2025/10/31

これは単なる純粋な理解に過ぎません

ボブ:もし理解しているのは「あなた」だと考えているなら、あなたはこのことを概念的に把握したいと思うでしょう。しかし、これは単なる純粋な理解に過ぎません。確認が必要ですか? 2足す2はいくつですか?

質問者:4です。

ボブ:あなたはそれを理解しているのですか、それとも知っているのですか? もし私がやって来て、2足す2は6だとか、2足す2は8だとか、2足す2は3だと言ったら、あなたは何と言いますか?

質問者:ええ、私の習ったやり方と違います。

ボブ:つまり、あなたは理解しているということですね。でも、かつては2足す2は4だとは知らなかった。でも、あれこれ考え疑問を持って調べました。1、2、3、4。1、2、3、1、4。と足し算をして、2足す2は4になります。あなたはそれを見て、認識し、理解しました。そして今、それが確証されました。誰もあなたを揺るがすことはできません。2足す2は3だとか5だとか言う人はいません。それは、あなたが存在しているという認識と同じです。誰もあなたを思考の産物だと言うことはできません。あなたは自分が存在していることを知っているのです。

2025/10/28

人生はすでに決まっているのか、それとも自由に選択できるのか? ルパート・スパイラ

Is Life Predetermined or Are We Free to Choose?      Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

人生はあらかじめ決められているのでしょうか、それとも私たちは自由に自分の道を選ぶことができるのでしょうか?それに対して、どのような姿勢を持つのが最善なのでしょうか?そして、奉仕の人生を生きるという選択をした場合、それが単なるエゴの追求ではないと、どうすればわかるのでしょうか?

ルパートは言います。「もし神が男性だったら、私たちの運命はおそらく最初から決まっていたでしょう。しかし、今私たちが知っているように、神は女性であり、常に考えを変えています。だからこそ、私たちは自分が何に運命づけられているのか全く分からず、自由と創造性があるという神に感謝すべきです。」

「それに対して、最善の姿勢は、心を開き、身を委ねることです。良いことだけでなく、辛いことや困難なことにも。なぜなら、それらは私たちを支配する力を持たないからです。たとえそれがなぜ起こっているのか理解できなくても、すべてに「はい」と言いましょう。」

「そして、エゴだと思って、この世での仕事を縮小してはいけません。」もしあなたがこの愛と理解を持ち、それを人類に何らかの形で届けたいというビジョンを持っているなら、それはエゴ的な衝動ではありません。それに従いなさい。情熱を傾けなさい。あなたのビジョンを人類に届けるために必要なことは何でもしなさい。」

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タイトルからして、何か非二元的な話が聞けるのかと思ったら、まったくそうではありませんでした。運命論でもなく、行為者の不在でもなく、ごく普通に、人生は何も決まっていないという話でした。当たり前のことを話してくれたので、かえってホッとしました。

私はブログに載せるために、英語と日本語字幕の両方を見ています。日本語だとわかりにくいところはけっこうあります。英語ならわかりやすいかというと、そうとも言えません(英語力の問題ではなく)。結局、非二元の話はわかりづらい。それは本でも言えることで、セイラーボブやルパート・スパイラの本がすんなりと理解できるかというと、そんなことはないと思います。日本語で読んでわかりづらいところを英語で読んでもよくわからないなんてことはよくあります。英語ネイティブが読んでもよくわからないと思います。

でも、わかりづらいからと止めてしまうと、永久にわからない。わからなくても進み続けるしかないのではないでしょうか。そうやってやっていくうちにだんだんとわかってくるものではないでしょうか。AIの誤訳もたまにはありますが、それは目くじら立てずに翻訳の精度が上がってくるのを待ちましょう。

2025/10/26

YouTubeの日本語翻訳字幕の件で

前々回のブログでYouTubeには日本語字幕機能があると書きました。これはルパート・スパイラのYouTubeを見ていて日本語音声で聞くことができると気づき、セイラーボブのYouTubeも同じことができるのではとやってみたところ、音声翻訳はないが、翻訳字幕はずっと以前からあるとわかったためです。

今日あらためてセイラーボブのYouTubeを何本かチラチラと日本語字幕で見てみたのですが、使い物にならないとわかりました。AIが正確に訳さない。原因を考えてみると、まず録音状態があまりよくない。最近のものはちゃんとしたマイクを使っているが、古いものはちゃんと録音されていない箇所も多い。

