2026/02/11

私たちの本性は体験に先立つ  ルパート・スパイラ

「Rupert Spira 非二元のエッセンス」堀田真紀子さんのYouTubeから転載させていただきました。わかりやすい日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→日本語)。

堀田さんのYouTubeチャンネルに堀田さんによる詳しい解説があるので、そちらを参考にしてください。堀田さんのYouTube

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これぞ非二元の教えの神髄のような動画。まったくすばらしい。


2026/02/09

時間を実際に経験することは決してない  ルパート・スパイラ

Time Is Never Actually Experienced
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

13 歳の少年が、「なぜ私たちは寝ているときに時間の感覚を失うのでしょうか?」と質問します。

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ルパートは13歳の少年に向かって、時間はあるように見えるだけだけ、そして世界もあるように見えるだけだと説明します。それを理解しても世界の見え方は変わらないが、世界に対する経験が変わり、美や愛を経験するようになると教えます。

時間に関する部分の説明はセイラーボブと全く同じです。過去や未来は私たちのマインドの中にあるだけで、実際に過去や未来へ行くことはできません。

しかし、どうして13歳の少年がミーティングに参加して質問しているのでしょうか。英語版を聞いてもらえばわかるのですが、声がまだ幼い。でも、とっても聡明そうです。

2026/02/07

時間は幻想である  ルパート・スパイラ

Time Is an Illusion
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

時間は幻想なのでしょうか?もしそうなら、なぜ私たちの過去に関する知識はそれほどリアルに感じられるのでしょうか?過去の記憶は、時間が存在する証拠ではないのでしょうか?

ルパートは、あなた自身の経験について、紛れもなく真実である二つのことがあると言います。一つは、あなたには時間の経験がないということです。私たちは過去について考えることはできますが、過去について考えることは過去の証拠にはなりません。証拠を見つけるには、実際に過去を訪れ、それを経験しなければなりません。

二つは、時間に関するあなたの知識は思考と相関関係にあり、時間が思考を引き起こすという推定は、経験では実証できない推定です。経験は、因果関係の矢印は実際には逆方向、つまり思考が時間の見かけを作り出すことを示しています。

私は、時間が存在しないとあなたに納得させようとしているのではありません。時間は私たちが考えているようなものではないことを示唆する二つの経験的事実を示しているのです。これらの二つの事実を参考に、時間、過去、そして未来に関するあなたの経験を深く考察し、心を開いて考えてみてください。この考察があなたをどこに導くかを見極め、性急に結論を出さないでください。

記憶は過去の証拠だと決めつけないでください。記憶には他の解釈も考えられます。

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私のパソコンでは日本語字幕を出すのに何回もやらないと出ません。ひょっとするとパソコンが古いからかも。

このあたりの説明はセイラーボブの説明とほぼ同じです。私の場合は時間が存在しないということを理解するのに随分と時間がかかりました。
どの動画だったか思い出せないのですが、ルパートは他の動画の中で、マインドは過去の記憶の情報を一度に受け入れる事ができないので、時間というものを生み出して、そこに出来事を記憶として納めているという説明がありました。あれはわかりやすかった。ただ、その部分をブログで取り上げなかったので、どの動画だったかわかりません。

2026/02/05

すべては意識に現れたマインドの中の夢  ルパート・スパイラ

Everything Is Just a Dream in the Mind of Consciousness
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

すべては夢なのでしょうか?何か存在するのでしょうか?もし存在しないとしたら、何が起こっているのかをどう説明できるのでしょうか?

ルパートは、何も存在しない、と断言します。起こっているのは、ただの見かけ上の出来事です。夢の中では、浜辺、木々、水、砂、人々など、すべてが存在しているように見えます。しかし、目が覚めると、そこには何もなかったことに気づきます。夢の中では現実に見えた時間と空間は、覚醒状態から見ると全く非現実的なのです。

私たちは一種の夢のような状態にあり、時間と空間にある物体は、私たちの限られた視点からは現実のように見えます。しかし、目が覚め、夢の状態から覚醒状態へ、そして覚醒状態から意識へと一つ上のレベルへ移行すると、まるで夢から目覚めたかのような状態になります。ここには物体はなく、時間も空間もありません。そこにあるのは意識だけです。

