2022/06/25

法然・親鸞・一遍

最初の計画では、法然・親鸞・一遍を取り上げる予定はありませんでした。セツさんに教えてもらった二冊の本を読んで、ここにも広い意味で非二元の教えがあるような気がして、ブログに書くことにしました。

法然親鸞一遍 (新潮新書) 


本を手にして読み始めたのですが、二冊ともとっても難しい。本が難しいということの他に、私には法然や親鸞、一遍の予備知識がほとんどない。阿弥陀仏も念仏よく知らない。

そこで、まず周辺知識を学んでから読もうと思い、手っ取り早く、ネット上にあるもので予備知識を学び、そのあとで本を読みました。それほど詳しく学んだわけではないし、よく理解しているわけでもないのですが、本の感想を書く前に、法然、親鸞、一遍と、彼らが生きた時代背景を書いて、そのあとで本の感想を書きます。

南無阿弥陀仏
法然、親鸞、一遍の教えは、一言で言ってしまうと、「南無阿弥陀仏」と唱えると、阿弥陀仏が救ってくれる(極楽浄土に生まれることができる)という教えです。それではその阿弥陀仏とは何なのかというと、阿弥陀如来(あみだにょらい)のことです。

大乗仏教が発展すると、悟りを開いて仏になった人は、釈尊(ゴータマ・ブッダ)だけではなく、他にもいっぱいいるという思想が出てきました。そうした仏を如来といい、それぞれの如来は独自の浄土を持っていて、そこにいます。Wikipedia 仏の一覧

阿弥陀如来はそういう仏の中の一人。阿弥陀如来は、もともとはある国の王様でしたが、出家して法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)となりました。菩薩というのは出家して修行する人のこと。そして法蔵菩薩は長い間の修行をへて阿弥陀如来となり、西方に極楽浄土を作り、今もそこにいる。念のために言っておきますが、これは大乗仏教が勝手に作った経典の中の一種の神話です。

念仏
この世では、人々はいくら修行してもなかなか悟りが開けない。そこで阿弥陀如来は、もし念仏を唱えるなら、死後に人々を阿弥陀如来のいる極楽浄土へと招待するので、そこで仏となる修行をするといいと提案。そこではスムーズに仏になれると説く。Wikipedia 極楽

法然(1133年~1212年)
法然の生きた時代は平安末期。平清盛(1118年~1181年)の時代で、保元・平治の乱、源平の戦い、疫病の流行で末法思想が流行った頃です。法然の父は地方(岡山)の役人でしたが、恨みを抱いていた他の役人に夜襲され命を落とします。瀕死の父は法然に向かって、恨みは恨みを生むだけだ、仇討ちはいけない、仏門に入るようにと言いました。法然は9歳で仏門に入り、13歳で比叡山へ行き修行をします。

5000巻にも及ぶ経典を五回も読んだにもかかわらず、なかなか悟りは開けませんでした。43歳の時、唐の善導という僧の書物の中に、念仏を唱えるだけで極楽浄土へ生まれることができるという教えを見つけ、それ以降比叡山を降りて、京都の町で念仏を人々に説き始めます。

法然以前の比叡山(天台宗)で念仏をやっていなかったわけではなく、念仏もあったわけですが、仏を心に思い描いてやる(観想念仏)など、念仏のやり方が違っていました。ちなみに、仏の名前だけをひたすら唱える念仏を称名念仏といいます。

この頃の仏教は僧侶だけのもので、僧侶たちは自らの往生のみに腐心して人々を顧みることはなく、ひどい僧侶は都へ出て略奪を繰り返す者までいる始末。法然の教えは「念仏を説くだけで往生できる(極楽に生まれる)と、わかりやすく、広く民衆に受け入れられました。

