非二元ではよく「自由意志はない」という言葉を耳にしますが、その意味は自由意志を持つ主体としての「私」は実在しないという意味です。でも、多くの人がこれを誤解していて、自由意志がないのだから何をやっても無駄だとか、結果はもう決まっているというふうに解釈している人がいます。
そうではないのです。そもそも、自由意志を持つ「私」が存在しないのです。そういう意味で自由意志はないのです。私たちの行為や努力は起こってくるものであり、その行為や努力は無駄ではありません。うまくいく場合もあればうまくいかない場合もある。そんなの当たり前のことです。
自由意志がなければ、自販機でコーラを買うこともできなければ、ブログを書くこともできません。そういう意味で言うなら自由意志はあります。でも、その自由意志の主体の「私」は実在ではない。コーラを買おうという気持ちも、ブログを書くという行為も、自然に起こっているということです。
私たちは、「私」が実在であると思い込んでいるために、「私」が選択していると思い込んでいます。でも、選択をしているように見える「私」は実在ではないのです。だったら何を悩む必要があるでしょうか。勇気を出して起こるがままに任せて、やりたいことをやってみたらどうでしょうか。
自由意志を持っている「私」も自由意志を持たない「私」も実在しません。自由意志の有無を論じること自体が間違いなのです。