盤珪の説く般若心経がすばらしい。仏教は非二元の教えだということがはっきりとわかります。このシリーズ(盤珪禅師の ”般若心経” 講義を読む)は、臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師によって月一、二回のペースで現在も進行中です。
【盤珪禅師の ”般若心経” 講義を読む】第1回 (2022年3月)
盤珪の説く般若心経がすばらしい。仏教は非二元の教えだということがはっきりとわかります。このシリーズ(盤珪禅師の ”般若心経” 講義を読む)は、臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師によって月一、二回のペースで現在も進行中です。
【盤珪禅師の ”般若心経” 講義を読む】第1回 (2022年3月)
二十年以上前、魚柄仁之助さんの食生活を見習っていた時期があった。乾物を使ったり、炊飯器でお米と一緒に根菜を蒸したりしていた。健康にはいいとわかっていたが、そのうち面倒になり、いつしか出来合いの惣菜で済ませるようになった。そして糖質制限をやり、あれこれと試してみたが、結局糖質制限もやめた。今は朝晩一日二食で、地中海食に近い食事をとっている。ただ、朝晩二食だと、痩せてしまう。かといって毎回の食事の量を増やすと、毎回お腹いっぱいで、食後に睡魔に襲われる。そこで、もう一度魚柄さんの本を読んで、その良いところを真似てみようと思った。
食のリテラシー 魚柄仁之助
世間一般にあふれている食情報を鵜呑みにしてはいけない。トクホだからいいとか、ネットで評判だからというのはアテにならない。食べるものは、偏らず多品目を少量づつ食べるのが良い。出来合いの惣菜には、たっぷりと添加物が入っているので、なるべく自分で調理して食べる。ということが主な内容。
私などは、「○○がいい」と聞くと、すぐにそれを鵜呑みにして、同じものばかり食べる傾向がある。糖質制限などはその良い例で、毎日豚肉ばかりを食べていた。詳しく調べてみると、肉ばかり食べていると腸内環境が悪化し、大腸がんの発癌リスクが高まるそうだとわかり、止めてしまった。肉ではなく、大豆製品ばかり食べていた時期もあったが、それも度をこ越すと、様々な弊害があると知ってやめてしまった。
結局は、「多品目を少量づつ食べる」のがいいらしい。米や糖質を食べると血糖値は上がるかもしれないが、腸内環境にはいい。玄米が体に良いといっても、何回も咬むのはストレス(私の場合)。要はバランスの問題。それと、魚柄さんの本でさえも鵜呑みにせずに、自分の頭で考えることが大切。
病気を寄せ付けない腸寿食 藤田紘一郎/魚柄仁之助
医学博士の藤田紘一郎が考える健康的な食生活について述べ、それをどう実践してくかを魚柄さんが説明した本。藤田さんは、人間は百歳まで元気で生きることが可能で、その基本は腸を健康に保つことだという。
p28から
「腸寿食」十カ条(藤田紘一郎)
①野菜をたくさん食べる
②発酵食品をたくさん食べる
③たまに肉を食べる
④オメガ3系脂肪酸を摂る
⑤精製された炭水化物を控える
⑥加工食品は極力避ける
⑦水道水はそのまま飲まない
⑧よくかんで食べる
⑨朝食は必ず食べる
⑩気持ちのいい運動をする
これに対して魚柄さんは、根菜や野菜の調理法を説明。オメガ3系脂肪酸は、実際に魚を食べることで摂取するとして、魚の調理法を解説。玄米を食べなくても工夫次第でビタミンBは十分に摂れること。水道水は一晩汲み置きすれば塩素を除去できることなどを説明。
参考になることいっぱい。藤田さんは、残念ながら2021年に誤嚥性肺炎のため、81歳で亡くなっている。魚柄さんは今のところ元気の様子。
うおつか流食生活かくめい 魚柄仁之助
52ページのわたるイラストで、料理のやり方が描いてあり、わかりやすい。あとは料理にまつわるエッセイが中心。一番参考になったのが、理想的な食のピラミッド。肉、乳製品、油脂は少なく。果物、軽量野菜、魚介類、海藻は中くらいの量。重量野菜、豆類、穀物類、種実類は多く。私の食生活はまったく逆。肉や油脂が多く、重量野菜はほとんど食べていない。人参やかぼちゃをもっと食べた方がいいかも。肉は毎日食べなくてもいいみたい。
めしのチカラ 魚柄仁之助
雑穀入りご飯の炊き方、野菜の取り方、魚のさばき方など参考になることいっぱい。ただ、自分でやるのはちょっと面倒かなあ。さっそく野菜の瓶漬けを作ってみた。しばらく人参ばかり食べることになる。
うおつか流 食べつくす! 魚柄仁之助
料理にまつわるエッセイ集。きゅうりの調理法、サラダチキンの作り方、大豆マヨネーズの作り方、保温調理の仕方など。ちょっと自分でやるにはマニアックすぎて面倒かも。
うおつか流台所リストラ術 ひとりひと月9000円 魚柄仁之助
魚柄さんが有名になったもともとの本。でも、今の時代にひと月9000円ではとても無理。魚柄さんは乾物を多用する。貝柱やクコの実、干しエビなどは地方のスーパーでも手に入るが、高い。築地場外市場があってこそできること。せいぜい切り干し大根ぐらいは真似できる。料理法や野菜の保存方法は真似できることがいっぱい。大いに参考になる。
もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓 稲垣えみ子
料理法にまつわるエッセイ集。一汁一菜と玄米ごはんの毎日。味付けは塩・味噌・醤油。味噌汁は、干し野菜を煮た具に碗の中で味噌を足すだけ。だしは干し野菜から出るので十分においしいという。干し野菜は真似してみることにして、アマゾンで野菜干しネットを買ってやってみた。魚柄さんのように、ちゃんとした味やバリエーションを求めないなら、稲垣さんの方法の方が手っ取り早い。
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師が、YouTubeで盤珪の教えを、「盤珪禅師語録」として講議してみえます。横田南嶺老師は、円覚寺の管長であると同時に、花園大学の総長でもあります。
教材となっているのは、「盤珪佛智弘濟禪師御示聞書」です。盤珪禅師語録 (岩波文庫 青 313-1) の中にも同じ題名のものが収録されていますが、このYouTubeで教材として使われているのは、宝暦八年(1758年)に出された木版本です。(岩波文庫版も解説の参考にされていると言ってみえました)
岩波文庫のものは、古い漢字や非常用漢字が使ってあります。読めないことはないのですが、漢字を推測して読む部分も多く、時々意味がわからないところもあります。でも、南嶺老師のYouTubeでは、そういうストレスはありません。
わかりやすい現代語で解説してくださっています。これがとてもわかりやすい。解説のわかりやすさはもちろんですが、それに付随した説話が非常にためになる。盤珪の経歴年表や、人となりも詳しく説明してみえます。このシリーズは、月一回の割合で更新された全26回のシリーズです。(臨済宗大本山 円覚寺公式チャンネル盤珪禅師語録)。
