2016/02/28

セイラー・ボブ・アダムソン・ミーティング・2016 ⑩

ボブの教えの一番大切なところ

What's wrong with right now unless you think about it.(今そのことを考えなかったら何も問題ないじゃないか)

これはギルバート・シュルツがボブのミーティングの録音から編纂した本の題名です。この本がもとでボブのことが多くの人に知られるようになりました。

この「What's wrong with right now unless you think about it.」という言葉は、ボブがよく使うポインター(ヒント)の一つですが、なぜギルバート・シュルツが、数あるボブのポインターの中からこの言葉を選んで題名にしたかというと、これがボブの教えの中でも、特に大切なところと考えているからではないでしょうか。

私も、この言葉がボブの教えの核だと思っています。
この言葉の意味するところは、私たちの問題はすべて、自分の思考が作り出しているという意味です。

何か問題が起こったら、ボブの言葉を思い出してください。自分など存在しない、誰もいないのだから問題など起こりようがないと理解するのが一番ですが、そこまでの理解に至っていなくても、起こっている問題は何なのか、それは単なる思い込みではないかと疑ってみてください。

愛する人が去ってしまった。もうあの人の愛がえられないと涙にくれている現実を前にして、傷つく「私」は実在しないのだから悲しむ必要はないと思っても、なかなか受け入れがたいことかもしれません。

いくらそれは実在ではなく概念だから悲しむ必要はないと言っても、悲しんでいる当人には受け入れがたいことでしょう。

でも、考え方を少し変えるだけで、状況の見え方は全然違ってきます。
自分が悲しんでいるもととなっている思考は何なのかを見つめてみたらどうでしょう。

愛する人が去ったのは、もっと大切な人に出会うためだという思考が持てるなら、また、今は恋愛ではなく、もっと大切な何かに打ち込むべきだと天が合図してくれているのだと考えられるなら、泣いている暇なんてないはずです。

問題を作り出しているのは、思考からくる概念です。そしてそれに巻き込まれ、しがみついているのは、そこにいるはずのないあなたです。それに気づくことこそがセイラー・ボブの教えの神髄だと思います。

セイラー・ボブの教えは、ある時何かが起こって、何かが変わるという教えではありません。エンライトメントも、特別な理解もありません。セイラー・ボブの教えは、学んで理解するだけではだめで、実践しないと意味がありません。

セイラー・ボブのまわりには、何年も通っている常連がたくさんいますが、彼らは皆、セイラー・ボブの教えをよく理解しているし、精神世界にも精通した人たちです。

ある時6人でカフェで話をしていたら、全員が過去にインドのどこかのアシュラムで瞑想したことがある人たちで、オタクばっかりだと笑ったことがあります。
彼らは様々な方法で何年も瞑想したり、探求したりしてきた人ばかりです。

その彼らが、なぜ長年ボブのところへ通っているかというと、ボブの教えを日々の生活の中で実践しようとしているからです。

ボブは言います。空気が透明なのは皆知ってはいるが、空は青く見える。青い海の水をバケツ一杯汲んで来いと言っても、海の水が実際は青くないことはみんな知っている。
いくら教えを理解しても、「私」は現れるし、問題も次々と起こってくるように見える。

セイラー・ボブがインドのニサルガダッタ・マハラジのもとで教えを学んで帰ったあとでも、経営していた農場が流されたり、病気に苦しんだりと様々な問題がボブに起こりました。

そんな時ボブは、マハラジの教えを思い出し、起こっていることは単なる見せかけの現象で、そこには何もないんだということを繰り返し思い出したと「ただそれだけ」に出てきます。

また、ボブの師であるニサルガダッタ・マハラジは、「私が死んだあとに娘たちはちゃんと生活していけるだろうか」と絶えず心配していたと「Living Reality」に出てきます。

生きている以上、問題は避けられないし、心配の種は尽きません。それが私たちが身を置く二元性の世界なのです。
ボブの教えは、ある時エンライトメントが起こって恍惚感の中で暮らせるという教えではないのです。

ボブはlife essence という言葉を使います。これもアウエアネスのポインター。体に目や脳があっても、そこにlife essenceがなければ、あなたは見ることも聞くこともできない、というふうに言います。要するに、アウエアネス・知性エネルギーがなければ、体は機能しないよと言っています。なぜなら、私たちはその現れだからです。

ボブはまた、"Live your livingness."と言います。livingnessという言葉も、ボブがよく使うポインターの一つです。あえて日本語に訳すとすれば、「生き生きとした命」。生き生きとした命を生きなさいという意味です。

ボブの教えは、どうせ私は実在しないし、世界は幻なんだからと、厭世的にしらけて生きろという教えではありません。
むしろその逆で、あなたが思考にとらわれることなく、livingness に身を任せて生きるなら、もっともっと可能性が広がるよと教えています。

努力が必要な時には自然に努力が起こります。考えなくてはいけない時には自然に思考がやってきます。

問題や思考に縛られて動けなくなったら、心配するのをやめて、五感を開いて livingness に身を任せてください。内在する知性が自然にあなたを別の展開へと運んでいきます。

あなたは自分で仕事やパートナーを選んだと思っているかもしれませんが、そもそも、その選択肢を用意したのは誰ですか?

あなたが生まれてすぐ、まだ目も開かない時に、どうやってあなたは母親の乳房を捜しだして吸ったのですか?

あなたの体や両親、境遇を、あなたは自分で選んで生まれてきたのですか?

あなたが自分で何かをしたことなど一度もなかった。好むと好まざるとにかかわらず、物事は自然に起こり、自然に変化してゆく。思い煩うことは何もないのです。

You are being lived. あなたは生かされている。

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以上で私の説明は終わりです。でも、やはり最後はボブに登場してもらわないといけません。そこで明日は最終回として、ボブの本「Sailor Bob Adamson Inter-view」からの抜粋翻訳を結びとして掲載します。