Q: あなたはクリシュナムルティ(ジッドゥ・クリシュナムルティ)と血縁関係か何かがあるのですか?
UG: 「クリシュナムルティ」というのは単なる名(ファーストネーム)であって、苗字(ファミリーネーム)じゃないんだ。彼の苗字はジッドゥだ——「クリシュナムルティ」なんてのはごくありふれた名前だよ——ジッドゥ・クリシュナムルティ、ね。
彼とは関わりがあった。彼がやって来るたびに、7年ほど彼の話を聞いていたんだ。彼と個人的に会うことは一度もなかった。「世界教師」云々のビジネス全体が、ある種の距離感を作り出していたからね。「世界教師なんてものがどうやって作られるってんだ? 世界教師ってのは生まれつくものであって、作られるもんじゃない」——それが私の資質だった。裏事情も、お商売の全体像も全部知っていた。私はインナーサークル(側近グループ)の一員ではなかった。常に周辺にいて、自分から巻き込まれたいとは思わなかった。そこにも同じような偽善が存在していた。彼らの生活には何も中身がなかったという意味でね。浅はかだったんだ——学者どもも、秀才どもも、素晴らしいと言われる人々も。「これは何なんだ? この裏には何があるんだ?」とね。
それからクリシュナムルティが現れ、7年後、状況が私たちを引き合わせることになった。私は毎日彼と会い——私たちはあらゆることについて議論した。私は彼の抽象論にはまったく興味がなかった。彼の教えなんて私には少しも興味が持てなかったよ。私は一度彼に言ったんだ。「あんたは現代の心理学用語を拾い集めて、その専門用語を通して何かを表現しようとしているだけだ。分析という手法を取り入れながら、分析では到達できないという点に行き着く。こんな分析は人々を無力化しているだけだ。人々を助けてなんかいない。私を無力化させているんだ」。私の問いは一貫して同じだった。「あんたが持っているものとは一体何なんだ? あんたが私に投げつけてくる抽象論なんぞに興味はない。その抽象論の裏に何かあるのか? それは何なんだ? なぜだか分からないが、私には予感がするんだ——あんたが放っている抽象論の裏にあるものこそ、私が興味を持っているものだという予感がね。何の理由か知らんが、私にはそんな気がする——単なる私の投影かもしれないがね——(身近な伝統的譬えを使うなら)あんたは砂糖を味わったことはないかもしれないが、少なくとも砂糖を見たことはあるようだ。あんたの物の説明を聞いていると、少なくとも砂糖を見たことはあるような気がしてくる。だが、あんたが砂糖を味わったかどうかは私には怪しいものだね」。
こうして私たちは何年もの間、闘わせ合った。(笑う)私たちには個人的な意見の違いもいくつかあった。私は彼からストレートで正直な答えを求めたが、彼なりの理由があって答えてくれなかった。彼は非常に防御的だった——何かを必死で守っていたんだ。「あんた一体何を守る必要があるんだ? 過去も何もかも丸ごと木にでも吊るしておいて、人々に任せておけばいいじゃないか。なぜ自分を防衛しようとするんだ?」私は彼の背景についてストレートで正直な答えを求めたが、納得のいく形では答えてくれなかった。そして最後に、私は詰め寄った。「さあ言えよ、あんたが投げつけてくる抽象論の裏に何かあるのか?」するとあの野郎は言った、「お前が自分でそれを知る術はない」とね。終わりだ——これで私たちの関係は完全に切れたんだよ、ほら——「もし私に知る術がないなら、あんたにもそれを伝える術はないじゃないか。私たちは一体全体何をやっているんだ? 7年間も無駄にした。さらばだ、二度とあんたの面なんて見たくないね」。そうして私は立ち去った。
(UGにサイキックな力(超能力)のようなものが現れ始めて困惑したのは、おそらくちょうどこの時期のことだった。)
