2024/02/02

ジル・ボルト・テイラー(TED Talks)


とても興味ぶかいTED Talksを見つけました。日本語字幕版の貼り付けができないので、日本語字幕で見る人はこちらで見てください。→日本語字幕付き

脳科学者のジル・ボルト・テイラーは、自宅で左脳に脳卒中を起こし、体の自由が失われて体の感覚が消えていきました。体と外部との境界が消え、文字が読めなくなり、言葉を発することができなくなるさ中、宇宙との一体感、至福、ニルバーナ(極楽)を経験します。そしてその状態が手術までの二週間続いたそうです。その境地は、多幸感に満ちた平安、思いやりの境地だったと言います。
救急搬送されて一命をとりとめ、手術を受けますが、左脳の機能が完全に回復するのに8年かかったそうです。

彼女が今もその状態に入ることができるのかはわかりません。左脳の働きを人為的に停止させて、右脳だけの状態になることは、おそらく不可能ではないかと思います。もちろんその状態がエンライトメントではないし、そうした状態を求めることに意味はないと思います。そんな状態になったにもかかわらず、それを見ていた意識はしっかりとあったということに驚きました。つまり、言語や体の自由を奪われても、それを見ている意識があるということです。
 人間の脳、とくに右脳はもともと「私たち」は一つのものだということを知っているのではないかと思いました。

ジル・ボルト・テイラーの本は日本でも出版されています。また読んだら紹介したいと思います。

2024/01/30

意識を我々は無視している

学校で教師が黒板に「私」と書き、何が見えるかと生徒に尋ねたとしたら、生徒の大半は「私」という文字が見えますと答えるだろう。「私」という文字が書かれた黒板が見えますと答える生徒はまずいない。一つの文字が注目され、それよりも巨大な黒板が無視されるのとちょうど同じように、あらゆる現象の永遠の背景である<意識>を我々は無視している。
                          レオ・ハートン(夢へと目覚める

多治見駅 駅ピアノ

2024/01/26

悟りからは何も得られない

悟りからは何も得られない。なぜなら悟りとは、悟ることのできる自分が存在しておらず、分離の感覚も個人として存在している感覚も幻だったとわかることだから。
                          レオ・ハートン(夢へと目覚める

多治見 永保寺 止掛塔(しかとう)とは、掛搭する(修行者の入門を受け入れる)ことが出来ません!ということ。シカトの語源だそうです(ネタ元)。

2024/01/23

「夢へと目覚める」レオ・ハートン

「夢へと目覚める」レオ・ハートン

非二元の教師たちが教えているのは、何かになることや、何かを体験することではありません。ましてや覚醒でも目覚めでもありません。彼らは私たちと何も変わらない普通の人たちです。この本はそのことを全く平易な言葉でわかりやすく教えてくれています。悟りとはなにか、本当のあなたとは何かを、これほどわかりやすく説明している本はないのではないでしょうか。

本を紹介するために、一部を引用させていただきます。

p24
 あなたはもうすでに向こうにいる。悟り、あるいは自己認識は、少数の選ばれた人のためにあるようなものではない。それはあなたの本質であり、たった今まさにここにあると本書は断言する。最初から読み進めるのがいいとは思うが、本書は悟りを開く方法を段階を追って教えるマニュアルではないし、そのようなものではありえない。それから、これは自己改善や知識の獲得についての本でもない。これは、実際一度も忘れられていなかったことを思い出すという逆説に関する本だ。自分とは本当は誰か、何なのかということがテーマであり、どうあらねばならないか、どうなるべきかを説く本ではない。

p37
悟りは、少数の選ばれた者にしか成就できないような、起こる可能性が低い至難の業ではない。それどころか、悟りはそもそも成就可能なものではなく、悟りを自分のものにできる個人的存在がいるという幻想が取り除かれることを通じてそれ自体を明らかにする。それは<純粋意識>として今ここに完全にある。どこか別の場所で、あるいは達成される日が来るまで未来のどこかで待っているわけではない。悟りは時空内の出来事ではない。逆に、時空が<純粋意識>のなかの出来事であって、<純粋意識>はあなた、私、そして存在するすべてとしてそれ自体を絶えず現わしている。それはここに並んでいる言葉であり、これらの言葉を読むことであり、言葉が現れている背景だ。それは入っては出ていくあなたの息であり、心臓の鼓動であり、淹れたての朝のコーヒーの香りであり、歩道に落ちている犬の糞であり、星々であり、惑星であり、そしてすべてが起こっている広大な空間だ。それはこのすべてであり、それと同時にこのすべてを超えている。それはすべてを包含し、知覚し、創造し、破壊する者だ。

p97
 あなたは本当にこの意識なのだ! 本書を通じてここまでずっとそうだったように、これも文字通りに受け取ることを勧めたい。もし<一なるもの>しか存在しないのであれば、それが存在するすべてであり、あなたはそれでしかありえない---それの一部(離れるもの)ではなく、そのものだ! 千の湖に映る月という魔法に惑わされてはならない。あるのはそれでひとつの<自己>であり、それが多として現れているだけだ。それはこの現象を観照し、映し出し、生成し、破壊し、包含し、維持しながら、この現象である何もなさだ。