私は仏教のことを学び始めて、佐々木閑先生のファンになって、更新されるYouTubeを欠かさず見ていますが、横田南嶺老師のファンにもなって、更新されるYouTubeを見ています。非二元の教えはすばらしいと思うのですが、その説明の深みという点では仏教にはかないません。盤珪を学ぶことは禅を学ぶことであり、非二元を学ぶことだと思っています。ぜひとも、南嶺老師のYouTubeで学んでください。
そこで今回は、南嶺老師の YouTube の最初の三回について、語録の部分のみ、どんな風に解説してみえるのか、老師の説明を私がさらに要約したものをここに掲載させていただきます。これはあくまで紹介のためのものであり、YouTubeを実際に見ていただくことが大切です。盤珪禅師は、同じことを何度も繰り返し説いています。そして、それを繰り返し読むことが大切だと南嶺老師は説いてみえます。
***
【盤珪禅師語録】第1回(2020年1月)
ある僧がきて質問をした。私は生まれつき短気で、師匠から、短気を直すように言われておりますが、直りません。私もこれはよくないと思い、直そうとしていますが、生まれつきなので直りません。どうしたら直るのでしょうか。盤珪禅師の教えによって、これを直したいのです。もし、直して国に帰ることができれば、師匠にも、世間にも顔向けができます。どうぞよろしくお願いいたします。
すると盤珪は言った。「あなたは、おもしろいものを持って生まれたな。今もここに短気を持ってござるか? 持っているのなら、出してみなさい、直してあげよう」僧は答えた。「今はありません。何かの拍子に短気が出ます」
盤珪は言った。「そうであるなら、短期は生まれつきではない。何かをしたときのきっかけによって、あなたが作るのだ。何かあっても、あなたが短気を出さなければ短気はありはしない。あなたが、わが身かわいさから腹を立てておきながら、それを生まれつきというのは何ごとか。そんなことをするのは、親に無理難題を言う親不幸者である。誰しも、親が生みつけたのは仏心ひとつである。
親はそれ以外のものは何も生みつけてはいない。一切の迷いは、自分かわいさから生まれたものなのに、それを生まれつきと言うのは愚かである。自分自身が短気を出さなければ、どこに短気があるというのか。一切の迷いも同じことで、自分が迷わなければ、迷いなどない。それを勘違いして、生まれつきでないものを、我欲で迷って、短気の習慣をつけ、自分で短気を出しておきながら、それを生まれつきと思い込んでしまい、どんなことに対しても迷わずにいるということができないでいる。迷いの方が仏心よりも尊いなら、迷いと仏心を交換してしまうことがあるかもしれない。
しかし、みんなが、仏心が尊いとわかれば、迷いたくても迷うことはない。迷わぬことが仏であり、迷わないことが悟りであり、他には仏になる方法はない。私が言うことを近くにきてよく聞いて理解しなさい。あなたが短気を起こすというのは、誰かがあなたの気にくわぬことを言ったり、したりした時に、自分の思いどおりにならずに短気を起こすことだ。その短気が生まれつきでどうしょうもないと言うのは、親が産み付けもしないものを親のせいにする親不孝者である。生まれつきなら、短期は今もあるはずだが、生まれつきではないから、今はないのだ。あなたの短気は、体と心に対して向けられたものに対して、わが身かわいさのために、自分で短気を起こしているのだ。」
熊谷守一が描いた猫だけを集めた画集。日本画や素描などもあり、短い言葉が添えられている。守一は猫や鳥が好きで、特に猫は何匹も飼っていて、人から、「子供も養えないのに猫をそんなに飼って」と咎められたと書いています。
猫と一緒に昼寝している写真がよかった。中に一匹目の見えない猫がいて、その猫を特にかわいがっていたそうです。目をつむってだらんとしている絵のあの猫は目が見えない猫のようです。
印象に残った言葉。
猫に比べて犬は人に気をつかうのでそれほどすきではありません。
アフロえみ子の四季の食卓 稲垣えみ子
冷蔵庫も電子レンジも持たず、カセットコンロと鍋だけで毎日自炊するって、どんな風にやっているのか興味が湧いて読んでみた。主食は玄米。一汁一菜が基本。干し野菜とぬか漬けを使ったアレンジ料理が多い。
疑問に思った点は、肉をほとんど食べていない。本では一回も出てこなかった。魚もごくたまに干物や小魚が出てくるだけ。要するに、玄米と干し野菜と漬物ばっかり食べている。きのこや大豆製品は出てくるが、きのこや大豆のたんぱく質では量的に十分とはいえない。これで健康が維持できるのだろうか。それと、写真で見るかぎりでは、量的に十分とは言えず、発育期の子供や働きざかりの男性では足りない。
私は以前糖質制限を徹底的にやり、炭水化物はほとんど取らずに肉と魚、野菜、大豆製品を中心に食べる生活を二年やったが、腸環境が悪くなり、肝機能の数字が悪化したので、結局やめてしまった。今では毎日お米を食べているが、それでも肉も毎日100gずつ食べていて、いわゆる地中海式に近い食生活をしている(ただし、白米は食べる)。
この本を読んで、肉はそれほど食べなくてもいいのではと思うようになった。ただ、私の場合、それほど頻繁にスーパーに行っておらず、10日に一回ぐらいまとめ買いして冷蔵庫に入れておくやり方をしているので、干し野菜やぬか漬けを使うやり方には馴染まない。近所に毎日いけるようなお店がある人向けといえる。干し野菜とぬか漬けは楽しそうなのでやってみたいが、面倒な気もする。納豆と豆腐、ヨーグルトは毎日食べるので、冷蔵庫は手放せない。メニューに触発されて、いくつか作ってみました。
魂の退社 稲垣えみ子
稲垣さんが朝日新聞を五十歳で辞めた理由は、そのまま会社に留まると、お金に支配されて、ずっと会社どっぷりで生きることになり、それが本当に幸せかどいうか疑問を感じたからだという。
本の紹介のためにちょっと引用させてもらいます。p13から
あえて一言で言えば、私はもう「おいしい」ことから逃げ出したくなったのだ。
「おいしい」というのは、実は恐ろしいことでもある。例えばおいしい食べ物、寿司やステーキやケーキを毎日食べ続けていたらどうなるか。確実に健康を害して早死にするであろう。しかし、いったんこういうおいしい食べ物にはまってしまうと、なかなかそこから抜け出せなくなる。
なぜなら、大きい幸せは小さな幸せを見えなくするからだ。知らずしらずのうちに、大きい幸せじゃなければ幸せを感じられない身体になってしまう。
仕事も同じである。高い給料、恵まれた立場に慣れきってしまうと、そこから離れることがどんどん難しくなる。そればかりか「もっともっと」と要求し、さらに恐ろしいのは、その境遇が少しでも損なわれることに恐怖や怒りを覚え始める。その結果どうなるか。自由な精神はどんどん失われ、恐怖と不安に人生を支配されかねない。
私も退社した経験があるので、著者の気持ちがよくわかる。日本人はある種の催眠にかかっていて、人間はずっと会社で働くものだと思い込んでいる。でも、会社で働かないという選択肢はあってしかるべきだと思う。
