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これは単なる純粋な理解に過ぎません
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YouTubeの日本語翻訳字幕の件で
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放っておけば、思考は自由に流れていく
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お知らせ
2025/10/21
あなたは“意識(アウエアネス)”の外へ出ることはできない
2025/10/20
非観念の意識とは何か ピーター・ローリー
What Is Non-Conceptual Awareness? | Peter Lawry | The Key Philosophy Quest | E05
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無限の意識(awareness)には視点がない ルパート・スパイラ
Infinite Awareness Has No Point of View Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると日本語で見ることができます。
YouTubeの解説(Google翻訳)
私たちが初めて無限の意識という真の本質を認識したとき、それを無条件の愛、揺るぎない平穏、あるいは静かな喜びと定義します。しかし、無限の意識とは、それ自体の観点から見ると一体何なのでしょうか?
ルパートはこう言います。「心は意識を平穏で、喜びに満ち、愛に満ちたものと表現しますが、それは単に、普段の動揺や苦しみの状態と対照的に過ぎません。意識が自らを経験する時、客観的な性質や特徴は存在しません。意識は自らから離れ、主観と客観の関係において自らを知ることはできないため、意識には視点がありません。
「私たちは意識の中の視点、つまり意識の目であり耳であり、それを通して意識は自らを見つめ、宇宙として自らを見ます。もし意識が自らの経験を記述するとしたら、唯一言えるのは「私は在る」ということでしょう。なぜなら、「私は在る」とは、意識が自らを経験することに直接言及しているからです。だからこそ、「私は在る」あるいは「私は在るという存在である」という表現は、真理の最高の表現なのです。」
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ルパート・スパイラのYouTubeを今後も掲載していく予定です。彼の語り口はとてもわかりやすく、セイラーボブと重なる部分が多いです。ありがたいことに最近のものは日本語の音声と字幕で見ることが可能となりました。
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「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない
すべての苦しみは、自分が何か限界のあるものだと信じることから生まれる。
その「何か」を探し求めても、見つけられるのはただの意識(awareness)にすぎない。
セイラー・ボブ