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ルパートは時間も空間も物を実際には存在せず、うわべ上でそう見えるだけだと説明します。そして私たちは「神のマインドの思考」だと言います。物があるように見えるのは局在化された私たちの視点を通して見るからにすぎないと言います。

前回の動画のような説明はわかりやすいのですが、こういう非論理的な説明も好きです。セイラーボブの説明も非論理的でしたが、直観に訴える力がありました。結局、いくら理屈で説明してもそれを科学的に立証する方法はありません。一番大切なのは直観的な理解のような気がします。

2026/02/03

物は実在ではない

前回のブログに掲載したルパートのYouTubeが参考なるので、もう一度取り上げてみます。

私たちの持つ古典的な考え方では、世界70億の人が同じ一つの世界を見ていると思っています。でもそうではなく、一つの意識が70億の世界を見ているとルパートは説明します。物は実在(existence: 動画では「存在」と訳されている)の中に思考となって現れるのであって実在ではない、と言うのです。

私たち一人一人はそれぞれ別の意識があって、それぞれが同じ世界を見ていると思っているが、実際には一つの意識が個人の意識となって局在化し、別々の世界を見ていると言うのです。この世界観は仏教の唯識の世界観とほぼ同じではないでしょうか。唯識も人人唯識(にんにんゆいしき)といって、一人一人が別の世界を見ているといいます。その大元の情報源が阿頼耶識(あらやしき)です。ルパートの説明はひょっとすると唯識思想をヒントにしているのかもしれません。

セイラーボブは「世界は幻である」「世界は意識の中にだけある」「あなたがラベルを貼らなければ、そこに物は実在しない」「万物は一つのもの」「一つの意識だけがある」という言い方で、世界は実在ではないということを説明します。でも、ルパートのような緻密な説明を聞いたことがありません。

私はセイラーボブの説明で、世界は意識の中にだけ現れているということは十分に納得していましたが、ルパートの説明を聞いてさらに深く納得しました。ただ、ルパートの説明する世界観が正しいかどうかを立証する方法はありません。また、ルパートもスクリーンや夢の例え話を使って、いわば非論理的な説明をする時もあります。もともと異次元、あるいは次元の無い世界の話を単純なモデルにして説明しているだけなので、実際にはどんな世界なのか想像することさえ難しいのだと思います。

もちろん勘違いしてはいけないのは、現実世界には物質もあるし、体も世界ある。それが無いなんてことを言っているわけではない。人間の体や目を通して見れば、当然世界はある。肉体がある以上、古典的な考え方に縛られるのはあたりまえのこと。

以前、非二元には全く興味のない友人に、「リンゴは実在ではない」ということを説明しようとしてうまくいかず、最後には怒らせてしまって、「変な本ばかり読んでいるからおかしくなるんだ」と言われたことがあります。今度はきっとうまく説明できると思います。でもきっと、「変なYouTubeばっかり見てるからおかしくなるんだ」と言われるでしょう。

2026/02/02

物は実在しない;実在の中に物が現れる  ルパート・スパイラ

Objects Don't Have Existence; Existence Has Objects
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

我々が知覚している世界以外の世界、物体の存在を知っているという仮定、そして意識は身体の産物であり身体に限定されているという仮定についての議論。

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質問者は、なぜ無限の意識の中に世界が現れるのかわからないと質問します。それに対してルパートは、世界は意識の中にだけあるということをわかりやすく説明します。

この内容はセイラーボブが言っていることと同じで、私が何度もブログに書いてきたことです。ただし、説明の仕方がセイラーボブとは違って、もう少し緻密です。

ルパートの説明は、私が「科学的アプローチ」や「仏教その他」(佐々木閑先生の説明)で書いた、世界は意識の中にしかないという説明と基本的には同じです。違うのはその最初の部分に一つの意識(アウエアネス)があるという点が違います。また、一つの意識がたくさんの世界になるというくだりは唯識の世界観ととても似ています。

この動画の日本語訳の「心」→「マインド」、「気づき」→「意識」、「存在」→「実在」に変えて聞くともっとよくわかると思います。

2026/02/01

佐々木閑先生の新しいシリーズが始まりました

佐々木閑 仏教講義 12「新説・インド仏教史 その1」(「仏教哲学の世界観」第15シリーズ)

