どこかへ行こうとして渋滞にあったときを例にしましょう。イライラします。それを何とかしようとしないで、ラベルを貼らないでおけば、それは単なる感覚が起こったにすぎません。批判しなければ、それは感覚にすぎず、去っていくのです。
最初の段階で、巻き込まれるとか、巻き込まれないでいようとかしないで、通り過ぎる車のようにただやりすごせばいいのです。古い習慣がやってきて権利を主張して、私のイライラ、私の失望と言いだします。失望、イライラは起こります。でも、もし最初の感覚にラベルを貼りつけなければ、それは去っていきます。
カリヤニ