2016/02/27

セイラー・ボブ・アダムソン・ミーティング・2016 ⑨

概念のラベル

ボブは、
「概念のラベルを剥がしたら、何も見えない」
「世界はあなたの意識の中に現れ、概念のラベルが貼り付いている」
という言い方をします。

私たちが経験的にあれこれを学んだ過程で、すべての物や出来事に概念のラベルを貼っていて、それが私たちの世界を構成しているということは、昨日までに書きました。概念のラベル貼りということがわかりづらいと思いますので、もう少し説明します。

私がメルボルンで泊まっていたのは、YHAメルボルンというユースホステルです。一階には大きな食堂があって、夜になると、世界中からやって来た若者たちが、ビール片手に大きな声で話をしています。

たいてい私は隅の方に座って一人でビールを飲みます。私は日本語と英語はわかるのですが、その他の言語はまったくわかりません。
日本語も英語も聞こえない時、そこにはいろんな国の言語が飛び交っています。

あれはフランス語かな、中国語もあるな、程度のことはわかるのですが、基本的には雑音にしか聞こえません。みんな一斉に大きな声で喋るので、かなりの雑音です。音とは何かというと、ヴァイブレーションであり、エネルギーです。

そこに誰かが突然日本語で「ねえ、聞いてよ。今日、ヤラパークでいい部屋見つけたんだけど、大家に交渉してもまけてくれないのよ」と誰かが言ったとします。

すると突然、私の脳裏には、ワーキングホリデーでメルボルンにやって来た女の子が今日ヤラパークへ部屋探しに行って、良い部屋を見つけたのに大家が家賃を負けてくれなかったからダメだったんだという世界が広がります。

もともと雑音でしかない音(日本語)に、私は経験的に「家」「大家」「交渉」というラベル(概念)を貼りつけているために、そこに世界が現れました。

また別の例をあげるなら、だまし絵。ここに魔女が隠れているよ、と教えてもらうと、その瞬間からおじいさんのヒゲが魔女に見えてしまうやつ。

ここに魔女がいるよと学習して概念のラベルを貼ると、それからは何度見てもおじいさんのヒゲには見えず、魔女に見えてしまう。
形や色というのは、後天的に学んだものです。そのラベルを剥がしてしまったら、魔女もおじいさんも消えてしまい、何が書いてあるのかわからない。

もっと極端なことを言えば、焦点を合わせる作業さえも後天的に学んだものです。空、雲、ビル、お母さんの顔との距離感も後天的に学んでラベルを貼ったものなので、そのラベルを全部剥がしたら、全部ぼやけてしまって、何が何だかわからない世界が現れる。

例えば、メルボルンのエリザベス通りを歩いているとします。
私は成長する過程で、「歩道」「ビル」「車道」「車」「歩行者」という物事を学び、そこに概念を貼りつけています。

その概念があるために、「ビル」にぶつからないように、「歩行者」を避けながら「歩道」の上を歩きます。もしうっかり「車道」に出て「車」にぶつかると「ケガ」をする事も知っています。
もし、そのラベルを全部剥がしてしまったら、何が起きるでしょうか。

遠近感も経験的に学んだものですから、空とビルの区別や、車やトラムが何なのかもわからなくなり、歩道と車道の区別は消え、ビルも車も判別がつかなくなります。
おそらくその時見えるのは、ぼんやりとした色彩だけの世界が広がっているはずです。

ぼんやりとした色彩の世界の言い方を変えると、エネルギーだけが広がっている世界。
そしてその色彩が現れているのは、あなたの意識(awareness)の中です。
あなたの意識の中に広がるエネルギー現象に概念のラベルを貼って定義して、世界を出現させているのはあなたです。

感情や思考など、目に見えないものにも同様のラベルが貼られています。ある時好きな人が視界から消えて、何か不安定な感情になって泣いた。その感情に「悲しい」というラベルが貼られます。

次にまた誰か大好きな人に去られると、「悲しい」という感情が自動的に起こってきて、その感情にとらわれてしまいます。ラベルなど貼らなければ、すぐにどこかへ消えてしまう一過性の感情にすぎないのに。

「あなた」「私」「建物」「椅子」「約束」「悲しい」、すべては概念です。そこに実際にあるのは、エネルギーだけなのです。

「あなた」が「私」を捨てた。「彼」が「私」を傷つけた。これらは単なるエネルギー現象で、実際には何も起こっていない空間に、あなたが貼りつけたラベル(概念)です。

そしてそれはどこで起こっているのか。あなたの意識の中です。
もしあなたがこのことに気づいて、すべての不幸や問題は、あなたが貼りつけた概念(ラベル)でしかないと気づいたなら、そこに問題は何もありません。