2022/08/03

清貧の生きかた・旅へ 新放浪記 1・南へ 新放浪記 2

清貧の生きかた 中野孝次/編

「清貧」を生きた17人の人たちが書いた文章を集めたもの。どんな人が出てくるかというと、水上勉・坂村真民・小崎登明・高橋延清・志村ふくみ・幸田文・今西錦司・山尾三省・吉野せい・空中斎光甫・鴨長明・吉田兼好・解良栄重・三木卓・安岡章太郎・鈴木大拙・中村達也。

中野さんの説く「清貧のすすめ」は、貧乏の礼賛や極貧生活をすすめているわけではない。中野さんは大学教授で作家だったから、経済的にはむしろ裕福な階層の人。また、この本に出てくる人たちも、たいていは経済的には恵まれていた人たち。

中野さんの言う「清貧」とは、「自由でゆたかな内面生活をするために、あえて選んだシンプル・ライフ」のこと。物や金への執着を減らし、生活をできるだけ簡素単純にして、自分のやりたいことをやるということ。

私もそういう生活をしてきたつもりだったが、気づいてみると、必死に欲望を追い求めて生きてきたとわかった。求めていたのは、金や世俗的な物ではなかったが、覚醒、悟りを求めて生きてきた。セイラーボブに出会い、覚醒や悟りなどないと知った。それを知り、がっかりすると同時に、世俗的な欲望へとベクトルが向かう自分を感じた。世俗的な欲望を求めること自体は悪いことではないし、生きていくためにはある程度必要なこと。

でも、非二元や仏教を学んだ今、過度に世俗的な欲望を求めてあくせく生きるのは間違っていると思うようになった。私は賢くはないので、すぐに忘れて、また愚かなことをしてしまう。お金で失敗したり、人を傷つけたりしてしまう。そうならないためにも、時々は中野さんの本を読む必要がある。

この本に出てくる人たちは、自身の精神を高めるために生きた人たち。詩、芸術、布教、自然保護、やっていることはそれぞれ違うが、世俗的な欲望ではなく、自分が正しいと思うことを欲得抜きでやり続けた人たち。その中でも、鈴木大拙の「貧乏論」と中村達也の「失われた時を求めて」は特にすばらしい。なぜ簡素に生きるのか。簡素に生きるとどういう良いことがあるのかがわかる。

旅へ 新放浪記 1 野田知佑

昔、野田さんの本をよく読んだ。最近は時々図書館でBE-PALの連載を読む程度だったが、facebookはよく見ていた。そして今年の3月に亡くなられたを知った。追悼の意味もあり、図書館でまだ読んでない本を見つけて読んだ。

この本は、野田さんが大学を出てから作家になるまでの青春記。早稲田大学の英文学科を卒業するが、自分で何をしたいのかわからず、かといって就職するのも嫌で北海道を働きながら転々したあと、日本全国を放浪する。ヨーロッパへ行くことを思い立ち、英字新聞の勧誘員の仕事をやって金を貯め、シベリア鉄道でヨーロッパへと旅立つ。

1965年、野田さん27歳。東京オリンピックの翌年。日本で海外渡航が解禁になったのは1963年で、世間は高度成長期の真っただ中。人々が猛烈に働いていた頃野田さんは、自分が何をしたいのかわからずに苦悩し、旅に出た。

833ドルの現金(当時は1ドル360円)と、釣り道具、網、ゴムボート、ギターが旅の荷物。これは、旅の途中で金に困っても、釣りができれば食べ物には困らないだろうという思いからだったという。

この旅の記録がおもしろかった。移動はほとんどヒッチハイク。野宿や人の家に泊まりながらの旅。路上でのライブ演奏なんかもやったりする。人間力がある人の旅とはこんなにも愉快なものかと思う。いろんな人に出会いながら旅を続け、釣りをしたり、川にもぐったりして、観光はまったくしない。予定も立てず、行き当たりばったりの旅。

3か月の旅を終えて日本に帰り、結婚して郷里の熊本で中学校の英語教師になるものの、1年で辞めて雑誌の記者になる。トラベルライターとして世界中を飛び回る日々が続くが、働くだけの毎日に疑問を抱き、32歳の時に退職してフリーのライターになる。

38歳で離婚。ふたたび放浪の旅に出て、これからは好きなことだけやって生きていこうと決心する。

南へ 新放浪記 2 野田知佑

2は1の続きかと思って読んだら、そうではなかった。野田さんはもう50歳を超えていて、作家としてもカヌーイストとしても有名になってからの話。東京を引き払い、鹿児島や沖永良部島へ移住、放浪するところから始まる。

2の方は、それほどおもしろくなかった。1で書かれているような苦悩する青春の放浪記ではなく、名を成したあとの自由気ままな放浪記であり、単なる遊びの記録のように感じる。それがいけないという意味ではないが、1の続きだと思っていたので、ちょっとがっかり。

野田さんの本を読んでいると、人はどういう生き方をしてもいいのだと教えられる。日本の社会は一種のサラリーマンカルト社会になっていて、人は組織に属して働かないといけないようになっている。組織に属さず、好きなことをやっている人を白眼視する。野田さんの本はドロップアウトした私をいつも癒してくれた。