p191
 悟りとはどのようなものかと質問した人たちが、その返答を聞いてから、「それは単なる言葉、概念です。以前も聞きましたがそれでは足りません。私が知りたいのはそれが実際どんなものなのかということです」と言って答えを退けるのを見たことがある。そのような探求者が待ち望んでいるのは、特別な出来事を通じた確認か、あるいはもしかしたら至高体験んなのかしれないが、そう望むことによって、探している<目覚め>がすでに完全に今あるという認識を先延ばしにしている。彼らが見落としているのは、見るということをしているそれ---すべてに共通しているもの---あらゆる現象を維持しているひとつの普遍のキャンバスが今ここにあるという事実だ。それは見かけ上のあらゆる多様性の土台にある基層だ。

p203 翻訳者(古閑博丈さん)のあとがきより
 英米のネット書店では本書に対する絶賛のレビューが多く投稿され、またセイラー・ボブからは「共鳴と認識の大きな歓び。見事だ!」という賛辞が寄せられている。

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本のタイトルは「夢へと目覚める」というすばらしいタイトルなのですが、目覚めること自体がまた夢なのです。目覚める「私」は実在ではないのですから。

この本には、「純粋意識」という言葉が何回も出てきます。原語は何なのかは確認していませんが、文脈から判断すると、この「純粋意識」というのは、他の非二元の教師たちが、awareness(アウエアネス)、気づき、意識と呼んでいるもののことです。間違えてはいけないのは、それを手に入れなくてはいけないとか、それを体験しなくてはいけないと考えないことです。

この「純粋意識」とは、もともと私たちがそうであるもののことです。もっとわかりやすく言うと、思考(マインド)の背景にある意識のことです。日常の普通の意識のことです。意識に純粋でない意識なんてありません。おそらくレオ・ハートンは思考と明確に区別するために「純粋意識」という表現を使ったのだと思います。

「私はまだそれを体験していない」「私はそれを手入れていない」と言うのは的外れであり、非二元を理解していないということになります。これだけはっきりとレオ・ハートンが書いていても、深読みして、(いや私はまだその状態にはない)(彼らには何か特別なことが起こったはずだ)という人がいるかもしれません。それを手に入れるための覚醒も目覚めも起こりません。もともとそうなのですから。

私たちは、この意識を「私」の意識だと思っています。でも、逆なのです。意識の中に「私」が現れているのです。「私」の意識ではないのです。じゃあ、それは何なのかと聞かれる方は、ぜひこの本を読んでください。

 レオ・ハートンは21歳の時にある種の神秘体験、超越体験、至高体験と呼ばれる状態を経験します。そしてそれを悟りだと思ったそうです。でも、あとになって、それは単なる体験であり、意識の上を流れていく雲のようなものだとわかったそうです(p145)。このあたりのくだりはとても参考になるところです。

この本の中には多くの賢人の言葉が引用されていて、その言葉もすばらしいものばかりです。信心銘、ルーミー、ニサルガダッタなどなど。セイラーボブのミーティングで出てくる話もいくつかありました。また、ボブがミーティングの中でこの本について語ったこともありました。

この本で語られる説明は、私にはものすごく腑に落ちるわかりやすいものでした。読みやすいし、解釈に困るようなところはありません。すばらしい本です。絶賛おすすめします。ぜひ読んでみてください。

Amazonの著者紹介
著者について
レオ・ハートン(Leo Hartong)

1948年、オランダのアムステルダムで貧しい夫婦のもとに生まれる。
自宅で降霊術がおこなわれるなどスピリチュアルな環境で幼少期をすごす。
10代でハシシをおぼえ、問題児として行政の矯正施設に入れられるが、 脱走して路上生活を経験。
結婚し子どもをもうけ、陸路でインドまで旅をするなどの生活を送る。
読書や瞑想を重ね、ウェイン・リカーマンらのミーティングに通ううちに
現実と自己の本質に目覚める。
2018年に膵臓がんのため他界。(参考:古閑博丈さんのブログ

その他
レオ・ハートンでネット上を検索しても、ほとんど情報はありませんでした。YouTubeも一本も見当たりません。本人のサイトも抹消されているようです。古閑博丈さんのあとがきによると、基本的にはサットサンやトークをしていなかったということです。著作は、この本の他に「From Self To Self」があります。

写真(この一枚だけ

2024/01/19

解放とは

解放とは、最終的な正解にたどりつくことでも、素晴らしい解答を覚えることでもありません。解放とは、私たちの苦しみと混乱の根底にある想像上の問題(思い違い)を見抜くことです。どんな答えも、どんな解答も、どこからか拾ってきてそれに固執してしまえば、それがまた新たな問題になってしまいます。
                       ジョーン・トリフソン(つかめないもの

