質問者: わかりました。でも、「絵」や「手」というラベルは、それほど問題ではありません。「私は在る」というラベルが問題なのです。それが問題となるのはどんな時でしょうか?
ボブ: 「私は在る」が何か実体のあるものだと信じている時です。あなたが自分自身だと信じている想像上の存在には実体がありません。
質問者: 私はラベルを現実のものとして受け取ってしまいます。それが問題なのですね。
質問者: 私たちは「私は在る」は無害だと言います。「私」という言葉自体は無害なのです。言葉は私たちがそれに付け加えたものです。私たちは、「私は在る」に出来事や記憶や経験などを付け加えます。すると、一見問題があるように見えます。でも、誰にとって? 誰が問題を抱えているのでしょうか?
ボブ: 私たちは物事に様々なラベルを貼ります。どんな視点から見ているかに関わらず。ある人にとってあなたは兄弟かもしれません。ある人にとっては夫かもしれません。ある人にとっては叔父や友人かもしれません。特定のパターン、形、形態に、様々なラベルを貼り、「あなた」と呼ぶのです。金塊を手に入れて、それを彫ってブレスレットや飾りやイヤリングにします。何か違うものに。でもそれはただの金なのです。私たちはそれを様々なラベルで呼ぶとき、そのラベルが何か違うものだと思い込んでいます。そうではないのです。それは一つの本質なのです。