49歳になる前、私には非常に多くの能力や体験があったが、そんなものには少しも気を払わなかった。人を見た瞬間、その男が何も話さなくても、過去・現在・未来のすべてが見えてしまうのだ。私はそんな力を使わなかった。首を傾げ、困惑していたよ——「なぜ私にこんな力があるんだ?」とね。私が何か口にすると、それは必ずその通りになった。そのメカニズムが理解できなかった——解明しようとはしたんだ——「なぜ私がそんなことを言えてしまうんだ?」とね。いつもその通りになった。私はそんな力で遊んだりはしなかった。それに、それはあまり良くない結果をもたらし、一部の人々に苦しみを生み出しもしたからね。
(UGは世界中を旅し、依然として講義を続けていた。1955年、長男のポリオの治療法を求めて、妻と4人の子供とともにアメリカへ渡る。1961年までに資金は底をつき、自分の中で抑えることもできず、抑えたいとも思わない凄まじい激変が始まりつつあるのを感じていた。それは6年間続き、(彼が自然な状態への参入と呼ぶ)『大惨事(カラミティ)』によって終わることになる。彼の結婚生活は破綻した。家族を飛行機に乗せてインドへ送り返し、自らはロンドンへ向かった。一文無しで到着した彼は、街をさまよい始めた。3年間、彼は路上で無為に暮らした。友人たちは彼が坂道をまっさかさまに転がり落ちていると見ていたが、当時の彼にしてみれば、自分の生活は極めて自然なものに思えたという。後に宗教心のある人々は、神秘家たちの言葉である『魂の暗い夜』を使って当時の彼を表現しようとしたが、彼に言わせれば「誘惑や世俗との英雄的な闘いも、衝動との魂の葛藤も、詩的なクライマックスもなく、ただ意志がシンプルに萎えて消えていっただけ」であった。)
それ以来、自分にはまるで頭がないかのようだった。「私の頭はどこへ行ったんだ? 私に頭はあるのか、ないのか? 頭はあるように見える。では、これらの思考は一体どこからやってくるんだ?」——これが私の問いだった。頭が存在せず、ただこの身体の部分だけが動き回っていた。何かをしようという意志が一切なかった。あちこちに吹き飛ばされる落ち葉のように、みじめな生活を送っていた。それがずっと、ずっと、ずっと続いた。ついに——何が起こったのか自分でも分からないが——ある日、私は自分に言ったんだ、「こんな生活は良くない」と。私は実質的にホームレスで、人々の施しで暮らし、何も分からない状態だった。意志がなかった——自分が何をしているのか分からなかった——実質的に正気ではなかったんだ。ロンドンにいて、路上をさまよっていた——住む場所もなく——一晩中路上をさまよった。警察官がいつも私を呼び止めた。「行く場所がないのか? ぶた箱に叩き込むぞ」。そういう生活を送っていたんだよ。昼間はブリティッシュ・ミュージアム(大英博物館)に行って座っていた——入館券は手に入ったからね。大英博物館で何を読むかって? 読むことになんて全く興味はなかった——どんな本も興味を惹かなかった——だが、何かを読むためにそこにいる振りをしようと、裏社会のスラング(隠語)の類語辞典——裏社会の人間や犯罪者たちのスラング全般——を引っ張り出してきた。昼間を過ごすためにしばらくそれを読んでいた。夜になるとどこかへ出かけた。それがずっと、ずっと、ずっと続いた。
ある日、ハイド・パークに座っていた。警察官がやって来て言った、「ここにいちゃいかん。叩き出すぞ」。どこへ行けばいい? どうすればいい? 金がない——ポケットには5ペンスくらいしか入っていなかったと思う。頭の中にふと直感が浮かんだ。「ラーマクリシュナ・ミッション(修道院)へ行け」。それだけだ、どこからともなく湧いて出た単なる思いつき——たぶん私自身の投影だったのだろう。路上をさまよう以外に道はなく、警察官が追っかけてくるので、私は地下鉄に乗り、進めなくなるところまで行った。そこから歩いてミッションへ行き、スワミ(僧侶)に会おうとした。彼らは言った、「今はお会いになれません。夜の10時ですよ。お会いになりませんし、どなたともお会いになりません」。