熊谷守一が描いた猫だけを集めた画集。日本画や素描などもあり、短い言葉が添えられている。守一は猫や鳥が好きで、特に猫は何匹も飼っていて、人から、「子供も養えないのに猫をそんなに飼って」と咎められたと書いています。
猫と一緒に昼寝している写真がよかった。中に一匹目の見えない猫がいて、その猫を特にかわいがっていたそうです。目をつむってだらんとしている絵のあの猫は目が見えない猫のようです。
印象に残った言葉。
猫に比べて犬は人に気をつかうのでそれほどすきではありません。
アフロえみ子の四季の食卓 稲垣えみ子
冷蔵庫も電子レンジも持たず、カセットコンロと鍋だけで毎日自炊するって、どんな風にやっているのか興味が湧いて読んでみた。主食は玄米。一汁一菜が基本。干し野菜とぬか漬けを使ったアレンジ料理が多い。
疑問に思った点は、肉をほとんど食べていない。本では一回も出てこなかった。魚もごくたまに干物や小魚が出てくるだけ。要するに、玄米と干し野菜と漬物ばっかり食べている。きのこや大豆製品は出てくるが、きのこや大豆のたんぱく質では量的に十分とはいえない。これで健康が維持できるのだろうか。それと、写真で見るかぎりでは、量的に十分とは言えず、発育期の子供や働きざかりの男性では足りない。
私は以前糖質制限を徹底的にやり、炭水化物はほとんど取らずに肉と魚、野菜、大豆製品を中心に食べる生活を二年やったが、腸環境が悪くなり、肝機能の数字が悪化したので、結局やめてしまった。今では毎日お米を食べているが、それでも肉も毎日100gずつ食べていて、いわゆる地中海式に近い食生活をしている(ただし、白米は食べる)。
この本を読んで、肉はそれほど食べなくてもいいのではと思うようになった。ただ、私の場合、それほど頻繁にスーパーに行っておらず、10日に一回ぐらいまとめ買いして冷蔵庫に入れておくやり方をしているので、干し野菜やぬか漬けを使うやり方には馴染まない。近所に毎日いけるようなお店がある人向けといえる。干し野菜とぬか漬けは楽しそうなのでやってみたいが、面倒な気もする。納豆と豆腐、ヨーグルトは毎日食べるので、冷蔵庫は手放せない。メニューに触発されて、いくつか作ってみました。
魂の退社 稲垣えみ子
稲垣さんが朝日新聞を五十歳で辞めた理由は、そのまま会社に留まると、お金に支配されて、ずっと会社どっぷりで生きることになり、それが本当に幸せかどいうか疑問を感じたからだという。
本の紹介のためにちょっと引用させてもらいます。p13から
あえて一言で言えば、私はもう「おいしい」ことから逃げ出したくなったのだ。
「おいしい」というのは、実は恐ろしいことでもある。例えばおいしい食べ物、寿司やステーキやケーキを毎日食べ続けていたらどうなるか。確実に健康を害して早死にするであろう。しかし、いったんこういうおいしい食べ物にはまってしまうと、なかなかそこから抜け出せなくなる。
なぜなら、大きい幸せは小さな幸せを見えなくするからだ。知らずしらずのうちに、大きい幸せじゃなければ幸せを感じられない身体になってしまう。
仕事も同じである。高い給料、恵まれた立場に慣れきってしまうと、そこから離れることがどんどん難しくなる。そればかりか「もっともっと」と要求し、さらに恐ろしいのは、その境遇が少しでも損なわれることに恐怖や怒りを覚え始める。その結果どうなるか。自由な精神はどんどん失われ、恐怖と不安に人生を支配されかねない。
私も退社した経験があるので、著者の気持ちがよくわかる。日本人はある種の催眠にかかっていて、人間はずっと会社で働くものだと思い込んでいる。でも、会社で働かないという選択肢はあってしかるべきだと思う。
私が子供の頃は、何で食っているのかわからない大人がたくさんいた。建て前をやると、何を仕事にしているのかよくわからない大人が大勢集まってきて、そういう人の方が建て前では有能な人たちだった。農業や大工や自営業で食っている人が大勢いた。でも、現代では、国民年金に頼る自営業者は、会社勤めの半分以下の年金しかもらえず、かなり厳しい老後が待っている。社会が自営業の人を締め出してしまったからだ。
