私の家族、私の子供という執着が消えます。「私」がいないのなら、他者もいないので、人と争う必要がなくなります。私もあなたも一つのものの現れにすぎないとわかれば、どうして人を憎むことができるでしょうか。もちろん、好き嫌いはあっていいのですが、それは自然に起こってくるものであり、そこには個人はいません。
「私」はあらゆる悩みの根源です。「私」がいないとわかれば、悩みは消えていきます。幸せだとか、不幸だと思っている「私」はいないのです。もちろん、自然な欲求はあると思いますが、それはあくまでゲームの中で自然に起こってくることであり、悩むほどのことではありません。
と、ここまでは教科書に載っていることを偉そうに書いてみました。でも実際には、理解したからと言って、そう簡単にある日突然あらゆる執着や悩みが消えるわけではありません。少なくとも私の場合はそうなっていません。体はあるように見えるし、悩みや問題も次々に起こってきます。それは生きている限り続くのではないでしょうか。苦しいことも悲しいことも起こってきます。人生はいいとこだけ取るようにはできていないのではないでしょうか。
だから、非二元を理解したから終わりではなく、ずっと忘れないでいて、時々ボブの本を読み、日々気をつけて生きていかないといけないと思います。そうした自戒の意味を込めて、このブログをずっと続けていこうと思っています。
非二元を理解すると、具体的にどんな良いことがあるのでしょうか? それは人それぞれ悩みや苦しみが違うように、人それぞれなのだと思います。
ジェームズブラハは、Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob Adamson (English Edition)の中でこう書いています。
非二元を理解することで得られる最も興味深い効果の一つは、問題や心配事、動揺がいかに早く過ぎ去るかということです。一見悪いように思われる出来事が起きても、問題に対処する知性エネルギーが湧き起こります。動揺するような考えが起こり始め、いつものようにトラブルを起こそうとしても、取りつく島がありません。そうした問題が最初に出会うのは、ジェームズは実在しないという認識です。そして、過去も未来も実在しないという理解と格闘します。そして、真の私は永遠で不死であるという認識にぶち当たります。たいていの場合、問題が起こっても取るに足らないこととなります。
非二元を理解するとは、「自分は実在ではない、過去も未来も実在しない、真の私は永遠で不死である」ということを理解するということです。そうすれば、何の問題もありません。
逆に言うと、それをちゃんと理解していない人は問題が過ぎ去っていかないということになるのではないでしょうか。何か問題が起こった時に、どれほど早くその問題が過ぎ去っていくのかを見ることで、自分がちゃんと非二元を理解しているかどうかがわかるのかもしれません。それは、問題を無視したり、黙殺したりすることとは違うと思います。
もし、ちゃんと理解していると思っているのに、悩みや問題が消えず、少しも楽にならないのなら、その理解が本物かどうかをもう一度確かめる必要があると思います。私の場合、10年前と今ではあきらかに精神状態が違います。幸せでしょうがないということはありません。イライラする時も憂鬱な時もあります。悩む時もあるし、厄介な問題も起こります。まわりの状況は何も変わっていません。でも「もう何も悪くはありません」。以前のように、恐怖を雪だるま式に大きくしたり、悩みに巻き込まれてしまうということはなくなりました。死の恐怖は依然としてありますが、以前ほどではありません。
私の場合、非二元を理解したことの最大の恩恵は、もう何かを探したり、追い求めたりしなくなったことです。丸善の精神世界のコーナーへも、あまり行かなくなりました。人との比較や、誰かを恨むこと、憎むことで悩むこともなくなりました。もちろん、そうしたことがまったくないわけではないのですが、やってきても長居をすることはありません。過度な願望や欲望は次第に消えています。ありもしない幻想で自分を悩ますことは減っています。これはゲームだとわかったからです。
もう二度と同じではないだろうという思いはありますが、体とマインドがある以上、「私」が完全に消えることはないでしょうし、思考は繰り返しやってきます。もし「私」が完全に無くなれば、すぐに車にはねられてしまうか、何も食べなくて餓死してしまうでしょう。思考がまったくやってこなければ、人とも会話できず、すぐに病院に入れられてしまうでしょう。
命あるかぎり、体も思考もあり、「私」も完全には消えません。落ち込むことも悲しむこともあるでしょう。でも、もう以前のようなわだちにはまることはないだろうと思います。すべてはゲームだとわかったうえで、ルールを守って、できれば楽しんで、前向きに生きて行こうと思っています。
2022/08/24
私という実体があると考えることは病である。
佐々木閑 仏教講義 7「阿含経の教え 3,その1」(「仏教哲学の世界観」第10シリーズ)
2022/08/20
The Spiel ⑱ 2007年 あの部屋の真実
キャサリンはどうですか?
