幸せな一生も不幸な一生もありません。
幸せを感じる一瞬や、不幸だと感じる一瞬はあると思います。
でも、その一瞬も、マインドで幸せだとか不幸だとかいう概念を与えなければ、幸せでも不幸でもありません。
出来事が自然に起こって、自然に過ぎていくだけです。それが不幸だとか、幸せだとかいう概念を与えてしまうのはマインドです。
私は自分の人生を振り返ってみて、いつも自分は不幸だと思っていたような気がします。
でも実際は不幸でも幸せでもありませんでした。
人は不思議なもので、結婚していない人は、自分にパートナーがいたら幸せだろうに、と考えます。でも結婚している人は、こいつさえいなければ私はもっと自由になれるのにと考えるかもしれません。
結婚して子供のいない人は、子供がいればどんなに幸せだろうか、と思います。でも子供のいる人は、この子さえいなかったら、こんなにあくせく働かなくてもいいのにと考えるかもしれません。
エンライトメントを手に入れることができれば、きっと毎日が幸せに違いないと考えていると、それを手に入れていない自分は不幸だと考えます。私がそうでした。
こうした思いは、全部概念です。いろんなものごとにこうした概念を貼り付けて、幸せと不幸を作りだしています。
私はセイラーボブを学んでから、幸せ、不幸のラベル貼りをしなくなりました。すべては自然に起こってくるものだと知ったからです。
これからも、幸せだと感じることも、不幸だと感じることも起こってくるでしょう。
でも私は、それにラベル貼りさえしなかったら、それは単に起こっては去っていくことだということを理解しました。
これは、楽しいことが起こった時に喜ぶなとか、悲しいことが起こった時に泣くなということではありません。むしろ逆です。楽しいことが起こった時、この楽しいという概念を与えているのはマインドです。
それは去っていくものだとしても、おもいっきり楽しみたい。
悲しいことが起こった時、悲しいという概念を与えているのもマインドです。それは実体のないものであり、やがては去っていくと知っていれば、それほど巻き込まれないですみます。
私はメンタルが決して強い方ではなく、何か悲しい出来事があるとすぐにどっぷりと巻き込まれて尾を引くタイプでした。でも今は、すべてが概念だと理解しているので、それほど巻き込まれません。
セイラーボブの教えを理解してから、毎日が本当に楽になりました。
もちろん、これからもいろんなことが起こってくるでしょう。
でも私は、すべては概念であるということを理解しています。
私は時々友人とカラオケに行きます。
二人とも最近の歌は知らないので、何十年も前の歌ばかり歌うのですが、友人がよく歌う歌の一つに、伊勢正三さんの、「ささやかなこの人生」があります。
この歌は私も好きですが、この歌を聞くといつもセイラーボブの教えを思い出します。
歌の最後にこんなフレーズがあります。
やさしかった恋人達よ
ささやかなこの人生を
喜びとか悲しみとかの
言葉で決めて欲しくはない