セイラーボブのモゴモゴ英語をAIがちゃんと拾わない箇所が多々ある。そして、非二元、精神世界の用語をAIが理解しない。例えば信心銘(Shin Shin Ming)と言っても、まったく理解せず、トンデモ訳をしてしまう。さらに、カットはとても早口で話すので、字幕が追いつかない。

セイラーボブとカットのYouTubeの日本語字幕では話の内容が理解できないとわかりました。よく調べもしないで、セラーボブのYouTubeを日本語字幕でじゃんじゃん見てくださいなんて書いて、申し訳ありませんでした。私が長い時間をかけて聞き起こししてブログに書いたのも無駄ではなかったかなと思います。

ルパート・スパイラのYouTubeはどうかというと、こっちの方はなんとかいけるのではないかと思います。ルパート・スパイラはイギリス人なので、きれいな英語で話します。録音状態も良好です。それでも、ちゃんと訳してくれない箇所はあるのですが、それはしょうがないです。もともとよくわからないことを話ているのですから。
以上訂正してお知らせします。

2025/10/24

放っておけば、思考は自由に流れていく

思考は絶えず現れては消える。
あらゆるものは思考の現れであり、ひとつのエネルギーの表現である。
思考は区別を生み出し、それらは常に両極性の中で揺れ動き、脈打っている。
プラス/マイナス、上/下、ここ/ここ。
放っておけば、思考は自由に流れていく。
心理的な苦しみが生まれるのは、思考にしがみついたり、抵抗して押しのけようとしたりするときだけである。
                                 ピーター・ローリー

2025/10/23

お知らせ

つい今さっき知ったのですが、セイラーボブ関連のYouTubeでも、字幕のところに自動翻訳機能があって、それを利用すると日本語字幕で見ることができるということを知りました。今までそのことを知らずに、ブログに書くときは英語を聞きながら英語字幕を参考にして自分で翻訳して書き起こしていました。こんな便利なものがあることを何年も知りませんでした。自分のブログの中にあるYouTubeをあれこれと見てみたのですが、ほとんど日本語字幕で見ることができる。これなら私がわざわざ日本語に訳す必要はなく、日本語字幕で見ることができます。

今までの苦労はいったい何だったんでしょうか。私はものすごい時間を費やして聞き起こししていました。こんな便利なものがあったなんて。今頃何をと笑われそうですが、私は知らなかった。とほほ。調べたところ、自動翻訳字幕は2010年に始まったそうで、私がこのブログを始めるはるか以前でした。ぎゃふん。セイラーボブの英語はAIが聞きとれないところもあって「とんでも翻訳」になっているところもある。まあ、しょうがない部分はありますが、それでも十分に役立つものだと思います。日本語字幕でじゃんじゃん見てください。

やり方は、YouTubeの下の枠のバーにある歯車印→字幕→英語(自動生成)→もう一回英語(自動生成)→自動翻訳→日本語で日本語字幕が出ます。

これなら、いろんな英語話者の非二元の教師のYouTubeで非二元を気軽に学ぶことができると思います。こむずかしい翻訳本をイライラしながら読むよりもわかりやすいかもしれません。あとはAIが進歩して翻訳の精度が上がるのを楽しみに待ちましょう。(参考:非二元の教師たちのYouTube ボブのYoutube カットのYouTube カリヤニとピーターのYouTube

2025/10/21

あなたは“意識(アウエアネス)”の外へ出ることはできない

顕現は自然に起こっている。
望ましい未来の状態があるという観念は、“今ここ”にあるものを見えにくくしてしまう。
“今”は常に“ここ”にある。
未来のある時点で何かを達成しようという思考は、現在を完全に見ることを妨げる。
あなたは“意識(アウエアネス)”の外へ出ることはできない —— それが見失われるのは、思考に注意を向けるという習慣によってにすぎない。
観念へ没入することによって、私たちはもともと本質的にひとつであるということから目をそらしてしまう。
                                  ピーター・ローリー

2025/10/20

非観念の意識とは何か ピーター・ローリー

What Is Non-Conceptual Awareness? | Peter Lawry | The Key Philosophy Quest | E05

日本語字幕で見ることができます。

ピーターがホーチミン市からやってきた哲学の教師の質問に答えて語っています。哲学の教師は、まだ非二元を理解していない人がよく聞くような疑問をあれこれと尋ねるので、とても参考になります。

