2025/02/20
Sailor Bob's Memorial Service 15th Feb 2025
2015年2月15日 セイラーボブ追悼式(抜粋、抄訳)
最初に一分間の黙とう。
カットの挨拶
最初にお断りしておきますが、ここにボブの遺品(帽子)がありますが、遺体はありません。すぐに会を催すことができなかったことを心からお詫びしますが、ボブは全体性であり、空だと言っていたので、それが彼の希望したことです。(会場笑い)
哀悼の詩の朗読(タス)
献歌(ジェーン)
タスとディーンによって、ボブの唯一の著書「BEYOND WORDS BEYONDE MIND」についての解説。
カットによるボブの生涯の説明。(スクリーン使用)
(画面)Dream Character Sailor Bob :1928.7.21~2025.2.06)
ボブという夢のキャラクターについて説明します。というのも、ボブという生(life)は空であり、生は死ぬことはないからです。彼は身体ではなく、愛です。彼に始まりはありませんが、彼の祖先(祖父母)は英国スコットランドの出身です。ボブの父ロバート・シンはガリポリ戦からの帰還兵でビーコンズフィールド(メルボルン郊外)に住み、そこでマリーと出会います。(14:25 ボブの両親の写真)
戦争の後二人は結婚し、一緒になり、(笑い)みなさんは現実をご存じですが、細胞間の命、精子と卵子が小さな胎児を創造し、ボブ生まれました。まだ何も知りません。(14:53 ボブが赤ちゃんの時の写真)
最初の10年は愛情に満ちたものでした。二人の姉、一人の弟、たくさんのいとこたちがいて、ビーコンズフィールにはたくさんのアダムソン姓今でもアダムソン通りなどの地名が残っていて、学校にはたくさんのアダムソンがいました。この写真(15:25)はボブ二歳の時、仔馬に乗っています。子供の頃は野生動物や鳥が好きでした。父親はとても忙しかったため、叔父であるアーサーが世話をして、木登り、野鳥の卵あつめ、ウサギ狩り、ボーイスカウト、ペットの訓練などをしました。
これはボブが生涯忘れることなく、九十代に何度も私に語った話ですが、彼が五歳の時のペット、ポッサム(16:01)です。彼はこの小さな生き物をとても愛していましたが、ある朝、一緒に寝ていて毛布の下で窒息死させてしまったのをみつけ、罪悪感、恥辱、苦痛を抱きました。その時の幼い子ども感覚が生涯彼を小動物に注意を向けさせました。一緒に歩いている時も溝を覗いて歩くのです。この写真(16:29)は彼が助けた小さな生き物が彼の足をよじ登る様子です。
州立学校3033(16:34)。彼は元気な子供で、教室の窓から外を眺めては、木登りに行くことを考えていました。偶然にも3033は我が家の前の路線なのですが、事故によってコースが変更になりました。
彼の十代。アーサー叔父さんと一緒に、さらに冒険的でした。不幸なことに酒へと導いかれ、愛国の道へと進みます。(17:10)これはダンデノン高等学校。彼はひどい生徒で、一年目に落第します。同じ学年をもう一回やった時には、怠け者だったにもかかわらず、クラス一番の優秀な生徒でした。
15歳の時に学校をやめて家族を助けて果物の収穫を手伝い、臨時雇いの仕事をしました。大恐慌の頃で大歓迎されました。それは脱走兵や犯罪者の世界で、彼らはボブに酒、たばこ、けんかを教えました。不運にもボブは酒を溺愛し、攻撃的で不満を抱く性格になりました。電報の配達などの仕事をしながら、年齢が来るのを待ち、17歳で海軍に入隊しました。
(18:23)駆逐艦アルンタ乗船契約の前に祖母を訪ねた写真。駆逐艦アルンタと12年間の乗船契約を結んだが、飲酒のため二年半後にクビになりました。クビになる前に銃や核兵器テストの訓練を受けていて、聴覚に障害を負います。それはかえって良いことをもたらし、彼の生涯の最後はとても楽なものとなりました。
でも、飲酒問題にも注意を向けなければいけません。次に何が起きたかを予想するのは容易なことです。次に起こったのは途方もないトラウマです。彼は日本からシドニーの精神病院の防音の独房(19:04)へと運ばれました。彼はどうしたらいいのか全くわからず、なぜ人々が彼を救おうとしているのかもわかりませんでした。
結局彼は、渡り歩く羊毛狩りの仕事を始め、他のたくさんの酔っ払いたちと国中を旅しました。アルコール中毒のせいで死の間近にいたこともあります。想像上の蜘蛛やドラゴンが彼を食べようとしている妄想にかられ、自ら銃口を口に突っ込んだ夜は、もっとも耐え難い夜でした。彼を支えたのは、オーストラリアの美しい詩でした。バンジョー・パターソン、ヘンリー・ローソンの詩をボブが引用するのを聞いたことがある人もいると思います。