マンガスはどうですか?
2022/08/18
般若心経に学ぶ 花園大学総長 横田南嶺
【第3回:般若心経に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2022年7月19日(火)
2022/08/17
木・崩れ・動的平衡3・海鼠の日
木 幸田文
木にまつわるエッセイ。
幸田文さんの随筆が名作だと聞いたので読んでみた。確かに文章は独特で、名文なのだと思う。でも、あまり感じるものがなかった。幸田さんは、もともとは山に登ったりする人ではなかったらしいが、晩年になって木に興味を抱き、各地の名木を尋ね歩く。
北海道のえぞ松の倒木更新や屋久島の縄文杉を訪ねた話など、十五の随筆からなる。ひとつ気になったのは、営林署などの公的な機関の人たちのお世話になって、通常では行けない奥深い山まで連れていってもらっている点。しかも、中にはおんぶまでしてもらって行っている。高名な作家だから許されるかもしれないが、普通の人だったらありえない。
崩れ 幸田文
もともとは、昭和五十一年に月刊誌「婦人の友」に掲載された十四回にわたるエッセイ。安部川の大谷崩れや富士山の大沢崩れ、立山の鳶山の崩壊など、有名な山崩れ、地すべり現場などを毎月訪問する。
なぜ幸田さんは七十歳を超えてから山崩れに興味を持ったのだろう。そして、なぜ自分の足では行けない山奥の山崩れを、人におんぶしてもらってまで見に行ったのだろう。しかも、場所によっては一年を通して見ておかなくてはいけないといって、年に何回も行っている。ただただ崩れを見に行ったという随筆であり、治山事業の良し悪しや、人が山も管理することの問題点などについては触れていない。
果ては噴火したばかりの有珠山へも行っている。でも、その視点はただ単に災害現場が見たいという動機にすぎない。それでいて、雑誌社経由でお役人に手をまわし、案内ガイド付き。こんなわがままを言って建設省や営林署や役場の人にあちこち案内してもらえるなら、私も連れていってほしい。
動的平衡3 福岡伸一
動的平衡2まで読んだので3も読んでみた。相変わらず専門分野の遺伝子の話はよく理解できない。がん治療の話やベネチアの水道の話は参考になった。その他のエッセイは興味深いことやためになることがいっぱいあるが、2、3と続くうちに、だんだんおもしろくなくなってきたかなぁ。
海鼠の日 角川春樹
句集。音読用。角川さんはとんでもない人かもしれないけど、俳句には惹かれる。
冬の夜やどこか壊れている私
元日の獄舎静かに暮れにけり
泣きしあと妻が眉描く春の暮れ
十薬の花誰からも愛されず
2022/08/13
ドキュメンタリー「エンライトメントなどというようなものはない」
No such thing as Enlightenment - DOCUMENTARY
ボブが「エンライトメントはない」とはっきり言っている動画はそれほど多くありません。このブログの中では、「セイラー・ボブ・アダムソンの教え(詳しく)⑱」の「1998年アムステルダムでのTVインタビュー」がありますが、ミーティングの中で「エンライトメントはない」と語ることはそれほど多くありません。「エンライトメントはない」ということは、参加者の共通認識になっているからです。なお、ここでいうエンライトメントとは、悟り、覚醒、目覚め、自己実現のことです。
そしてそれは私の人生の中で最も変容をもたらした出来事でした。何も以前と同じではありませんでした。もう自身を過去と関連づけることができないと言った方がいいのかもしれません。うわべ上での進歩を認めることができないということです。というのも進歩などないからです。
未来が停止したのはとても興味深いことです。以前の私は将来に対してたくさんの選択肢を考えていました。それが落ちてしまい、今だけが浮き上がってきたのです。それが生活の中でとても強烈になりました。そして存在することの喜びが全面に出てきたのです。そして物事は奇跡のようにあるべき場所におさまり始めました。