私が子供の頃は、何で食っているのかわからない大人がたくさんいた。建て前をやると、何を仕事にしているのかよくわからない大人が大勢集まってきて、そういう人の方が建て前では有能な人たちだった。農業や大工や自営業で食っている人が大勢いた。でも、現代では、国民年金に頼る自営業者は、会社勤めの半分以下の年金しかもらえず、かなり厳しい老後が待っている。社会が自営業の人を締め出してしまったからだ。
会社で働かないという選択肢はありだと思う。もっと言うなら、働かないという選択肢もありだと思う。この本を読んで、何のために働くのか、あらためて考えさせられた。人間が幸せでいるためには、それほど多くのものを必要としているわけではないこと、むしろ少なければ少ないほど幸せでいられるということを教えてくれる。ある意味、これは清貧の思想に繋がる考え方だと思います。どうでもいいことですが、彼女のアフロヘアは、わざわざパーマをかけてやっていると知った。そりゃあ目立つだろうし、それだけで興味の湧く対象になる。
人生はどこでもドア 稲垣えみ子
著者はふとしたきっかけで、リヨンに二週間滞在することになり、そこで観光はせず、日本とまったく同じように生活することを思い立つ。フランス語はできないので、会話もままならないが、そこで街の人とふれあいながら、日本と同じ生活を試みる。
日本と同じ生活とは何かというと、朝起きてヨガをやり、行きつけのカフェへ行って原稿を書き、八百屋のおじさんや酒屋のおじさんと仲良くすること。宿はAir b&bで探し、マルシェ(露店の市)の近くのアパートみつけ、そこで少しづつ人間関係を築こうと奮闘する。
フランス語ができないので、それほど親しくはなれないが、少しづつ少しづつ親しくなっていく。二週間の滞在なので、それほど大きな成果は上がらないが、最後には自分なりに満足のいく成果をあげておわる。
これをリヨンの旅行記として読んでも、まったく面白くない。特別おもしろいような出来事があるわけではなく、毎日カフェへ行き、八百屋や酒屋をあちこちうろつくだけである。でも、彼女が今日本で住んでいる街の様子がよくわかる。行きつけのカフェや銭湯、八百屋や酒屋と親しくなり、たくさんの友人や知人の中で生きている様子や、どうやって親しくなって居場所を築いていったのかがわかる。
幸せとは、そうした小さなことの積み重ねなのかもしれない。一つ気になったのは、彼女は歯磨きの時、歯磨き粉を使わないという。そんなのあり?私も真似してみようかしら。
一人飲みで生きて行く 稲垣えみ子
一人で見知らぬ居酒屋にふらりと入って、そこでどうやって居心地のよい居場所をみつけるかという指南書。著者は居酒屋で一人飲みすることで、店主や常連客と親しくなり、そこで居心地よく暮らしているという。
私は今ではまったく酒を飲まないが、以前は家でも外でもよく飲んだ。でも、一人で居酒屋へ行くというタイプではなかった。一人で居酒屋へ行って、そこの人と仲良くなって、気持ちよく飲めれば楽しいだろうなあと思う。これはまあ、居酒屋に限らず、近所づきあいだったり、ちょっとした人とお近づきになった時に、どういうふうに振る舞うと良いかの指南書でもあると思う。大いに参考になった。稲垣さんは、どこに行っても楽しく生きていく術を心得ているのだと思う。
アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。 稲垣えみ子
この本は著者が朝日新聞社の在籍した最後の三年間に書いたコラムを中心に再録したもの。著者はもと朝日新聞の論説委員であり、社説を担当していたことからもわかるとおり、社を代表する記者だったことがわかる。コラムもすばらしい。
コラムで自分の意見を言うだけでなく、それを実行していく。建て前でなく、本音を言う以上、そこに裏表があってはいけないと考える。原発問題を考えれば、自分も電気を大量消費した加害者ではないかと考え、節電を実行し、ついには冷蔵庫まで捨ててしまう。なんともすばらしい。そして、生きていくにはそれほどたくさんのお金は要らないと考え、会社を辞める。お金ではなく、人とのつながりによって幸せになれるのだと、それを実行する。見習いたい。
俳句がどんどん湧いてくる100の発想法 ひらのこぼ
俳句がうまくなる100の発想法 ひらのこぼ
句集 存在と時間 角川春樹
すべて音読用。音読すれば、そのうち上手になるかと思っているが、道は遠そう。
盤珪の言っていることは、読めば読むほどセイラーボブの言っていることに似ている。できるだけたくさんの言葉を紹介したいと思います。
盤珪は、難しい漢文の説明や公案を題材にして話すことはせず、庶民が聞いてわかる平易な言葉で説法したそうです。ところが、江戸時代初期の人たちにとってはわかりやすい言葉だったかもしれませんが、今の私が読んで、すらすら読めるというしろものではない。常用漢字ではない漢字がたくさんあるし、今の話言葉とも違い、スラスラとは読めない。
それでは現代語で書かれたものはどうかというと、著作権の関係があって、それほどたくさんは載せられない。
私が目にした中では、盤珪禅師逸話選 が現代語で書かれていて読みやすかったです。示唆に富む逸話や一節がたくさん載っていて良い本だと思います。
全部転載したいと思うほどですが、それはできないので、興味のある方は買うか、図書館で借りて読んでください。今回は本の紹介ということでお許しをいただいて、ほんの少しだけ転載させていただきます。
***
p208
妄念は起こるに任せなさい
ある人が、盤珪さんに問うた。
「起こる妄念を払えば、またあとから起こり、次々と続いて、止むことがございません。この妄念をいかように収めればよろしいでしょうか」
盤珪さん、答えて曰く、
「起こる妄念を払うということは、血で血を洗うようなものだ。始めの血は落ちても、洗った血でまた汚れる。いつまで洗っても、汚れは除かれぬ。人々は、人の心はもともと不生不滅で、迷いなどとういものは初めからないのだということを知らぬ。妄念をあるものと思い、生死を流転するのだ。念は仮相なりと知って、取らず嫌わず、起こるがまま、止むがままにすることだ。念とは、たとえば鏡に映る影のようなもの。鏡はものを映すが、鏡の中に影を留はせぬ。仏心は、鏡よりも万倍も明らかで、しかも霊妙なものであるから、一切の念は、その光の内に消えて、跡かたもない。この道理をよく信得すれば、念がどれほど起こっても、何の妨げもない」。
p209
難行苦行は不要でござる
ある僧、盤珪さんに問うて曰く、
「古来の祖師方は、難行苦行を積んで大悟徹底されました。今日の和尚も、種々の難行を重ねて大法を成就されたことと存じます。しかし、和尚は我らに教えた、修行もせず、悟りもせず、ただこのままで、不生の仏心と覚悟せよ、と申されますが、納得がまいりません」。
盤珪さん、答えて曰く、
「たとえば、何人かの旅人が連れ立って、高い山々の峰を歩いていた折、喉が渇いたとする。しかし、辺りに水はない。旅人の一人が、はるかな谷川へ水を探しに行った。ここかしとを骨を折って、ようやく水を探し当て、水筒に詰めて持ち帰り、仲間にも水を飲ませた。さて、その時、山に残って骨折りもせずに水を飲んだ者たちも、さんざん骨折りして水を探し当てた者と同様に、喉の渇きを潤すことができたであろう。しかし、もし仲間の持ち帰った水を疑って飲まなければ、その者は、喉の渇きをいやすことはできぬ。