私は事務員に、どうしても会わなければならないと言った。どうにか彼は現れた。そこで私はこのスクラップブックを彼の前に差し出した——これが私だった。私の講義記録、私の講義に対するニューヨーク・タイムズ紙のコメント、私のバックグラウンドだ。アメリカで私のマネージャーが作ってくれたスクラップブックを、なぜか私は手元に持ち続けていたんだ。「これが私であり、今の私です」。すると彼は言った、「何が望みですか?」。私は言った、「瞑想室に入って、一晩中そこに座っていたいのです」。彼は言った、「それはできません。8時以降は誰にも瞑想室を使わせない方針なのです」。私は言った、「では、私には行く場所がありません」。彼は言った、「部屋を整えてあげましょう。今夜はホテルに泊まって、また戻ってきなさい」。それで私はホテルに泊まった。翌日の12時、疲労困憊でそこへ行った。彼らは食事中だった。私に昼食をくれた。久しぶりにまともな食事にありついたよ。食欲すら失っていたんだ。空腹が何なのか、喉の渇きが何なのかすら分からなくなっていた。
昼食後、スワミは私を呼んで言った。「私はまさにあなたのような人物を探していたのです。編集作業をしていた私の助手があたまを病んでしまい——病院に入ってしまったのですよ。私はこのヴィヴェーカーナンダ生誕100周年記念号を出さなければならない。あなたは今、私にとってうってつけの人物だ。手伝ってくれませんか」。私は言った、「私には何も書けません。昔は編集をやっていたかもしれませんが、今の私には何もできないのです。私は終わった人間です。その方向では何の役にも立てません」。彼は言った、「いやいや、一緒にやれば何かできますよ」。彼はインド哲学などのバックグラウンドを持つ人物を喉から手が出るほど求めていたんだ。望めば誰でも雇えただろうに、彼は「いやいや、大丈夫です。しばらく休んで、ここに滞在しなさい。面倒を見ますから」と言った。私は言った、「執筆作業はしたくありません。部屋を一つください。皿洗いでも何でもしますから。ですが、そういった作業に対して私は著しく無能なのです」。彼は「いやいや、それをやってほしいのです」と言った。そこで私は何かをやろうと試みた。私の満足のいくものでもなく、彼の満足のいくものでもなかったが、どうにか二人でその号を出版した。
彼は私にお金もくれていた、他のスワミたちと同じように5ポンドだ。初めて自由にしていい5ポンドを手に入れた、そこで「これで何をしよう?」となった。お金がなかったので、お金の価値感覚を失っていたんだ。かつては10万ルピーの小切手を切ることができた時期もあった。しばらくするとポケットに1パイサすらない状態になり、そして今、5ポンドだ。「これで何をすればいいんだ?」——そこで私は、そのお金でロンドン中の映画を片っ端から見ようと決めた。ミッションに滞在して午前中は仕事をし、1時にそこで飯を食って映画に出かけるのが日課になった。やがて見たい映画が見つからない時期がやってきた。ロンドンの郊外では1シリングかそこらで映画を3本見せてくれたので、映画をすべて見尽くして、そのお金を使い果たした。
私はよく瞑想室に座り、瞑想している人々を眺めながら首を捻っていた。「なぜ彼らはあんなバカげたことをやっているんだ?」とね。この頃には、あらゆるものが私の中から抜け落ちていた。だが、その瞑想センターで私は非常に不思議な体験をしたんだ。それが何であれ——私自身の投影か何かだったのか——事実はそこにある。生まれて初めて、ある妙な……私はただ座り、何もせず、人々全員を見つめ、彼らを哀れんでいた。「この人たちは瞑想している。なぜ三昧(三摩地)に入りたがるんだ? 何も手に入りやしないのに——私はそれらをすべて通り抜けてきたんだ——自分をごまかしているだけだ。人生全体を無駄にしてあんなことをするのから救うために、私に何ができるだろう? 何処へも行き着きはしないのに」。