2023/02/16

知的な理解

昨日のブログと矛盾するかもしれませんが、私がボブに、「私は知的には理解しました。でも……」と言った時ボブは「知的な理解の他にどんな理解がありますか? 2+2は4でしょう?」と言いました。

では、カットの言う知的な理解と、本当の理解は何が違うのか? これはボブやカットが言っていることではなく、私が勝手に思っていることですが、その違いは「揺るぎない確信」があるかないかだと思います。確信がないと、but (でも)や If (もし)がやって来て、contraction(収縮、減退、後退)と彼らが呼ぶ状態が起こります。

この、but や if がまったくやって来ない状態が本当の理解なのだと思います。ボブの教えていることが、まったく当たり前のこととして思えるとき。私の場合、その確信が持てるようになったのは、ボブに会ってから四年後のことでした。そして、「それ」はいつも思考の背後にあると知っています。一番身近な体験で言うなら、熟睡したあとの朝、思考がやってくる前のほんの一瞬、「それ」を鮮明に感じることができます。そしてそれは、日中もずっとそこにあることを私は知っています。

昨日のブログのカットの発言を読んだ人は、「私の理解は知的な理解で、ハートの理解ではない。これではだめだ」と思うかもしれません。でも、その理解は決してエンライトメントのようなものではありません。セイラーボブだって、ニサルガダッタの家から一歩出ると、古い思考が戻って来たと言っています。ちなみに、ボブがニサルガダッタの家へ通ったのは12か月間です(二週間おきに数日ずつ)。そのどこかで何かが起きたのではなく、何度もニサルガダッタとやりあいながら、少しづつ理解していったはずです。そしてまたバーバラもボブと一緒にマハラジと会い、比較的短期間でマハラジの教えを理解しています。

カットの発言はあくまで比喩的なものであり、心から本当に理解していない人は、確信がなくて、まだ何か足りないと思っているということだと思います。2023.2.12の当ブログを読んでいいただければ、わかることです。
私たちは、知的な理解とかハートの理解とか言われると、難しく考えてしまいます。揺るぎない確信があるかどうかを自分に問うてみてください。揺るぎない確信があるか、まだ何かを探しているかどうかを「本当の理解」の判断基準にするといいと思います。私はもう何も探してはいません。