わたしは、悟りの目が開けた人に逢わなかったがために、誤って骨を折り、ようやく自心の仏を見出した。わたしが、種々の難行苦行をしなくても、自心の仏を見い出すことができると説くのは、いながら水を飲んで渇きを潤すことができるのと同じことだ。人々に本来具わっている仏心をそのまま用いて、難行苦行なしに、心の案楽を得ることができる。尊い正法ではないか」。
p210
煩悩は分別から起こる
ある僧、盤珪さんに問うて曰く、
「一切の煩悩妄想は鎮め難いものです。どのように鎮めるべきでしょうか」。
盤珪さん、答えて曰く、
「妄想を鎮めようと思うことも妄想である。妄想は本来ないものだが、ただ、自分が分別して出しているのだ」。
p212
悟りを目当てに修行する者は
ある客僧、盤珪さんに問うて曰く、
「わたしは悟りを目当てにして修行を致しております。いかがですか」。
盤珪さん、答えて曰く、
「悟りとは、迷いに対してのこと。人々は仏体にして、一点の迷いもない。ならば、何を悟ろうと言うのだ」。
客僧わけがわず、さらに盤珪さんに問うて曰く、
「さようなことでは阿呆でござる。昔、達磨大師をはじめ善知識の方々は、悟りの上で大法を成就されたのです」。
盤珪さん、答えて曰く、
「如来は、阿呆で衆生を済度されたのだ。来ることもなく、去ることもなく、生まれつきのままで、心をくらまさぬを如来と言うのである。歴代の祖師方も、みなかくのごとしである」。
学道の一大事は死ぬること
弟子の桃岳常仙(とうがくじょうせん)が、盤珪さんに問うた。
「わたしは、死ぬことを考えると、くるしくてたまらず、それでもこうして、毎度、和尚さまのところへ参上しております。人にとって、これよりほかに一大事はないと存じます」
盤珪さんは、答えられた。
「その心こそ、学道の根本なのだ。その志を失わなければ、そのまま道にかなう」
常仙は、再び問うた。
「成仏するということは、どこを言うのでしょうか」
盤珪さん、答えて曰く、
「わたしが言うことをよく得心して、信じて疑わないところ、そこがすなわち成仏である」。
p216
仏になるとどこへ行く
ある人、盤珪さんに問うて曰く、
「仏になると、どこへ行くのでしょうか」。
盤珪さん、答えて曰く、
「ほかのものになれば、いろいろ行く所もあるが、仏になれば、どこへも行く所はない。三千世界の外までも、仏は満ち満ちておるからだ」。
***
花園大学公開講座 「禅とこころ」 花園大学 総長 横田 南嶺
先日、高木悠鼓さんのブログ、シンプル道の日々(2022年6月30日)を読んだところ、「時間の終わりまで」という本を読んだ感想が書かれていました。
内容は高木さんのブログで読んでいただきたいのですが、そのブログを読む限り、書かれていることは非二元で言われていることそのものであり、物理学者がそんなことを書いているならぜひ読まなくてはいけないと思い、図書館で借りて読んでみました。
時間の終りまで ブライアン・グリーン
ところが、まったく読み進めることができませんでした。二章の途中で投げ出した。全く理解できないばかりか、読むこと自体が拷問のような文体に感じた。私は賢い方ではないが、馬鹿というわけでもなく、まあまあ普通の理解力はあると思ってたが、かなり馬鹿なのかもしれないと思った。
私にできることは、高木悠鼓さんのブログを通して、だいたいこういうことが書いてあるのだなと推測することだけ。くやしい。
すごい物理学講義 カルロ・ロヴェッリ
以前、丸善で「時間は存在しない」という本を立ち読みした。興味ある題だったので買おうか迷ったが、立ち読みした範囲では、難しくて歯が立たない感じだったのでやめた。地元の図書館には置いてない。そこで同じ著者が書いた、もっとやさしい本はないかと図書館で探したところ、この本があった。この本の目次にも、「時間は存在しない」という箇所がある。
読んでみると、この本の文章そのものは読みやすく、読むことは可能でした。でも、内容がよく理解できない。なんとなく理解できるが、半分まで読んだところで挫折。時間は存在しないというところまでたどりつけなかった。いまや科学は量子力学を超えて、量子重力理論の時代で、それによれば、世界は共変的量子場というたった一つの素材からできているという。
この二冊を手に取って思ったのは、物理学では非二元の教え(時間は存在しない・私はいない・世界は幻想である)を裏付ける一歩手前まで来ているのではないかということ。でも、その説明を理解できないというのが悲しい。そのうち誰かがYouTubeでやさしく説明してくれるのではないかと期待しています。
でも、セイラーボブの説明で納得しているんだから、科学の裏付けがなくても、まあ、いいか。
マインド・タイム ベンジャミン・リベット 下條信輔/安納玲奈[訳]
セイラーボブはミーティングで盤珪についてたびたび触れています。また、鈴木大拙は、鈴木大拙全集の第一巻が盤珪となっていることからもわかる通り、禅におけるもっとも重要な人物であると捉えていると思われます。
盤珪については、以前ブログに書きましたが、もう一度経歴などを掲載しておきます。
盤珪は江戸時代(1622年-1693年)、姫路市生まれの臨在宗の僧。
儒医(儒学者であり医者でもある人)の家の三男として生まれる。もともと頭が良く、十二歳の時に儒教の基礎経典である「大学」を学び、「大学の道は明徳を明らかにするに在り」という冒頭の一句に出くわして、「明徳」とは何かという疑問に取りつかれてしまう。
「明らかな徳」とは何であるかを知るため、17歳の時に出家。「明徳」の答えが得られず、20歳の時に寺を出て諸国行脚へ出発。断食、京の五条橋下での四年間の乞食など命がけ修行をする。24歳の時に寺へ帰るが、答えは見つけられなかったため、帰郷。
故郷に帰り、庵を建て、そこで決死の覚悟で修行に励む。数年間修行の後、大病にかかり、吐血するようになる。七日ほど粥しか食べられない日が続き、もう終わりだと思っていたところ、真っ黒な木の実のような痰を吐く。それをきっかけに、体調が快方に向かい、その途中、26歳の時に「明徳」とは、不生の仏心のことであると理解する。
その後、経典や公案に頼らず、平易な言葉で人々に語りかけ、多くの人に教えを広め、いくつかの寺を開き、たくさんの弟子を育て、人々の尊敬を集め、72歳で亡くなる。
中国から日本に伝わった禅は日本でさらに発展し、盤珪の生きた江戸時代初期までには多くの寺院が建てられ、座禅、公案、経典の研究がさかんになされました。
しかし、そうした学究的、修行的な禅に対抗して現れたのが盤珪の不生禅であり、座禅、公案、経典の研究に頼らなくても理解は可能だという画期的かつ反伝統的なものです。その教えは大変わかりやすく、多くの民衆の支持を集めました。
後世になって、臨在宗の僧として有名なのは、道元(1200~1253)、白隠(1686~1769)で、盤珪はそれほど有名ではなかったようです。それを掘り出して研究、発表したのが仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)です。鈴木大拙によって、盤珪は世界に紹介されました。
