同じことが非二元の教えでも言えるのではないでしょうか。説き方は人それぞれであり、場合によってはそれぞれが互いに矛盾したことを言っているように思える場合もあります。でも、根底にあるものは「私には実態がない」ということであり、それから外れていなければいいような気がします。
でも、私はエンライトメントある派のマスターを支持しません。エンライトメントある派のマスターを支持しないというのは少し狭量だと思われるかもしれませんが、そこだけはどうしても譲れません。それを許してしまうと、そこには誰かエンライトメントする人がいることを認めてしまうことになります。
エンライトメントある派のマスターも存在していてかまいませんし、エンライトメントを目指している人たちのことをとやかく言うつもりもありません。でも、彼らの教えていることは非二元ではないし、彼らを非二元を教えるマスターと同じように扱うのはよくありません。そして、非二元の教えをエンライトメントとごちゃ混ぜにして理解しようとするのは間違っていると思います。非二元の世界にエンライトメントはありません。