名古屋 ノリタケの森 イオンモール内

2024/01/16

自分がすでにそうであるもの、すでにここにあるものになる方法はありません

自分がすでにそうであるもの、すでにここにあるものになる方法はありません。瞑想やサットサンやこのような本や先鋭的な非二元のミーティングに少しでも役に立つ点があるとしたら、それは、何かが欠けているという幻想、時間が存在していてその時間の中で何かを達成することができるという幻想、変容しなければいけない誰かが存在していうという幻想の正体を暴くところにあります。
                        ジョーン・トリフソン(つかめないもの

多治見駅 凧

2024/01/12

「つかめないもの」ジョーン・トリフソン

「つかめないもの」ジョーン・トリフソン

セイラーボブの教えを理解するために最適な本は、LIVING REALITY(未邦訳)だと思います。そのLIVING REALITYの裏表紙に、三人の非二元の教師が推薦文を書いています。レオ・ハートン、グレッグ・グッド、そしてジョーン・トリフソンです。そのため、この三人はセイラーボブの教えを支持しているか、あるいはまったく同じことを教えていると思われます。

ジョーン・トリフソンはセイラーボブと面識があります。古閑博丈さんのブログで、セイラーボブと会っているくだりがあります。LIVING REALITYの中でも、セイラーボブがアメリカに行ったら再会したいというくだりがあります。

さて、この本の感想ですが、この本はとても読みやすかったです。非二元の本を読んでいると、時々翻訳された日本語の意味がはっきりとわからない時があります。でも、この本にはまったくそれがない。古閑博丈さんのブログや本を読んでいつも思うのは、翻訳からくるストレスがまったくないということ。これは高木悠鼓さんにも言えることで、この二人の翻訳は安心して内容に集中できるのでありがたいと思っています。

本の内容もすばらしいものでした。本の構成は27の表題からなる書下ろしになっていて、それぞれの最初にいろいろな賢人の短い言葉が引用されています。最初の項目「」の頭には、セイラーボブの言葉(生はつねに生を糧にして生きています。生はあらゆるかたち、あらゆる姿をとって現れます。それでもそれは同じ生であり、同じ知性=エネルギーです。そしてあなたはその生なのです。)があって、嬉しく思いました。セイラーボブの言葉はその一回だけで、あとはブッダやラマナ・マハリシなど様々な人の言葉が掲載されています。賢人たちの言葉もすばらしいのですが、書下ろしの内容もすばらしいものです。

本の紹介のために何か所か抜粋させていただきます。

P50から
 いわゆるスピリチュアルな覚醒の旅は、どこか別の場所にたどり着くこととも、新しい何かを手に入れることとも関係ありません。それはもっとも明白はことを認識するということであり、また、自分のまさに目の前にあってもっとも親密で呼吸よりも近く本当の意味では避けることも見落とすこともできない何かを見かけの上で覆い隠している誤った観念や蜃気楼のような空想の正体を見抜く(またはそこから目覚める)ということです。
 覚醒や悟りという言葉を耳にすると、私たちはよく、砂の上に引かれた魔法の線を「私」が未来のいつかに飛び越えて「覚者」となり、ある種の完璧な(そしてもし可能であれば永久に心地良い)境地に永遠に定着できるのではないかといった想像をします。それはおとぎ話であり、幻想です。そういう考えかたから目を覚ますことこそが、覚醒です。

P55から
 「自己がない」というのは、「あなた」がこれまで経験したことがないような魅惑的で神秘的な経験のことではありません。
 成長の過程で、今ここにいて気づいているという否定しようがない感覚が、一つの心身の内側にいる分離した個別の人間だという観念と混ざってしまいます。私たちが毎瞬、実際に経験していることーー境界なしにあるということーーが、主体と客体、自己と他者とに概念の上で分割されます。蜃気楼のような分離した「自分」、空想上の客体が、<究極の主体>(あらゆるものとしてありながらあらゆるものを見守り、位置を持たず、気づきながら今にあるということ)と取り違えられてしまうのです。目が覚めているときの生という映画は、ひとりひとりが別々のものを観ているように感じられます。そのため、私たちのそれぞれが意識の分離して独立した単位(心)であって、他とは切り離された体の内側に閉じ込められているその個人が、「外側」にある客観的な物質世界、人によってさまざまに違って見える世界を見ているのだと考えます。
 けれども、世界は「外側」にあるでしょうか? そして「内側」に意識の分離した単位(心)があるのでしょうか? あなたが私の映画に現れていて、私があなたの映画に現れているとしたら、この見かけ上では別々の映画は、ひとつひとつの宝石が他のすべての宝石の姿を映している<インドラの綱>の宝石のようなもの、もしくはどんな小さな部分も全体を包含しているホログラムのようなものだということはありえないでしょうか?