さて、最初に謝罪しておかなくてはいけないことがあります。私がこのブログで過去に盤珪の不生の仏心について書いたとき、例えば用語集では、
unborn Buddha mind「不生の仏心」
「不生の仏心」とは生まれる前の状態のことをいう。そこには思考(言葉)がないため、問題もないという意味。
と書きました。でも、学問的にはこれはどうも違うようです。「不生」というのは、後天的に新たに生み出されたものでなく、もともと具わっているもの。という意味が正しいようです。(参考サイト:円覚寺横田南嶺老師ブログ)
英語の unborn には、(生まれる前)という意味と、(生まれることのない)という意味があって、この場合は(生まれることのない)という意味。生まれることのない仏心。つまり、もともと人は仏陀の心を持っているという意味が正しいようです。
生まれる前の心はもともと仏陀なのだという理解でも、それほど間違いではないけれども、そうではなくて、何もしなくても、あなたの心はもともと仏陀なのだ、修行をして生み出す必要はないという意味のようです。
人の心がもともと仏心であるというなら、達磨が、「マインド(こころ)は仏陀である」と言ったことが納得できます。
ただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教えの中で(p119)、セイラーボブは、「彼(盤珪)が語っている不生の心とは、思考が起きる前のものです」と言っています。
後天的に作り上げたものではないマインドと、思考が起きる前のマインドとは同じと考えていいのではないかと思います。いずれにしても、もともとのマインドが仏心であるという意味だと思います。
今回、盤珪のことを書こうと思って、参考文献を調べてみると、盤珪については膨大な書籍があると知って驚きました。人気がある人なんですね。「盤珪」で愛知県図書館の本を検索すると、全部で22冊出てきます。その大半を実際に手にとって読もうとしたのですが、読めないものも多い。非常用漢字が多く、江戸時代の言葉で書かれていて、現代語ではない部分が多い。本を読むよりも、ネットで学んだ方がわかりやすいと思います。詳しく知りたい方は、参考サイトで見てください。
盤珪禅師語録 (岩波文庫 青 313-1)を読んでいて、とても興味深い一節をみつけました。p33、御示之聞書 十九にある一節ですが、そのまま転載しても、非常用漢字の江戸時代の言葉で書かれていて、頭にすんなり入ってこないので、私の現代語訳で書きます。
***
盤珪禅師は聴衆に向かって説かれた。親が産み付けてくださったものは、仏心一つである。そのほかに余分なものは何一つない。その親に産み付けてもらった仏心は、不生にして霊明(れいみょう)なものである。不生の仏心、その仏心は不生であって、不生で一切のことがととのいます。
不生で一切のことがととのう証拠は、あなたたちがこちらを向いて、私の言うことを聞いている時、後ろでカラスの声、雀の声、それぞれの声が、聞こうと思わなくても、それがカラスの声、雀の声だと間違わずに聞こえている。それが不生というものです。同じように一切のことが不生でととのうのです。これが不生の証拠です。
その不生にして霊明なる仏心が正しいと思い、素直に仏心のままでいる人は、今生より未来永劫の活仏(いきぼとけ)活如来(いきにょらい)です。今日より活仏心でいる故に、我が宗を仏心宗と言います。
***
この話は盤珪の十八番だったようで、この本の中で何度も繰り返し登場します。これを読んで私は、セイラーボブとの会話を思い出しました。
拓「どうしたら、マインド(思考)から抜け出せるのでしょうか」
ボブ「外を走るトラムの音に気付いていますか?」
拓「音がしているのは聞こえています」
ボブ「あなたはマインドから抜け出る必要も、マインドを止める必要もありません。マインドが動いていたとしても、知性エネルギー、アウエアネス(意識)は機能し続けています。トラムの音を聞いているのはあなたの思考ではありません。それはあなたの思考とは無関係に、トラムの音を聞き、あなたの心臓や呼吸をつかさどって働き続けています。それが本当のあなたです」(2015.1.18ブログ)
アウエアネスという言葉を仏心に変えてみてください。
参考文献
盤珪禅師逸話選 現代語で書かれている。これは読みやすい。
盤珪禅師語録 (岩波文庫 青 313-1) 非常用漢字、江戸時代の言葉で書かれているが読めないことはない。
鈴木大拙全集〈第1巻〉禅思想史研究第一・盤珪の不生禅 非常用漢字、漢文調でお手上げ。
名僧列伝(二) (講談社学術文庫)
空海たちの般若心経
「ただそれだけ」p.119
参考サイト私たちはもともと仏であるということを、パンダの例えで説明してみえます。
第546回「臨済宗と曹洞宗の違い」2022/7/6【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師以前こブログで書いた「人は自己を変えることができるのか」(円覚寺の横田南嶺老師の法話)の中で、佐々木閑先生の話を紹介して、「最後に無我ということは、今日の脳科学でも証明されていると教えてくださいました。下條信輔先生の説を紹介して、「私」という固まった確固としたものはないというのであります。例えば、記憶というものを積み重ねることによって、私たちは自分というものを形成していますが、記憶というのはほとんど後付けでできているというのです。自分の都合のよいように作り変えているのだそうです。これという固まった自我がないことは脳科学でも実証されているということでありました。」と言ってみえたので、下條信輔さんの本を読んでみました。
結論から言うと、佐々木閑先生の話に出てきたような説が書いてある下條さんの本はを見つけることができませんでした。「私は幻想である」や「世界が幻想」であるというような話もありませんでした。下條信輔先生は知覚心理学、認知神経科学の研究者であり、カリフォルニア工科大学生物学部の教授です。わかりやすく言うと、脳が物をどういうふうに認識しているかを研究してみえる方です。
非二元の参考になるようなことがあるのかと思って読んだのですが、残念ながら、非二元と関連づけるにはちょっと無理がある内容の本ばかりでした。どれもみな学術的な本であり、読むのに骨が折れる内容ばかりです。三冊に共通して言えることは、私たちの脳は、顕在的に私たちが知っている知識や物事だけでなく、潜在的な部分があって、それに基づいて知らず知らずのうちに物事を判断しているという内容でした。それを無我と関連づけるのはちょっと無理でした。
視覚の冒険 下條信輔
物の見え方に関する研究の本。人間の脳は、実際に目で見ている情報以上にいろんなものを補ってもの見ているということを、様々な図形、実験で示している。
サブリミナル・マインド 下條信輔