親鸞(1173年~1263年)
親鸞は、京都日野の下級貴族の子として生まれますが、幼くして両親を亡くし、9歳の時に仏門に入り、比叡山で修業に励みます。20年の歳月が流れますが、一向に煩悩は消えず、悟る糸口もつかめないでいました。いくら修行しても、妬みや煩悩は消えませんでした。特に親鸞を悩ませたのは、女性に対する性欲でした。当時の僧侶は女性との性行為は禁止でした。

29歳の時、聖徳太子が建立した六角堂(京都)へ毎日100日間参堂すると決めて通いました。95日目に、百済観音が現れて「たとえお前が女性を抱くようなことがあっても、私が珠のような女性の姿となってお前に抱かれてあげよう」と告げます。

親鸞は、この出来事を、京の都で人々の評判になっていた法然を訪ねて話すと、法然は、「伴侶がいた方が念仏できるのなら伴侶がいてもいい、伴侶がいると念仏できないのなら伴侶はいない方がいい」と言いました。

そして親鸞は比叡山を降りて法然に弟子入りして念仏修行に励みます。法然の念仏(浄土教)は人々の人気を集めたのですが、旧来の仏教界から妬みをかい、ある事件をきっかけに、念仏仏教は解散、法然は土佐へ、親鸞は越後へと流されます。法然75歳、親鸞35歳の時でした。

法然と親鸞はそれぞれの流刑の地で念仏を広めます。4年後、流罪は許されますが、法然は80歳で他界。親鸞は法然に再会することなく、関東で布教に勤めます。やがて親鸞は京都に戻り、後進の指導にあたり、90歳の生涯を終えます。親鸞には奥さん(恵信尼)と7人の子供がありました。

一遍(1239年~1289年)
伊予の豪族の出身。10歳で仏門に入り、法然の孫弟子から浄土宗を学ぶ。布教の仕方などで大いに悩んでいたが、熊野本宮での夢の中で「自分の頭で考えずに、南無阿弥陀仏を広めなさい」とお告げを聞き、以降全国を遊行し、踊り念仏、賦算(南無阿弥陀仏と書いた札を配る)によって布教しました。一遍の生涯は遊行の布教でした。

背景知識はここまで。もっと詳しく知りたい人は参考サイトを見てください。

この二冊は、法然、親鸞、一遍の念仏に対する解釈ややり方、心構えの違いなどがこと細かく書かれています。念仏は一回でいいのか、十回言うのか。心から信じていなくてはいけないのか、信じていなくても唱えさえすればいいのか。そういったことがこと細かく書かれています。

でも、読んでいても、その違いが全然頭に入ってこない。私の場合、「なぜ念仏を唱えると極楽浄土に生まれることができるのか?」ということが理解できない。

極楽浄土とか阿弥陀仏とかは、はっきり言ってしまえば神話です。なぜそれを信じると救われると思えるのかということが理解できない。当時の時代背景を考えると、人々にとっては楽な宗教であり、信じさえすればよかった。でも、私にはその理屈がわからない。

私が今まで焦点をあててきた仏教は、哲学であり科学としての仏教であり、そこには理屈があった。でも、呪文を唱えれば救われると言われても理解できない。信じないから救われない、とにかく信じなさいと言われても信じることはできない。

法然にしろ親鸞にしろ、比叡山で何十年も修行をしたのだから、仏教の基本的なことはひととおり学んでいるはずです。原始仏教の阿含経から、中観、唯識、空の思想、法華経や華厳の思想も学んでいるはずです。そうしたことを十分に理解した上での念仏だと思います。

ではなぜ念仏なのでしょうか。その答えを、町田宗風さんのサイトの「こころの時代④法然を語る」の中で見つけたような気がします。町田さんいわく、仏陀の教えは、自我を消すことによって苦しみを消すことができるというもの。念仏や座禅、千日回峰は、自我などないということを感得するための手段だと言うのです。
ちょっと抜粋しますが、できればサイトで全文読んでください。