会社で働かないという選択肢はありだと思う。もっと言うなら、働かないという選択肢もありだと思う。この本を読んで、何のために働くのか、あらためて考えさせられた。人間が幸せでいるためには、それほど多くのものを必要としているわけではないこと、むしろ少なければ少ないほど幸せでいられるということを教えてくれる。ある意味、これは清貧の思想に繋がる考え方だと思います。どうでもいいことですが、彼女のアフロヘアは、わざわざパーマをかけてやっていると知った。そりゃあ目立つだろうし、それだけで興味の湧く対象になる。
人生はどこでもドア 稲垣えみ子
著者はふとしたきっかけで、リヨンに二週間滞在することになり、そこで観光はせず、日本とまったく同じように生活することを思い立つ。フランス語はできないので、会話もままならないが、そこで街の人とふれあいながら、日本と同じ生活を試みる。
日本と同じ生活とは何かというと、朝起きてヨガをやり、行きつけのカフェへ行って原稿を書き、八百屋のおじさんや酒屋のおじさんと仲良くすること。宿はAir b&bで探し、マルシェ(露店の市)の近くのアパートみつけ、そこで少しづつ人間関係を築こうと奮闘する。
フランス語ができないので、それほど親しくはなれないが、少しづつ少しづつ親しくなっていく。二週間の滞在なので、それほど大きな成果は上がらないが、最後には自分なりに満足のいく成果をあげておわる。
これをリヨンの旅行記として読んでも、まったく面白くない。特別おもしろいような出来事があるわけではなく、毎日カフェへ行き、八百屋や酒屋をあちこちうろつくだけである。でも、彼女が今日本で住んでいる街の様子がよくわかる。行きつけのカフェや銭湯、八百屋や酒屋と親しくなり、たくさんの友人や知人の中で生きている様子や、どうやって親しくなって居場所を築いていったのかがわかる。
幸せとは、そうした小さなことの積み重ねなのかもしれない。一つ気になったのは、彼女は歯磨きの時、歯磨き粉を使わないという。そんなのあり?私も真似してみようかしら。
一人飲みで生きて行く 稲垣えみ子
一人で見知らぬ居酒屋にふらりと入って、そこでどうやって居心地のよい居場所をみつけるかという指南書。著者は居酒屋で一人飲みすることで、店主や常連客と親しくなり、そこで居心地よく暮らしているという。
私は今ではまったく酒を飲まないが、以前は家でも外でもよく飲んだ。でも、一人で居酒屋へ行くというタイプではなかった。一人で居酒屋へ行って、そこの人と仲良くなって、気持ちよく飲めれば楽しいだろうなあと思う。これはまあ、居酒屋に限らず、近所づきあいだったり、ちょっとした人とお近づきになった時に、どういうふうに振る舞うと良いかの指南書でもあると思う。大いに参考になった。稲垣さんは、どこに行っても楽しく生きていく術を心得ているのだと思う。
アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。 稲垣えみ子
この本は著者が朝日新聞社の在籍した最後の三年間に書いたコラムを中心に再録したもの。著者はもと朝日新聞の論説委員であり、社説を担当していたことからもわかるとおり、社を代表する記者だったことがわかる。コラムもすばらしい。
コラムで自分の意見を言うだけでなく、それを実行していく。建て前でなく、本音を言う以上、そこに裏表があってはいけないと考える。原発問題を考えれば、自分も電気を大量消費した加害者ではないかと考え、節電を実行し、ついには冷蔵庫まで捨ててしまう。なんともすばらしい。そして、生きていくにはそれほどたくさんのお金は要らないと考え、会社を辞める。お金ではなく、人とのつながりによって幸せになれるのだと、それを実行する。見習いたい。
俳句がどんどん湧いてくる100の発想法 ひらのこぼ
俳句がうまくなる100の発想法 ひらのこぼ
句集 存在と時間 角川春樹
すべて音読用。音読すれば、そのうち上手になるかと思っているが、道は遠そう。