人間が物事を認識したり判断する場合に、顕在的な意識でものごとを判断していると思っているが、実はそうではなく、多くの場合、潜在的な意識で判断をしていて、あとから理由付けをしているということを様々な実験から説明している。ただ、その実験の説明が難しくてよく理解できない。
サブリミナル・インパクト 下條信輔
潜在的な認知の能力が人間の行動に影響与えている。コマーシャルや報道がいかに潜在的な認知に訴える手法で行われているかなどを説明してある。
まだ読んでない本として、「意識とは何だろうか」があるのですが、アマゾンの試し読みで読むかぎりでは、どうも非二元と関連なさそうなので食指が動いていません。佐々木先生の話の出典となる本があればまたこのブログで書きたいと思います。
道元といえば、只管打座(しかんたざ:ただひたすら座禅すること)ですね。それは知っていたのですが、それ以上のことは知りませんでした。法然や親鸞を学んでいるうちに、道元にも興味がわいたので、YoTubeで知ってるつもり「道元」を見ました。そこで思ったのですが、ここにも非二元の世界がある。
YouTubeの知ってるつもりはおそらく短命だと思われるので、それを参考にして道元について書いてみます。もしまだ動画を見ることができるなら、動画を見てください。
「道元今ここに生きよ」
「南無の会」 会長 松原泰道
「今ここ、自分を大切にすることが大切」
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曹洞宗 永平寺にある 「普勧座禅儀」道元著の中から
「座禅は悟りの手段ではない。座禅していることがそのまま案楽の法門、すなわち悟りそのものである」
今から800年前、禅の思想を打ち立てた道元禅師の言葉。只管打坐(しかんたざ)ただひたすらに座禅せよと、彼は説いた。
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松原泰道「あの坐る(すわる)という文字は象形文字で、土の上に人が二つあるわけです。片方が感情的、感性的とか言うエゴです。もう一つの側の方が、セルフ。だからこのエゴとセルフが対談するのが座禅。対座をして、今おまえは何だ、おまえ今どうだ、って対話をしていく」
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「正法眼蔵」道元が生涯をかけて書き綴った著作。
それは20世紀の西洋哲学によって明らかにされる時間や空間の問題を、13世紀日本において、縦横に語りつくした一大哲学書であったばかりでなく、生きることに悩み苦しむ人間の糧となる言葉が珠玉のようにちりばめられた人生の書でもあった。道元は書いている。
仏道を習うといふは自己を習うなり
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第一章 禅入門
達磨が禅を確立。インドから中国へやって来た達磨大師のこと。座り続けたその恰好からもわかるように、仏教の教えを経典や学問ではなく自ら実践する座禅として確立。やがて日本へ渡ったきた禅には大きな二つの流れがあった。
一方が栄西の臨済宗の禅。その特徴は公案。いわゆる禅問答の課題を解こうとする精神的な格闘を座禅と並ぶ修行と考えている。有名な一休さんのとんち話による禅の教えはその代表。
そしてもう一方が道元の曹洞禅。只管打坐。わき目もふらずただただ座禅をする。
両者とも、目指すところは心と体が一体となった安心(あんじゅう)。そしてその中から様々な日本の文化を生み出した。
精進料理、食べることの中にも悟りがある。素材は単なる物質ではなく尊い命そのもの。合気道、茶の湯も禅思想の影響を受けている。松尾芭蕉の俳諧。その背景にあるのが、山川草木と一体となったあるがままの精神。その潮流を生み出したのが道元。
第二章 ただひたすらの道
只管打坐(しかんたざ)
「作法これ宗旨(しゅうし)なり 得道(とくどう)これ作法なり」 生活のすべてが仏道と一つになった生き方。道元は修行僧たちの生活のすべてを厳しく形に定めた。その厳しさによって、日々新たに生まれ変わり、そして、ゆらぐことのない心の自由を得ること、それこそが道元が自分自身のすさまじい心の葛藤の歩みから導きだした禅の教えだった。
道元は1200生まれ1253年没。54年の生涯。その間の人生は表面だけを見ると決して波乱に富んだものではない。幼少にして出家し、自らに湧き出た疑問を解くため、中国にわたり、修行の果て、その答えを見つけ出し、そして日本に戻ったのち、それを広く伝えるために道筋を作った。
若き道元の心に湧き起こった問い
「本来本法性 天然自性身(ほんらいほんほっしょう てんねんじしょうしん)」
それはどんなものだったのか。
第三章 仏道をならうといふは自己をならふなり
道元は貴族の名門の生まれ。3歳で父を8歳で母をなくす。
1212年、道元13歳の時出家。源実朝の時代。一族の期待と世俗の名利を捨てて、自らの意思で出家して比叡山へ。だが、比叡山は堕落しきっていた。僧侶の関心は名誉と富の蓄積に注がれていた。そんな中にあって、道元はひとり学問にのめり込む。だが、ある大きな疑問にぶち当たる。
「本来本法性 天然自性身:ほんらいほんほっしょう てんねんしじょうしん」
人間は本来仏である。仏の心を持ち、仏の体を持っている。
ではなぜ、釈迦や歴代の高僧たちは修行してきたのか。
本来仏なら、なぜ修行の必要があるのか。
答えを得られないまま、比叡山を降りて禅に近づく。
遡ること十数年、中国から帰った栄西によって禅が日本にもたらされた。当時流行していた法然、親鸞による念仏、あるいは最澄、空海によってもたらせれた密教など、仏教の新しい装いの思想とは違って、禅は釈迦に直接つながろうという教え。
1217年、18歳で建仁寺に入り、栄西の弟子明全(みょうぜん)に師事する。その時すでに栄西はすでに没していたが、栄西のもたらした名利や財を追及しない禅の世界は道元に仏教への新しい希望をもたらした。
明全のもとで道元は禅の修業に励んだ。だが後鳥羽上皇による鎌倉幕府打倒の承久の変が起こる。道元は入宋求法(にっそうぐほう)を決意。1223年明全とともに宋へと渡る。
第四章 心身脱落
最初の寄港地寧波(にんぽう)での体験。
道元の船に椎茸を求めにやってきた典座(てんぞ:禅寺の炊事当番)の老僧と出会う。いろいろ聞きたいと申し出たが、老僧は炊事の準備があるからと断ろうとする。道元は聞いた。
「あなたのような高齢者がなぜ典座の雑用に追われなければならないのですか?」
「立派な若い外国人の客よ、あなたはまだ修行や求道がなんであるかも、文字の何たるかもお分かりではないようだ。」
さらにその老僧に教えを乞うと、
「すべてが修行であり、すべてが文字である」と答えた。
道元は思った。
(仏法を合理的にただ理屈でわかろうとするなら何も得られまい。問題と自分が一体になることだ。問いと自己が一つになるその人こそ文字を知り道を体得した人に他ならない)。
二か月後、目指した天童山天童寺に入る。
ある夏の炎天下、食事係の老僧が、傘もかぶらず椎茸を干していた。
道元は聞いた。
「なぜ行者(お付きの僧侶)や人工(寺男)にやらせないのですか?