p214から
 瞑想などのスピリチュアルな実践をはじめたばかりだったり、先鋭的な非二元のミーティングや本に接しはじめたばかりだったりする人たちは、これは自己を向上させてどこかにたどり着くという話なのだとたいていは思い込みます。道なき道(直接の道)とは、じつはそうした考えの本質を見抜くことにほかなりません。それは究極的には、宇宙の他の部分から切り離された「自己」はここにはいないという発見です。明晰さと混乱のあいだ、「わかる」と「わからなくなる」のあいだ、境界のない気づきとの一体化と一人の個人との同一化のあいだ、そうした両極のあいだを行ったり来たりしている「私」はいません。「スピリチュアリティ」と「それ以外の生」のあいだの境界は、実際には存在しません。あるのは、今あるとおりの<ここ・今>という境界のない直接性だけです。
 どんな境地も経験も、やって来ては消えていきます。非二元の絶対は経験ではありませんし、永久にせよ一時的にせよ「人」が至る境地でもありません。「人」というのは、非二元的な無境界性の内側で現れて消えていく一時的な見かけです。

非二元の本というのはどれも、一種のパラドックスになっていると思います。たいていの人は、非二元の教師たちは、私たちとは違う意識の状態にあると思っていて、自分もそうなりたいと思って本を読みます。

自分も悟りを手に入れたい。エンライトメントしたい。一瞥体験をしたい。彼らのように理解を手に入れたい。特別な理解が起こるはずだ。でも、最後まで読んでも何も起こりません。何も起こらないばかりか、彼らが何のことを言っているのかよくわからないまま終わってしまいます。すると、(ああ、やっぱり私はまだエンライトメントしていないから理解できないのだ)となって、また別の本を読むことになります。

非二元の本を正しく理解するためには、彼らは私たちと何も違わない普通の人だということを前提に読むことです。彼らに何かが起こって、特別な意識の状態になったに違いないという誤った思い込みをなくして読むことです。もし、彼らが私たちと同じ普通の意識の状態にあるのなら、一体何のことを話しているんだろうという視点に立つと、彼らの話している内容に注意が向かい、自分にも理解できることだという目で読むことになります。そうすると、彼らの話していることは何も特別難しいことではなくなります。

私はセイラーボブに会う前に「ただそれだけ」を7回読みましたが、何のことだかさっぱりわかりませんでした。でも、教えを理解した後では、これほどわかりやすい本はないと思っています。他の非二元の教師の本も同じです。彼らが特別な意識の人だという思い込みを捨ててしまえば、やがては「わかっちゃった人たち」の仲間入りです。

何がわかるかというと、それは説明できません。それは「つかめないもの」だからです。ジョーン・トリフソンはこの本の中で、最初から最後まで繰り返し「つかめない」ものを説明してくれていますが、私たちがそれをつかむことはできません。

非二元の教えを理解していない人がこの本を読むと、繰り返し繰り返し「つかめないもの」のことが書いてあって、あ~、わからんとイライラするかもしれません。でも、私にとってはこの繰り返しがとても心地よくて、(そうそう、そうそう)と最後まで楽しく読むことができました。ジョーン・トリフソンはセイラーボブと同じ香りがします。偉ぶったところや気取ったところがなく、普通の人感満載です。また一人好きな教師が増えました。

ジョーン・トリフソンについて
1948年 米生まれ 女性 75歳。

Amazonの著者紹介より
ジョーン・トリフソン Joan Tollifson
アドヴァイタ、仏教、先鋭的な非二元を好んでいるが、 どんな伝統にも属していない。
著書に『Bare Bones Meditation』『Awake in tne heartland』
『Painting the sidewalk with water』がある。

本の最後の訳者のあとがきにジョーン・トリフソンの詳しい経歴などが書いてありますが、それを勝手に要約して書いてもしかられるので、掲載を控えさせていただきます。古閑さんのブログに短い略歴が掲載されていますので、そちらを参考にしてください。英語版のWikipediaには名前がありませんでした。ジョーン・トリフソンのサイトに自己紹介がありますので、リンクしておきます。

ジョーン・トリフソンのYouTubeチャンネルは見当たりませんでしたが、YouTubeでJoan Tollifsonを検索するとたくさんの動画が出てきます。どんな人か。比較的再生回数の多いものを一つ掲載しておきます。




2024/01/09

直接の体験をよく見てみること

つまり、人生を本当に理解するただひとつの道は、自分が生きている直接の体験をよく見てみることだけなのです。
                         ティモシー・フリーク(気づきの扉

我が家のさざんか

2024/01/05

「気づきの扉」ティモシー・フリーク

気づきの扉

とてもわかりやすい本です。理解できないような言葉は出てきません。易しい言葉で書かれていて、100ページに満たない本なので、一時間もあれば読めてしまいます。
七つの洞察を提示していき、それが本当なのかどうかを自分で考えていく体裁の本になっています。内容は、非二元のことを学んできた人なら全部知っていることです。それでいて陳腐な感じがしません。あらためて気づかせてくれることがたくさんあります。

p45
この、身体でも心でもない、謎めいた「私」とはいったい何なのでしょうか?
それは、身体や心を見つめている意識です。

「意識」という言葉がシンプルに使ってあるのをとてもうれしく思いました。わかりやすい本です。

Amazonのサイトから
著者について
ティモシー・フリーク 哲学者、思想家。キリスト教のグノーシス思想を研究した『THE JESUS MYSTERIES』(原題)が英国、米国でベストセラーになったほか、世界の宗教、神秘思想を幅広く研究した著書多数。またBBCやヒストリー・チャンネルなどのドキュメンタリー番組にもしばしば登場し、『ミステリー・エクスペリエンス』と題したワークショップも人気がある。旅をしながら人々の意識を変えていく「スピリチュアル・エンタテイナー」だった古代の哲学者にならい、自らを「スタンドアップ哲学者」と呼ぶ。英国南部グラストンベリー在住。