楽しみです。

2026/01/30

恐怖の正体を見抜く  ルパート・スパイラ

Discovering What Fear is Made Of  Rupert Spira
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

恐怖が私たちの本質の平和を曇らせるわけではないことを理解しましょう。

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不思議なことに、この動画で語られることと全く同じ内容をセイラーボブの spiel で何度も聞いたことがあります。ラベル、空間という言葉も同じです。

セイラーボブは、「恐れがやって来て、その恐れという感情に「恐れ」というラベルを貼らなかったら、それは何のかですか? ラベルを貼らずに観察してみてください。それは単なるヴァイブレーションです」という話をしょっちゅうしていました。

私は昔、極度の強迫神経症(今でいうならパニック障害)で苦しみました。森田療法によって随分と改善したのですが、あの頃この話を聞いていたなら、あんなに長く苦しむこともなかったような気がします。

2026/01/28

架空の自己の専制から思考を解放する  ルパート・スパイラ

Liberating Our Thoughts From the Tyranny of the Illusory Self
日本語で聞くことができます。

YouTubeno解説

この動画では、ルパートが分離した自己から生じる思考を探ります。

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この動画の日本語訳は少しわかりにくいです。勝手にまとめてみます。
有限の一時的なものが肉体に宿っているのが「私」だと思っていると、周りの世界もそのように、すべてが自分とは分離したものとして現れる。ところが、自分のことを「無条件の気づき」であると思っていると、世界もそのように現れ、物事は一体のものとして認識され、世界は純粋な意識として認識されるようになる。

ところが、自分のことを「無条件の気づき」であると理解するだけでは十分ではない。体とマインドは長年にわたって架空の自己として認識され、恐れや神経症を抱えているため、架空の自己は抵抗しておとなくならない。自らの存在の危機にさらされた架空の自己は何度も何度も思考としてやってきて分離した自己が「私」であると主張する。

自らの本質を理解するだけでは十分ではなく、私たちの思考、フィーリング、活動、関係性、認識を再調整する必要がある。そこで、そういう思考がやって来て行動を起こす前に、この思考は、「分離した自己にもとづくものではないのか」、「この思考は誰の思考なのか」と自問して調べる。その思考がやってくるたびに徹底的に調べる。

やがて思考は自己の本質、純粋なアウエアネスからやってくるようになる。思考が止まることはないが、思考は自己の本質からやってくるようになる。これは思考を無くすことではなく、架空の自己の専制から思考を解放するということ。

最初は本当の自己に気づくのに時間がかかるが、練習していくとだんだんと速くなって、最終的には瞬時に気づくようになる。

この話の重要なところは、自己の本質を理解するだけではダメで、架空の自己としての思考がやってくるたびに調べてみるということをしないと、古い習慣はなくならないということ。非二元の教えをただ理解するだけでは何も変わらない。

2026/01/26

時間と死  ルパート・スパイラ

Time and Death
 
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このビデオでは、ある男性が、時間、死、今から抜け出すことに焦点を当てた心の認識、過去と未来の経験など、多くのトピックについてさらなる理解を求めています。

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この動画でルパートは、時間はマインドの中にしか存在しないということを説明しています。残念なことに16分30秒ぐらいから17分21秒ぐらいまでの日本語音声が途切れています。ちょっと簡単に補足すると、ルパートが時間は実在ではないと一通り説明したあと、質問者が、では死についてはどうなのか?と尋ねます。

するとルパートは、眠りの例を出して、眠る前の記憶はあるが、眠っている間はマインドが消えているので、時間は存在せず、次に思考が戻ってくるのは目が覚めた時。眠っている間は時間はないと説明します。夜眠りにつく真夜中から目を覚ます朝6時までの6時間は時間は実在ではない。

では、この眠る時をあなたの誕生までさかのぼらせ、目覚めた時をあなたの死のときまで引き延ばしたらどうでしょう、そこには時間は存在しないのです、と説明します。

この動画はまったくすばらしい。時間は実在ではないという説明で、これほど説得力のある話を聞いたことがありません。

2026/01/24

これらはすべて見かけ、マーヤであり、すべては幻想である

質問者: 生命の本質はこうで、意識や知性はこうだ、と思えることがあります。そして、それらは別々です。それらは別々のものなのでしょうか、それとも同じものなのでしょうか?

