2019/02/02

セイラー・ボブ・アダムソンの教え(詳しく)⑬

Living Reality 抜粋 パート4

第五章からの抜粋

二度と再び同じではない

二十歳の時、瞑想とエンライトメントを学んだ時から、私の脳裏を占める思考の流れがありました。それは朝目覚めた時に始まり、夜眠る時まで続く。そしてその強さが弱まることはありませんでした。それはもちろん、ある日、私の分離や不完全な感覚が、平和、すなわち、いわゆる至福やエンライトメントに置き換わるという望みでした。四十代後半までで、その達成の望みはひどく減少したものの、私の考えは変わりませんでした。しかし、ボブが到着して間もなく、解放への私の使い古した概念と望みは、私は二度とふたたび同じではないという結論に置き換わりました。実際その思考はボブが滞在した五週間の間、ちょっとしたマントラになりました。そして、ボブの非二元の教えを二、三日以上聞いた人からも、私同様の反応を聞きました。

驚いたことにそれは、体験することとは関係ありませんでした。それは単に理解することに関係していました。ボブの滞在の間、至福の伝達、トランスのような状態の瞑想、そして額へのタッピングもありませんでした。そこにあったのは単に、私たちが子供の頃からずっとともに生きてきた「私」という信念をボブの指示で調べたあとの反応だけでした。それは、過去と未来は単に心理的なイメージにすぎないということをはっきりと理解したことへの反応でした。もし過去と未来が架空のものなら、私たちの存在もそうであるということになります。もし過去も未来もなかったら、一体どうなりますか? 自分の内側を探して、独立した存在を体験するかわりに、空(くう)すなわち「何もないもの」を見つける結果になりました。すべてのものが完全に変化してしまったのに、「何もないもの」が生まれてからずっと私と一緒にあるなら、空(くう)すなわち「何もないもの」が私に違いない、という理解が生まれました。そういうわけで、本当の私は、そして今までもずっと、完全で完璧なものでした。そういうわけで、本当の私は、全知、偏在、全能のものでした。

三十代の十年間、私はワーナー・エアハードESTセミナーに参加しました。ワーナーはアドヴァイタの人ではありませんが、彼は優秀な先生でした。私は彼が何度も強調してこう言うのを聞きました。「それだ。こうやって人生を転換するのだ。違うものになろうと期待するのをやめなさい」。彼はまた、「人生に意味はない。慣れなさい。人生に意味はない。そして意味はない。意味はない」と言っていました。私は何年もの間、こんなコメントを真に理解できるというのはどんなふうだろうと思っていました。どういうわけか、セイラーボブにも違った言葉で似たようなメッセージがあります。でも彼は私が理解できるやり方で言ったのです。そしてそれはシンプルで苦痛のないものでした。それはまるで私たちが海に魅せられた幼い子供で、ボブから空バケツを渡されて、「行って私に海から青い水を汲んできておくれ。そして何が起きるか見てみよう」と言われたようなものでした。それは言いようのないほど刺激的なものでした。

この理解の影響はとてもシンプルで自然で取り立てて言うほどではない事から人生における根本的な変化までありました。私たちはここにいる自分たちのことを「ザ・ボブズ」と呼び、おまけに訪問客たちは家に流れ込んできて、私はとても忙しかった。そしてとても興奮していて、起こっている変化を完全に理解することができませんでした。でも、彼らが去って数週間後、私は明らかな「ビフォーアフター」効果に気づきました。ビフォー、アフターセイラーボブの生活。最も顕著な経験はまず、毎日目覚める時に起こります。ビフォーボブ。目が覚めて最初の私の思考は、分離した、限られた、不完全な感じでした。そしてそれはいつもそれに対応して、何か達成することができれば、おそらく問題は解決されるだろうというものでした。そこにはしばしば、差し迫った破滅や徹底的に悪化しそうな何かの感じがありました。これは普通、問題や潜在的な苦境に対してどうやって対応したらよいかという方策にともなって起きました。最高の時でさえ、いつも何かが欠けていて、いつも何かが必要でした。意外なことに、どんな望みが達成されても、分離して不完全な感じは決して和らぎませんでした。少しも。やすらぎをもたらさないものをいくら得ても十分ではありませんでした。それでも欲求は続きました。よく言われるように、精神異常の定義が、違う結果を期待して同じ行動をするということなら、もう何十年も前に私は精神病院に入れられていたでしょう。

アフターボブの教え。睡眠からの目覚めが根本的に違います。何かが欠けていたり修正したりしなければいけない感じのかわりに、完全さと達成感があります。何も欠けてなく、「何かになる」という感じもなく、心配もなく、未来に対する不安もありません。そこには決定的な一体感があります。たくさんの気にかかることのかわりに、必要な思考と注意すべきことへの欲求があり、そこには単に生活そのものがあります。それは今ここにある意識であり、毎瞬毎瞬のものです。その経験はとても普通で地味で、とりたてて言うほどのものではありません。でもそれが、以前の生活とは全く逆で、生活そのものは驚くばかりです。それは全く言いようもないほどです。