the urban guru cafeでティモシー・フリークを取り上げているので、この本を買いました。

ティモシー・フリークには日本語版の公式オフィシャルサイトがあります。詳しい情報はそちらで読んでください。




2024/01/02

悟りとは

悟りとは、自分は個人ではないという絶対的な理解です。
                     フランシス・ルシール(今、永遠であること

多治見市 永保寺

2023/12/29

ハートが理解するには簡単なものです

この見方は途方もなく難しいだけではなくて、心(マインド)には把握することのかなわないものです。ですが、この見方はハートが理解するには簡単なものです。とても簡単で、ほぼ即座に把握することができます。
                    フランシス・ルシール (今、永遠であること

              多治見市永保寺                 

2023/12/26

「今、永遠であること」フランシス・ルシール

今、永遠であること

とても良い本です。フランシス・ルシールは、ルパート・スパイラの師だということで、興味をもって読みました。ブログに引用させてもらうところに付箋を貼って読みましたが、この本も付箋だらけになってしまって、どこを引用しようか迷ってしまいます。この本は全編が質疑応答の形式をとっていて、最初に質問があって、それにフランシス・ルシールが答えます。

それぞれの質問に対する答えが長いのと、答えが格調高い語り口なので、その前後を読まないと理解できない部分が多い。前後まで引用すると、とても長くなってしまって、どうしたものかと。あんまりたくさん引用すると𠮟られますが、本の宣伝だということで許していただいて、何か所か引用させていただきます。

p88
 子育てをしながら、家計を支えながら、個人的な不幸せを抱えながら、真実を追求したいと思うのであれば、どのようにすればよいのでしょうか?

 知性を通してできます。理解するために、物質的に自分の生活を変える必要はありません。今すでにあるもの、自分が何者なのか、自分の知覚、感じ、考えとは何なのか詳細に問いかけることから始めます。わたしたちの現実(リアリティ)をこのように探っていくことは単に概念的なものではなく、人生のすべての面に及ぶものです。

 非常に忙しい生活のさなか、このように追及していくことは可能なのでしょうか?

 もちろん可能です。それにこの方法だけが、あなたの幸せはあなたにあり、あなたの宝物であり、外側の状況には何も関係がないことを明確にしてくれるのです。もしあなたの幸せが外側の要素、例えば調和に満ちた状況といったものに依存するものなら、郵便局にいるときや、騒々しいところにいるときにその美しい体験はなくなってしまいます。ですから、こういった体験は真にあなた自身の幸せではなく、単に幸せな状態ということです。

 幸せそのものは外側の何にも依存しないとわかっているのですが……。

 その理解を得るには大変な成熟さが必要になります。ほとんどの人は、幸せは何かしらの客体にあると思っているのですから。

p93
 この世界は幻想であるとおっしゃいますが。これはどのように見つけられたのですか?

 この質問の裏にある質問は、こうですね。「この世界は幻想であるとおっしゃいますが。これはどのように見つけられますか?」

 そのとおりです!

 この世界は幻想だと言うとき、この世界はないという意味ではありません。わたしはただ、この世界は気づきから切り離されたり隔てられている客体としてはない、と言っているのです。言い換えると、古典物理学がわたしたちに信じさせようとしているように世界は自律的ではありません。これは知覚として認識されれば否定されることはありませんが、認識されなければ、あると証明できません。

 ですが、幻想はそのまま、幻想と呼ばれるもののまま、見かけ上はあるということは認めてらっしゃいますか?

 認めています。幻想はふたつの要素からなっています。根本的な現実(リアリティ)と、重ね合わされて幻想の概念です。暗がりにロープがあるとして、それを間違って蛇と思ったりします。ですが、明かりをつけると、蛇というものの現実(リアリティ)はただのロープだということがわかります。蛇など初めからいなかったのです。蛇はまったくの幻想でした。幻想とは、非実在です。蛇はいませんでした。蛇の現実(リアリティ)はロープだったのです。

p121
 自分は分離した人物であるという自己認識から、真実に気づいている状態に意識を移行するには、どうすればよいのでしょうか?