思考をちょっと休止してみると、あなたは何も言うことができないとわかりますが、それでも見る働きは止まりません。聞く働きも止まりません。呼吸も鼓動も止まりません。思考が止まっていても、すべての機能は働き続け、自身は消えないとわかります。
2022/08/12
「私」は実在しているように見える
2022/08/11
2022/08/10
冷蔵庫で食品を腐らす日本人・冷蔵庫で食品を腐らせない日本人・丸ごと魚柄仁之助・儲け道・裏儲け道・一年間10万円つくる、食べる、もてなす365日全記録
冷蔵庫で食品を腐らす日本人 魚柄仁之助
食文化にまつわるエッセイ集。とても有益で、いろいろ考えさせられる本でした。
私は一年ほど前まで、徹底した糖質制限食を実施していました。糖尿病ではないのですが、食後に猛烈な眠気が襲い、時々は昏睡といっていいほど寝てしまう時があり、あれこれ調べて、食後の血糖値スパイクが原因であろうと結論し、糖質制限食を実施していました。
具体的には、豚肉を主食にして、多い時は毎日300g。その他には、魚、大豆製品、卵、チーズを食べ、オリーブオイルを30mlずつ飲んでいました。二年ほど続けたところ、定期検査でひかかり、肝臓の数値が要検査でした。
そこでまたあれこれ調べたところ、肉や油物ばかり食べていると、肝臓に負担がかかるということがわかりました。また、肉食は大腸がんのリスクが高まるということも知り、糖質制限はやめてしまいました。
糖質制限推進派の人たちの本には、沖縄の人たちは豚肉をたくさん食べているので長寿だというものがあります。ところが、この本の中で、魚柄さんが沖縄で調査した報告が書かれていて、沖縄の高齢者はほとんど豚肉を食べていないとあり、驚きました。
同様に、私が今まで信じてきた食の知識を根底からひっくり返すような事実があちこちに書いてあって驚きました。マスコミで垂れ流しになっている食情報は、決して正しいものばかりではないということがよくわかります。
それと、おおいに参考になったのは、魚柄さんの食事の内容。一日1.5合の白米と根菜が中心で、魚と肉はほんの少し。肉にいたっては私の四分の一以下。魚も二日に一切れぐらい。幅広くいろんなものを食べるという食生活。私は米以外は食べ過ぎでした。
魚柄さんに言わせると、現代人は肉や魚を食べ過ぎていて、それを消化するためにエネルギーが必要で、かえって体に悪い食生活をしているという。私は魚柄さんの食生活を真似ることにしました。今よりもお米を食べ、根菜や乾物をたっぷり食べ、肉、魚は減らす。食費もぐんと安くつく。
冷蔵庫で食品を腐らせない日本人 魚柄仁之助
食品を長く保存するためにはどうしたらよいかをイラスト入りで解説してある。とても分かりやすい。干し野菜、みそ漬け、醤油づけ、ぬか漬け、魚の酢じめのやり方など、ためになることいっぱい。図書館で借りたのですが、座右の書とすべくアマゾンで注文しました。冷蔵庫に味噌漬けや干し野菜の容器が増加中です。じゃがいも、さつまいも、カボチャなど干し野菜にして食べるようになってから、お通じがよくなり、驚いています。肉中心の時とは大違いです。糖質制限中の二年間は芋などの炭水化物は厳禁だったので、ずいぶん体に悪い事をやっていたなあと反省。でも、糖尿病の人には糖質制限は有効な方法だと思います。その場合は、肉や油脂製品ばかり食べるのではなく、魚や大豆とバランスよく食べる方法が良いと思います。
丸ごと魚柄仁之助 魚柄仁之助
魚柄さんの自伝的エッセイ。魚柄さんは、中学生の時、キャンプ中の事故で針金が目に刺さり、片目を失明してしまう。片目を失明してしまうようなことが起こるということは、死ぬことだって簡単に起こると達観。もう好きなことをやって生きていこうと決意する。以降、毎日ギター三昧の日々。大学在学中もギターとバイクの日々。