最終的に彼は船乗りへと戻ります。(20:15身分証明書の写真)この笑顔を見てください。彼は酔っぱらっています。(一同笑い)おもしろい話があります。ムクラという船では、タンクで聖餐用ワインを運んでいました。三回ほど酔っ払いましたが、うまく逃げることができました。
彼がクビになったのはもう少しあとです。ある時、船が出航の時間になっても彼は現れませんでした。二時間後に現れた彼は、全身粘つく白砂糖まみれでした。積み荷の砂糖の上で寝ていたからです。船長は彼に船室に行って寝るように命じましたが、彼は反抗しました。
船にボルトで固定されていたテーブルをはぎ取って、船長を脅して追いまわしました。それで終わりです。解雇され、船の仕事にもどることはできませんでした。そうやって彼の二十代は終わりました。
三十代は禁酒と真実を求める精神世界の探求でした。クリスチャンとしていくつかの流派の洗礼を受け、またヨガを学びます。マヘッシ・マハリシを10年間師事し、SOHAM MT瞑想を紹介します。SOHAMの意味はI am thatです。
(22:33 VEGEMATEの写真)こえは余談ですが、彼はもう海には戻れなかったので、いろんな仕事をしましたが、その中の一つが醸造所の仕事でした。タンクの底に残る黒いものがVEGEMATE(ジャム)の工場へ送られます。彼はVEGEMATEが大好きで、信じられないかもしれませんが、最後に食べたのはVEGEMATEを塗ったトーストでした。彼はまたダム建設現場でも働きました。
彼は知人の助けを借りて、ふたたび海へと戻ります。三十代の終りに、彼のジムのインストラクターであるバーバラと出会います。これは最初のデートの写真(23:22)そして四十代。彼女がボブにとっては初めての彼女でした。二人の関係には紆余曲折がありました。バーバラには四人の子供がいて、ボブは探求を続けていたからです。ボブは落ち着きたいと思っていたため、船乗りとして賢明に働きましたが、あまりうまくいきませんでした。
彼女は離婚して四人の子供を抱え、金銭的にも困っていて、ボブは長年の飲酒からくる傲慢な性格に苦しんでいました。二人の関係は急速に悪化し、ボブはインドのムクタナンダのアシュラムへと向かいました。しかし、そこでの生活はあまりにもワイルドだったため、一か月しか持ちませんでした。インドから帰った同じ年、ボブはバーバラと結婚します。ボブが45歳、バーバラが40歳の時です。
最初の家をアイバンホに構えます。一年半は幸せに暮らしましたが、再びうまくいかず、ボブはまたインドへと向かいます(1976年)。今度はオーストラリアへ戻る予定はありませんでした。この時点で彼は真実の探求だけを目指していました。そして生は彼をニサルガダッタのもとへと連れていきました。彼との最初の出会いは1976年3月23日で、彼らは友人となります。
スピリチュアルの聖典にあるように、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。そのとおりとなって、バーバラは12か月後にインドにやってきました。二人はまたデートを始め、旅をしました。結婚生活は復活して、1977年、49歳の時オーストラリアへ戻りました。バーバラが航空券を送ったのです。
五十代はビジネスによる紆余曲折がありました。
一旦終了。続く。
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ボブの生涯の説明の部分だけでも今日掲載できるかなとやってみましたが、予想以上に時間がかかってしまって、最後までできませんでした。
英語字幕があるともっと早くできるのですが、今日の時点ではこのYouTubeには英語字幕がありません。おそらく、何日か後に英語字幕表示が可能になると思います。すぐにとはいきませんが、また日をあらためて、この続きを掲載したいと思います。
ボブの生涯の説明のあと、ボブをたたえる歌。そしてギルバート、ラメッシュなどのスピーチがあり、最後にカットが挨拶をします。
なんとも尻切れトンボで申し訳ありませんが、今日のところはここで終わらせていただきます。
2025/02/18
それはあなたの終わりではありません
私は、あなたではないものを指摘することはできます。
そしてあなたは、自分が肉体でもマインドでもないと気づきます。
またどんな観念でもありません。
それでも、生命の本質は依然として機能し続けています。