町田: 宗教の本質を一言でいえば、苦しみの消滅ですよ。悩みを消していくことにあるわけですから、それにはエゴを消さなければいけない。お釈迦様―ブッダの教えの中に、「四聖諦(ししょうたい)」というのがございまして、それは「苦集滅道(くしゅうめつどう)」と言われていますけれども、この世は苦である、と。悩みである、と。サンスクリットで「ドゥッカ(duhkha)」というんですけど、それは「苦しみ」ということですが、この世は苦である、と。そして我々肉体を持つ人間はその苦の集まり―「集」ですね―煩悩欲望の集まりとして非常に苦しい人生を生きているのが人間である、と。ところが三つ目の「滅」で、それを消すことによって、自我を消すことによって、苦しみも消していくことができるんである、と。苦しみというのは実在するものではなしに、エゴが苦しみですから、エゴを消せばエゴも実在しない幻想のものですから、それを消していけばよい。最後の「道」というのは、まさに仏道の道、修行のことですね。正しい行をすれば、自ずから自我が消えていく。そして苦しみも消えていく。それが「四聖諦(ししょうたい)」というブッダの教えだと思うんです。

――  法然はその行を通じて消したんですか。

町田: そうですね。ですから定善観という非常に意識集中的な行をされたことがきっかけで、そこから抜けてこられるわけですけれども、やはり念仏をするということは常に自分を消す、ということなんですね。我があれば、お念仏になっていないわけですよ。お念仏を称えている時は、自我意識の底が抜けていなきゃいけないわけですよ。私にとっては宗教体験というのはそれほど難しいことではなくて、無限の広がり、無限の宇宙のような広がり、自分というのはそのような無限のスペース、空間のように、私は感じているんです。それを感得していく方法が、お念仏であったり、坐禅であったり、回峰行であったり、滝行であったりするわけですよ。方法論はいっぱいありますが、行き着くところは無限の広がりの自分に出会うということですから。

そして、法然親鸞一遍 (新潮新書) のp83から抜粋させてもらいます。

 親鸞も一遍も、この三心の問題(浄土へ往生する者は、至誠心・深心・廻向発願信の三心を具えて念仏しなければならないということ)につきあたって、これと格闘する中で、一つの安心の境地に至った。その問題とは、自分で真実清浄な心をおこすことができるかという問題であり、自分で自分の心をどうこうすることができるかという問題であった。
 この問題に対し、親鸞も一遍も、その方向・拠り所は異なるにせよ、自分で自分の心をどうこうすることはできない、自分のはからいは一切、放下せざるえない、という世界に出たのであった。そして、そのゆえにこそ深い安心の自覚を得たのである。
 浄土教というと、それはただちに念仏の教えと思われている。それも称名念仏することによって救われると考えられている。しかしながら浄土教の本質は、そのように称名念仏にあるのではなく、自我の分別・はからいを徹底して断念する、自分の心を放下することにあるのである。私は、このことを強調しておきたいと思う。
 このとき、浄土教の救いも極めて禅に近い。禅も自力聖道門を呼ばれるとはいえ、むしろ自力の放捨の道であり、徹底して自力的作意を放下しつくすものである。浄土教は、他力浄土門の形で、見事に自我の一切のはからいを断捨する道である。

絶対他力、自分の力ではどうしようもない、という考え方は、非二元の考え方に通ずるところがあります。悪人であろうと何であろうとかまいはしない。念仏するば救われる。その教えは、修行積み上げ型の仏教の否定であり、自我などないということを感じるための手段としての念仏は、非二元の世界だと思います。

図書館に行くと、親鸞関連の小説や教行信証、歎異抄関連の本がたくさんあって、どうしてこんなに人気があるんだろうと思うのですが、親鸞が煩悩を捨てられない自分に正直に悩み、それを生きたから人々が共感するのだと思います。法然・親鸞・一遍は、知れば知るほど興味のわく人たちです。時間ができたら、もっと関連書籍を読んでみたいと思っています。

参考サイト