宇都宮大学在学中にバイク店を経営。その後、大学を中退して骨董品屋を始め、中古ギターなどを売って儲ける。傍らで、食文化の研究をやり、本を書いたところベストセラーになる。以降、講演、著述業、漫画原作者として現在に至る。
魚柄さんの成功の原因はいろいろあると思うが、成功を追い求めたのではなく、自分の好きなことをとことんやったことと、その時々で出会う人や仲間を大切にしたこと。成功は人が運んでくる。そして今もパートナーや仲間に囲まれて悠々自適に暮らしている。
学ぶべきところいっぱい。私は人並み以上に努力するタイプだけど、誤努力の天才とでもいうべき存在で、まわりが見えておらず、人を大切にしてこなかった。魚柄さんをおおいに見習いたい。
儲け道 魚柄仁之助
不確実な現代において、サラリーマンとしてではなく、自営業者としてどうのように商売をやっていくといくと成功するかを書いた指南書。魚柄さんがやってきた、自転車屋、骨董商、物書きとしての経験談を中心に、どうすると、儲けることができるかを書いたもの。ちなみに魚柄さんは、毎年数千万円の収入があるという。
成功の秘訣としては、アイデアが浮かんだら即実行すること。自分の適性を知り、儲かるかどうかをよく考えること。そして何より大事なのが、人を大切にすること。人とのつながりが商売の成功に導くという。
私は今から何か商売を始めようという気は毛頭ないし、年収ん千万欲しいとは思っていないが、生き方の指南書として多いに参考になったし、おもしろかった。やっぱり人間関係や信用が大切だということは参考になった。
魚柄さんには、ただ金が儲かればいいというような発想はなく、美学のようなものがある。株や投資であぶく銭を稼ごうなどという気は毛頭ない。すばらしい。
裏儲け道 魚柄仁之助
裏、といっても、何か秘密の方法が書いてあるわけではない。日常生活で、こう発想を変えれば特をするよ、というようなことが書いてあるエッセイ集。魚柄さんの真似をして食生活を変えた。まだ始めたばかりなのでよくわからないが、たしかに食費は安くつく。買い物もそんなに行かなくてすむ。ご飯と根菜をいっぱい食べて、魚はほどほど、肉は少し。はたして健康に良いかはまだわからない。
私は欲望を追わない人生をモットーにしているので、お金儲けのために魚柄さんの本を読んだわけではありません。人間関係の指南書として読み、おおいに役にたちました。
一年間10万円つくる、食べる、もてなす365日全記録 魚柄仁之助
魚柄さんが実際に食べた毎日の食事を記録したもの。具体的に何をどう食べたのかが気になって買った。一日につき一食分のメニューは書いてあるが、細かい分量やレシピが書いてないので、具体的にどんな食材をどれくらい食べたのかは書いてない。どちらかというと、誰とどこで何を食べたかという日記になっている。想像していたものとは違って、ちょっと期待はずれ。
穀物と野菜は毎日しっかり食べているということだけはわかった。一年10万円の食費ということは一か月9000円弱。その金額から考えると、食べている量はそれほど多くないはず。それにしても、毎日毎日いろんな人に会い、たくさん酒を飲んでいる人だなぁ。こんな毎日だったら楽しいだろうなぁ。
2022/08/07
仏教・アドヴァイタ 参考書籍
仏教の教えの中に、非二元の教えと根本的に同じことを説いているものがあります。そうした視点から見た参考書籍です。特におすすめには☆印をしておきます。
仏教
阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書) ☆仏陀のいいたかったこと (講談社学術文庫)
お経の意味がわかる本 (仏教を学ぶ)
仏教の深層心理―迷いより悟りへ・唯識への招待 (有斐閣選書 (875))
チベット仏教入門 ──自分を愛することから始める心の訓練 (ちくま新書)
「律」に学ぶ生き方の智慧 (新潮選書)☆
インド仏教変移論―なぜ仏教は多様化したのか