私がそこに座り——何もなく、空白の状態でいた時——非常に不思議なものを感じた。身体の内側で何らかの動きがあったんだ。突然、何かが動いているのに気づいた。ペニスからエネルギーが湧き上がり、まるで穴が開いているかのようにここ(頭部)を通り抜けていったんだ。時計回りに、そして反時計回りに、こんな風に(円を描くように)動いていた。空港にあるウィルスのタバコ広告のようだったよ。自分にとってはなんとも可笑しなことだったが、私はこれを何事とも関連付けなかった。私は終わった人間だった。誰かが飯を食わせてくれ、誰かが面倒を見てくれ、明日のことなど何も考えていなかった。それなのに私の中にはある種のものがあった。「これは捻くれた生き方だ。極限にまで達した歪みだ。こんなものは何でもない」。しかしそれでも、頭は消え去っていた——私に何ができたというんだ? それがずっと、ずっと、ずっと続いた。3ヶ月後、私は言った、「出て行きます。こんなことは続けられません」。最後にスワミは私に40ポンドか50ポンドのお金をくれた。そこで私は決めたんだ……
ほら、私にはインドへ戻る航空券がまだ残っていたので、パリへ行き、チケットを払い戻してドル建てだったのでいくらかの現金を作った。この35ポンドと合わせて、150ポンドほど持っていたと思う。3ヶ月間、パリのどこかのホテルに暮らし、以前と同じように路上をさまよった。唯一の違いは、今やポケットにいくらかの金があるということだけだった。だが、この金も徐々に消えていった。3ヶ月後、もう行かなければと決意したが、インドに帰ることには抵抗した。どういうわけかインドには戻りたくなかったんだ。家族や子供たちがいたから、インドに戻るのが怖かった——事態がややこしくなる——全員が私のところに押し寄せてくるだろう。絶対に行きたくなかった、それに抗ったんだ。ついに……私には何年も前からスイスに銀行口座があり——まだそこにいくらか金が残っているはずだと思った。最後の手段はスイスへ行って金を引き出し、それからどうなるか見てみることだった。そこでホテルを出てタクシーに乗り、「リヨン駅まで行ってくれ」と言った。だがパリから(私の口座がある)チューリッヒへの列車は東駅から出るのだから、なぜリヨン駅へ行ってくれと言ったのか自分でも分からない。とにかく彼は私をリヨン駅で降ろし、私はジュネーブ行きの列車に乗った。
150フランかそこらの小遣いを持ってジュネーブに着いた。支払う金もないのにホテルに泊まり続けた。2週間後、彼らは請求書を出してきた。「さあ、お金です! 請求書はどうします?」私には金がなかった。お手上げだと両手を挙げた。残された唯一の道はインド領事館へ行き、「私をインドへ送り返してください。ご覧の通り、私は一文無しです」と言うことだった。こうしてインド帰国への抵抗は終わり、領事館へ行ってあのスクラップブックを取り出した。「インドが生んだ最も輝かしいスピーカーの一人」、私の才能に関するノーマン・カズンズやラーダクリシュナンらの評価付きのやつだ。副領事は言った、「このような方をインド政府の費用で送り返すわけにはいきません。どうでしょう、インドからお金を送ってもらうよう手配し、その間は私のところに滞在しなさい」。ほらね、こうしてズルズルと続いていったんだ。そこで私はこのスイス人女性(ヴァレンティン・ドゥ・ケルヴェン)に出会った。彼女はインド領事館の翻訳家だったが、その日は受付の人が休みか何かで、たまたま受付デスクにいたんだ。私たちは話し始め、それから親しい友人になった。彼女は言った、「滞在したいのなら、スイスに居られるよう手配してあげるわ。インドに行きたくないなら、行かなければいいのよ」。1ヶ月後、領事館は私を追い出したが、私たちは何とかやり繰りした——彼女はスイスに私のための家を作ってくれたんだ。彼女は仕事を辞めた。裕福というわけではなく、年金というほんのわずかなお金を持っているだけだったが、私たちはそのお金で暮らすことができた。
