この本は改定版として、霊魂や脳科学から解明する 人はなぜ「死ぬのが怖い」のか があります。私が読んだのは旧版の方です。
脳はなぜ「心」を作ったか・錯覚する脳 を読んだあとで、セツさんからおたよりをいただいたので、私も『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』を読みました。
この本は、「脳はなぜ「心」を作ったか 「私」の謎を解く受動意識仮説」「錯覚する脳 「おいしい」も「痛い」も幻想だった」に書いてあることを根拠として、「死は存在しない、死は恐れるに足りない」ということを7のルートから説明してあります。そのルートの概略は、霊魂や脳科学から解明する 人はなぜ「死ぬのが怖い」のか の「試し読み」で読めるので、興味のある方は読んでみてください。
本の最初にインターネット上のアンケートのデータがあって、「死後の世界は存在すると思いますか?」と聞いたところ、女性は43%、男性は27%が死後の世界はあると思うと答えたそうです。これにはちょっと驚きました。もっと多くの人が死後の世界があると思っていると思っていたのですが、案外少ない。
セイラーボブに会う前は、死後の世界があると思っていました。人は何度も何度も生まれ変わって、悟りをえるまでは生死を繰り返すのだと思っていました。
そしてまた、全体の三割の人が「死ぬのが怖くない」と答えています。これも驚きです。私などは怖くて怖くてどうしようもなかったのに。
本の紹介のため、引用させていただきます。
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p120
場当たり的に生きるか、先に知性を使うか
皆さんは、どちらを選びますか?
一つ目は、普段は死について考えないようにはしているが、漠然とした死への恐れを感じ続けていて、死期が迫ったときに、はじめて、キューブラー・ロスがいうように、衝撃、否認、怒り、取引、抑鬱、受容という激しい心の変化を体験する生き方。
すなわち、本能にドライブされた、場当たり的な生き方。
もう一つは、早いうちに死について徹底的に考え抜き、その結果として、あらかじめいつか来る死を受け入れ、つまり、覚悟がすでにできていて、実際に死が近づいたときに取り乱さずに凛として死んでいく、という生き方。
すなわち、知性と俯瞰力をフル活用した生き方。
前者のほうがいい、という「将来のリスク割引主義」ないしは「後回し思考」の人も少なくないのかもしれない。神にすべてをゆだねる西洋的ないし一神教的生き方は前者の一種だという見方もできるかもしれない。
僕は、後者がいい。
死ぬ直前になって、死ぬとはどういうことなのかと、悩み、答えが見つけられなくて、苦しみ、悲しみ、鬱状態になり、最後には疲れきってあきらめにも似た「受容」に至るよりも、あらかじめ死とはどういうことなのかをはっきりと理解し、死の悲しみや苦しみを超越し、悩まず苦しまずに超然と死んでゆきたい。
もちろん、読者の方にも、そうなっていただきたい。だから、本書を書いているのだ。
僕が立脚するのは、「今自分が生きていると思っているこの自分の心は実は幻想だ」ということを徹底的に理解すれば、生きていても、もはや死んでいるのと大差ないのだから死は怖くない、という論理だ。この考え方は、一部の人にとっては当然かもしれないし、一部の人にとっては突飛すぎて受け入れられないのかもしれない。
皆さんは、どちらだろうか。
あなたが、ご理解いただける側に入っておられるといいのだが。
以下では、どうすれば死の怖さを超越できるか、僕の考えを述べる。
p134
お前はすでに死んでいる!
つまり、心はあたかもあるかのように感じられる。だから、これが失われる「死」はいやだと感じる。しかし、本当は、心などないのだ。あるように感じているだけなのだ。だから、これが失われたって、何も減らない。もともと何もないのだから。
昔、主人公が敵に、「お前はもう死んでいる」あるいは「お前はすでに死んでいる」という漫画があった。必殺技をかけた結果、敵はダメージを受けているのだが、技があまりに鮮やかなので、敵は、ダメージにすぐには気づかない。そういう設定だった。
人間は、これに近い。僕たちはすでに死んでいるのと同じことなのだ。もちろん、技をかけられたからではなく、生まれつき、そうなのだ。はじめから、心などない。ところが、あまりにも生き生きとしたクオリアを脳が作り出すから、僕たちはこの幻想を事実だと思い込んでしまいがちだ。そういうことだ。そういうことに過ぎない。
これが僕の解釈だ。これをご理解いただければ、死は怖くない。なにしろ、あらかじめ、僕たちは、死んでいるのだから。おめでたいことに、最初から、生きていると勘違いしているに過ぎないのだから。つまり、ロボットを同じなのだから。
僕たちは、痛いとか、赤い色だとか、死ぬのが怖いだとか、そんなクオリアを感じる。ここがロボットと違うところだと言われている。
最先端のロボットも、痛いとか、赤い色だとか、死ぬのが怖いとか、人間と同じように、一丁前に感じているふりをする。しかし、本当は感じていない。コンピュータープログラムが、あたいもそう感じているかのように振る舞わせているに過ぎないのだ。
実は、人間も同じだ。
痛いとか、赤い色だとか、死ぬのが怖いとか、一丁前に感じるように実感する。しかし、それは幻想だ。脳の神経回路(ニューラルネットワーク)が、あたかもそう感じているかのように幻想させているに過ぎないのだ。
そんな幻想機能を、脳が進化的に獲得したから、人はそう感じているにすぎないのだ。
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私は、前野さんの説明に基本的には賛成で納得もしています。でも、この本を読んだ人全員が納得するかというと、どうでしょうか。現に、前野さんによると、これを読んで納得する人は全体の三分の一程度だそうです。非二元に触れたことがない人が、すんなり前野さんの言われることを理解するのは難しい気がします。
ちなみに、前野さんの本の内容を、非二元にはまったく興味のない友人にかいつまんで説明したのですが、まったく理解してもらえず、白い目で見られました。
私の場合、すでに非二元で、これと同じことを学んでいて、初めて聞く話ではないので理解できるのですが、そうでない人が理解できるのかを公平に判断することができません。7つのルートのいくつかの説明は、私がこのブログで書いたことと同じ内容に思えます。
どのルートの説明も、おおむね賛同できるものですが、科学的な説明かどうかという視点で見ると、科学的なのは、「リベットの実験」をもとにした最初のルートだけのように思われます。そこで私はリベットの実験を詳しく理解したいと思い、「マインドタイム」ベンジャミン・リベット著/下條信輔訳 を読んでいます。
ところがこれが難しい。ちゃんと理解できるのか、最後まで読み通せるのか、よくわからない。それと、図書館で借りた下條信輔さんの本が何冊かあって、そっちも読みたい。貸出期限のある下條さんの本を先に読んでから、あとでゆっくりマインドタイムを読もうと思っています。
マインドタイムに書いてあるリベットの実験の説明で、YouTubeで一番わかりやすかったのは以下のYouTube(2:00~5:00の部分)ですが、本の内容はもっと多岐にわたり、自由意志があるのかないのかといったことまで書いてあります。