 「人物らしさ」が偽物だと知るのに人物ができることは何もありません。個人は個人としての自己認識にしつこく固執しますが、この自己認識から自由になる瞬間があります。自己認識から距離をとり、自分であるこの現存(プレゼンス)を垣間見る、つまり気づきを得るチャンスは、この瞬間にあります。
 わたしたちにとって、一番大切なものとは何でしょうか? わたしたちの体の一部ではありません。命を救うためであれば体の切断手術がされていることからも、これは明らかです。一番大切なものとは、体全体でさえありません。わたしたちが真に愛しているのは、意識です。真に問われているのは、意識は体の中にあるのか、体が意識の中にあるのか、ということです。自分の置かれている環境や、先生たち、広く信じられている物質主義から、わたしたちの体は世界にあり、わたしたちの頭脳は体の中にあって、この頭脳の一機能が意識であると条件付けられています。非二元の視点では、この図はまったくの正反対です。本源的な現実(リアリティ)は気づきであって、この内に心(マインド)があります。この体、この考え、残りの宇宙はすべて、心(マインド)の内にあります。それでは、このふたつの立場のうちどちらが真実だと、どうやって決めるのでしょうか? わたしたちの論理的な装置である心(マインド)では、この問いに対する答えを出すことはできないと理解することが大切です。これらの立場からひとつを選ぶとすると、これは信念であり、信仰による行為になってしまいます。これが明確にわかっていれば、わたしは世界の中にいて、わたしはわたしの体である、という概念からすでに自由になっています。この世界での実在とは信仰による行為であり、絶対的は真実ではない、ということを理解しているのです。そして、もう一方の可能性にオープンになります。心(マインド)は心自身の内にあるものしか知らないので、心(マインド)では決められません。心(マインド)を超えたものを、心が知ることはできないのです。心(マインド)にできるのは、きめられないということを理解することだけです。心(マインド)が、自分では本源的な答えを見つけられないということを理解すると、静かになります。私たちの本質が自分を掴む可能性は、この静寂のうちにあります。自分では掴むことができません。ただオープンになり、迎え入れることしかできないのです。

p178答えの途中から
 より多くの知識や能力を積み重ねることで、この探求を終わらせることは決してできません。この探求は学習するものではなく、もしろ積み重ねた概念、信念、習慣といった捨て去るものなのです。そういったものがこのシンプルさ、自発性、自分の本質であるよろこびを体験することを妨げています。
 あなたは知覚される客体ではなく、概念でもなく、感情でも、感覚認識でもないというわたしの助言を調べることで、本当に自分であるものを理解する道が拓けます。これを調べるのであれば、知的な次元、体感覚の次元の両面で、徹底的に追及されなければなりません。これを調べた結果、得られる理解は、「わたしは誰なのか?」という問いに対する答えですが、これは心(マインド)を超えたところ、時空間の先にある、あなた本来の美と永遠性にまであなたを運んでいく体験となります。この体験で、あなたは自分が探し求めていたものだったと知ることになります。これが問いの終りであり、すべての問い、すべての探求、すべての恐れや願望の終りになります。

フランシス・ルシールは何も特別なことは言ってはいません。自分で調べてみなさいと言っているのです。そして、その到達点は「確信」という言葉を使っています。私は以前、このブログにおたよりをいただき、「理解するとはどういうことなのか?」という質問をもらいました。その時、「確信」という言葉を使ったのを覚えています。非二元の教師たちが語っている内容を客観的に証明できるような方法はありません。詰まるところは本人が揺るぎない「確信」の地点に到達できるかどうかだと思います。そして、その確信を得るためには自分で調べるしかないとフランシス・ルシールも教えています。

ルパート・スパイラの「プレゼンス」の時も思ったのですが、この本は非二元の教えを理解していないと読みこなせないような気がします。すばらしい本でした。

フランシス・ルシール Francis Lucille

Amazonの著者紹介より
フランス国立理工科高等教育機関、フランス国立航空宇宙学科高等教育機関で
化学を学んだ後、1973年、ヴェーダ哲学や仏教の文献から東洋の叡智を見つける。
これをきっかけとして自己同一性を深く探求し、1975年、スピリチュアルの指導
者であるジャン・クラインに出会ってまもなく、その探求が終わる。
現在、米国在住。ヨーロッパと米国でリトリートを行っている。

補足
1944年生まれ 79歳 フランス生まれ
J.クリシュナムルティの本を読んだことにより探求が始まる。もともとはフランス軍のために洗練された武器の設計・開発する科学者だったが、辞めて、探求の道へと入った。

日本語でネット上で検索しても、フランシス・ルシールに関する情報はほとんどありませんでした。


2023/12/24

セイラーボブの近況(2023.12.24)


2023.12.24ミーティング
冒頭でカットが、ボブがコロナ陽性だと伝えています。無観客で、スピールは短めでしたが、画面で見るかぎりは大丈夫そうです。
以前ボブが、「コロナは気にしない」と言っていたのを思い出します。ミーティング参加者もほとんどマスクなしなので、日本と随分温度差があるなと思っていました。それにしても、なんでこの人たちはマスクしないんでしょうか?

