またカットは、普段の生活で余計な思考がやってくると、「はい、次どうぞ」と言ってその思考をやり過ごすそうです。私の場合はどうか。私も依然として嫌な思考がたくさんやってきます。嫌な思い出、忘れたいこと、人からの批判、後悔、人との比較、嫌いな奴のこと、恥をかいたこと、異常な妄想、私を傷つけた人のこと、私が傷つけた人のこと。ありとあらゆるネガティブな思考がやってきます。
ひどい時などは、気が付くと毒づいて独り言を言っている時があります。昔はそういった思考がどっかりと居座ってしまって頭を離れない時があると、たいていは酒で紛らわしていました。今は家で一人で酒を飲むということはまったくなくなりました。飲みたいとも思いません。
そうした思考は単なる思考であって、実態のないものだということが身についてきたのだと思います。昔はたくさんの気晴らしが必要でした。人に会ったり、おいしいものを食べたり、飲んだり歌ったり旅をしたり。でも、今そうしたことがあまり必要ではなくなってきて、興味が向かなくなってきました。いいのか悪いのかわかりませんが。
今回、バイロン・ケイティの本を読もうかと思ったのですが、「今そのことを考えなかったら、何が問題ですか」というボブのポインターを知っていれば十分な気がして、読む気が起きませんでした。(ネットやアマゾンで読む限りでは、バイロン・ケイティはすばらしことを言っていると思います)
「思考は実体がないものであり、それが世界が形成している」という真実を学ぶことこそが、非二元を学ぶ鍵だと思います。