2026/10/20

The Courage to Stand Alone U.G.クリシュナムルティとの対話 21(最終回)

The Courage to Stand Alone U.G.クリシュナムルティとの対話を最初から読まれる方はこちらからどうぞ。


U.G.:いかなる力も、いかなる神も、それを止めることはできない。なぜなら、そうした神々自身が、破壊の力をすでに動かし始めているからだ。今、まさにそれが起こっているのがわかるだろう。穴居人がロバの顎骨を使って隣人を殺していた頃には、ほかの者たちが生き延びる可能性もあった。今日、クレムリンやホワイトハウス、そしてインドの国会議事堂に住んでいる同じ穴居人たちこそが、破壊の力を動かし始め、解き放つことになるのだ。その力は、この惑星上のあらゆる生命形態を完全に一掃してしまうだろう。

そして人間は、今日この惑星に存在するあらゆる種を、自分とともに滅ぼすことになる。それはすべて、人々に宗教を教え、この地上に愛を打ち立てようとした人間の思考から生まれたものだ。そして、彼がそれをどんなものにしてしまったか、見てみるがいい!

Q:つまり、あなたの言うとおり、それを止めることはできないのだとしたら……。

U.G.:あなたに止められるのか? 止められるのか? 止めることはできない。だから、あなたにできる唯一のことは……。

Q:人類として、望みさえすれば、それを止めることはできると思います。

U.G.:いつだ? そもそも、あなたたちは明らかにそれを望んでいない。望んでいるのか?

Q:はい。

U.G.:では、どうやってそれを実現するつもりなのか? どうやるのか、言ってみなさい。事態全体がどれほど差し迫っているか、わかっているのか? どこかの狂人がボタンを押すかもしれないのだ。なのに、私たちはここでのんびり座って、こんなことを話している……。

Q:それでも、止められる可能性はあると思います。

U.G.:その可能性とは何だ?

Q:行動することです。

U.G.:どうやって? いつ行動するつもりなのか。手遅れになってからか。すべてが、あの大虐殺が解き放たれてしまえば、もう手遅れだ。あるいは、反核運動に参加することもできる――だが、それはばかげている。

Q:ばかげているのですか?

U.G.:もちろんだ。

Q:もう手遅れなのですか?

U.G.:あなたは、自分のちっぽけな財産を警察に守ってもらいたいとは思わないのか? 水素爆弾は、それと同じものが拡張されたものなのだ。「こちら〔警察〕は欲しいが、あちら〔爆弾〕はいらない」とは言えない。それは同じものの延長なのだ。

Q:では、私たちにはどうすることもできないのでしょうか?

U.G.:それを止めることが自分に可能だと、なぜ思うのか? あなた自身の中では止めることができる。反社会的な人間になることなく、改革者になることなく、何かに反対したり、別の何かに反対したりすることなく、自分の中で働いている社会構造から自由になりなさい。自分自身のために、自分ひとりの力で、そのすべてを自分の内側から放り出し、この文化の重荷から自由になることはできる。それが社会にとって何か役に立つかどうかは、あなたの関知するところではない。たった一人でも自由に歩む人間がいれば、この恐ろしい文化があなたに何をしたのかという、息が詰まるような感覚は、もうなくなる。東洋も西洋もない。すべて同じだ。人間の本性はまったく同じで、違いなどない。

あなたが関心を持っているのは、何をすべきか、どうすべきか、それだけだ。

Q:私たちは皆、そうです。

U.G.:どうすれば止められるのか? 一個人として、あなたにできることなど何一つない。集団になれば、あのような救世軍をつくることはできる。それだけだ。だから何だというのか? また別の教会、別の聖書、別の説教師ができるだけだ。

Q1:そのような答えについて、あなたはどう思いますか?