夜眠っているときにもそれが起こっているのがわかります。
そこには思考も感情もありません。
それでもあなたは消えません。
それはあなたの終わりではありません。
セイラーボブ
2025/02/16
ボブのメモリアルサービスの動画について
今のところ、メモリアルサービスの動画は発表されていません。
今日のミーティングで、「facebook上でメモリアルサービスのライブ動画を配信するという偽サイトがあるので、気をつけてください」という発表がありました。実は私もアクセスしようとしましたが、サイト上で警告が出てブロックされたので、アクセスしませんでした。
ボブのメモリアルサービスの動画は、近日中にボブのYouTubeチャンネルで配信されるようです。
2025/02/14
それが私たちのすべての問題の原因です
私は教育を非難しません。それもまた、その一つの本質が、この目覚めて見る夢の中で表現する方法なのです。私たちは教育によって役に立つことを学びます。
でも、このメッセージに関して言うなら、私たちが学んだことは言葉とラベルであり、それが何らかの独立した性質を持っているという信念です。それが私たちのすべての問題の原因であるということを認識する必要があります。
セイラーボブ
2025/02/11
2025/02/09
ボブは私たちの中で生き続ける
ボブが亡くなって三日目。早くもミーティングが再開されました。ミーティングを続けて、一人でも多くの人に教えを広めることがボブの願いだそうです。いつものように、たくさんの人がボブの家の居間に集まりました。(今日のミーティングYouTube)
およそ50年前、セイラーボブはニサルガダッタ・マハラジから教えを学び、それ以来、死の三日前までミーティングに出て人々を教え導き続け、たくさんの人々を心理的な苦しみから解放しました。私もその一人です。
ボブは亡くなりましたが、その教えは教えを受けた人々の中で生き続けています。多くの人が教えを受け継いで広めていくと思います。カリヤニも今日の午後、別の場所でミーティングを開催したはずです。ギルバートや他の人たちもメッセージを伝え続けることでしょう。微力ながら私もこのブログを通してボブのメッセージを伝えていきたいと思っています。
私にとって、ボブと過ごしたこの10年は、とても充実した日々でした。もはや新たな教えを求めて誰かを訪ね歩くことはないと思います。
ボブという一つの波が海へと帰っていきました。ボブも私たちも同じ一つの海です。ボブは私たちの中で生き続けています。
2025/02/06
セイラーボブが亡くなりました
セイラーボブが自宅で安らかに息を引き取りました。
(facebookにて午前2時半ごろ発表)
追記
ミーティングはボブの希望により今までどおり続けるそうです。
追記(facebookより google翻訳)
オーストラリアのメルボルンにいらっしゃる方、またはお越しになる予定の方:
公式追悼式は、2月15日午後2時にボックスヒルRLSで行われます。フィンガーフードと軽食、短いスピーチと歌がいくつか用意されます。出席できない方のために、要約ビデオを用意する予定です。ライブストリームやズームは予定していません。
2025/02/05
今日のボブ
facebookより(google翻訳)
ボブは過去 15 時間、ほとんど意識不明の状態でした。緩和ケア チームによると、今後も意識不明の状態が続く可能性があるとのことです。ボブはあらゆる手段を講じて快適に過ごしており、私たちはこの状況を乗り越えるのに最適な国にいます。ケアは本当にこの世のものとは思えないほど素晴らしく、感謝の涙とさまざまな涙が混ざり合いました...
生命は決して死なないが、その姿は完璧をはるかに超えています...
2025/02/04
探求は自然に止まります
質問者: でも、「よし、これで終わりだ。探求をやめよう」と言うことはできません。なぜなら、多くの人はもう自分は探求をしていないと思っていても、実際には自分を欺いて探求を続けているからです。
ボブ: ええ。もし「探求をやめよう」と思っているなら、彼らは間違った見方をしているのです。探求をしている人は誰か見てください。探求者が誰なのかを見つけてください。
探求者が誤った信念であることがわかったら、探求者がいないのに何を探すのでしょうか? 探求は自然に止まります。
質問者: そして、意識(awareness)が物語を展開させなければ、探求者はそこにいるはずがありません。
ボブ: そのとおりです。
セイラーボブ
2025/01/31
エンライトメントというものは、あるのでしょうか?
