(あなた)が考える(あなた)という存在は幻影です。
何者か、もしくは分離した誰かとしての(あなた)がいるという考えは、何か周知のことを受け入れたり拒絶したりする原因となります。
幻影が自らを欺く話をします。知る人と知ることというのは、自然な概念化されない知る行為そのもの(knowing)を見かけ上分割した概念にすぎません。(私はいる)という思考を信じることは、絶えず変化し続ける客体としての世界に見せかけの現実味を与えますが、それでもすべては本質においては変化することのない自然な知る行為そのもの(knowing)に他なりません。
思い起こし、思い出し、さらに思い出してください。私はそれであり、それが私です( I am That I am.)。それは意識。誰に対してどんな活動、思考、出来事や事件が起こるというのでしょうか。
出来事や活動はあたかも草が自然に生えるように、誰が優っているとか劣っているかではなく、そういうふうにしか起こりようがないということを理解してください。自ら働きかける知性エネルギー、まさにそのもの、それ以外のものではありません。
自ら輝く今ここにある意識は努力の結果ではありません。その意識が突然そこにあることを期待して何かをする必要があるわけではありません。今ここにある意識はあなたが気づいていなくても、うわべ上見えなくても、いつも今ここにあります。それは作り出したり破壊したりする何かではありません。
概念上の思考は雲のようなもので、見かけ上では太陽を見えなくします。概念化されない自然な状態でくつろぐのはいつも今ここにある意識です。
何度も何度も何度も思い出してください。何が現われようが消えようが、それを認識することはいつもそうなのです。自ら認識し、自ら輝く。ただそれだけ、他には何もありません。