2023/01/05

それがマインドの仕事です。

2022.4.3ミーティング 39:22から

(カットが携帯でオンライン参加者のメッセ―ジを読む)

カット:JBから、「どんなにしても独立した私が存在する中心、参照点を見つけることができない」。素晴らしいですね。(笑い)調査しても、想像しているような自己はそこにはいないということがわかり、それを確信、主張する結果になるだけです。そういう理由で、調査は、私は誰かという問いに対する答えを見つけるのではなく、私は誰かという問いは適切ではないということを見つけるためだと私たちは言うのです。そこには問いを発する人も見つかる人もいません。

私は何か、私は誰かを述べることはできないし、それを意識の対象物とすることもできません。なぜなら、もしそれが対象物だとしたら、あなたはどこからそれを見ているのですか? その場合、あなたは明らかにその後ろから見ていることになり、その見られているものはあなたではないことになります。それは何か他のものです。あなたが何であるかを知ることはできないのです。そして同時に、あなたが存在するということも否定することはできません。あなたは存在する。あなたは、自分は存在しないと言うことはできません。そしてそれがその本質です。

私は何か、私をどう定義すべきか、どうやって自分を見つけるのか、と心配するかわりに、あなたが存在するという真実とともに留まってください。それはささいなことではありません。それは実際、この教えの中心です。あなたは存在する。でもそうすると、観念的なマインドはあなたに、「ええ、それが何? とても退屈。もっと歯ごたえのあるものをちょうだい。私はもっと偉大なもの、大きなものになりたい。私はエンライトメントしたい。私は何かを見つけたい」とあなたに告げます。

でもそれらはすべてたわごとにすぎず、想像です。存在の事実は奇跡です。それは愛。そこには存在することへの愛があります。そして、その存在が広場の中の無数の物事となって反映した奇跡を目撃することは素晴らしいことなのですが、私たちはその事実を完全に見逃しています。なぜなら、私たちは頭の中の思考やイメージで忙しいからです。一方、ここ、ハートの中、本質の中では奇跡は続いていて、私達はそれを否定することはできません。

それはもともとそこにあり、完全に存在しています。そして、想像、思考、詳しく述べること、名前をつけること、文句を言うことや想像することからそこへ戻ってくること。その存在の本質へと戻り、それと恋に落ちることを喜ぶと、あなたはそれと恋に落ちる必要さえなく、愛はもともとそこにあったことがわかります。それを認識するだけでいいのです。そしてJBが言ったように、「分離した私はそこにはない」。

そこに誰かいる、見つけることができると思うなら、それは無駄だとわかるまで探し続けてください。それはそこに昨日は存在しませんでした。それはそこには10年前には存在しませんでした。あなたは決してそれを見つけることはできません。それはそこにはいないのです。そして、誰が見ているかを調べてください。誰がそれを見つけようとしているかわかりますか? あるいは、あなたはそこには誰もいないと知るだろうということを理解してください。思考が存在意識のフィールドの中を流れていっているにすぎません。私は誰かという思考。私は誰かという質問。

そこには誰もそれを尋ねている人はおらず、その相手側にも誰もおらず、思考が続いているだけです。そして、考える人と思考は単なる観念上の表現、シンボルです。それは一つの命、一つの見ること、呼吸です。思考はそれを見る人と見られるもの、考える人と思考、質問者と思考に分割します。それは二元的なマインドによる言語の機能にすぎません。それがマインドの仕事です。