Q2:そのような答えについて、私がどう思うか、ですか? 賛成はします。でも、とても理論的です。文化の重荷から自由になれ、ということですね。それは理解できます。でも、実際にはとても難しい。もちろん、私にできることは何もありません。

U.G.:何もない。何一つない……。あなたには、行動の自由などまったくないのだ。

Q:そうですね。

U.G.:それが理解されたとき、そこにあるものが自らを表現する。そこにある知性は、人間が思考を通じて生み出してきたあらゆる解決策よりも、はるかに効果的に働くことができる。そうした解決策は、何百万年、何千万年、何億年もの〔進化〕の結果なのだ。私たちが自分たちの前に掲げてきた理想、つまり完全な人間というものは、単なる神話にすぎない。そのような人間は、そもそも存在しない。理想の人間など存在しないのだ。それはただの言葉であり、観念にすぎない。あなたは生涯をかけて、その理想の人間になろうと努力する。そして最後に残るのは、惨めさと苦しみ、そしていつかそうなれるという希望だけだ。「いつの日か、あなたにもわかるだろう」。それが希望なのだ。私たちはその希望を抱いたまま死んでいく。

Q:では、解決策の一つは、自分がここにいることを、自分が今あるがままの姿で受け入れることなのですね。

U.G.:そのとおり。まさに今のあなたのままでいることだ。そうすれば、社会と対立することはなくなる。文化はあなたの中に要求を植えつけた。それがあなたを駆り立て、自分を何か別のものに変えたいと思わせている。それこそ文化があなたにしたことなのだ。そんな要求をあなたの中に植えつけたのだ。あなたが何かをしようとすると、〔彼らは〕「おい、よく見ろ。足元に気をつけろ」と言う。それが彼らのやっていることだ。

そこに次に働きかけてくるものがある。それが社会だ。社会は「足元に気をつけろ」と言う。それによって、あなたの中に恐怖が植えつけられた。その一方で、社会は恐怖から自由になることや、勇気を持つことなどについて語る。そして、何ものにも並ぶ者のない人間になれ、と言う。それはただ、社会の現状を維持するための駒としてあなたを利用するためなのだ。

だからこそ、社会は勇気を教え、恐れを知らないことを教える。社会の継続性を維持するために、あなたを利用できるようにするためだ。あなたはその一部なのだ。だから、あなたが行動しようとするたびに、そこに現れるのは恐怖であり、行動することが不可能だという感覚なのだ。社会はあなたの外側にあるのではない。文化もあなたの外側にあるのではない。そして、あなたがそれらから自由にならないかぎり、行動することはできない。

Q:それらから自由にならないかぎり、ということですか?

U.G.:そうなれば、あなたはここに来て、「どのような行動を取ればよいのでしょうか」と私に尋ねることもなくなるだろう。行動はすでにある。あなたに関して言えば、すでに行動はあるのだ。

Q:では、人間は社会から自由になったときに初めて行動する資格を得る、ということですか。あなたは自由なのですか?

U.G.:人間が行動できないのは、いつも行動する自由という観点から考えているからだ。「どうすれば自由に行動できるようになるのか?」。あなたが関心を持っているのは、それだけだ。自由のことばかり考えている。しかし、あなたはその自由を行動として実現していない。行動する自由を求めることが、行動そのものを妨げている。その行動は、社会的でも反社会的でもない。

Q:では、自分自身と自分の置かれた状況を受け入れれば、自由になれるのですか?

