2020/02/08

今ここにある意識だけが実在です。

今ここにある意識だけが実在です。
昨日の意識も一年前の意識も、子供の頃の意識も実在ではありません。
明日の意識も一年後の意識も実在ではありません。

今ここにある意識だけが実在です。
それを空間のようなアウエアネスと呼ぼうが、純粋意識と呼ぼうが、今ここにある意識と呼ぼうが同じものです。
そこに、あなたの思考が現れ、世界が現れ、すべてが現れます、

今ここにある意識だけが実在です。
それが真実だとすれば、もっと良い意識を手に入れようとしても無駄なのではありませんか?

誰かの教えに従って瞑想すれば、もっと良い意識が手に入るのではないか、誰かの教えを学べば、もっと高い意識を手に入れられるのではないかというのは間違いではありませんか?

あれこれすれば、明日はそれを理解できるだろう、いつかは理解できるだろうという思いは完全な思い違いです。今理解できなければ、永遠に理解はできません。

唯一あるのは、今ここにある意識だけです。それがすべてです。
だとしたら、瞑想や誰かのメソードを使って、覚醒やエンライトメントを得ようとするのは間違いではありませんか?

あなたがどんな瞑想やメソードを実践しても、それであなたの意識が高次の意識になることはありません。
私も様々な瞑想、メソードを試しましたが、どれも根本的な解決にはなりませんでした。

すべての瞑想が役に立たないというつもりはありません。
ある種の瞑想は、マインドを静かにしたり、ちょっとした神経症を癒したりするには役立ちました。でも、それだけでした。

瞑想が終われば、マインドはまた騒がしくなり、またイライラが始まり、また瞑想を求めるようになりました。
それは一種のドラッグのようなもので、瞑想ができない日は落ち着かず、何のための瞑想かわかりませんでした。

瞑想をして得られる安らぎは、瞑想をまったくしない人の普段の状態と何も変わらないということに長い間気づきませんでした。
いくら瞑想しても、瞑想が私の意識を高次の意識にしてくれることはありませんでした。

瞑想は、根本的な解決にはなりませんでした。
根本的な解決になったのは、マインドがすべての問題の根源であるという理解でした。
もし私のマインドが無かったら、何も問題はありませんでした。

もしマインドが無ければ、そこには澄み切った、今ここにある意識だけがあります。
その意識だけが実在です。
それが「私」です。

2016 ケアンズ