2019/07/27

私は実在か?

以前もこのブログで、非二元を理解するためにすべきたった一つのことは、「私」という存在が実在なのかどうかを自分で調べることです。」と書いたのですが、この、自分で調べるという作業は、それほど難しいことではないと思うのですが、どうでしょうか?

たいていの人は、「私」はマインドと肉体だと思っています。私もそう思っていました。マインドは思考、感情、記憶といったもので構成されていて、その代表格は思考です。
思考について考えてみると、ほとんどの思考は、私の意思とは全く関係なく、私の意識に現れてきます。

(今日は昼食にカレーを食べよう)(昨日見たテレビのドラマは面白かった)とか、場合によっては、もう他に誰も覚えていないような昔の記憶がよみがえってきて、(あの時は悲しかった)とか、(あの時はあいつにあんなことをされてくやしかった)などと、脈絡なく思考はやってきます。

そうした思考を一つ一つ観察すると、それは全く自分の意思とは関係なく、自然に勝手に起こっていることだと理解できるのではないでしょうか?
もちろん、自分の意思でコントロールしているように見える思考もあります。
例えば仕事中に報告書を書く作業や、次の休みの旅行の計画を立てる時の思考などは、自分がコントロールしているようにみえます。

一つ一つの思考を詳細に観察してみてください。自分でコントロールしている思考がどれだけあるかということを。
そうすると、自分とは全く関係なく起こっている思考が大半だということに気づいてきます。

もし、自分でコントロールしていないのなら、思考は「私」ではないということになりませんか?

感情や記憶についても同じことが言えます。感情ほど自分でコントロールできないものはありません。私などは、朝起きて、何の理由もなくムシャクシャして、一日中さえない気分の時がしょっちゅうあります。

逆に、何の理由もなく気分の良い時もあります。感情も思考と同様に、「私」の自由にならないのなら、「私」ではないのではないですか? いや、私はコントロールできると言う人は、一日中楽しい気分でいられるはずですが、そんな人はそうはいないと思います。
また、私は自分の思考をコントロールしていると思っている人は、今日一日、寝るまでの間、猿のことを考えないようにしてみてください。5分もしないうちに周りが猿で一杯になることでしょう。

記憶についてはどうですか。記憶は「私」の都合のよいように書き替えられている可能性があります。古い友人と昔一緒に行った旅行の話をすると、お互いの記憶が食い違っていて驚くことがよくあります。そうした不鮮明な記憶の蓄積が「私」ですか?

思考や感情は、自分の意思とは全く関係なく起こっている自然現象だということを理解してください。
最初は、(いやそうはいっても、この思考が私だ)とか、(この思考は私の思考だ)(この感情は私のものだ)という思いがなかなか手放せないかもしれません。

でも、あきらめないで、少しずつ調べてみてください。
休憩時間にコーヒーを飲みながら、どんな思考がやってくるのか観察してみてください。
感情をコントロールできるのか試してみてください。
その思考や感情を起こしている誰かがいるのかを観察してみてください。

そして、思考や感情が、どこに現れてくるのかを観察してください。
それは、あなたの脳ですか? 胸のあたりですか?
思考や感情は、確かに現れてくるのですが、それは脳や胸のあたりではないとわかると思います。

それは、意識の中に現れてきます。それはどこなのかと聞かれても困ってしまいます。
なぜかというと、意識は空だからです。それを言葉では表すことはできないからです。
それがセイラーボブが教えているものです。

「私」が実在なのかどうかは、自分で調べる以外に方法はありません。
でも、それはそんなに難しいことではないのではないですか?
毎日、少しずつ観察していけば、自分がコントロールしている思考や感情はまったくないという答えに行きつくはずです。
思考や感情は自然に起こっていることです。
そこには「私」はいません。

2015年 メルボルンにて