2019/06/21
ラベルで何かを分割することはできません。
私はある言葉を用います。それはキリスト教や他の伝承から来ていると思いますが、偏在、全能、全知です。それは一つのものごとの三つの側面を表しています。それは完全な存在、完全な力、完全な知性です。
それが究極のものであるなら他には何もありません。でも問題はラベルを貼って三つのものに分割してしまうことです。それは他に何もない一つのものです。ラベルで何かを分割することはできません。
それであなたはいつも、ただ「これ」を指し示しているのですね。このアウエアネスは分割することも区分することもできない。それはとてもシンプルですね。
ええ、シンプルです。一つであるということの他に、他には何もない一つのものという表現を使います。他の何かがあると思わないようにです。
あなたの言われることは、起こってくることが何であれ、life(命)そのものであると気づいていることですね。
ええ、そうです。あなたが life(命)そのものです。あなたが、命であり、そこには誰もいません。命があるだけだとニサルガダッタは言いました。それがすべてです。そこには命を生きる誰かがいるわけではありません。
そして、命はひとりでにつながっていきます。命は命から生まれ、命へとつながっていきます。
言葉で表現しようとすると、とても曖昧なものになります。言葉には限界があり、このことを正確に表現することができません。
そうです。それゆえ、マインドの中に答えは見つからないと言っているのです。マインドの機能はいつでも分割することだけです。それはいつも対極へと振動して、概念、イメージを使って分割をもたらします。
偉大な伝承を調べてみると、そこにはマインドはありません。それは、空のマインドや、ノーマインドと呼ばれています。そして、不生のマインド。
そしてマインドが何もないものであるなら、何もないものから何かが生まれることがあるでしょうか? 私たちが、物だと思っているものも思考にすぎません。そこにあるように見えているにすぎません。
(一部聞き取り不能の箇所を割愛しています)