2022/06/23

梟の城・守一のいる場所・奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業・読む日本の歴史1・平和の俳句・人生の実りの言葉・いまを生きる知恵・ブラックボックス化する現代

梟の城 司馬遼太郎
これは司馬遼太郎の直木賞受賞作だそうです。でも全然おもしろくなかった。途中から、ギブアップしそうなのをこらえて最後まで読んだ。
伊賀忍者が秀吉暗殺の密命を受けて暗躍する話。そこへ忍者には御法度の恋愛の話がからんでくる。最後の最後にああ、そういうことだったのね、と多少救われる顛末が用意されてはいるが、そこへたどり着くまではきつかった。一つには、これは60年前に書かれたものであるということ。その時代には忍者ものはおもしろい読み物であったかもしれない。でも今読むとちょっと荒唐無稽ではないかという気がする。司馬遼太郎を読んで歴史を学ぼうと考えていたが、BS11「偉人・素顔の履歴書」の加来耕三さんによると、司馬遼太郎の小説の8割は史実に基づいておらず、嘘だという。史実に反することも多いという。司馬遼太郎はやめて、子供向けの歴史の本で学ぶことにする。

守一のいる場所
守一の絵、書、日本画、彫刻などが掲載されている。他には、樺太調査の時のスケッチブックや、芸大時代のデッサンなどもある。
守一の絵は、描いていくうちに作品を仕上げていくタイプの絵だと思っていたが、そうではないとわかった。基となる下絵(デッサン)があって、それをトレース紙を使って転写するやり方をしている。そのため、同じ下絵の絵が複数あるということがわかった。かといって、版画ではないので量産できるわけではなく、点数は限られる。結構緻密な作業をしていると知って、よけい好きになった。「きんけい鳥」はいつか本物を見たい。
冒頭の言葉から
「川には川に合った生き物が住む。上流には上流の、下流には下流の生き物がいる。自分の分際を忘れるより、自分の分際を守って生きた方が、世の中によいと私は思うのです。いくら時代が進んだといっても、結局自分を失っては何もなりません。自分にできないことを世の中に合わせたってどうしょうもない。川に落ちて流されるのと同じで何にもならない」

奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 荻野弘之
ローマ時代の奴隷出身の哲学者エピクテトスの「提要」の言葉を抜粋して著者が解説したもの。
ローマ時代の奴隷というのは、あとで解放される仕組みがあることに驚いた。エピクテトスは解放されたあと、人々に教えを説いて暮らしていた。

エピクテトスの教えを一言で言うと、自分がコントロールできることはコントロールして、コントロールできないことにはかまうなということ。コントロールできないことは何かというと、金、地位、名誉、評判、奴隷の身分、死、病、貧困など。そして、コントロールできることは何かというと、自分の意志だけ。

私たちは、金や地位や名誉を自分の力でなんとかできると考えて、たえずあくせくして、悩んだり心配したりする。でも、エピクテトスは、そうしたことは実は自分でコントロールできなことだという。実際、彼は奴隷という身分や、自身の足が不自由だったことをどうすることもできなかった。

そして、彼は自分がコントロール可能な意思をしっかりコントロールすることで幸せになれるのだと説く。

以下印象に残った箇所を抜粋

p42「病気や死や貧乏を避けるならば君は不幸になるだろう」そうしたことは避けられないものである。思いわずらっても無駄。また、他人の評価もどうにもならないものなので、気にしない。

p70「過去と未来に何かを求めてはいけない」これもコントロール外のこと。

p84「人々を不安にするものは、事柄それ自体ではなく、その事柄に関する考え方である」「すべての苦しみの原因は『あなた』」ものごとをどう解釈するかで物の見え方は変わる。

p92「君を侮辱するのは、君を侮辱していると見なす君の考えなのである」人が言ったことで傷つくわけではなく、言われたことを自分で認めたことで傷つく。認めなければ傷つくことはない。

p132「『傷つけられた』と君が考える時、まさにその時点で君は実際に傷つけたことになるのだ」

p181「心象を正しく用いる。自分の心や意識の働きが適切かどうかを判断すること。自分の見方に偏見や先入観が含まれていないか? 欲望を適切に抑えることができるか?」

p184「あらゆる関心は自分に向けるべきである」コントロールできるのはそれだけ。

p199「『心象』に拉致されないように」想像や妄想で苦しみを自分で作り出さないように。

p207「死は決して怖くない。なぜなら我々が生きている時には死はまだないし、死んだ時にはすでに我々はいないから」

p212「記憶しておくがよい。君は演劇の俳優である。劇作家が望んでいる通りに、短編であれば短く、長編であれば長い劇を演じる俳優だ。作家が君に物乞いの役を演じてもらいたければ、そんな端役でさえも君はごく自然に演じるように。足が悪い人でも、殿様でも、庶民でも、同じこと。君の仕事は、与えられた訳を立派に演じることだ。その役を誰に割り振るかは、また別の人の仕事である」

