2023/01/27

実際にそれを生きるのが難しいのですが?

2023.1.15ミーティング 1:21:23から

参加者A:ええ、このワンネス(一体性)、この非二元性はとても神秘的です。私たちはボブの言う二元性の見せかけとして現れている世界に暮らしています。私たちがマインドの中にいる時は二元性の中にいます。なぜなら、マインドは生き残るために、物事を解決しようとしたり、物事を理解しようとしたりしてラベル貼りをします。するとそこには観念としてのワンネス(一体性)があります。

そして、ボブが言うように、ラベルを無くせば、マインドの妄想や恐怖の欲求から解放されます。でも、私たち皆が知っているように、ワンネスとして存在するように変わっていくというのはとても難しいことです。それで私は苦労しているのです。私はもう長い間、観念上ではワンネスということを理解しています。でも、実際にそれを生きること、あるいは、それとして存在することは、私にはとてもとても難しいのです。

参加者B:あなたは何もする必要はないですよ。

参加者C:ええ、何もしなくてもいい。(一同笑い)

カット:ミーティング終了まであと十分ですが、議論するのは好きです。その質問は良い質問で、すばらしい質問です。とても明確です。私自身の経験した例と結びつけられたらと思うのですが、私はかつて、「私は十分でない」という考えは真実だと狂信的に信じていました。それが現実だと思っていました。私は十分ではないという思考が頭の中にあり、それは私の思考であり、個人的なものでした。それを信じた結果、その思考は苦しみ、もがき、社会的な苦悩などの多くの結果をもたらしました。

今、同じ思考がマインドにやって来て、もしそれに対する反応があるとすると、それは笑いとなります。(笑う)なぜなら・・・、なんと馬鹿げた考えでしょう。つまり、それは一つの考えに過ぎないという意味です。それは空間の本質、アウエアネスに影響を及ぼすことは絶対にできません。でも、私はそのイメージを信じている存在・人である、それが私で現実である、という思考を信じると、それが苦悩となり、分離を生みます。

そうした思考は起こってくるのですが、もしそれをシリアスに受け取らず、それを信じないで、それが本当は何なのかを知れば、それはアウエアネス(意識)の中の単なるバイブレーションにすぎません。それは単なる文章のセリフであり、それぞれマインドが思考をどう加工するかによるもので、音を聞く人もあれば、セリフを見る人もあります。それは重要ではありません。それは単なる内容物であり、常にそこにあるわけではありません。それは真実ではありません。どんな思考も決して真実ではありえません。

私に対するどんな思考も違います。私は女、生まれた時から女。いいえ、そうではありません。私は小さな赤ちゃん、あるいは少女でしたが、それでさえありませんでした。といういのも、体は小さな赤ちゃん、少女でした。体は私の乗り物です。体はアウエアネスが外を見るための衣装です。そうでなければ、見ることができません。それには目や耳が必要なのです。体に何が起ころうと、体に感覚が起ころうと、どんな物語が体に起ころうと、それはハードウエアであり、もちろんマインドがソフトウエアです。

体験や表現するための乗り物である体に何が起ころうと、アウエアネスには起こりません。その意識、認識の広大なフィールドの中に、体とマインドという認識があります。ということは、私は体やマインドではありえません。なぜなら、目は目自身を見ることができないからです。ええ、あなたは観念上では知っています。でも、現実的な問題としてはっきりさせることはとても良いことです。ええ、私は地球が平らだと信じている、サンタクロースは実在する、私はいる、それは実在する、そしてその私は自己を超越できるはずだ。

でも、その自己を超越することはできません。なぜなら、その自己は実在ではないからです。私が、超越すべき私だとしたら、それは決して起こりません。ボブが時々引き合いに出す盤珪いわく、「エゴを取り除こうとするのは、血で血を洗い流そうとするようなものだ。それでも血は残る」。あなたがエゴを取り除く。あなたがエゴを殺す。それで、誰が残るのですか? 

それは実際には認識の問題、シンプルな認識です。サンタクロースは実在しない。サンタクロースは決して実在したことがない。この私。この思考。私は重要だ。私は重要ではない。オーストラリア人。ポーランド人女性。そうしたものは、まったく無邪気に習慣的に信じてきた観念の束にすぎません。なぜなら、他の人やママ、パパ、先生、グル、首相、皆がそれを真実だと決めてかかっていたからです。もちろん、それを信じることは罪のないことです。でも、それは単なるコスチュームだということを調べてみるように招待しているのです。