2023/05/30

あなたはもともとあなたが探しているものなのです

もしあなたが真実、神、あるいは何と呼ぼうと、それを探しているなら、私はあなたが絶対に確信している唯一の現実、つまり、あなた自身の存在から始めることをお勧めします。私は感覚について話していて、思考の「私は在る」のことではありません。
存在の感覚、自分が存在しているという認識があります。意識の存在が今ここにあります。それが、私たちが絶対に確信している唯一の現実です。誰も真実として「私は存在しない」と言うことはできません。それを言うことさえ、まずそこに存在しなくてはいけません。その認識は絶えず、常に私たちにあるものであり、それゆえ私は「あなたはもともとあなたが探しているものなのです」と言うのです。
                                                                                                  セイラーボブ

2023/05/26

あなたは空(くう)であり、無である

2023.5.21ミーティング 55:23から

カット:オンライン参加者からいくつかのコメントが届いています。ブラッドリーから。「最初、人が一杯飲み、その一杯がもう一杯飲み、そしてそのもう一杯が人を飲む」いいですね。「人は考えることを学び、思考が思考を生み、その思考が人を飲み込む」(笑い)すばらしいですね。そのとおり。

ギルバートから。「誰も何も行っていない。責めても何の得もない」(笑い)そしてまたギルバート。「私の中の信念が調査されない限り、心理的な苦悩は続く。かまうもんか。私という物語、私の物語なんて要らない。放っておけ」。

ブラッドリーから。「あるがままに対してイエスと言う時、あるがままは愛と呼ばれるスクリーンの上で自然に変化する」。すばらしいですね。そしてまたギルバート。「意識は完全なもの。誰も実際に意識のあらを見つけることはできない」。まさしく。

アメリカのジュリアから。「行く場所などなく、なすべきこともない。もともとそうであるものになるために」。そのとおりです。ええ。この言葉のカードを出しましょう。この言葉にはすばらしい続きがあります。(カードを箱から出して探す)

もし迷ったら、ここにたくさんのリマインダー、ボブの知性の真珠があります。もしあなたが何か苦しんでいたら、一枚選んでください。どの一枚もあなたを我が家へと導くはずです。もしそうならなかったら、ここへやって来て、私たちに披露してください。私たちが詳しく説明します。(笑い)きっと役に立つはずです。

これは私が最初に作ったやつだと思います。この美しい空と海のやつです。(青空に海と雲が写っている写真のカードを見せる)

「何もすべきことはなく、何かになるものもおらず、行くべき場所も、見るべき場所もない。あなたはもともとそれなのです。あなたは空(くう)であり、無なのです」

2023/05/23

それがあなたの行くべきところへと運んでいくでしょう

2023.5.21ミーティング 41:58から

参加者:あなたが以前おっしゃったことについてお尋ねします。あなたは、夢の全体を愛するか、全く愛さないかにしなさい、そこにはそれを愛するものも、嫌うものもいない、と言われました。もし、何も愛さないとしたら、何が起こるのでしょうか? 

ボブ:あなたが愛そうが、そうでなかろうが、それがあなたの行くべきところへと運んでいくでしょう。呼吸は続き、心臓は鼓動し続けます。生、愛がパターンとなって自然に表現し続けます。あなたはそれにラベルを貼るかもしれません。でも、あなたは今、自分は存在しないと言うことはできません。あなたは、その純粋な存在です。

カット:それはニサルガダッタの言葉の引用なのですが、重要なことは、夢があなたの問題なのではない、問題は、それが楽しいことであればそれをもっと留めておきたい、嫌なことであればそうではないという好みが問題だということです。これが欲しい、あれが要らないと言うのは、「私」という参照点です。全部を愛するか全く愛さないかと彼が言う意味は、全部を等しく扱うという意味です。

選択をするなということです。でもそこに、喜びや愛、痛みを選択する行為者がいるという意味ではありません。それは不可能です。体は常に生き残ることや喜びのために選択があり、痛みをはねつけます。でも、本当のあなたは、体、マインドを超えたものです。体とマインドには苦痛や魅かれるものがあります。

彼が言っているのは、惹きつけられたり嫌ったりする夢の一部を超えて、あなたは純粋な空(くう)、純粋な認識する空(くう)であり、その中で苦難が起こっているということに気づきなさいという意味です。でも、すべてを愛するか嫌うかするとどうなるかというのは、とても良い質問でした。

参加者:ええ、それにはいくつかの点でたくさんの意味があるからです。それでどうなるのか? なぜ?