唯脳論 (ちくま学芸文庫)
出家とはなにか☆
犀の角たち(科学するブッダ 犀の角たち (角川ソフィア文庫))
仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN文庫)☆
2022/08/06
仏教、禅の根底にあるもの
仏教と禅について長々と書いてきましたが、盤珪について書いたことで、目標としていた地点までたどり着くことができました。「禅・Buddhism」はここで終わりにしたいと思います。今後、仏教についてまとまって書くことはないと思いますが、単発的に書くことがあれば、「仏教その他」に書く予定です。
仏教の根本思想は諸法無我です。それは、「我」、すなわち「私」には実体がないということであり、まぎれもない非二元の思想です。特に、大乗仏教の唯識、唐の時代の禅の根底には明らかに非二元の思想があります。また、日本に伝わった仏教の根底にも非二元の思想が流れています。
言葉は違えど、彼らはセイラーボブと同じことを言っています。一言で言ってしまえば、「私が私だと思っているものは実在しない」「世界は私の意識の中にある」ということです。さらに付け加えるなら、いわゆる「悟り」などというものはないということ。もともとそうであるということ。
仏教を学べば学ぶほど、それは非二元の思想であるとわかりました。セイラーボブが教えていることは、彼も言っているとおり、仏教の伝統の中にもあることです。非二元を学んだあとで仏教を学ぶとそれがよくわかります。
仏教の中に非二元の思想があるというのは、Wikipediaでも書かれていることですし、セイラーボブやその関係者も語っているところです。ちょっと調べものをしていて、アマゾンでグレッグ・グッドのダイレクトパスの著者紹介を読んでいたら、こうありました。
著者について
グレッグ・グッド Greg Goode
南カリフォルニアで育つ。カリフォルニア州立大学で心理学、ドイツのケルン大学で哲学を学び、ロチェスター大学で哲学の修士号と博士号を取得。アメリカ哲学実践者協会(APPA)認定の哲学カウンセラー。西洋哲学、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ、大乗仏教など広い知見をベースにした自己探究を、著書やコンサルティングを通じて指導している。
彼も大乗仏教をベースにしているんですね。
また、ジョーン・トリフソンも、推薦本のコーナーで、たくさんの仏教関係の本を推薦しています。ということは、多くの非二元の語り部たちも大乗仏教や禅を研究しているということです。いまさらながらですが、書き足しておきます。
また、仏教のあれこれを読んでわかったのですが、セイラーボブの話の中には、仏教をネタ元にしているものがたくさんあります。盤珪や唐代の禅僧の話を読むと、ネタもとだと思われる話がたくさん出てきます。おそらくボブは、鈴木大拙の英語本を読んでいるのではないでしょうか。
ちなみに、カテゴリーを「禅・Buddhism」として、なぜ「禅・仏教」としなかったかというと、仏教関係の書籍は、漢文読み下しで書かれたものや、古い漢字で書かれたものが多く、読めないものが多い。苦労して読んでも、言っていることがよくわかりませんでした。日本語で書かれたものは中国経由の漢字に影響を受けて書かれているので、理解しにくいからだと思います。
そこで、では同じことを英語で書かれたものはどう言っているかと調べると、それがとってもわかりやすい。そこで、英文サイトや文献から理解することにして、カテゴリーを仏教とするよりBuddhismとした方がよいだろうと思ってそうしました。
当初は英文で書かれたものをたくさん読もうと思ったのですが、思ったほどはかどらず、結局は日本語の現代語で書かれたものに頼った場合の方が多かったのですが、そのままBuddhismにしています。