ボブ: 私たちが話したことを覚えていますか? 非二元性。他には何もない一つのもの。なぜ「他には何もない一つのもの」と言われているのかというと、一という概念は一以外の何かが存在する可能性を示唆してしまうからです。ですから、「一以外の何か」という概念が少しでも浮かんだら、あなたは非二元性から出てうわべ上では二元性に入った、あるいは二元性から出たということです。

仏教でも同じことを言います。それは非概念的で常に新鮮な「今ここに在る意識」であり、他には何もありません。仏教は、非二元性にはいかなる二元性も絶対に存在し得ないと指摘しています。しかし、私たちの周りではこの現象全体に二元性が満ちています。繰り返しますが、経典では、これらはすべて見かけ、マーヤであり、すべては幻想であると指摘されています。

2026/01/22

「私」とは何か。様々な説明。

私はこのブログにいろんな人や教えが語る「私」とは何かを書いてきました。そこで、それぞれ人が「私」をどう説明して、なぜ「私」はいないのかを勝手にまとめてみたいと思います。

セイラーボブは「私」とは海の中に現れた一つの波のようなもので、一つ波は自分が独立したものだと考えているが、波は海の一部であり、独立したものではないと教えます。「私」とはマインドなのか体なのか、その始まりはどこにあるのか、自分で調べてみなさい、それは一種のエネルギー現象であり、実体のある「私」はどこにもない、「私」とは過去の記憶や条件付けにすぎないと教えます。

原始仏教では、「私」とは五蘊のかたまりであり、そこには永遠不滅の魂のようなものはないと教えます。

唯識では、「私」には実体がないが、個人それぞれが別の世界を見ていて、阿頼耶識でつながっていると説いています。

そしてルパート・スパイラは全体の「意識」が局在化したものが「私」であり、もともと個人は存在しないと説明します。また、パリの街を歩く「私」をカリホルニアのベッドの中で夢に見ているようなものだとも話します。

そして、「科学的アプローチ」のところで書いたように、現代の脳科学では「私」は実在しないと言っています。

どの説明も魅力的で説得力があるのですが、どの説明も実験的に立証する方法や科学的な証拠はなく、理解はあくまでも直観的、感覚的な理解に留まります。ましてやエンライトメントのようなことが起こって、ある日突然理解が拓けるとか、そういう世界を見るなんてことは起こりません。

私としては、どの説明でもいいと思います。「私」はいないと納得すればいいだけの話ではないかと思います。肉体を離れてそれを確かめた人は誰もいません。どう考えても「私」はいないとしか思えないというのが私の結論です。もし、直観的に非二元の教えが真実だと感じているのに、まだ「私」がいないとは思えないのなら、さらに深く非二元の教えを学べばいいのだと思います。

そしてまた、(そんなものかな、あんまりよくわからない)でも全くOKだと思います。非二元の教えの大切なところは、悩みや問題は思考の産物であり実体がないというところにあると思います。そういう意味において幸福になること、悩みから解放されることが目的であり、世界が幻だとか、「私」はいないということは、いくら突き詰めても立証できないことだと思います。

2026/01/20

あなたは時間や空間の中にはいない  ルパートスパイラ

You Are Not Located in Time and Space
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

どのようにして時空を超えて存在することが可能なのでしょうか?意識が感覚を超えて存在するという考えを、心は理解できるのでしょうか?

ルパートは、肉体は意識が世界として自らを認識するための手段であるが、目の奥にあるという意味ではないと説明しています。肉体は、知覚という限られた観点から見た肉体に過ぎません。肉体は心、つまり思考と知覚によって作られています。

しかし、あなたの現在の経験を認識しているものは、感覚知覚の能力を通して認識しているだけで、覚醒状態において現実に見える時間と空間のどこにも位置していません。私たちが経験を認識するための認識は無次元です。それは別の領域にあります。時間と空間は、次元を持たないこの永遠で無限の意識の領域の顕現なのです。

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この説明はおもしろいです。カリフォルアで寝ている人がパリを歩いている夢を見ているとしたら。パリの街を歩きながら、目を閉じると世界が消えます。また目を開けるとパリの街が見えます。そこにパリの街があって、自分はそこを歩いていると思っています。でも、それはカリフォルニアで寝ている人の夢だったとしたら。

