2026/03/31

幸福について思うこと

テレビを見なくなって久しい。映画も見ない。そのため、最近の俳優やタレントをほとんど知らない。でも、ネットニュースは毎日見る。芸能関係のニュースの大半は知らない人のことなので、目にしても読まないが、昔テレビを毎日見ていた頃の人の名前が出てくると読む。

大抵は訃報で、病気で亡くなったというもの。ほとんどの人は病気で亡くなる。闘病生活の長短はあるけど、最後は必ず苦しんで死ぬことになる。老衰で死ぬ人も中にはあるが、老衰だって楽に死ねるわけではない。

そうしたニュースを見るたびに、一体幸福とは何だろうと思う。病気で苦しんでいる人は幸福だっただろうか? そんなはずはない。私の家族も病気で亡くなった。弟も父も楽な闘病ではなかった。結局人はどんなことをしても死から逃れられず、幸福のうちに死を迎えることはできない。

ルパート・スパイラは、人生の目的は幸福になることです、と言ったけど、最後にはどんな幸福も手放して死んでいくことになる。釈迦は、幸福を追い求めない道を説いた。それが唯一の幸福、あるいは安楽への道だと教えた。

人生には幸福な時もあり、不幸な時もある。できるだけ幸福でいたいと思うのは当たり前のこと。でも、幸福と不幸の背後にあるものは何かを知ることが非二元の教えなのだと思う。幸福でも不幸でもかまいはしない。その背後にいつもあるのは何かを知ったなら、幸福も不幸も取るに足らぬことだと思う。

どんなに幸福を求めてもがいても、最後は誰しも死んでいく。幸福も不幸もすぐに思い出になり、その思い出もやがては消えていく。そしてそこには永遠不滅のものだけがある。