2025/10/18

死んだら意識に何が起きるのでしょうか? ルパート・スパイラ

What Happens to Awareness after Death?     Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。このビデオは日本語字幕より日本語音声で見た方がわかりやすいです。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

死後の意識と輪廻転生の概念を探る議論。

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日本語音声で、「心」という部分は「マインド」に、「意識」という部分は「アウエアネス」に置き換えて聞いてみてください。4:48前後に「テラ」と言っているのは、英語では「turiya」、サンスクリット語のトゥリア「純粋意識」(体やマインドを超えた意識のこと)のことです。

なぜ私たち(マインド)が意識(アウエアネスあるいは純粋意識)を直接認識することができないのか、またなぜ意識がマインドを認識することができないかをわかりやすく説明しています。その説明はまた、死とは何なのか、毎日の眠りと何が違うのかの説明になっています。死んだあと、マインドはどうなるのか、意識はどうなるのか、こういうのが聞きたかった。本当にすばらしい。

2025/10/17

そもそも、その存在は存在していたのでしょうか?

ボブ:人生を生きようとしたり、何かを起こそうとしたりする存在は存在しません。生(life)が自らを生きているのです。

質問者:そして、その生もまた、表現の仕方が違ってくるのではないでしょうか?  信じられている対象が存在する場合と、存在しない場合では、表現の仕方が異なります。どちらにしても、生は表現を続けていますが、その対象への信念がなければ、表現の仕方は違ってくるでしょう。

ボブ:では、そもそも、信じられている存在はどこから来たのでしょうか? そもそも、その存在は存在していたのでしょうか?

質問者:いいえ、存在しませんでした。信念は存在していました。

ボブ:それでも生は存在していました。生が、その見せかけを生み出したのです。

2025/10/15

私の本質は愛のはずなのに、どうして私には嫌いな人がいるのでしょうか? ルパート・スパイラ

If Love Is My True Nature, Why Do I Dislike Some People?   Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から

もし愛が私たちの本質であり、私たちがそれを人生で真に表現したいと願うなら、私たちの好みは薄れなければならないのでしょうか?愛に基づいて生きているなら、他人に対する好き嫌いは依然として存在し続けるのでしょうか?

ルパートはこう言います。「心が条件付けによって、あるものを好きになり、あるものを嫌いになるのは自然なことです。そして、私はそれらが消え去る必要はないと思っています。ある人を好きになり、別の人を嫌いになったとしても、それでもなお、自分はどちらの人とも平等に存在していることを知り、感じることができるのです。」

「私たちが好きか嫌いかは、実際にはその人そのものではありません。私たちは相手の行動や考え方が好きか嫌いかであり、相手の存在を愛しているのです。」私はよく、自分が嫌悪する考えや行動をする人の姿を思い浮かべ、その人の本当の姿に愛を感じるまで、その姿を見つめます。なぜなら、もし私たちが愛を感じられないのに、どうしてその人に愛を期待できるというのでしょう?

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ルパート・スパイラはすばらしいですね。

2025/10/14

非二元を探求する方法の一つは、「見る能力」を観察することです

非二元を探求する方法の一つは、「見る能力」を観察することです。
「見る」ことは、今まさに誰の力も借りずに自然に起こっています。目を開けていると見ることが起きます。そして、目を閉じている時でさえ、まぶたの裏に暗闇が見えます。(見る対象は変化しますが、見る能力自体は変化しません)
すると、マインドが現れてそれを解釈します。そこに「私」がいる、とマインドは言います。その「私」が「見ている」と言い、その「私」が光景を見ていることになるです。それは行為者であり、見る者です。それは存在することになり、それが行為をやっていると主張します…
このように、マインド(思考能力、論評)は、見るという単一の行動に主観と客観の分離をもたらします。
「私」がそれをやっているという概念がなくても、見ることは依然として続いています。
マインドのこうした解釈が、うわべの上で二元性を生み出しているように見えることに気づいてください。そのやり方を観察し、理解を深めてください。
                                    セイラーボブ

2025/10/12

非二元の教師の最近のYouTubeについて

最近知ったのですが、非二元の教師の最近のYouTubeの中には日本語音声や日本語字幕(自動翻訳)で見ることができる英語動画があるということを知りました。ルパート・スパイラについてはすでに動画を何本か紹介済みです。

そして、フランシス・ルシールのYouTubeにも日本語で見ることができる動画がたくさんあると知りました。フランシス・ルシールの動画には興味深いものや参考になるものがたくさんあります。