世界はマーヤーだというのと同じ理屈ですね。

2026/01/18

意識の局在化(localization)

ルパート・スパイラは様々な手法で「私」とは何かを説きますが、その中の一つに「意識の局在化」があります。

私にはルパート・スパイラが使う「意識の局在化(localization)」という説明がわかりやすくてしっくりきました。備忘録的にちょっとまとめて書いておきます。

ルパートは私たちの本質のことを、「意識」(awarenessまたはconsciousness)」や「無限の意識」、「無限のもの」あるいは「神」などと呼びますが、ここでは説明の都合上、意識と呼ぶことにします。世界はその意識でできている。できているという表現が適切でなければ、すべてが意識そのもの。

まず最初に無限の一つの意識だけがある。そして、その中のどこかに局在化が起こる。どうして起こるのかは今まで見た動画では説明がなかったが、とにかく起こる。その局在化したものが「私」。局在化という言葉がわかりにくければ、意識が少しだけ濃くなるところができる(これは私が勝手に例えたもの)。セイラーボブなら、大きな海の中に小さな波がポツンと立ったような状態。それが「私」。

局在化した意識の「私」は自分が大きな意識の一部、もしくはそのものだということを知らない。体とマインドを持った「私」は大きな意識を認識することは決してない。ところが、私たちが夜眠りに落ちるとその局在化が少し緩む(弱まる)。すると体とマインドは消えて、そこには時間も空間もない。

私たちが眠っている間は時間も空間もない。なぜなら、時間や空間はマインドの中にしか存在しないから。眠っている間はマインド(思考)は消えている。そして眠りから覚めると、また局在化が強くなり、思考が戻ってきて、時間と空間の中へと戻ってくる。それが毎日繰り返される。

そして私たちが死ぬ時、局在化は消えて無限の意識だけが残る。再び同じ人間としての局在化が起こることはないので、魂のようなものがあってまたこの世に戻って来ることはない。また、魂のようなものがどこか天国で暮らすということもない。

局在化した意識は無限の意識を認識することはできない。なぜならそれは同じものだから。目が目を見る事はできない。局在化がなくなった世界では今私たちが見ているような世界を見ることはない。もともとそんな世界は存在しない。そこには意識だけがある。だから今私たちが見ている世界は幻想ということになる。

以上勝手にまとめましたが、ルパートの説明は合理的で納得できるものです。それでいて、セイラーボブの話と矛盾するような点がない。セイラーボブだったら、海に現れた一つの波で説明するところを、もっとわかりやすく説明してくれています。

また、セイラーボブのミーティングでは、なぜピラミッドが幻なのか、なぜビクトリア通りが幻なのかをこれほど明確な説明で聞いたことはありませんでした。こういう説明ならわかりやすい。

2026/01/16

ガイド瞑想:二つの視点に立つことはできない ルパート・スパイラ

Guided Meditation: You Cannot Have Your Cake and Eat It
日本語音声で聞くことができます。58分。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このガイド付き瞑想で、ルパートは「アジャーティヴァーダ」と「ヴィヴァルタヴァーダ」という二つの概念を探求します。

ルパートはこう述べています。「ヴィヴァルタヴァーダとは、世界は幻想であるという考えです。つまり、世界は現実ですが、見た目通りのものではありません。私たちが知覚というレンズを通して見ているからこそ、そのように見えるだけなのです。そして、このレベルこそが、最高の非二元的な教えのほとんどが説かれているレベルです。」

「アジャーティヴァーダは最高の非二元的な理解ですが、ほとんど語られることがありません。それは、創造も世界も宇宙も存在しない、つまり何も存在しないという考えです。この観点から見ると、世界の外観さえ存在しません。これは私たちの経験とあまりにも深く矛盾しているため、口にするにはあまりにも深遠すぎると考えられています。」

「私はこの究極の視点について、私たちの理解を超えた抽象的な哲学的概念として捉えず、何らかの形で私たちの経験に取り入れることができるよう、何かを語ってみたいのです。」そして、そのために、私はよく知られている英語の口語的な言い回しを使わせていただきます。「ケーキを食べてそれをまた食べることはできない」。この言葉に、最高の非二元的な理解が含まれていると知ったら、驚かれるかもしれません。