すると老僧は答えた。
「他は是れ、吾にあらず!(他のものにやらせたとしたら、それは自分ではない)」
道元は驚きながらもさらに聞いた。
「わざわざ炎天下の中でしなくても、もっと陽が陰ってからにすればどうですか?」
答えて老僧曰く、
「さらに何れの時をか待たん!(今やらなくては、いつやるというのか?)」
道元は記している。
すべては仏道の実践である。つまりは、掃除も炊事も雑用ではない。禅者にあっては、本来雑用はひとつもない。
今ここ、われ。
行住座臥(ぎょうじゅうざが)(日常の立ち居振る舞い)日常の振る舞いの隅々まで気を配る道元禅の豊かな広がりが若き日の宋での体験からはぐくまれていった。
天童寺では最初、正師(しょうし:正しい師)に出会うことができず、疑問を解消することもできず、諸山を遍歴。日宋してから二年目の五月、再び天童寺に帰り、如浄(にょじょう)に会う。「目のあたり、先師(せんし:先生の意)を見る」とうとう正しい師を見つけたと、その日からはげしく座禅に励んだ。
道元は書いている。如浄はその座禅布団を体から離さず、時には岩の上でも座禅した。釈尊が修行された、かの金剛坐をも坐り破ろうと、尻の肉がただれ破れるときこそ、いよいよ座禅を好んだ。(正法眼蔵)
ある日、早朝に皆で座禅をしている時、一人の僧侶が居眠りをしてしまい、如浄がこう一喝した。
「座禅とは常に心身脱落(しんじんだつらく)でなければならない。居眠りをしていて、どうしてそのことが叶おうか!」(行状記より)
その言葉にはっとして道元はすべての迷いを解いた。心身脱落の瞬間でした。長年の疑問も何もかもが道元の中で溶け去った。
如浄のもとで求める仏法を得た道元は、1227年に日本へと帰朝する。それは仏典を持ち帰るでもない、様々な法具をたらすでもない、身一つの帰還。まさしく自分自身が仏法となったからだった。
「確かな仏法とはいっても、実は目は横に並び、鼻は縦にくっついているというようなあたりまえのことであった。毎朝、太陽は東からのぼり、毎晩月は西に沈む。雲が晴れあがると、山並みがあらわれ、雨がとおりすぎると、あたりの山々は低い姿をあらわす。三年が過ぎると閏年に逢い、鶏は早朝に鳴くものである。その他に何か特別な仏の教えがあるものではない。」永平禅師語録より
あるがまま
帰国後そのことを広めようと苦難の道に乗り出す。
終章 あるがまま
1230年31歳、京都深草に居を定め、深く世に座禅を広めようとする。
「座禅は悟りをうるための修行ではない。座禅こそは大案楽の法門の手段ではない。座禅していることがそのまま大案楽の法門である。座禅の修行こそは悟りそのものなのである」道元 普勧座禅儀より
道元のもとには多くの弟子と在俗の信者が集まりだした。
道元は「あるがまま」の教えを広めようとした。
今ここに生きている自分に徹せよ。それこそが道元の禅の教えだった。そして1233年34歳の時に正法眼蔵を書き始める。
正法眼蔵
「仏道をならふというは自己をならふなり 自己を習うというは自己を忘るるなり」
仏の道とは自分自身とは何かということを追及すること。
仏道とは自己を忘れること。あらゆるものは生かされているということ。
心身脱落。
比叡山の圧力が念仏のあと、道元にも及んだ。道元は北陸へと逃れる。その一年後大佛寺(現永平寺)を建立。
道元の歌
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」
道元は当たり前の自然に絶対の真実を見ていた。
1252年の秋、療養のため京都へ。翌年亡くなる。54歳の生涯。
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私は過去に、呼吸を見つめる瞑想を何年もやったことがあります。座禅のような姿勢で座って、鼻から入る自分の呼吸を見つめるという瞑想です。私は座禅はやったことがありませんが、やっていることは座禅と同じだと思ってやっていました。時間は、多い時は一日一時間。少ない時は20分ほど。これを何年もやりました。
これをやると、マインドがものすごく落ち着きます。ある種の精神安定作用があるのは確かです。当時の私は、この瞑想は覚醒(エンライトメント)を得るための手段だと思ってやっていました。でも、何年やっても覚醒は起きませんでした。何年やっても覚醒が起きないので、他の方法を試すようになり、いつしかすっかりやめてしまいました。
このブログの法然/親鸞のところでも書いたことですが、町田宗風先生が言われるように、座禅、念仏、千日回峰行など仏教における行はすべて、自分は体でも心でもないということを体得するための手段なのではないでしょうか。
道元も同じようなことを言っていて、座禅は心身脱落(体と心を落とすこと)、つまり、自分は体でも心でもないということを感得するための手段だと言っています。私たちはもともと仏なら、なぜ先人たちは修行の必要があったのか。それは心身脱落のため。自分は体でも心でもないと気づくためです。
ここで、仏教と非二元は同じゴールへとたどり着きます。理解による道、瞑想による道、修行による道。すべては同じゴールへとたどり着きます。すべては、「私」などいないということを知るためです。
呼吸を見つめる瞑想をやっている最中は、体もマインドも消えていました。その状態こそは心身脱落であり、悟りなのだと思います。でも当時は誰もそれを教えてくれなかったし、自分でそれに気づくこともありませんでした。今から思うと、もう十分に悟りを体験してきたし、空を見てきたのだと思います。そして、座禅や念仏、その他の行も有効なものだと思うようになりました。
この本は改定版として、霊魂や脳科学から解明する 人はなぜ「死ぬのが怖い」のか があります。私が読んだのは旧版の方です。
脳はなぜ「心」を作ったか・錯覚する脳 を読んだあとで、セツさんからおたよりをいただいたので、私も『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』を読みました。
この本は、「脳はなぜ「心」を作ったか 「私」の謎を解く受動意識仮説」「錯覚する脳 「おいしい」も「痛い」も幻想だった」に書いてあることを根拠として、「死は存在しない、死は恐れるに足りない」ということを7のルートから説明してあります。そのルートの概略は、霊魂や脳科学から解明する 人はなぜ「死ぬのが怖い」のか の「試し読み」で読めるので、興味のある方は読んでみてください。
本の最初にインターネット上のアンケートのデータがあって、「死後の世界は存在すると思いますか?」と聞いたところ、女性は43%、男性は27%が死後の世界はあると思うと答えたそうです。これにはちょっと驚きました。もっと多くの人が死後の世界があると思っていると思っていたのですが、案外少ない。
セイラーボブに会う前は、死後の世界があると思っていました。人は何度も何度も生まれ変わって、悟りをえるまでは生死を繰り返すのだと思っていました。
そしてまた、全体の三割の人が「死ぬのが怖くない」と答えています。これも驚きです。私などは怖くて怖くてどうしようもなかったのに。
本の紹介のため、引用させていただきます。
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p120
場当たり的に生きるか、先に知性を使うか
皆さんは、どちらを選びますか?
