2023.1.23ミーティング 0:49から
ボブ:みなさんおはようございます。会えてうれしいです。みなさんがもうすでに知っているいつもと同じおなじみのこと、いわゆる非二元についてです。非二元とは、二つではない、他には何もない一つのものという意味です。それはただ一つの本質、すなわち知性エネルギー、あるいは、貼りたければどんなラベルを貼ってもかまいません。それを神と呼びたければそう呼んでもいいし、何と呼んでもかまいませんが、それが存在するすべてです。
私はそれを五つの要素で表現しようと思います。サット・チット・アナンダ・ナーパ・ルーパです。存在・意識・至福・名前・形です。今、存在していない人はいますか? いいえ、あなたたちは皆存在しています。意識のない人、気づいていない人は? あなたは気づいていて意識があることを知っています。存在することがうれしくない人、ここに存在したくない人は? みなさんはどこか他ではなくて、ここにいたいのでしょう。
そしてみなさんがそれであり、それがすべてであるなら、あなたはすでにそれであるに違いありません。では、探求とは一体何なのですか? 誰が探求しているのですか? その探求の中で、あなたは何かになろうとします。もともとそうであるものになることは不可能だということを理解してください。私たちは個人、人、分離した存在であるという信念を身に着けました。
偉大なマントラ、「I am that(我はそれなり)」を理解してください。そして私たちは皆、「I am(私は在る:私は存在する)」と知っています。その「私は在る」は、体のことでもマインドのことでもありません。それが体に生気を与え、地球に太陽のまわりを回らせ、季節をめぐらせ、潮を満ち引きさせ、呼吸をさせ、髪の毛を伸ばし、爪を伸ばし、食べ物を消化させています。その一つの本質がパターンとなり、姿形となって、あらゆるものとなって現れています。
あなたはもともと、あなたが探しているものなのです。ですから、探求することが問題だということを理解しなくてはいけません。私たちは、調査して理解しなくてはいけません。私とはこの体なのか? 私とはこのマインドなのか? 私とはこの人なのか? 私たちは皆、「I am(私は在る)」と言います。その「私は在る」は思考です。あなたはいくつの思考を持って生まれましたか? いくつの言葉、すなわち思考を持って生まれたか思い出してみてください。
二歳か二歳半になるまでは言葉や思考を身に着けませんでした。他の人より幼かった人、賢かった人、軽かった人もいるでしょう。でも、「私は在る」という言葉を学ぶ以前、どうやってあなたは自分が存在したということができますか? 言葉を学ぶまでの最初の二、三年の間、あなたは言葉なしで暮らしていました。言葉、すなわち思考、私たちがマインドと呼ぶもの以前に、あなたは存在したということになりませんか。
マインドは思考に他なりません。つまり、あなたは思考以前にあるものです。でも私たちは、自身はこのマインド、人であると信じています。その人(person)という言葉はどこから来ましたか? それはラテンの語の仮面(persona)に由来します。それは、私たちが観念上のイメージ、仮面をつけたと言っているのです。それが私たちだと信じているのです。
こうした言葉を調べてみてください。言葉は物ではないとわかるでしょう。水という言葉を考えてみてください。その言葉を飲むこと、その中で泳ぐこと、洗濯をしてみてください。できません。火という言葉はどうですか? それで料理したり、やけどしたり、自身を温めたりできますか? 私という言葉はどうですか? それが本当の私ですか? 自身の体とマインドのことだと思うかもしれませんが、あなたはこの体ですか? あなたはマインドですか?
あなたはもともと自分が体ではないということを知っています。なぜならあなたは「私の体」「私の体」と言うからです。「私のコート」「私の車」と言う時、あなたは自身をコートや車ではないと知っています。ということは、おそらくあなたも体ではないのではないですか? 人々は自分が仮面、広大な観念のイメージであるのか、それともこの体とマインドであるのかを調べて理解するほど賢明ではありませんでした。この体とマインドに起こっていることを見てください。あなたの問題はすべて、この体とマインドに起こります。