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なぜ私たちは無限の意識を認識することができないのか、そしてまた、なぜ世界が幻想であると言われるのかをわかりやすく説明してくれます。

なぜ私たちが無限の意識(セイラーボブで言うならアウエアネス)を認識できないかを、これほどわかりやすく説明している動画はないのではないでしょうか。

日本語の自動翻訳は時々意味がわからないところがありますが、英語で聞いたらよくわかるかというと、そうでもない。理解の難しい箇所はありますが、それでも全体的に大きな理解をもたらしてくれると思います。すばらしい動画なので、ぜひ見てください。

なお、アーティヴァータとヴィヴァルタヴァーダをGoogle(AI)で調べた抜粋を以下に掲載しておきます。

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Ajātivāda(アーティヴァータ)は、「無生(むしょう)」または「不生(ふしょう)」を意味するサンスクリット語の哲学用語で、「いかなるものも決して生まれることはない」という根本的な教義です。 
主にヒンドゥー教の不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派)や大乗仏教の中観派において重要な概念として用いられますが、その解釈には違いがあります。

Vivartavada(ヴィヴァルタヴァーダ )は、インド哲学、特に**不二一元論(アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派)における重要な概念で、「非実在的転変説」または「仮現説」**と訳されます。 
これは、現象世界がブラフマン(梵、宇宙の根本原理)から生じたものであると見なす際の、その生成のされ方に関する理論です。
主な内容は以下の通りです。
根本原理: 唯一の実在はブラフマン(梵)のみであり、名前や形を持つ経験世界(現象世界)は、ブラフマンに依存して現れているが、それ自体は究極的な実在ではない、とします。
非実在的転変: 現象世界への変化は、原因(ブラフマン)が結果(現象世界)に実体的に変化する(例:牛乳がヨーグルトになるような「実体的転変説(パリナーマヴァーダ)」)のではなく、実体は変化せずに、あたかも変化したかのように見える「非実在的な変化」であると説きます。
例え: 最もよく用いられる例えは、「縄を蛇と見間違える」というものです。暗闇の中で縄を見ても、それが縄であると認識できない場合、人はそれを蛇だと誤認します。このとき、縄自体は蛇に変化したわけではなく、誤解によって蛇が「仮現」しているだけです。この「縄」がブラフマン、「蛇」が現象世界に相当します。
目的: この理論は、究極の実在であるブラフマンと自己(アートマン)が本来同一である(梵我一如)ことを悟り、現象界が実在しないものであると理解することで、苦悩や迷妄の束縛から解脱(げだつ)することを目指すための教義的説明です。 

2026/01/14

世界は幻か? ルパート・スパイラ

Is the World an Illusion?  Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます(⚙️歯車マーク→字幕→英語(自動生成)→英語(自動生成)→自動翻訳→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

このビデオクリップでは、ルパートは、世界は幻想であるという精神的な教えにおける一般的な誤解について説明しています。

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いにしえの賢者たちは、「世界は幻だ」と言いました。しかし、それは誤って解釈されていると言います。「世界は幻」ではなく、私たちが認識している世界が幻だという意味。つまり、私たちの有限のマインドで認識している世界が幻だといいます。

物質や思考は私たちが認識しているようなものではなく、それは意識でできている(意識に現れていると言った方がいいのかも)。スクリーンの上の映画のように、私たちはそこに世界があると思っているが、実際にあるのはスクリーンだけ。そのスクリーンが意識(ここではconsciousと言っている)。

ただし、私たちの体験は幻ではない。私たちは物質を体験して、コップを手に取って水を飲むこともできる。体験そのものは幻ではないが、それは幻の世界の体験。世界は意識でできているということを理解すると、世界の見え方が変わってくるのだそうです。

その意識が何なのかは私たちには理解できない以上、このあたりの説明は感覚的に理解するしかないのなぁと思います。

2026/01/12

なぜあなたは目覚めた時の経験を語らないのですか? ルパート・スパイラ

Why Don’t You Ever Talk about Your Awakening Experience?
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。10分。日本語音声を聞きながら、日本語字幕を見ることをおすすめします。そうするとどちらかの誤訳をカバーできます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性は、悟りの体験をしたものの、その後すぐに強烈な至福が消えてしまったと言います。真の本質を垣間見た後に経験した心の状態が、どうして簡単に消えてしまうのでしょうか?