仏教や禅関係の原典は、漢文もしくは漢文読み下し文が読めないと読めない。そのため、学者が書いた現代語訳を読むしかない。それでも、多くの場合、非常用漢字の古い文体で書かれたものが多くて、簡単には読めない。
鈴木大拙や柳田聖山の本でも、おいそれとは読めない。小川隆先生など、現役の先生の本はなんとかなるが、少し前の時代の学者の本はそう簡単には読めない。
そういう点で、円覚寺の横田南嶺老師のYouTube(「盤珪禅師語録」)は、とてもありがたかかったです。もう何度も繰り返し聞いています。
横田南嶺老師がいなかったら、「不生の仏心」ということの本当の意味がいまだにわかってなかったと思います。横田南嶺老師のYouTubeは、私にとっての貴重な情報源にもなっています。
また、佐々木閑先生のYouTubeも引き続き聞いています。佐々木先生は、仏教をわかりやすく解説されています。私の仏教、禅に対する理解は、この二人のYouTubeによるところが大きいです。もし、コロナがなくて、YouTubeでの講義や法話がなかったなら、仏教も盤珪もしっかりと理解することはできなかったと思います。
佐々木閑先生や横田南嶺老師の話を聞いていると、随所で、「自我という実体はどこにもない」という話が出てきます。そして、悟りとはそのことに気づくことであるということも出てきます。
釈尊が教えていたもともとの仏教は、現代の日本の仏教のように葬儀をしたり戒名をつけたりというものではなく、修行をして悟りを開くためのものでした。この場合の「悟り」は理解という意味に解釈してください。ちなみに、戒名を付けるようになったのは日本の仏教だけだそうです。
すべての仏教の教えの中に非二元があるというつもりはありませんし、セイラーボブの言っていることと全部同じだというつもりもありません。でも、盤珪や禅の話を聞けば聞くほど、仏教の根底にあるのは「一つのもの」「非二元」だと思えてならないのです。
またいつか、禅や仏教について書くと思いますが、禅と仏教については、ひとまずこれで終了とします。仏教や禅の話はなんだかよくわからなかったという方は、「盤珪禅師語録」を何回も聞くことをおすすめします。また、佐々木閑先生のYouTube(架空の自我意識、世界には実体があるのか?)も参考になると思います。
仏教が何を目指しているかというと、自我の消滅です。自己と他人の区別はないということです。自我があると思っている間、人は欲望を追い求めます。そのため、欲望を追いもとめないことによって自我を消していくのが仏教の修行です。(参考:横田老師のYouTube人は自己を変えることができるのか)
仏教といっても範囲が広く、説き方も様々です。私が学んだのは、そのほんの一部であり、かじった程度のものです。
佐々木閑先生や横田南嶺老師のサイトでまた非二元関連の良い話に出会った時は、随時このブログで紹介させていただきます。
2022/08/05
2022/08/04
太陽を覆う雲
2022/08/03
清貧の生きかた・旅へ 新放浪記 1・南へ 新放浪記 2
清貧の生きかた 中野孝次/編
「清貧」を生きた17人の人たちが書いた文章を集めたもの。どんな人が出てくるかというと、水上勉・坂村真民・小崎登明・高橋延清・志村ふくみ・幸田文・今西錦司・山尾三省・吉野せい・空中斎光甫・鴨長明・吉田兼好・解良栄重・三木卓・安岡章太郎・鈴木大拙・中村達也。
中野さんの説く「清貧のすすめ」は、貧乏の礼賛や極貧生活をすすめているわけではない。中野さんは大学教授で作家だったから、経済的にはむしろ裕福な階層の人。また、この本に出てくる人たちも、たいていは経済的には恵まれていた人たち。
中野さんの言う「清貧」とは、「自由でゆたかな内面生活をするために、あえて選んだシンプル・ライフ」のこと。物や金への執着を減らし、生活をできるだけ簡素単純にして、自分のやりたいことをやるということ。