2023.12.31追記
ボブはコロナ陰性になったということで、いつも通りにミーティングを再開しました。

2023/12/22

思考だけが見かけ上の多様性を作りだすのです

スクリーン上の映像がつなぎ目のないひとつの全体であるように、この現存しているように見える「ひとつのもの」も、つなぎ目のないひとつの全体です。思考だけが、映像の各部分の周りに架空の線を引き、対象物の見かけ上の多様性を作りだすのです。
             ルパート・スパイラ (プレゼンス―第2巻 あらゆる体験の親密さ

12月9日 名古屋マリオット

2023/12/19

幸せとは

幸せとは、常にものごとのありのままを受け入れるというだけのことなのだ。
                ルパート・スパイラ(ザ・グレイテスト・シークレット

                       12月9日 ナナちゃん

2023/12/15

「生まれながらの自由」ジャック・オキーフ

「生まれながらの自由」ジャック・オキーフ

このブログの方針として、まったく支持できない人のことは書かない方針です。ただ、はっきりと評価できない人のことはどうしようかと考えたあげく、一応書くことにしました。
この本は、わかりやすいし、非常に良い本だと思って最後まで読みました。でも、終わりの方にきて、過去生や輪廻転生を肯定するような文章が出てきたので、どう評価していいのか判断できずにいます。

私の理解では、過去生も輪廻転生もないと理解しています。だって、「私」がいないのに、誰が転生するのですか? 私が気になった文章を引用させていただきます。

p153 7行目途中から

肉体的な死のあと、思考との同一化が残っていれば、本当のこととして信じられていた信条は、また別の状態を存在として発生させ、体験を継続させます。ゆえに、あなたが何を信じているかによって、意識・無意識にかかわらず、他の次元(死後の世界)や、輪廻転生の中で体験は続きます。

彼女のホームページを見たらわかるかもしれないと思って見てみたのですが、そこに過去生について学ぶコースはあるものの、197ドルのビデオコースになっていて、無料では見ることができません。無料の記事もたくさんあるのですが、量が多すぎて確認できません。YouTubeも量が多いので、タイトルだけ確認しましたが、それらしきものは見当たらず。

ただし、それ以外の内容はとても良いと思ったので、簡単にまとめておきます。
この本では、セイラーボブやルパート・スパイラが awareness (意識、あるいは気づき)と呼んでいるものを、真我(Self)と呼んでいます。

私たちは、この真我を実際の体験として知ることはできないし、それを手に入れることはできないと言います。というのは、私たちはもともとそれだからです。その真我の中に「私」や「世界」が現れます。その実体は思考です。その「私」や「世界」を消すためには、観照者として、「私」や「世界」や世界を観照することだといいます。

観照者とは何かというと、「私は在る」です。「私は在る」もマインドです。それがマインドではあっても、人や出来事、ストーリーと同一化しないのだと言います。このあたりの説明はセイラーボブとよく似ていて、セイラーボブは「『私は在る』とは、マインドで到達できる最高地点」「自らが存在するという感覚」という表現を使います。

セイラーボブもルパート・スパイラもジャック・オキーフも同じ説明をしていますが、私たちが夢さえ見ない深い眠りの状態にあるときは、真我、あるいはアウエアネス(意識、あるいは気づき)そのものの状態にいて、思考がない状態にあると言います。そしてジャックは、その深い眠りから覚めた一瞬に、真我の余韻が残っていて、「私」がやって来る前のほんの一瞬の状態が「私が在る」状態なのだと言っています。

その状態(私は在る)に留まって、観照者として、「私」や「世界」、つまり思考を観照することによって、「私」や「世界」が消えていくと言います。では、どうやったら、常に観賞者であることができるのか。この辺がよく読み取れなかったのですが、私たちはもともと観照者なのだから、観照者になろうとせずに、観照者として思考を見つめなさいと言っているようです。

本の内容は良いと思います。なお、ジャック・オキーフは南アイルランド生まれと本に記載がありますが、それ以上のことはネットで調べてもわかりませんでした。




2023/12/12

それは本当でしょうか?

それは本当でしょうか?
その考えが本当であると、絶対言い切れますか?
そう考えるとき、あなたはどのように反応しますか? 何が起きますか?
その考えがなければ、あなたはどうなりますか?
                                   バイロン・ケイティ

11月27日 虎渓山 永保寺

2023/12/08

外界のものは、何ひとつ私たちを妨げません

外界のものは、何ひとつ私たちを妨げません。私たちが苦しむのは、ありのままのものごとを変えたいと願ったときだけなのです。
               バイロン・ケイティ(ザ・グレイテスト・シークレット
                
              11月27日 虎渓山 永保寺

2023/12/05

「人生を変える四つの質問」バイロン・ケイティ

人生を変える4つの質問 バイロン・ケイティ

この本は絶版です。翻訳者が変わり、新版として、
があります。私が読んだのは旧版です。

バイロン・ケイティについては、セイラーボブのミーティングで参加者の何人かが話したことがあります。また、ザ・グレイテスト・シークレットの賢人としても取り上げられていて、引用された言葉に感じるものがあったため、本を読んでみました。念のために書いておきますが、バイロン・ ケイティは非二元の教師という範疇には入らないし、非二元そのものを教えているわけではありません。でも、教えていることは、非二元の根幹となる教えに通ずるところがあります。

本の内容は、バイロン・ケイティが、「ワーク」と呼ぶ方法で悩みを抱える人を癒しへと導く実際のやり取りを記録したものです。悩みの内容は様々で、対人関係、家族との関係、レイプ、虐待、戦争の記憶、愛する人の喪失など、多岐にわたります。