質問者: ボブ、エンライトメントというものは、あるのでしょうか?
ボブ: そうですね、「エンライトメント」とは、エンライトメントをしなければならない誰かがいる、何かを手に入れなければならない、何かすべきことがある、ということを意味します。
でも、いいですか。そもそもそれをする誰かがいるという考えが生まれると、分離した存在がいると信じるようになります。それが二元論です。
また、将来自分が何かになるという信念が生まれます。これもまた、遍在性から遠ざかり、何かまたは誰かがそれを自分に与えてくれるという信念が生まれます。これもまた、自分が全知、全能、遍在であるという考えから遠ざかります。
あなたは全体性です。
つまり、エンライトメントは、いわゆる探求者に探求を続けさせる誤った信念です。
そして、いわゆる探求者が存在する限り、探求は続くでしょう。探求者が発見者になることは決してありません。
セイラーボブ
2025/01/28
誰かの教えを理解するという事
非二元を理解するのは難しくないと、このブログで何度も書いたのですが、少し後悔しています。というのも、たどり着いてしまえば決して難しくはなかったのですが、とても長い時間がかかったからです。私の場合、セーラーボブの本を読んでから5年かかりました。
最終的に理解するまでに何をやったかちょっと書いてみます。ボブに会うまでに、「ただそれだけ」を7回読みました。ボブに会ってからはミーティングに60回以上出て、個人面接も受けました。ボブを始め、周りの参加者にあれこれとわからない点を尋ねました。
わかったつもりで日本に帰ったのですが、疑念や不確かなところが出てきたため、1年後にもう一度ボブに会いに行きました。今度こそわかったぞと思って帰ってきたのですが、また揺れ戻しが起こり、不確かな部分が出てきました。
それからはボブのYouTubeを何十本も見ました。ボブに関連する本で入手可能なものは全部読みました。参加者のFacebookをあれこれと読みました。そしてやっとボブの教えの全体を理解することができました。
ボブに会った直後に、言葉の上ではボブが何を言っているかは理解できました。でもそれがちゃんと腑に落ちて、体感として理解できるまでにはすごく時間がかかりました。頭で理解するのと、体感として心底理解するのは違うと思います。
もし誰かの教えの全体を明確に理解しようとするなら、本を何冊か読んだり、YouTubeをいくつか見るだけでは理解できないのではないかと思います。やはり一番良い方法は、その人に会って教えを乞うことだと思います。そうしてやっと理解できるのではないかと思います。
非二元の教えを言葉の上で理解するのはそれほど難しいことではないと思います。でも「私は実在しない」「何も起こっていない」「万物は一つのもの」「空間のような意識」。こうした言葉を体感としてちゃんと理解するには、やはりそれなりの時間がかかるのではないかと思います。また、非二元にたどり着くまでの年月を合わせるならば、私の場合は20年以上かかっています。
私がこのブログに取り上げた非二元の教師たちも皆、同じように長い年月をかけてたどり着いた人たちです。セイラーボブ、カリヤニ、ロンダ・バーン、ルパート・スパイラなどなど。こうした人たちは皆、長い年月をかけて師について学んだ人たちです。
大切な事は、もう何の疑念もないと言う段階に到達するまで、非二元の教えを離れないことだと思います。頭でわかっただけでは、深い理解にはならないのではないでしょうか。
なすべきことは、理解が確実なものとなるまで非二元を離れないで、良質な非二元の本を読み、気が済むまで自分で確かめることではないでしょうか。表面的な理解、単なる知識としての理解では、何の役にも立たないばかりか、かえって害になるような気さえします。
2025/01/24
マインドの中に平和はありません
ボブ:マインドの中のおしゃべりがすべて静まれば、そのときは平和が訪れます。あなたは決して「マインドの平和」を得ることはないでしょう。マインドには分裂する性質があるため、分裂し続けます。マインドの中に平和はありません。マインドがないときこそ平和です。だからこそ、いにしえの人はそれを「理解を超えた平和」と呼んでいました。それは概念や思考では理解も把握もできません。しかし、概念や思考がなければ、そこには自然な平和があります。
質問者:そして、概念が再び現れ始めたとき、それは自分ではないとわかるので、心を静止させる必要はありません。多くの人はマインドを止めなければならないと考えるかもしれないのですが。
ボブ:ええ、根底にある平和は常にそこにあります。
セイラーボブ
2025/01/21
マインドの中以外に探すところはありますか?
