非二元・アドヴァイタ
この「詳しく」を書くにあたり、非二元やアドヴァイタを全面に出して書くことはしないようにと思っていましたが、セライーボブの教えは非二元の教えでありアドヴァイタの教えであると再認識しましたので、そのあたりのことを少し書いておきます。
セイラーボブ関連の本の中に、現代のアドヴァイタの教師たちが時々出てきます。
・ダグラス・ハーディング Presence awareness の中で、「ダグラス・ハーディングは頭さえないと言っている」と引用。
・ネイサン・ギル Living Reality の中でジェームズが「clarity」を読んだといったところ、ボブがそれは良いと言った。また、ボブが2018.9.23のミーティングでも言及した。
・レオ・ハートン Living Reality の中でジェームズが「Awakening To The Dream」を読んだと言ったところ、ボブが良い本だと言った。
・ジョーン・トリフソン Living Reality の中に、ボブがアメリカで会う予定だと書いてある。実際に会ったかどうかは書いてないが Living Realty の推薦文を書いている。
・グレッグ・グッド Living Reality の推薦文を書いている。
・鈴木大拙 「Zen Buddhism」の話がLiving Realityの中で関係者から。ギルバートからも聞いたことがある。
私が今まで、ここに書いた人の本で読んだことがあるのはダグラス・ハーディングだけです。それ以外はまったく読んだことはありません。時々参考にさせていただいたヒロさんのブログで、名前ぐらいは見たことはあったのですが、書店に行ってもなるべく読まないようにしていました。というのは、ボブ以外の非二元やアドヴァイタの教えを読むと混乱するのではないかと思っていたからです。
もう十分にセイラーボブの教えを理解した今、もう読んでも混乱することはないだろう、また、セイラーボブの本の中で引用されているなら、どんなことを言っているのか見ておくべきだろうと思って、先日いつも行く名古屋の丸善の精神世界のコーナーで、非二元関連の本を何冊か立ち読みしました。
立ち読みした本
ネイサン・ギル「すでに目覚めている」
トニー・パーソンズ「オープンシークレット」「何でもないものがあらゆるものである」
グレッグ・グッド「ダイレクトパス」
ルパート・スパイラ「プレゼンス」
立ち読みして驚いたことが二つあります。
①非二元関連の本に何が書いてあるのかをはっきりと理解できること。おそらく、これらの本を、セイラーボブの教えを完全に理解する前に読んでいたら、はっきりとは理解できなかったと思います。
②これらの本はセイラーボブが説いていることと同じことを説いているということ。こういう人たちがネオアドヴァイタと呼ばれていることは、ヒロさんのブログで知りました。グレッグ・ウッドの「ダイレクトパス」だけは、いろんな方法が書かれていて、詳しく検討する時間がなく、セイラーボブと同じことを言っているのか、はっきりわかりませんでした。でも、それ以外の人は確実にセイラーボブと同じことを説いています。な~んだ、そういうことだったのか、と思いました。
今私はこのブログをセイラーボブだけに限定して書いています。でも、多くの現代の非二元の教師たちが同じことを言っているなら、セイラーボブに限定しないで、非二元・アドヴァイタというくくりでこのブログを書いていったほうが幅広く学べるし、楽しいのではないかと思います。
説き方は違うだろうし、方法も違うかもしれません。世界観も多少は違うでしょう。でも今なら混乱せずに受け止めることができると思います。
まだ当分はセイラーボブを中心に書いていくつもりですが、もっと視野を広くもって、非二元・アドヴァイタ、可能なら禅などにも広げていく予定です。
現代の非二元の教師たちの情報を入手する有益なサイトを書いておきます。
・resonanz360塩人間の海底探検(ヒロさん・古閑博丈さんのブログ)
・シンプル道の日々(高木悠鼓さんのブログ)
・Advaita 通信 このサイトはアドヴァイタがどういうものかを学ぶのに良いサイトです。特に「ただそれだけ」をおすすめしてくださっているのがうれしい。
日本の非二元・アドヴァイタはまだまだ始まったばかりで、十分な情報がない中、これらのサイトは重要な情報源だと思います。
高木悠鼓さん古閑博丈さんには、もっともっと非二元関連の本を翻訳していただきたいな、できればセイラーボブをもっと翻訳していただきたいなと思っています。
海外のサイト
・ギルバート・シュルツのサイトthe urban guru's cafe(非二元論関連)
・セイラーボブの古いHP(linkが参考になる)
これは非二元・アドヴァイタ関連ではないのですが、もう一つ驚いたことがあります。
同じコーナーに、瞑想を何十年もやった人の本があったのでついでに立ち読みしました。
その人は、非二元・アドヴァイタとはまったく関係なく、瞑想を長年することによって、「エンライトメントはない」「瞑想は必要なかった」「今ここにある意識がすべてである」という境地に達したと書いていました。
その人はチベットやオショー(旧名ラジニーシ)アシュラムなどで何十年も瞑想した日本人の方で、最終的に「エンライトメントはない」「瞑想は必要なかった」「今ここにある意識がすべてである」という境地に達したと本に書いてみえました。メモしたわけではないので、表現が多少違うかもしれません。厚い本だったので立ち読みした範囲の理解ですので、書名は書きません。
私はこの本を読んでとても驚きました。というのは、私の考えでは、いくら瞑想しても、エンライトメントはないということを気づく人はいないのではと思っていましたから。瞑想すること事自体がエンライトメントを求めてするものなので、この本には本当に驚きました。
こうなると、どの道を行ったとしても、ちゃんとゴールにたどり着く人はいるのだな、と痛感しました。そしてまた、善意に解釈するなら、エンライトメントを説くマスターの中には、本当はそんなものはないと知りながら、それに気づかせるための方便として瞑想を説くマスターもいるのではないかとも思いました。
というのも、エンライトメントはないのだから瞑想は無駄だと最初から何もしなかったら、この人のような境地にはたどりつけません。
私も、最初から、エンライトメントなんてないのだよ、と言われたら、精神世界になんて興味がなかったかもしれません。私も含めて、メルボルンでボブの周りにいた人たちの多くは、何年も何らかの瞑想や探求をしたことのある人たちでした。瞑想、探求の末にセイラーボブにたどり着いたからこそエンライトメントなんてないというメッセージがどんなに大切なものかが実感できるのだと思います。
そして今、多くの人たちがエンライトメントや「目覚め」はフィクションであると気づき始めたということではないでしょうか。
以下は Living Reality.p.174から
ケリー:ボブ、私があなたにラメッシの教えの話をするなんて何か変ですね。あなたに会いに来て、ほかの師の話をするなんてまったく失礼に思えます。でも私が話す気になったのは、私が彼から学んだことと、あなたから学んだことを結びつける必要があったからです。私はラメッシもあなたも両方尊敬しています。
ボブ:ええ。大切なことは、最終的にあなたは私たち両方ともを後にするということです。ラメッシのもとを去り、私のもとを去る。あなたは自分の二本の足で立つために十分な理解を持っています。私はニサルガダッタの教えを理解したあとは彼を必要としませんでした。一年後に一度だけ彼を訪ねました。そして今もまだ彼のことを考えます。彼は私の根底にあったものすべてを蹴り出したのです。彼は私の概念のすべてを蹴り出しました。そのあと彼は私が彼のまわりをうろつくことを望みませんでした。