U.G.:それだけだ。もう社会と対立することはない。あなたは社会にとって何の役にも立たなくなるだろう。反対に、社会にとって脅威となれば、社会はあなたを抹殺する。

あなたが神経症的になっているのは、同時に二つのことを望んでいるからだ。それがあなたの問題を生み出している。同時に二つのことを望んでいるのだ。あなたは自分自身を変えたいと思っている。その変化を要求しているのは社会だ。社会の一部となり、何も変わらない社会構造の継続性を維持できるようになるためだ。ところが、あなたはもう一方で変化を望んでいる。ここに葛藤がある。

自分自身を変えようという要求がなくなれば、周囲の世界を変えようという関心も、それに伴って自然になくなる。両方とも終わるのだ。そうでなければ、あなたの行動は社会にとって危険なものとなる。社会はあなたを抹殺する。それは確実だ。だから、その社会構造によって抹殺される覚悟を持つこと、それが勇気なのだ。

戦場で死ぬことではない。自分の旗のために戦うことでもない。旗は何を象徴しているのか? あなたはここで自分の旗を振り、彼らは向こうで自分たちの旗を振る。そして双方が平和について語る。この状況全体が、なんとばかげていることか。それなのに、あなたは平和について語る。あなたは自分の旗に忠誠を誓い、彼らは彼らの旗に忠誠を誓っている。それと同時に、この世界の平和について語っているのか? あなたがここで自分の旗を振り、彼らが向こうで自分たちの旗を振っているかぎり、この世界に平和などあり得るだろうか? より優れた兵器を持つ者が、その日を制することになる。こちらでは私の旗、あちらではあなたの旗――そうした平和行進をする人々も、あるいは反核団体が新たな旗をつくることも、同じことなのだ。

Q:それは無意味ですね。

U.G.:私があなたに言うまでもない。あなたは警察官をなくす覚悟があるのか? 一個人として、あなたは自分自身を守りたい。何よりもまず自分の命を守りたい――それが正しいかどうかを、私は言っているのではない――あるいは、自分のちっぽけな財産を守りたい。だから、それを守るために警察官の助けが必要になる。そして、あなたは線を引いて、「ここが私の国だ」と言う。自分の国を守りたいのだ。それができなくなると、自分自身を守るために、破壊の手段も拡大せざるを得なくなる。そして、それは防衛のためだと言うだろう。確かに、防衛のためなのだ。あれ〔爆弾〕は、これ〔警察官〕の延長にすぎない。自分の持ち物を守るために警察官を必要としているかぎり、あれに反対することはできない。あそこに座り込んで、平和行進を続け、原子炉の周囲に座り込み、平和の歌を歌い、ギターを弾き、「戦争ではなく愛を」と唱えることはできる。だが、そんなたわごとに耳を貸してはいけない。愛を営むことと戦争をすることは、同じ源から生まれている。〔そんな歌を歌うことは〕偽善的な茶番になってしまう。

〔もう十分だと思う。もう十分だ。〕

Q:では、私たち自身と、私たちが生きている世界との関係は、どのようなものなのでしょうか?

U.G.:まったく何もない。ただし、あなたが経験している世界は、あなた自身がつくり出した世界だ。あなたは自分だけの世界に生きている。自分自身の経験から世界をつくり上げ、それを外の世界に投影しようとしている。あなたには、世界の現実そのものを経験する手段がまったくない。あなたと私は、ビデオカメラを説明するのに同じ言葉を使う。あなたが手に持っているものは、ペンか鉛筆だ。場合によって違うが、そういうことだ。だから、私たちはこうしたものをすべて有効なものとして受け入れなければならない。なぜなら、それらは実際に役立つからだ。この世界で機能し、一定の水準で知的に意思を伝え合う助けになるからだ。

Q:では、誰もほかの人の手本にはなれないということですか?

U.G.:〔誰かに従うことは〕動物にのみ当てはまることであって、人間には当てはまらない。人間は誰にも従うことはできない。身体的な面では、ほかの人々に頼らなければならない。しかし、それだけのことだ。

Q:精神性において成長するというようなことは存在しない、とお考えですか? それとも……。

U.G.:私が言いたいのは、そもそも精神性などというものは存在しない、ということだ。あなたが物質的な生活と呼ばれるものの上に、精神性と呼ぶものを重ね合わせると、自分自身に問題をつくり出すことになる。なぜなら、あなたは周囲の物質世界に成長や発展を見ているからだ。そこで、その考え方を、いわゆる精神的な生活にも当てはめてしまう。

Q:物事を分離し始めるところから、問題が始まるということですか?