何年その答えを探し続けていますか? 何年解決しようとしてきましか?
命、あるいは生に対する答えをあなたが見つけることはありません。なぜなら、それはあなたが理解できるようなことではなく、見つけて心の片隅にしまっておけるようなことではないからです。
この自己の中心は、マインドの中の実体のないイメージ、考えにすぎないとわかります。
マインドの中に答えはありません。
マインドの中以外に探すところはありますか?
セイラーボブ
2025/01/17
何も失われはしない
質問者: 「何も失われはしない」とはどういう意味ですか?
ボブ: ええ、生のエッセンスが身体に生気を与えなくなっても何も失われません。
パターンは崩壊します。でも、何も生まれてはいなかったので、何も死にはしません。
それは依然として同じ知性エネルギーです。
何も加えられることはなく、何も取り除かれもしません。
それには時間も空間も肉体もなく、いつ、どこで、どのように、生まれ、死ぬ、そうしたことすべてを超えています。
それらはすべてその内容物にすぎないのです。
私たちが概念化し、名前を付けることができるものはすべて、本当のあなたであるエッセンスの中に含まれています。
すべての顕現が空間に含まれているのと同じように。
セイラーボブ
2025/01/14
この世界は、何もないのです
ボブ:夢から目覚めると、夢はどうなりますか?
質問者:何もなかったかのように、消えてしまいます。
ボブ:そこには何もありませんでした。
質問者:建物や山、その他いろいろなものがありました。
ボブ:ええ、そう見えましたよね? 本当にとてもリアルに見えました。特に悪夢の場合は現実のように見えます。でも目覚めると、すべてが消えて何もないのです。
質問者:ええ、そして私が眠りに落ちるとき、この世界は消えて何もないのです。
ボブ:そのとおりです。
セイラーボブ
2025/01/10
すべて空間のような意識なのです
人々はそれが戻ってきたと言います。しかし、そこに存在しなかったものがどうして戻れるのでしょうか?
もしそれを見抜き、そもそもそれがフィクションであり、実体も独立した性質も持たなかったことを本当に見抜いたなら、それが戻ってくるでしょうか?
それが認識する空以外のものであったことなどなかったのです。その知る働きがあなたであり、それが今、宇宙の中で、木々、星、銀河、全体として表現し、パターン化し、それらとして現れていますが、それは本質的に何ですか?
それでもそれはすべて空間に含まれています。それはすべて空間のような意識なのです。
セイラーボブ
2025/01/09
今日のセイラーボブ
facebookより(google翻訳)
ボブの状況の最新情報、寄せられた質問にまとめてお答えします。
彼は現在、注射用モルヒネを服用しており、皮膚パッチや経口薬に比べて、痛みのコントロールが全般的に安定しています。
彼は愛され、幸せですが、エネルギーレベルは日によって、時間によって変化します。食欲がなくなったため、彼の一番好きなおやつでさえも、もう誘惑されません。食事代替品もしばしば拒否されますが、少量の食事、スナック、ジュース、ゼリーで十分なカロリーを摂取しています。
ボブ・アダムソンは今でもズームグループを楽しんでおり、私の1対1の通話を聞くのが大好きです。私たちは彼の好きな音楽やテレビ番組を流し、彼の好きな聖書を声に出して読み、たくさん抱きしめ合います。
イースタン緩和ケアチーム、私たちのGP、その他のサービス提供者からの医療と支援は素晴らしく、私たちは毎日それに深く感謝しています。
そして、タニヤの存在と素晴らしい助けにより、この一見すると楽な旅の部分がかなり楽で軽いものになりました。愛の存在が中心テーマです。そして、ありのままの姿。未来も過去もなく、予測も苦しみもありません。ボブはまたしても平均寿命を超えて生きてしまったので、もう予測はできません 😉。
2025/01/07
久しぶりに精神世界のコーナーへ
正月に名古屋栄の丸善本店へ行ったら、もともと6フロアーあった本のフロアーが4フロアーに縮小され、2フロアーは駿河屋というホビーショップになっていた。最近は精神世界のコーナーへは行っていなかったが、まだあるのか気になって行ってみた。場所は変わっていたが、まだあった。