ワークがどんな方法なのか、バイロン・ケイティとはどんな人なのかは、日本語のホームページがあるので、そちらを読んでもらった方が正確かと思います。


ワークの具体的なやり方は、このホームページにあります。それを読めば、一人でワークができます。やり方は簡単で、ホームページにあるワークシートに自分の思いを書き込み、一つ一つの書き込みに四つの質問を自問します。そして、質問を入れ替えて、それが本当に事実なのかを確かめていきます。

ホームページの上段に、「その考えがなければ、あなたはどうなりますか?」という言葉あるとおり、自分の悩み、恐れ、苦しみは、自分が生み出しているものだということを気づかせるための方法がワークです。

非二元の教師たちは、「私」を根こそぎ消すことによって悩みや苦しみを解決しようとしますが、バイロン・ケイティは逆に、個々の悩みや苦しみを詳しく調べることによって、それは単なる思考(思い込み)にすぎないということを理解させます。

「私」がなかなか消えない人、「私」はいないと理解しても、個別の問題をどうしていいのかわからない人にとっては、バイロン・ケイティのやり方は有効だと思います。

私もワークをやってみようと思ったのですが、今現在、何か大きな悩みや問題を抱えているということはありません。セイラーボブを学んだことで解消された部分は大きいのですが、今現在、悩ましい対人関係はなく、わずらわしい仕事についていないというせいもあると思います。

それでも、せっかく本を読んだのだから、何か試してみたいと思って、いくつかリストアップしました。嫌な思いをしたまま放置している対人関係、体のこと、傷つけた人のこと、恥ずかしい思い出、後悔していること、最近冷たいのではないかと思う人のこと。ホームページから「ジャッジメント・ワークシート」をプリントアウトして、いちいちの問題を書き込み、やってみました。

やってみてわかったのですが、「ジャッジメント・ワークシート」を書いた段階で、いくつかの問題はクリアになり、それだけで十分なものもありました。そして、四つの質問をしていくうちに、問題の根本は私の思考にすぎないということに気づかされます。何かをする必要も、誰かを責める必要もないということがわかってきます。

私の場合、書き出した問題が、どれもそれほどシリアスな問題ではないせいもあって、それほど難しくはありませんでした。大きな問題を抱えて、それこそ狂いそうな毎日を生き延びていた昔に「ワーク」を知っていたら助けになったかもしれないと思います。

この本には、そんなことをやれとは書いてないのですが、誰か他の人から悩み事の相談を受けた時に、この方法に沿って相談に乗ってあげるのはとても良い方法だと思います。私の身近に介護をしている人がいて、時々介護の悩み事の相談を受けることがあります。

先日、電話がかかってきて相談を受けたので、ワークシートに書いてあるようなことを聞いたあとで、四つの質問や入れ替えをやってみました。細かくやったわけではなく、アレンジして、短くやりました。そうしたら、最後に、「よくわかった。そのままにしておく」と言われました。

人間は自分のことだと客観的に物事を見ることが難しいけど、人のことだと簡単になります。誰かから悩み事の相談を受けたら、この方法が役に立つのではないかと思います。悩んでいる人がいると、非二元の教えを説きたくなるのですが、「私」はいないなんて話をしても嫌われるだけで何の役にもたちません。でも、この方法なら、十分に相手の役に立つと思います。そして、これは根本的には非二元の教えと同じことを教えています。

ホームページに参考になる動画がありますが、YouTubeにも参考になる動画があります。



これはなかなか良かったです。

ワークの実際の様子は、バイロン・ケイティのワーク 思考という刑務所 パート1から5までを見るとわかりやすいです。

バイロン・ケイティ(英語版Wikipediaなどを参考に補足)
Byron Kathleen Reid 1942年12月6日アメリカ生まれ 80歳。 「バイロン・ケイティのワーク」または単に「ワーク」として知られる自己探求法を教えるアメリカの講演者、作家。バイロン・ケイティ・インターナショナルの創設者。タイム誌は彼女を「21世紀のスピリチュアル・イノベーター」と評している。
1986年、43歳で3人の子供をもうけ、2番目の夫と不幸な結婚生活を送っていた彼女は、うつ病、広場恐怖症、過食に苦しみ、コデイン(薬)とアルコールで自己治療をしていたと言われている。保険会社に助けを求め、ロサンゼルスの女性カウンセリングセンター、ホープ・ハウスを紹介された。自宅で2週間自分を見つめ直した後、自分の考え方に啓示を受け、長年の信念の有害な影響に挑戦し、それを軽減する方法を生み出した。
自分の哲学について話し合う非公式な会合を開き始め、1990年代初頭には、より正式なワークショップを開催し始めた。ビジネス・セミナー、学校、病院、教会、刑務所など、世界中のあらゆる場所で「ワーク」を実践している。

2023/12/01

自分とは

私たちが自分であると思っている「自分」は、ひとつの思考にしかすぎない
                カリヤニ・ローリー(ザ・グレイテスト・シークレット


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