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この本は非常に有益な本でした。セイラーボブの教えとかぶるところも多い。不幸は全部自分の想像の産物であるところなど、言っていることは同じ。コントロールできることは自分の意志だけであり、そこに集中すべきだということも納得できる。でも、セイラーボブの言う「すべては起こっていること」とい教えの方が一段上にあるように思う。そもそも、意思でさえコントロールできない。ただ、与えられた役を演じればいいというのは賛同できる。

この類に本をあれこれ読むが、やっぱりセイラーボブの教えの方が救いになると思う。「そこには悩む『私』はいない」「死はない」とバッサリやってくれた方が私にはわかりやすい。

読む日本の歴史1
三内丸山遺跡も吉野ケ里遺跡も行かんといかんなあ。歴史を勉強しようと思ったけど、だんだん飽きてきた。もうだいたいのところはわかったので、これでよしとする。あとはBS11偉人・素顔の履歴書(YouTube)で学ぶ程度にする。

平和の俳句
平和とは坂に置かれたガラス玉
命令に従っただけ春寒し
戦争は人を丸太と呼ばせけり

人生の実りの言葉 中野孝次
この本は中野さんが若かりし頃から読んだ本の中で感銘を受けた言葉を書き出しておいたもの40を選んで、それにエッセイ風の解説を加えたもの。そのどれもがすばらしい。いくつか載せておきます。

1 愛
わたしの誕生を司った天使が言った
喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも。
             ウイリアム・ブレイク

2 憎むためでなく、愛するために
いいえ、わたしは憎みあるためでなく、愛しあうために生まれて来たもの。
             ソポクレス『アイティゴネー』

6 薔薇
薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はたださくべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、ひとが見ているかどうかも問題にしない。
             アンゲルス・シレジウス「薔薇は理由なく咲く。」

8 貫通するものは一なり
つひに無能無芸にして只此一筋に繋がる。
             芭蕉「笈の小文」

15 果物
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実ってゆくらしい
             八木重吉「くだもの」

18 不正
或ることをなしたために不正である場合のみならず、或ることをなさないために不正である場合も少なくない。
             マルクス・アウレーリウス『自省録』

22 生まれた以上
生まれた以上、生きるといふことは、生きる本人の問題だある。さう思って何にもめげずに生きて行くべきであると思う。
              広津和郎「桃子への遺書」

32 運命
運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いたりする。われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。
              モンテーニュ『エセ-(一)』

いまを生きる知恵 中野孝次
NHKラジオ放送で、中野孝次が古典について話した番組(30分×26回)のテキストを加筆修正したもの。内容は、良寛、兼好、老子、鴨長明、道元、西行、蕪村について。良寛、兼好、鴨長明については、今まで中野さんの他の本で読んだ内容と同じで、「欲望を追及しない生き方」「清貧の思想」とほぼ同じ。私はこの考え方が好きで、自分でもそうありたいと思い、実践している。

老子については、加島祥造の解釈によるところが大きい。道元については、読んでいてもよくわからず。なんとなく非二元の思想に通じるところがあるものの、はっきりとはわからず。私は今後も、道元関連に手を出すことはないと思う。人によって解釈がまちまちであり、原典そのものを読む能力が自分にないうえ、古典の中でも道元はとくに難解だと中野さんは言う。

蕪村については俳句がとても参考になった。参考になったといっても、そんな俳句が詠めるわけもなく、すごいなあと思うだけ。

ブラックボックス化する現代 下條信輔
副題が「変容する潜在認知」とあったので、脳科学の本だと思って買ったところ、そうではなかった。脳科学者から見た社会批評という感じの本だった。しかも、だいたい2015年から2016年に新聞をにぎわせた事件に対する評論であり、賞味期限が切れている感は否めない。