ルパートは、それは単に高揚した心の状態だったと言います。真の本質を認識したわけではありません。真の本質は、一時的なものではありません。確かに、この認識が心身に非常に深い影響を与えることもありますが、それは真の本質を透明に認識したことによる副産物です。

真の本質を認識することは、はるかにシンプルで静かなものです。それは、あらゆる経験の背景に常に存在する意識の存在を認識することです。ただ、存在している、あるいは気づいているという事実に戻るだけです。それだけです。特別なことは何もありません。ある意味では、それほど静かであれば最も安全です。なぜなら、振り返って素晴らしい悟りの体験を主張することは決してできないからです。

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質問者の女性が一瞥体験のような体験を語りますが、ルパートはそれは単なる体験であり、エンライトメント(悟りと訳されている)とは何も関係ないと教えます。本質(ここではアウエアネスのことをそう呼んでいる)は行ったり来たりする体験ではなく、背景にあるスクリーンのようなものだと教えます。

質問者は途中でエックハルト・トールが突然それを体験した例を出しました。それに対してルパートはエックハルト・トールに敬意を表したうえで、その出来事は本を書くには良い出来事だが、エンライトメント(悟り)は体験する何かではない、と教えます。

私はエックハルト・トールの本は全部読んでいますが、非二元を学んでからは彼を支持しなくなりました。エックハルトが本に書いた体験が人々に誤解を与えていると感じたためです。エックハルトはあの体験のあと至福の状態で二年間毎日公園に座っていた書いています。あれを読んだ人たちは、エンライトメントがあると信じる羽目になります。

そして彼はそれを客寄せに使い、自らを覚醒した人であるかのように演じて大金を稼いでいる気がします。人々は自分もそれを手に入れたいと彼に群がるのです(かつては私もその一人でした)。その体験を嘘だと言うつもりはありません。でも、それは個人の体験であり、エンライトメントとは何も関係ないと思います。ルパートがそれをはっきりと指摘してくれてうれしく思いました。

エックハルト・トールの話のすぐ後に出てくる禅マスターとは鈴木俊隆(すずきしゅんりゅう)のことです。この話もおもしろいですね。

2026/01/10

瞑想:神の無限のマインドの中の一つの夢 ルパート・スパイラ

Meditation: A Dream in God's Infinite Mind  Rupert Spira
日本語字幕で見ることができます。1時間28分。この動画を日本語字幕で見るのは少し大変かなと思います。長い上に字幕が遅れたり正確でなかったり。でも、とても良い動画なので、備忘録的に載せておきます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

この瞑想は、意識の無限の性質の認識と、意識がすべての客観的経験の実体であるという感覚/理解を引き出す質問を提示します。

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タイトルの意味は、私たち一人一人が生きている現実は神の無限のマインドの中の一つの夢にすぎないという意味です。

私たちは、意識は私たちが生まれた時、つまり体が始まった時に起こったと思っていますが、そうではなく、それは始まりも終わりもなくずっとあるものだということを順に説明していきます。

それは駅のホームで電車が通りすぎるのを見ている人のようなもので、電車がやって来ては通り過ぎていくが、ホームの人はただそれを見ているだけという説明から始まります。

いろんな例えを使いながら、私たちの現実には実体がなく、一つの夢だということを説明していきます。

話を理解しようとしないで、感じてと言っています。
この動画を見た感想は、すっきりしたというよりは、そうなんだろうなぁ、という感じです。

2026/01/08

思考はマインドから起こっているのではない  ルパート・スパイラ

Our Thoughts Don’t Come From the Mind
日本語で視聴できます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

思考はどこから来るのでしょうか?ある質問者が、意識のみのモデル、思考の起源、心の本質、そして心の限界を超える方法について、ルパートと議論を交わします。

ルパートは、意識のみのモデルにおいては、無限の意識が文字通りすべてのものが生じる媒体であると説明します。思考は、歯痛のような個人的な経験、コロナウイルスのような心の外で起こる出来事、あるいは子供の頃の経験を通しての過去の経験によって条件付けられることがあります。

