2019/07/12

セイラーボブの言葉

探求そのものが罠なのです。あなたはもうすでに、あなたが探しているものなのです。あなたは、何か達成するか、手に入れるべきものがあると考えています。あなたがそれでなかったことなどなかったし、これからもそれ以外ではありえません。多くの人がこのことを耳にします。でも、一体どれだけの人がこのことをちゃんと調べ、最後まできちんとやりとげるでしょうか。一体何をしているんだ。これではダメだ。そう言ってまた別の誰かを探しに行くのです。別の誰かのところへ行き、話しを聞き、あれやこれやをやり、どこかで答えが手に入ると考えています。でも、答えがある唯一の場所は、あなたの中です。他の誰かにではありません。あなたはもうすでにそれなのです。何か質問はありますか?

根本的な質問は意識についてです。というのは、意識が働いた瞬間に分離が始まります。「私は在る」は分離です。

ええそうです。その、自分という感覚が分離をもたらします。分離の感覚が不安と傷つきやすさをもたらします。

私は、意識という言葉を使っています。「根底にある意識」が分離であると言うことはできますか?

どんな概念を使っても問題はありません。非常に多くの違った概念があります。概念や言葉では、それを指し示すことしかできません。私はあなたに、どこを調べるようにと言うことはできますが、それを言葉で捕まえることはできません。言葉は物ではないからです。
いいですか。もしそこに、存在の感覚がなかったら、もしあなたがそれでないのなら、それは存在することはできますか。意識、マインド、アウエアネス。どのようにそれを分割して呼んでもかまいませんが。それは、不生と呼ばれています。それには始まりがありません。それは生まれ出たものではありません。それには始まりはないのです。ですから、あなたは、それがあるとも言えないし、ないともいえません。それを概念や言葉や思考や観念で掴まえようとしたり、理解しようとしたりしても無駄です。あなたはその外に出ることはできないのです。