セイラーボブの「ただそれだけ」が棚から消えたのはずいぶん前のこと。今はどんな非二元の本が並んでいるのかと見て驚いた。古閑博丈さんの本も高木悠鼓さんの本も並んでいない。引き寄せ本やチャネリング関連本はまだたくさん並んでいるのに、私が知っているような非二元の本が棚にない。非二元の本のピークはもう過ぎてしまったのだろうか? 非二元の本はすぐに絶版になってしまうし、古閑さんが最近は非二元の本を出されていないせいもあるのかもしれない。
AMAZONのサイトで「非二元」で検索すると、日本人によって書かれた非二元の本がたくさん出てくる。そうした本は立ち読み程度でしか読んだことはない。でも、AMAZONのサイトのコメントや、著者のサイトからでもある程度の内容の推察はできる。一言だけ言わせてもらうと、「非二元」という言葉はもともと日本語にはなかったはず。おそらく、この20年ほどの間に英語の non-duality という言葉を「非二元」と翻訳したものが広まったと思われる。
インド哲学を研究していた人たちは、「非二元」という言葉ではなく、「不二一元論」という言葉を使っていたはずなので、それまで日本では「非二元」、あるいはノンデュアリティという言葉は広まっていなかったと思われる。
だとすると、日本で非二元の本を書いている人たちは、「非二元」という言葉をどこかから仕入れて使っているはず。それならば、その言葉の定義や、それをどこから仕入れたのかを明示すべきだと思うが、そのあたりのことをはっきりと語っている人は少ないように思う。ある日突然一瞥体験をして、非二元の体験をしたと言うなら、なぜそれが非二元の体験と言えるのかを明示すべきではないでしょうか?
例えば、「私の体験はトニー・パーソンズの書いている体験そのものだった」あるいは、「私の体得したことはジョーン・トリフソンの言っていることと同じだ」というような感じで。もし誰からも非二元を学んでいないと言うならば、「非二元」という言葉をその人が発明したことになるが、そんなことがあるでしょうか?
私がこのブログで取り上げた非二元の教師の多くは、自分が誰から非二元を学んだかをはっきりと書いています。そうすることで、教えに対する信頼性が高まるし、読み手は他に何を読んだらいいのかがわかります。
非二元という言葉の定義づけをはっきりしないまま、非二元について語っている本やサイトが多すぎるような気がします。どう考えても非二元論ではないのに、「私はいない」と言えば非二元としてまかり通ると思っている人もいる。
良質な非二元の本が書店の棚から次々と消えて、「私はいない」というフレーズをごり押しする類の本が増えていくのは悲しい気がします。もちろん、日本の方で良質な非二元の本を書いてみえる方もみえると思いますし、正しい非二元を教えてみえる方もみえると思います。
でも、今どきは「誰でも非二元教師」の状態で、非二元の本質が理解されないまま、単なる悩み事の相談窓口として広がっているような気がします。非二元を理解すること自体はそれほど難しくはないが、誰もが教師になれるほど簡単でもないし、なっていいわけでもない。真の非二元の教師とは、長い探求の末にやっと本物の非二元の教師と出会い、師の下で教えを学んで手に入れた人たち。理解の深さが全く違う。
彼らの説明には深みと知性があり、人に対する愛情と洞察にあふれている。真の非二元の教師の資質を持つ人は稀有な存在。ちょっと本をかじって毎回オウムのようにコピーした文句を繰り返すだけの人たちが、真の非二元の教師たりえるはずがない。
2025/01/03
それは空間以外の何ものでもなく、何もないものなのです
あなたが「私」と呼んでいる体とマインドは、すべての顕現と同じように空間に含まれています。
空間は空(くう)ですが、何の形もなく、周囲も中心もありません。そして、空間に現れる内容物は、(何もないところからは何も生まれないように)何かとなって現れているように見えても、その本質は何もないものなのです。
あなたは空間の内容物です。それがあなたというパターンとなって現れているのです。
つまり、それは空間以外の何ものでもなく、何もないものなのです。
セイラーボブ