2019/06/27

セイラーボブの言葉

自己認識するとはどういうことですか?

マインドを通して、「私はある」として現れる存在の感覚は、純粋な知性エネルギーです。それは、自分がいるということを知っているということです。それは、知る働きの活動であり、知る人でも、知る対象としてのものでもありませんが、知る働きがあるということを否定することはできません。

知る働きは知性を意味するのではありませんか? そして、知る働きは、実際には起こってくるものです。それは、この瞬間に起こっている活動です。どんな活動もエネルギーの動きです。知る働きの活動が常にそこにあります。

その同じ知性エネルギーがこの宇宙を機能させています。そこに誰かがいて、地球を太陽のまわりで回したり、季節を巡らせたり、星たちを軌道に乗せたりしているわけではありません。それは、そこに知性があるということを意味しているのではありませんか?

その内在する知性が、現れては消えていくすべての物の本質です。しかし、マインドにとってそれは何もないものです。それは何物でもありません。自分で見て調べて見てください。このことを否定できるかを。自身が存在していることに気づいていることを理解してください。あなたは自分がいるということを知っています。

それが起きるために、あなたは何をしましたか? それは自然に起こっています。それは絶えず自然にいつも起こっています。知性のバイブレーション、脈動、鼓動は自然に起こっています。それには始まりも終わりもありません。

ということは、そのことに対して、私は何もすることがないということですか?

ありません。何かをする人も、すべきこともないということを理解してください。そうすれば自然と落ち着いていきます。もしエネルギーが注がれなければ、物事は永らえることができません。それは生きてはいけません。何物にもすがることができません。

基準点はなく、受け入れられることも拒絶されることも、執着することも引き離されるもありません。物事は起こってきますが、長くは留まりません。改めようとしたり、修正したり、正そうとしたりすることが抵抗であり、それが苦難の始まりです。起こってくることに抵抗することが葛藤であり、葛藤は病です。

無抵抗を練習することはできません。「無抵抗でいる」とか、「注意深くある」と言うことはできます。でもそうすることはできません。なぜなら、何かをする「あなた」はいないからです。大切なことは認識することです。「これは抵抗だ」や、「これは不注意だ」はその対極から来るにちがいありません。それは、まさに無抵抗や注意からやってきます。

それを認識するその瞬間、初めはほんの一瞬かもしれませんが、あなたがそこにいます。でもそれはまたやってきて、あなたがはっきりとたえずそれを認識するようになります。そして、あなたがいない時がやってきます。

でもそこには、確かな確信があることをあなたは知るでしょう。それはあたかも空を覆う雲のようなものです。何が起こっていても、今ここにある意識がそこにあります。どんなにたくさんの雲が覆っていても、太陽は空にあります。

執着が雲を散らそうとしたり、雲を心配したりすることはありません。そこに太陽があるということを理解、認識するだけで十分です。改めようとしたり、修正したり、正そうとしたりしなければ、雲は自然と消えていきます。なぜなら、抵抗のエネルギーが注がれないからです。

雲は動いていきます。葛藤や抵抗にエネルギーや概念などで、それが去っていくことを妨げなければ。思考と葛藤するのはいつも思考です。それが私たちの問題の原因です。