私たちは自分の経験を探求すればするほど、私たち一人ひとりの自己が無限の意識の自己であることに気づきます。そしてある時点で、個人的な思考や感情は静まっていく傾向があります。なぜなら、それらが中心に据えるべき明確に定義された個人的な自己、あるいは自我がもはや存在しないからです。心は限界を失い、無限の意識、あるいは宗教用語で言えば神の存在と一体であると認識されるまで、拡張していきます。

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意識(アウエアネス)の外には何もないという点ではセイラーボブの説明と同じですが、アウエアネスと思考のモデルをセイラーボブからは聞いたことがありません。ルパートの説明を鵜呑みにするわけではありませんが、説明が合理的で納得のできるものです。

大きな一つの意識があって、その局在化したものが個人の意識だという説明は説得力があります。そして私たちが死ねば、その局在化が消えて大きな一つの意識だけが残る。そう考えるのが合理的な気がします。局在化という言葉をルパートは使いますが、なかなかいい表現だなと思います。

2026/01/06

エンライトメントの探求  ルパート・スパイラ

The Search for Enlightenment
日本語字幕で見ることができます。
ところどころ意味不明の固有名詞や誤訳がありますが、話の大筋は理解できると思います。正確に知りたい方は文字起こし機能を使って英語字幕を出して、Google翻訳にかけてみてください。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ある女性が悟りを求める旅について語り、ルパートにその旅を手放すための助けを求めました。
ルパートは、悟りは経験ではなく、単に自分の本質を認識することであり、人生におけるどんな経験も自分の本質を変えるものではないと説明しました。そして、あらゆる欲望の根底にあるのは幸福であり、欲望は私たちが欲する物ではないと説明しました。

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質問者の女性はエンライトメントの体験がしたくてルパートに質問をしますが、ルパートはエンライトメントは体験するものではないということを教え、エンライトメントとは何かを順に説明していきます。この動画でもルパートはエンライトメントとは何かを見事に教えてくれます。

ルパートがこれほどまでにセイラーボブと同じ説き方をするのにはちょっと驚きました。「あなたが五歳の時からずっと変わらずにあるものは何ですか?」

途中ルパートが尋ねます。「あなたは、ポルシェを手に入れたら不幸になり、ひどい中古のフォードを手に入れたら幸せになれるとわかっていたら、どっちを選びますか? ものすごいハンサムで知的で金払いのいい男と付き合えば、たちまちみじめなるが、見た目はそこそこで、まあまあ知的だけど、無職で金をあまり持っていない男と付き合い始めたとたんに幸福になれるとしたら、どっちを選びますか?」

私だったら、ポルシェとハンサムな方かなぁ。だから不幸なんやね。

2026/01/04

あなたが最初に目にするものは何でしょうか?

こう言いましょう。あなたが最初に目にするものは何でしょうか? それは空間ではないでしょうか? 空間は澄み切っていて、空です。
すべての顕現は空間の中で起こります。
つまり、顕現とは空間の内容物なのです。
空間がなければ内容物は存在し得ませんが、あなたは空間には気づいていません。明白なものに気づいていないのです。
あなたは内容物に気づいています。
さて、意識や認識についても同じです。
最初に起こるのは意識(アウエアネス)ですが、私たちは意識にとどまっていません。
私たちは意識に気づいているのではなく、意識の内容物に気づき、その内容物の中に何らかの解決策を探しています。
焦点をあの「存在」に戻しましょう。いや、実際には、戻すということでさえありません。そこから逃れることはできないのですから。そのことを理解してください。
                                    セイラーボブ

2026/01/02

瞑想:気づいていることに気づいていることが最高の瞑想である  ルパート・スパイラ

Meditation: Being Aware of Being Aware is the Highest Meditation
日本語字幕で見ることができます。43分。ゆっくり話しているので、日本語字幕はかなり正確です。

YouTubeの解説(Google翻訳)

あらゆる経験に深く浸透する、気づきの経験の探求。

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ルパートの動画の「瞑想」とタイトルがあるのは講話による瞑想のことです。対話形式ではなく、ゆっくり話しているので理解しやすいです。

この動画はすばらしい。ルパートは「私」とは何か?「私」に意識を向けるようにと導いていきます。そして最後に、エンライトメント(悟り)へと導いてくれます。それにしても、言っていることがセイラーボブとまったく同じ。

結局、非二元で教えている一番肝心な部分は、この動画に集約されるのではないでしょうか?