これは画期的なことだと思います。もちろんAIの翻訳は完璧ではありませんが、なんとか非二元を学べるレベルにあると思います。最近のAIの急速な進歩を考えると、翻訳の精度はもっとよくなると思います。非二元の教師たちが日本語でも見ることができる動画をどんどん作ってくれるようになれば、日本の人たちにとって非二元の理解が容易になるのではないでしょうか。そして、 巷に溢れる「なんちゃって非二元」を一掃してくれると期待しています。

セイラーボブのYouTubeはどうかというと、今のところ日本語で見られるようにはなっていません。そういう設定に直してくれたとしても、AIはおそらくボブのモゴモゴ英語を翻訳できないのではないかと思います。カットが今やっているミーティングをそういう設定にしてくれるといいなとは思うのですが、気軽にお願いしてできる事なのかどうかもわからないし、私の場合はAIの翻訳よりは英語で正確に聞きたいと思うので、お願いしないでいます。

もはやどの教師のビデオであれ、日本語で見ることができるすばらしいものを見つけたらブログに掲載していきたいと思います。もちろん私が支持する教師に限りますが。
それにしても技術の進歩はすごいですね。

2025.10.23追記
セイラーボブ関連のYouTubeでも、字幕のところに自動翻訳機能があって、それを利用すると日本語字幕で見ることができるということを今日知りました。今までそのことを知らずに、ブログに書くときは自分で英語を聞いて書き起こしていました。こんな便利なものがあることを知りませんでした。これなら、私がわざわざ日本語に訳す必要なく見ることができます。今までの苦労は何だったんでしょうか。まあ、AIの翻訳は時々「とんでも翻訳」になっているので、まあ、しょうがないけど。日本語字幕でじゃんじゃん見てください。

2025/10/11

思考と知覚が無かったら、私とは何なのでしょう?  ルパート・スパイラ

What Am I in the Absence of Thought and Perception?   Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

思考、感情、感覚、知覚がなければ、私は一体何なのだろうか? 私たちが普段同一視している経験内容が取り除かれたら、何が残るのだろうか?

ルパートはこう言います。「あなたが知っていることはすべて経験です。あなたは『私は自分の思考、感情、感覚、知覚を知っている』と言います。もし思考、感情、感覚、知覚を取り去れば、残るのは『私は知っている』、つまり純粋な知識、あるいは意識だけです。経験内容がすべて終わったら、残るのはただ意識の存在だけです。」

「意識の存在自体は経験ではありません。それはすべての経験を知っているものです。それはすべての経験を可能にするものですが、それ自体は経験ではありません。あなたは自分の思考や感情を知るのと同じように、それを対象として知ることはできません。あなたはそれを知っていることによってのみ存在できるのです。」

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カリヤニが言ったようにルパート・スパイラの説明はわかりやすいです(本は難しかったけど)。ファンが多いはずですね。

YouTubeの自動翻訳は出版翻訳家のように上手には訳してくれませんが、非二元を学んでいる方なら足りない部分は推測すれば十分に理解できる精度ではないかと思います。

2025/10/10

夢をあるがままに知るだけで十分です

ボブはレオ・ハートンと会ったことはありませんでしたが、電話で何度も話をしたので、ボブの影響はレオの著作に非常に強く表れていました。
ボブもまたレオの表現を大変気に入っていて、時折、彼の著書のタイトル「夢へと目覚める」を例に挙げて、夢から目覚める必要はないということを私たちに思い出させてくれました。
夢をあるがままに知るだけで十分です。「夢自体が問題なのではない」とニサルガダッタは言いました。
                                 カット・アダムソン

拓追記:セイラーボブはダグラス・ハーディングやジョーン・トリフソンとは面識があります。ロンダ・バーンにも教えを説きました。こうしてみると、非二元の教師たちは結構、横のつながりがあるようです。でも説き方はそれぞれ違いがあって興味深いです。

2025/10/08

無限の意識(awareness)には視点がない   ルパート・スパイラ

Infinite Awareness Has No Point of View     Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると日本語で見ることができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

私たちが初めて無限の意識という真の本質を認識したとき、それを無条件の愛、揺るぎない平穏、あるいは静かな喜びと定義します。しかし、無限の意識とは、それ自体の観点から見ると一体何なのでしょうか?

