2016/02/29

セイラー・ボブ・アダムソン・ミーティング2016 ⑪最終回

セイラーボブ・ミーティング・2016を①から読む方はこちら

「Sailor Bob Adamson Inter-view・ギルバート・シュルツ編纂」から抜粋

筆者注:以下の発言はすべてセイラー・ボブ・アダムソンの発言です。原文には前後に質問者の質問や応答がありますが、それを載せると長くなるうえに、かえって焦点がボケてしまってわかりにくくなるので割愛します。
ボブの発言部分については省略・改変することなく、原文に忠実に翻訳掲載しました。


p3
「まず初めに、あなたは体でもなければマインドでもありません。あなたは、アウエアネス、意識、注意深さ、目覚めている状態と言われている生のエッセンスそのもの、すなわち知性エネルギーであり、それがこの森羅万象を機能させています。それはたった一つの実在。」

p3
「ちょっと考えてごらんなさい。あなたはアウエアネス(意識)を掴むことができるでしょうか? それを形にできるでしょうか? 形態や大きさ、場所を与えることができるでしょうか? それは空間のようなものであり、物ではありません。それにはパターンや形は無く、中心も周辺もありません」

p4
「仏教で使われる別の言葉では、wakefulness(目覚めている状態)と彼らは呼びます。wakefulness は アウエアネス(意識)によく似ています。あなたは朝目を覚まし、そして今も起きています。

そして今朝あなたが目を覚ましてから、すべての物事が起きました。それは、何の中で起こったのですか? それは、目覚めていることの中で起こったのではないですか? しかし、その目覚めていることとは一体何でしょうか? そして、その目覚めていることを手に入れるために、あなたは何かをしなければならなかったでしょうか?」

p4
「アウエアネスという言葉を聞いたとたんに、たいていの人はアウエアネスを手に入れようと捜し始めますが、捜しても無駄です。人々はアウエアネスが何なのかを考え始めます。そして人々はそれに対して、それはこうあるべきだという概念を抱きます。

しかし、(目覚めている状態)という言葉を使うとき、目を覚ましていることに対して、あなたは何をしなければならないというのですか? あなたは自分が眠ってはいないことを知っています。それなら、あなたはそれを捜す必要はなく、何もする必要などないのではないですか?あなたが眠っていないのなら、起きているに違いありません。

それをそのままにしておいてください。それをいかなる方法でも、変えたり、正したり修正したり、また捜し求めたりしないこと。それは昼であろうと夜であろうと、どんな活動がなされていようが、すべてはその中で起こります」

p5
「それは常に明白で明らかなことです。はっきりしているにもかかわらず、気づかない。それゆえニサルガダッタや、たいていのいにしえの教典ではこう説きます。(我々の問題は無知からくる)と。それは愚かだと言っているのではなく、知らないふりをしているのだということです。我々は、自分たちの本質を無視して、その内容物、その中で起こっているいくつかの活動に焦点をあて、この部分は私、残りの部分は私じゃない、などと常に選んでいます」

p41
質問者の「日常の普通のアウエアネス(意識)ではなく、何かもっと深淵ですばらしい何かが起こることを待ち続けている私たちに向って何か言ってください」という質問に答えて。

「それで今あなたはどうですか? 起きて(awake:目を覚まして)いますか?」

「それでその目覚めている状態に、あなたは何をしなければならないと言うのですか? あなたはそれを捜さなくてはいけないのですか? あなたは自分が眠ってはいないということを理解するだけでいいのです。あなたは確かに眠ってはいない。そして眠っていないのなら目覚めているに違いないのです。

目覚めている(awake)を別の言葉で言うとどうなりますか? 目覚めている(awake)はアウエアネス(awareness・意識)でしょう?」

「それが目覚めている状態、すなわちアウエアネスです。フル・ストップ!(ピリオド)。あなたはそれに何を付け加えられるのでしょうか? あなたはそれから何を取り去ることができるのでしょうか? それから、どんな深淵なことを得る必要があるのでしょうか?」

p42
「その他に何を求めているのですか? あなたは精神の高揚や下降が欲しいのですか? もしそれが得られたとして、それがいつまで続くと言うのですか? 何かすばらしい体験? たぶんあなたも人生の中で、途方もなくすばらしい経験をしたことが何度かあるでしょう。それを思い出してみてください。それが長く続いたかを?」

p43
「あなたはそれを何と呼びますか? 普通のアウエアネス(意識)です。普通の、ただの日常の普通のアウエアネス(意識)です。

さて今、すばらしい、偉大な経験をしたとします。すばらしい一瞥、ビジョンやあらゆる種類のものを。また、極上のエクスタシーを体験して、あなたはまたそれを捜し求めます。もし、その状態が一週間続いたらどうなりますか? 一ヶ月、一年。そしたらどうなりますか?」

「それが普通の状態になります。普通のありふれた日常の状態となります」

「あなたはまた何かもっと良いものを捜し始めるでしょう。というのも、この目覚めている状態がいつもの状態であるために、それがありふれた普通のものに見えてしまうからです。とても普通の状態に。しかし、その本質を見てください。くつろいで。自分の本当の姿を知ること。それがいわゆる再認識(re-cognize)というものです。

あなたはすでに知っていて(cognized)、何度も何度も認識しいていますが、思考という一団の雲に覆い隠されてうわべ上は認識できなくなっています。しかし、それを再認識してください。そうすれば、雲が無ければ太陽が燦然と輝いていることを認識できるでしょう。

この例えを利用してください。そして太陽は暖かく、明るく、輝いていて、とても幸せです。その本質はあなたも同じです。明晰で空、暖かく、そう言いたければ愛情に満ちていると言ってもいい。」

***

以上で抜粋翻訳終わり。

セイラー・ボブが説くのは非二元・他に何もない一つのもの。一方で私たちが見ているのは分離だらけの二元性の世界。世界はそのように現れるしかないのだとボブは言います。

セイラー・ボブは、その見ることも理解することもできないものを、様々なポインターを使って私たちに指し示そうとしています。

ボブの教えが真実だと思われた方、おとぎ話のたわごとだと思われた方、お前の説明ではよくわからないと思われた方、言っていることはなんとなくわかるけど・・・。感想は様々だと思います。

でも、こうだと決めつけて、ラベルを貼ってしまうことのないようお願いします。
よくわからないままにしておけば、いつか何かの瞬間に卵が孵化する瞬間があるかもしれません。
また逆に、すっかり忘れて思い出すこともないのかもしれません。
何かのラベルを貼りつけずに、どうぞそのまま自然に起こるに任せておいてください。