私もそういう生活をしてきたつもりだったが、気づいてみると、必死に欲望を追い求めて生きてきたとわかった。求めていたのは、金や世俗的な物ではなかったが、覚醒、悟りを求めて生きてきた。セイラーボブに出会い、覚醒や悟りなどないと知った。それを知り、がっかりすると同時に、世俗的な欲望へとベクトルが向かう自分を感じた。世俗的な欲望を求めること自体は悪いことではないし、生きていくためにはある程度必要なこと。
でも、非二元や仏教を学んだ今、過度に世俗的な欲望を求めてあくせく生きるのは間違っていると思うようになった。私は賢くはないので、すぐに忘れて、また愚かなことをしてしまう。お金で失敗したり、人を傷つけたりしてしまう。そうならないためにも、時々は中野さんの本を読む必要がある。
この本に出てくる人たちは、自身の精神を高めるために生きた人たち。詩、芸術、布教、自然保護、やっていることはそれぞれ違うが、世俗的な欲望ではなく、自分が正しいと思うことを欲得抜きでやり続けた人たち。その中でも、鈴木大拙の「貧乏論」と中村達也の「失われた時を求めて」は特にすばらしい。なぜ簡素に生きるのか。簡素に生きるとどういう良いことがあるのかがわかる。
旅へ 新放浪記 1 野田知佑
昔、野田さんの本をよく読んだ。最近は時々図書館でBE-PALの連載を読む程度だったが、facebookはよく見ていた。そして今年の3月に亡くなられたを知った。追悼の意味もあり、図書館でまだ読んでない本を見つけて読んだ。
この本は、野田さんが大学を出てから作家になるまでの青春記。早稲田大学の英文学科を卒業するが、自分で何をしたいのかわからず、かといって就職するのも嫌で北海道を働きながら転々したあと、日本全国を放浪する。ヨーロッパへ行くことを思い立ち、英字新聞の勧誘員の仕事をやって金を貯め、シベリア鉄道でヨーロッパへと旅立つ。
1965年、野田さん27歳。東京オリンピックの翌年。日本で海外渡航が解禁になったのは1963年で、世間は高度成長期の真っただ中。人々が猛烈に働いていた頃野田さんは、自分が何をしたいのかわからずに苦悩し、旅に出た。
833ドルの現金(当時は1ドル360円)と、釣り道具、網、ゴムボート、ギターが旅の荷物。これは、旅の途中で金に困っても、釣りができれば食べ物には困らないだろうという思いからだったという。
この旅の記録がおもしろかった。移動はほとんどヒッチハイク。野宿や人の家に泊まりながらの旅。路上でのライブ演奏なんかもやったりする。人間力がある人の旅とはこんなにも愉快なものかと思う。いろんな人に出会いながら旅を続け、釣りをしたり、川にもぐったりして、観光はまったくしない。予定も立てず、行き当たりばったりの旅。
3か月の旅を終えて日本に帰り、結婚して郷里の熊本で中学校の英語教師になるものの、1年で辞めて雑誌の記者になる。トラベルライターとして世界中を飛び回る日々が続くが、働くだけの毎日に疑問を抱き、32歳の時に退職してフリーのライターになる。
38歳で離婚。ふたたび放浪の旅に出て、これからは好きなことだけやって生きていこうと決心する。
南へ 新放浪記 2 野田知佑
2は1の続きかと思って読んだら、そうではなかった。野田さんはもう50歳を超えていて、作家としてもカヌーイストとしても有名になってからの話。東京を引き払い、鹿児島や沖永良部島へ移住、放浪するところから始まる。
2の方は、それほどおもしろくなかった。1で書かれているような苦悩する青春の放浪記ではなく、名を成したあとの自由気ままな放浪記であり、単なる遊びの記録のように感じる。それがいけないという意味ではないが、1の続きだと思っていたので、ちょっとがっかり。
野田さんの本を読んでいると、人はどういう生き方をしてもいいのだと教えられる。日本の社会は一種のサラリーマンカルト社会になっていて、人は組織に属して働かないといけないようになっている。組織に属さず、好きなことをやっている人を白眼視する。野田さんの本はドロップアウトした私をいつも癒してくれた。