ルパートはこう言います。「心は意識を平穏で、喜びに満ち、愛に満ちたものと表現しますが、それは単に、普段の動揺や苦しみの状態と対照的に過ぎません。意識が自らを経験する時、客観的な性質や特徴は存在しません。意識は自らから離れ、主観と客観の関係において自らを知ることはできないため、意識には視点がありません。

「私たちは意識の中の視点、つまり意識の目であり耳であり、それを通して意識は自らを見つめ、宇宙として自らを見ます。もし意識が自らの経験を記述するとしたら、唯一言えるのは「私は在る」ということでしょう。なぜなら、「私は在る」とは、意識が自らを経験することに直接言及しているからです。だからこそ、「私は在る」あるいは「私は在るという存在である」という表現は、真理の最高の表現なのです。」

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ルパート・スパイラのYouTubeを今後も掲載していく予定です。彼の語り口はとてもわかりやすく、セイラーボブと重なる部分が多いです。ありがたいことに最近のものは日本語の音声と字幕で見ることが可能となりました。

2025/10/07

生がそれ自身を生きているのです

ボブ:反応は起こるかもしれませんが、それを「あなた」がやっているわけではありません。怒りを含むある種の感覚は、身体を動かすために役立つものです。

質問者:私が言いたいのは、たとえば職場で誰かが「それは最悪だ。お前の仕事は最悪だ」って言ったときに、もしそれに腹を立てたら、それは私のエゴが反応してるってことですよね。

ボブ:ええ、あなたには利害関係があるということです。

質問者:まさにそれです。もし私がこの作り上げられた存在、つまりエゴとそれほど同一化していなかったら、そんな言葉にも腹を立てることはなかったはずなんです。ただ通り過ぎていっただけでしょう。

質問者:これが本質のように思えるんです。あなたは、二つの異なる状況があると言ってるわけじゃない。すべては生命の本質がやっていることだと。そして、その作られた存在が「私」ではないと気づいたとき、人生はもっと楽になるってことですよね。

ボブ:ええ。生は、それ自身を生きているにすぎません。
何かの存在が人生を生きようとしたり、これを起こそうとか、あれを達成しようとかしてるわけではありません。
生がそれ自身を生きているのです。

2025/10/04

あなたは生まれも死にもしない  ルパート・スパイラ

You Are Not Born and You Never Die      Rupert Spira

歯車マーク→音声トラック→日本語で見ると、日本語で聞くことができます。

YouTubeの解説(Google翻訳)

私たちはなぜ生まれることも、死ぬこともないのでしょうか?最近父親を亡くしたある女性は、生と死の違いを理解しようとしています。彼女は、生と死の移行はいつ、どのように起こるのかを考えています。つまり、局所的な意識と普遍的な意識の違いは何か、と。彼女は体外離脱体験も経験しており、死ぬことと眠ること、あるいは体外離脱体験をすることの違いは何なのか、と疑問に思っています。局所的な意識は実際にはどの時点で始まり、どの時点で終わるのでしょうか?

ルパートは、有限な精神の活動を始める前の普遍的な意識というレンズを通して、生と死を考察します。意識が思考と知覚から始まるとき、それはまるで思考者が仮想現実(VR)のヘッドセットを装着し、自らを独立した経験主体として局所化し、その視点から自身の活動を世界として見ているかのようです。

物質と呼ばれる固有の物質は存在しません。物質とは、単に私たちの局所的な視点から見た意識の活動の姿に過ぎません。身体が「受胎」する瞬間は、意識が思考と知覚のVRヘッドセットを装着する瞬間です。つまり、身体は局所化された自己となります。そして、局所化されていないものはすべて、私たちの周りの世界として認識されます。

夢を見るのも同様です。夢想家は、あたかも別個の経験主体として局所化し、夢の中の他のすべての側面は世界として現れます。あなたの夢の登場人物の身体はいつ生まれたのでしょうか?生まれたわけではありません。夢が始まった時に現れただけです。夢の登場人物はいつ死んだのでしょうか?死んではいません。夢の心が、夢の登場人物として自らを局所化するのをやめただけです。

私たちの存在の現実においても同様です。私たちは決して存在することも、存在から消滅することもありません。私たちは永遠に存在しています。生命の局所化は一時的なものであり、単に現れては消えるだけです。

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この動画はすばらしい。私たちは死ぬことも生きることもなく、永遠に存在するもの。この話を聞くと勇気が湧いてきます。

2025/10/03

「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない

すべての苦しみは、自分が何か限界のあるものだと信じることから生まれる。

その「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない。

                                                                                                                                     セイラー・ボブ