2019/02/06

セイラー・ボブ・アダムソンの教え(詳しく)⑮

「知的に」を取ってください

2015年春、最初のセイラーボブのミーティングから帰った時点で、私はセイラーボブの教えを知的には完全に理解していました。でも日にちがたつにつれて、その理解では十分ではないと思うようになりました。

心のどこかで、ボブの教えを理解したら、何か特別な体験が起きるのではないかと思っていました。それでまた2016年にミーティングに行って、そんなものはないと納得したつもりで帰ったのに、帰ったらまた何か体験を探している自分がいました。

私はセイラーボブに、その理解とはどういう理解なのかを聞きました。でもそのたびにボブは「普通の理解です」というだけでした。何かが起きるのかと聞いても、「普通に理解するだけです」と言うばかりでした。私はボブの言う「普通の理解」という言葉をそのまま受け取ることをせず何かが起きるのではないかとずっと思っていました。

セイラーボブの教えを理解しても、何か特別な体験をするということはありません。エンライトメントや恍惚感や至福の体験が起きるわけではありません。特別な理解の体験も何も起きません。起きたとすれば、それはマインドが作り出したトリップです。

セイラーボブの教えの理解には、知的な理解以上の理解はありません。
セイラーボブは何度も何度も、
The answer is not in the mind. (答えはマインドの中にはありません)
と言っています。

その意味は、考えてもわからないということです。そこで人々は勘違いをします。考えてもわからないのだから、きっとエンライトメント(覚醒)が起きるのではないか、何か特別な理解の体験が起きるのではないかと。

エンライトメント(覚醒)も、特別な体験も起きません。何も起きません。知的な理解以上のものはありません。
「私は知的には理解しました。でも、」と言うと、セイラーボブは決まって、「(知的に)を取ってください」「(でも、)を取ってください」と言います。
また、「あなたは 2+2=4 を知的に理解しましたとは言わないでしょう? (知的に)を取ってください」と言います。

私は、この「知的に」を取るのに4年近くかかりました。そして多くの人がこの「知的に」を取ることができずにいます。なぜこの「知的に」が取れないかというと、理由は二つあります。一つ目は、多くの人が、理解した瞬間に何か体験が起きるはずだという根深い先入観(もしくは条件付け)を持っていること。二つ目は、「自分は実在しない」や「万物は一つの物」「そこには何もない」ということに実感や確信が持てないからです。

セイラーボブや非二元の教えにたどり着く多くの人は、様々な教えやグルをあちこち探求した果てにやってきます。ボブの居間にやって来るのは筋金入りのスピリチュアルオタクばかりで、彼らのスピリチュアルの知識には驚くばかりです。日本人のスピリチュアルオタクは英語という壁があるので、それほど幅広い情報を持っているわけではなく、翻訳したものに限られます。でも英語ネイティブの人たちは世界中の師から直接情報を収集できるために情報量が違います。私が持っているセイラーボブ関連の英語版の本は全部で11冊あります。彼らは好きなだけYouTubeでボブのミーティングを見ることができるし、また直接会いに行くことも自由にやっています。

今でこそ「非二元」の本は書店にたくさん並んでいますが、それはごく最近の話で、いわゆる「チャネルリング」や「引き寄せ」のブームのあとからだと思います。「チャネルリング」「引き寄せ」の前に書棚を占めていたのは「覚醒・瞑想」でした。

多くの人がこの「覚醒・瞑想」の影響を受けたまま、セイラーボブの世界にやってきます。そして、いくらセイラーボブが、「答えはマインドの中にはありません」「(知的に)を取ってください」と言っても、それができないのです。そして「エンライトメント」という言葉を「理解する体験」「実感」に置き換えて、また同じ轍(わだち)にはまるのです。

そして多くの人がまた別の師を探す旅に出ます。また「汝それなり」と言われる日まで。私は最初に「ただそれだけ」の中で、「汝それなり」と言われてもまた別のグルを探して12年間修行する人の話を呼んだ時、(馬鹿な人だな)と思ってのですが、自分のやっていることがその人と同じだということに、4年間気づきませんでした。

セイラーボブの教えには知的な理解以上の理解はありません。理解しても何も起きません。特別な体験も起きません。理解しても、以前と同じように、木を伐り薪を割る生活が変わらずに続くだけです。

私を含め多くの人は「覚醒・瞑想」本をたくさん読んでいる影響で、自分にも同じことが起きなくてはいけないと思っています。あっちのグル、こっちの師の覚醒体験、至福体験をたくさん読んで、それが起きるはずだと思い込んでいます。そうしているうちに、マインドがそれをでっちあげます。そしてその体験があなたに起きます。私にも起きました。でも、セイラーボブの教えているのは、そんな一時的な体験のことではありません。セイラーボブの教えているのは、そういった体験とは全く関係のないことです。

セイラーボブの教えているのは、「今ここにある意識」のことです。それは獲得したり、体験したり、わざわざ理解したりするものではなく、ずっとあるものです。セイラーボブは、理解は「する」ものではなく、「ある」ものだという言い方をする時もあります。

いくらそう言われても、マインドは探し続けます。「でも実感がない」「でも確信が持てない」と。
あなたが、それを実感、確信できるような体験は何も起きません。あなたの体とマインドがあるかぎり、基準点が完全に消えることはありません。あなたの体とマインドがあるかぎり、「私は実在しない」「世界は幻影である」「時間は存在しない」ということを実際に体験することはありません。非二元の世界を垣間見ることもありません。死後の世界と同じで、誰も非二元の世界を見たことがある人はいません。だからポインターで指し示すしかないのです。

セイラーボブが、「私は実在しない」「世界は幻影である」「時間は存在しない」ということを、科学的に説明したり、明確な証拠を示したりしたことを、私は聞いたことも読んだこともありません。すべてはポインターであり、月を指し示す指であって、月そのものではありません。

あなたが「知的に」や「でも」を取れば、何の理由もなく確信が持てる時期が自然とやってきます。それは、無理やり自分を納得させたり、盲目的に信じ込んだりすることとは違います。信じるのではなく、確信であり、理解です。私の場合はそうなるのに4年かかりました。

英語という壁はあったのですが、セイラーボブの言っていることの内容そのものはごく初期の段階で理解していましたから、日本語で聞いたとしても、確信、理解が起きるには一定の年月がかかったのではないかと思います。そしてそれを手に入れる唯一の方法は自分で調べること。何度も何度もセイラーボブの本を読んで、自分で調べることです。

本当に理解、確信したかどうかは、その理解、確信が日々の出来事の中で揺らがないかどうかでわかります。実感が持てなかったり、疑問があったり、矛盾を感じたりする場合は理解が十分ではありません。その場合はあきらめないで、機が熟すのを待つしかありません。忘れてはいけないことは、理解している人と理解してない人には、何の違いもないということです。私たちはもともとそれなのですから。

“Liberation is not an acquisition but a matter of courage, the courage to believe that you are free already and to act on it.” - Nisargadatta Maharaj

(解放とは獲得するものではなく、勇気である。あなたはもうすでに自由であると信じる勇気、そしてそれもとづいて行動する勇気のことである。ニサルガダッタ・マハラジ)

Full Stop!