そうして、私たちはザーネンへ行った。あの場所は私にとってある種の意味を持っているんだ。53年にあの地域を旅していた時に訪れたことがあり、その場所、ザーネンを見た時、自分の中の何かが「列車を降りて、ここでしばらく過ごせ」と言ったので、1週間滞在したのだった。私は自分に言った、「こここそが、残りの人生を過ごすべき場所だ」とね。当時は山ほど金があったが、気候のことやその他の色々なことが重なって妻がスイスに住みたがらなかったので、私たちはアメリカへ行った。そうして果たされなかった夢が具現化したのだ。ずっと住みたいと思っていた場所だったから、私たちはザーネンへ行った。だから私はそこに住み続けているのだ。するとクリシュナムルティが何らかの理由で、毎夏集会を開く場所としてザーネンを選んだんだ——あの野郎がザーネンに来始めたのさ。私はそこに住んでいたが、クリシュナムルティにも何にも興味はなかった。何もかもに興味がなかったんだ。例えば、ヴァレンティンは私が49歳になる前の数年間、私と同居していた。彼女に聞けばわかるが、私が真理や現実への興味について彼女に話したことなんて一度もない——何もね。彼女とも、他の誰とも、この話題について議論したことなど一度もなかった。私の中には何の探求もなく、何かを追い求めることもなかったが、何かおかしなことが起こりつつあった。
その期間中(私はそれを『潜伏期間』と呼んでいる)、私の中であらゆる奇妙なことが起こっていた——頭痛、絶え間ない頭痛、脳のこの部分の凄まじい痛みだ。何万錠のアスピリンを呑み込んだか分からない。何も痛みを和らげてはくれなかった。片頭痛や既知の頭痛の類ではなく、凄まじい頭痛だった。それらのアスピリンの錠剤と、自分を解放するための毎日15杯から20杯のコーヒー! ある日ヴァレンティンが言った、「まあ! あなた毎日15杯もコーヒーを飲んでいるのね。それが金銭的にどういう意味か分かっているの? 月に300か400フランよ。一体何なのこれは?」。ともかく、私にとってそれは恐ろしいものだった。
あらゆる奇妙なことが私に起こった。覚えているのは、自分の身体をこうやって擦ると、まるでリンの光のような火花が身体の上に散ったことだ。彼女は真夜中に車が通り過ぎたのかと思って、何事かと寝室から飛び出してきたものだ。ベッドの上で寝返りを打つたびに、光がキラキラと弾けたんだ(笑う)。自分にとっても実におかしなことだった——「これは何なんだ?」とね。電気だったんだ——だから私はそれを電磁場と言っているのだよ。最初はナイロンの服のせいでの静電気かと思ったが、ナイロンを着るのをやめた。私はつま先まで超懐疑的な異端者だった。何一つ信じなかった。目の前で奇跡が起こるのを見たとしても、全く受け入れなかった——この男の資質とはそういうものだったんだ。自分にそんな種類の何かが起こりつつあるなんて、思いもしなかった。
非常に奇妙なことが私に起こったが、私はそれらのことを解脱や自由やモークシャと関連付けることは一度もなかった。なぜならその頃には、あらゆるものが私の中から抜け落ちていたからだ。私は自分自身にこう言い切る境地に達していた。「ブッダは自分自身を偽り、他者を偽った。人類の教師や救世主どもは揃いも揃って大バカ野郎だ——自分自身を騙していたのだ——だから私はもうこんなものには一切興味がない」とね。だから完全に私の中から抜け落ちていたんだ。奇妙な事々が独自のやり方でずっと続いていった——だが、「ほら、(笑う)近づいてきたぞ、そこへ近づいている」なんて自分に言ったことは一度もない。そこへの接近なんて存在しないし、そこからの遠ざかりも存在しない、そこへの近さなんて存在しないのだ。誰かが人とは違っているから、準備ができているからといって、そこに近いなんてことはない。それに対する「準備」なんて存在しないのだ。それはただ、トン単位のレンガのようにドカンとあなたを打ちのめすだけなんだよ。