第六章からの抜粋

週末の会話

7月31日、日曜日、ボブは最初の広告宣伝した週末会合をしました。国中から人々がやってくる一方で、コネチカット、シカゴではボブがやって来るのを待っていました。十二人から十五人の人が最初の二週末の会合にやってきました。三回目は不運にも、2004年にフロリダを襲った記録的な4回のうちの最初のハリケーンによって中止となりました。やってきたのは明らかに熱心で誠実な人たちでした。彼らはまた、非二元にとても精通しているようでした。同時に何人かは私と一緒に二週間前からいた人たちで、ボブに解放や目覚めが起こったことを確かめるための劇的な体験を待っている人たちでした。また何人かは、宇宙的なパワー、とめどない至福、奇跡を生み出す力、などなど、今日のスピリチュアルムーブメントがもたらした非現実的な期待を抱いている人たちでした。
また何人かは、一定期間自由や平和の感覚を享受したが、その経験は束の間のものだったという人たちでした。それ以外の人たちは、しっかり理解している人たちでしたが、時折捕まってしまう執着や欲望をどうやって止めたらいいのかを知りたいという人たちでした。たいていの人たちは、探求することこそが問題であるという内容の本を読んだり、CDを聞いたりしたことのある人たちでした。彼らは「あなたはもうあなたが探しているものなのだ」ということを聞いたことがありました。でもどういうわけか、印刷された言葉だけでは十分ではありませんでした。彼らはもしかするとボブの話を直接聞けば助けになるのではないかと思ってやってきました。場合によっては助けになると私は考えています。私は、どれほど多くの人が、私がボブをアメリカに呼んだことを心から感謝してくれたかに感動しました。何人かは経費の提供を申し出てくれたほどでした。ボブを紹介する時、私は参加者に、すべての質問や疑問に返答があるまでは帰らないようにとアドヴァイスしました。私は彼らに、ボブの本やCDは好きなだけ読むことができるが、直接彼とやり取りすることとは比べ物にならないという私の深い経験を短く伝えました。私の知る限りでは、多くの人がボブのメッセージを理解しました。誰の探求が終わり、誰の探求が終わらなかったは定かではありません。私のお気に入りのトークは第三と最後の日曜日、その日はハリケーン・チャーリーのせいでほとんどの人がキャンセルしたのですが、に行われました。その嵐はロングボートキーからおよそ75マイル南のフロリダを襲い、確実に私たちの地域にとても近いコースをとって影響が出るだろうと思われました。その点に関して私たちは幸運でした。にもかかわらず、ボブとバーブが最初のハリケーン避難を経験する間、何日かのストレスに満ちた日に耐えなくてはなりませんでした。私たちは、木の枝払い、建物の外回りの安全確保、貴重品をまとめること、洪水に備えての家具の移動に丸一日を費やしました。次の日の朝早く、私たちは五歳の子供、犬、三人の訪問客(エメット、ボブ、バーバラ)と一緒に、三台の車に荷物や身の回り品をぎっしり詰めて、北にあるオーランドへ向けて出発しました。ヴァシティは勘が働くのですが、オーランドのホテルの予約がいっぱいになる前に予約を取っていました。不運にも、私たちがオーランドに着いた時、ラジオは嵐がまっすぐに私たちの方へ向かっていることを告げました。そのため私たちはイーストコーストを目指し、フォートローダーデールへと南下しました。激しい雨の中をその日のうちに10時間から12時間走りました。全部のホテルとレストランが閉まっていて、朝食を除いた最初の食事は夜遅くになりました。唯一良かったことは、ボブとバーブが南フロリダを見ることができたことと、何人かの親戚に会えたことです。ある時ボブは、その出来事は、私が書き始めようかと考えていた本の興味深いパートになるかもしれないと言いました。
翌日、土曜日の朝、私は電話のメッセージをチェックして驚きました。二人の女性がはるばるアリゾナからやってきて、ボブに会うことを熱望していました。そのため私たちは日曜日に会合を設定しました。そのミーティングは私のお気に入りの一つとなりました。というのも、その長年にわたる二人の探求者の熱意が明らかだったからです。多くの探求者が控えめであるのとは対照的に、彼女たちの解放に対する渇きは明らかで、それがボブを普段よりも駆り立てました。このあとに続くのは三つの週末すべての抜粋です。毎土曜日、ボブは20分から30分話したあと、質問を受けました。毎日曜日は質疑応答のみです。このあとに続くのは短い抜粋です。というのも、応答は、もうすでにこの本の中で紹介したものと非常に似かよっているからです。応答は非常に深い内容ですが、討議はボブが最初の二週間でやった内容とほとんど同じです。何人かの人は記名しました。名前のわからなかった人は「V]もしくは訪問者と表示しました。ボブは毎土曜日のトークを次のメッセージで始めました。

以上でLiving Reality 抜粋は終了です。
(参考:アセンション通信館(パリトーショさんのサイト) (Living Realityの紹介翻訳ありNo.442~520)