一つ目は、普段は死について考えないようにはしているが、漠然とした死への恐れを感じ続けていて、死期が迫ったときに、はじめて、キューブラー・ロスがいうように、衝撃、否認、怒り、取引、抑鬱、受容という激しい心の変化を体験する生き方。
すなわち、本能にドライブされた、場当たり的な生き方。
もう一つは、早いうちに死について徹底的に考え抜き、その結果として、あらかじめいつか来る死を受け入れ、つまり、覚悟がすでにできていて、実際に死が近づいたときに取り乱さずに凛として死んでいく、という生き方。
すなわち、知性と俯瞰力をフル活用した生き方。
前者のほうがいい、という「将来のリスク割引主義」ないしは「後回し思考」の人も少なくないのかもしれない。神にすべてをゆだねる西洋的ないし一神教的生き方は前者の一種だという見方もできるかもしれない。
僕は、後者がいい。
死ぬ直前になって、死ぬとはどういうことなのかと、悩み、答えが見つけられなくて、苦しみ、悲しみ、鬱状態になり、最後には疲れきってあきらめにも似た「受容」に至るよりも、あらかじめ死とはどういうことなのかをはっきりと理解し、死の悲しみや苦しみを超越し、悩まず苦しまずに超然と死んでゆきたい。
もちろん、読者の方にも、そうなっていただきたい。だから、本書を書いているのだ。
僕が立脚するのは、「今自分が生きていると思っているこの自分の心は実は幻想だ」ということを徹底的に理解すれば、生きていても、もはや死んでいるのと大差ないのだから死は怖くない、という論理だ。この考え方は、一部の人にとっては当然かもしれないし、一部の人にとっては突飛すぎて受け入れられないのかもしれない。
皆さんは、どちらだろうか。
あなたが、ご理解いただける側に入っておられるといいのだが。
以下では、どうすれば死の怖さを超越できるか、僕の考えを述べる。
p134
お前はすでに死んでいる!
つまり、心はあたかもあるかのように感じられる。だから、これが失われる「死」はいやだと感じる。しかし、本当は、心などないのだ。あるように感じているだけなのだ。だから、これが失われたって、何も減らない。もともと何もないのだから。
昔、主人公が敵に、「お前はもう死んでいる」あるいは「お前はすでに死んでいる」という漫画があった。必殺技をかけた結果、敵はダメージを受けているのだが、技があまりに鮮やかなので、敵は、ダメージにすぐには気づかない。そういう設定だった。
人間は、これに近い。僕たちはすでに死んでいるのと同じことなのだ。もちろん、技をかけられたからではなく、生まれつき、そうなのだ。はじめから、心などない。ところが、あまりにも生き生きとしたクオリアを脳が作り出すから、僕たちはこの幻想を事実だと思い込んでしまいがちだ。そういうことだ。そういうことに過ぎない。
これが僕の解釈だ。これをご理解いただければ、死は怖くない。なにしろ、あらかじめ、僕たちは、死んでいるのだから。おめでたいことに、最初から、生きていると勘違いしているに過ぎないのだから。つまり、ロボットを同じなのだから。
僕たちは、痛いとか、赤い色だとか、死ぬのが怖いだとか、そんなクオリアを感じる。ここがロボットと違うところだと言われている。
最先端のロボットも、痛いとか、赤い色だとか、死ぬのが怖いとか、人間と同じように、一丁前に感じているふりをする。しかし、本当は感じていない。コンピュータープログラムが、あたいもそう感じているかのように振る舞わせているに過ぎないのだ。
実は、人間も同じだ。
痛いとか、赤い色だとか、死ぬのが怖いとか、一丁前に感じるように実感する。しかし、それは幻想だ。脳の神経回路(ニューラルネットワーク)が、あたかもそう感じているかのように幻想させているに過ぎないのだ。
そんな幻想機能を、脳が進化的に獲得したから、人はそう感じているにすぎないのだ。
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私は、前野さんの説明に基本的には賛成で納得もしています。でも、この本を読んだ人全員が納得するかというと、どうでしょうか。現に、前野さんによると、これを読んで納得する人は全体の三分の一程度だそうです。非二元に触れたことがない人が、すんなり前野さんの言われることを理解するのは難しい気がします。
ちなみに、前野さんの本の内容を、非二元にはまったく興味のない友人にかいつまんで説明したのですが、まったく理解してもらえず、白い目で見られました。
私の場合、すでに非二元で、これと同じことを学んでいて、初めて聞く話ではないので理解できるのですが、そうでない人が理解できるのかを公平に判断することができません。7つのルートのいくつかの説明は、私がこのブログで書いたことと同じ内容に思えます。
どのルートの説明も、おおむね賛同できるものですが、科学的な説明かどうかという視点で見ると、科学的なのは、「リベットの実験」をもとにした最初のルートだけのように思われます。そこで私はリベットの実験を詳しく理解したいと思い、「マインドタイム」ベンジャミン・リベット著/下條信輔訳 を読んでいます。
ところがこれが難しい。ちゃんと理解できるのか、最後まで読み通せるのか、よくわからない。それと、図書館で借りた下條信輔さんの本が何冊かあって、そっちも読みたい。貸出期限のある下條さんの本を先に読んでから、あとでゆっくりマインドタイムを読もうと思っています。
マインドタイムに書いてあるリベットの実験の説明で、YouTubeで一番わかりやすかったのは以下のYouTube(2:00~5:00の部分)ですが、本の内容はもっと多岐にわたり、自由意志があるのかないのかといったことまで書いてあります。