2016/02/22

セイラー・ボブ・アダムソン・ミーティング・2016 ④

私とは何者か

今から八年ほど前に父が脳梗塞で倒れた。直接の原因は過度の飲酒。大量に酒を飲んだ後で外出し、路上で倒れて救急車で病院に運ばれた。

二日ほど経ち、酒が抜けてからの医師の診断は、脳梗塞から来る認知症。脳以外にどこも異常がなく、体に麻痺はなかった。会話も普通にできたし、食欲も普通にあった。

ところが、記憶の大部分が失われていた。自分の名前と、私が息子であることはかろうじて覚えていたが、その他の記憶がないのである。

年齢を尋ねると、二十八歳と答える。父は当時八十歳に近かった。家はどこにあるのかと聞くと、名古屋と答えるが、父は名古屋に住んだことは一度もない。

何を聞いても覚えておらず、そこにいるのは父ではなかった。ところが不思議なことに本人は、記憶がないということに対して、不安やネガティブな感情がないのである。

その時私は、人間がすべての記憶を失ったら、そこにいるのは誰なのだろうと思った。自分の名前すら忘れてしまったら、私は一体何者なのだろうかと。

すべての記憶を無くしても、誰かが衣食住の世話をしてくれたら、生きていくことは可能で、それが悲しいとか不安な気持ちはない。思い出す記憶がないのだから、思い出して不安になることも悲しくなることもない。比べる記憶がないのだから、未来を不安に思うこともない。

一か月ほど病院で過ごしたが一向に回復しなかったため、施設に移って生活するようになると、少しずつ記憶が回復し、半年後にはほとんどの記憶を取り戻した。

そうなると、どうして俺をこんな施設に入れたのだ、早く自宅に戻せと言い出し、不安やネガティブな感情の中で過ごすようになった。

私とは一体何者なのか。すべての記憶を取り去ったそこにいるのは誰なのか。

***

2015年4月にボブのもとを離れる時、私はボブの言っていることを完全に理解していると思っていました。ところが日本に帰って一人になって考えてみると、どうもしっくりこない部分や、理解の浅い部分があることに気づきました。

そして毎日ボブとギルバートの本を読む日々。それでもしっくりこない部分があったので、もう一度メルボルンのボブに会いに行きました。

今回は2016年1月28日から2016年2月14日の間に八回ミーティングに参加。そのほか、ボブを囲んで有志でランチに1回行きました。
9か月ぶりに訪ねたセイラー・ボブは、

ここでは、あなたに何も教えはしないし、何かを伝えるわけでもない。
あなたにポイントを指し示し、あなたが自分でそれを調べるようにと求めているにすぎない。」と、毎度おなじみのフレーズでspielを始め、昨年私がボブのもとを離れた時と変わらず、元気でミーティングを続けていました。

今回このブログで書くのは、前回のブログではわかりにくかった部分、説明不足だったなと思う部分だけを書きますので、「セイラーボブ・ミーティング・2015」を読んでない方は、前回のブログも併せて読んでください。