U.G.:物事を分離し、物質的な生活と精神的な生活に分けることだ。生命は一つしかない。これが物質的な生活であり、もう一方とされるものには何の関係もない。あなたの物質的な生活を、宗教家たちが与え、あなたの前に掲げた、あのいわゆる宗教的な型へと変えようとすること。それが、あなたがこの物質世界の現実をあるがままに受け入れ、調和して生きる可能性を破壊している。それがあなたの痛み、苦しみ、悲しみの原因なのだ。

あなたは、そうした人間になろうと絶えず奮闘し、存在しない何かを追い求めている。そんなことには、何の意味もない。それによって、何かをすることこそが自分にとって何より重要なのだ、という感覚が生まれる。実際にそれを達成することではない。あなたは〔そうした偽りの目標から〕ますます遠ざかっていく。それに努力を注げば注ぐほど、気分がよくなる。あなたが抱えている問題も同じだ。問題を解決しようとすることだけが、あなたにとって重要なのだ。しかし、あなたにとっては問題そのものよりも、解決策のほうが興味深い。問題を見つめることより、解決策に関心がある。私が尋ねるのは、問題とは何なのか、ということだ。あなたには問題などない。あるのは解決策だけだ。問題とは何なのか? 誰も私に、問題が何なのかを教えてくれない。

あなたは、これらがすべて解決策だと言っている。そして、自分の問題を解決するには、どれを使えばいいのかと尋ねる。では、問題とは具体的に何なのか? 物質的な問題なら理解できる。健康を損ねているなら、健康のために何かをしなければならない。お金がないなら、お金について何かをしなければならない。こうしたことは理解できる。しかし、心理的な問題があるとなると、本当の問題が始まる。心理学者たちも、宗教家たちも、さまざまな療法や解決策を用いてあなたを助けようとしている。だが、彼らはあなたをどこにも導いていない。そうではないか? 個人は以前と同じように、浅薄で空虚なままだ。彼らは自分自身に何を証明したいのだろうか?

Q:自分自身の人生をそのまま生きていけば、問題は自然に解決する、とお考えなのですか?

U.G.:問題とは何なのか? あなたは決して問題そのものを見つめない。解決策に関心を持っているかぎり、問題そのものを見つめることはできない。

Q:解決策は欲しくないのですか?

U.G.:あなたが関心を持っているのは、解決策だけだ。問題を解決することではない。

Q:それは同じことではありませんか?

U.G.:その過程で、あなたはそうした解決策が実際には何の役にも立たないことを見いだす。どんな問題であれ、それらの解決策は問題を解決しない。そうした解決策は、問題を存続させる。解決するのではない。テープレコーダーやテレビに不具合があるなら、修理することができる。助けてくれる技術者もいる。しかし、こちらは一生涯、延々と続く、終わりのない過程なのだ。何かがますます増え、別の何かがますます減っていく。

だから、あなたは決して解決策そのものを疑わない。本当に解決策を疑うなら、その解決策をあなたに与えた人々も疑わざるを得なくなる。しかし、感傷的な思いが邪魔をして、解決策だけでなく、それを与えてくれた人々まで拒絶することができない。そのことを問い直すには、あなた自身に途方もない勇気が必要だ。山に登ったり、湖を泳いで渡ったり、いかだに乗って大西洋や太平洋の向こう岸まで行ったりする勇気なら、あなたにもあるだろう。そんなことは愚か者にだってできる。しかし、自分自身の力で立ち、自分の両足でしっかりと立つ勇気は、誰かから与えてもらえるものではない。その勇気を育てようと努力しても、その重荷から自由になることはできない。人類の過去全体という重荷から自由になれば、そこに残るもの、それが勇気なのだ。

終わり