カット:ええ、そこにはあらゆることに対して多くの抵抗があります。それが苦難の絶頂です。生はしばしば幻想をエスカレートさせ、そこで大転換が起こります。それがボブや私、多くの人に起こったことです。抵抗、自己嫌悪、拒絶、恐れ、心配、そうしたことが不可能の絶頂までエスカレートして、生か死かという崖の絶壁に立つような状態へとなります。

抵抗が大きいと、しばしば、もう何も失うものなどない、もう死んでしまおうという地点に至ります。ああ、もういい。何も怖くない。ええ、魂の闇夜です。それはニサルガダッタが勧めていることではありません。なぜなら、あなたは行為者ではないからです。起きることは起きるのです。あらゆることが宇宙全体で起きるべくして起きているのです。

あなたが両親を選んだわけではありません。子供時代のトラウマ、問題、経済事情を選んだのもあなたではありません。あなたは何も選んでいません。でも、しばしば生があなたをそう仕向けるのです。あたかも、63年前にボブをそう仕向けたように。苦悩がもはや耐えられなくなって、彼は銃口を口の中に入れました。

その引用で言っていることは、混乱した戦場の上にスペースを見つけて、そこを飛ぶようなものです。体は戦場です。そこには混乱があります。それはすべて、本当のあなたである意識(アウエアネス)の中で起こっていることです。

参加者:ありがとう。

2023/05/19

【第1回:臨済録に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」

【第1回:臨済録に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2023年4月18日(火)

私たちはもともとみな仏なのであるという言葉が心に響きました。
私は今まで、このブログの中で横田老師の書かれた童話、「パンダはどこにいる?」をあえて取り上げてきませんでした。少し非二元から遠く、寓話的になりはしないかと思ったからです。

でも今回の話を聞いて、考えを改めました。本屋で立ち読みすれば、5分もかからずに読めてしまう本です。もしよかったら読んでみてください。

「臨済録に学ぶ」は今後一年にわたって六回公開される予定だそうです。二回目以降もこのブログに転載させていただくかどうかは未定です。引き続き聞きたいという方は、公開講座花園大学にてチェックしてください。

なお、臨済録については、このブログの中でも取り上げています。こちら

2023/05/16

生きることは簡単なものとなります

2023.5.14ミーティング 25:14から

ボブ:真実があなたを解放するでしょう。信念は実際ではありません。私たちはたくさんのことを信じています。調べることもなく、そうした信念を受け入れています。ですから、辞書で信念の定義を見てみなさいと言うのです。信念の定義は「理由もなく、調べもしないで何かを受け入ること」です。理由もなく、自分はこの体である、このマインドであると当たり前に信じています。

調べもしないで受け入れることが問題の原因です。マインドもそうです。私とはマインドだと言うのなら、マインドというものを見せてください。するとあなたは、思考なくしてマインドはありはしないということに気づくはずです。マインドに思考があるのなら、どの思考があなたなのですか? 

あなたは、「私は在る」という存在の感覚なのでしょうか? もしその思考があなただとしても、あなたはそれを見失います。もしその思考がなくなったら、あなたは終わってしまうはずです。でも、あなたは毎晩眠る時、すすんでその思考を放棄しているではありませんか? 眠る時あなたは、それを保持しようとはしません。

ということは、当然あなたは思考ではありません。朝、目が覚めた時、思考よりも前にあなたがいるということがわかるはずです。ということは、あなたはマインドの思考を超えたものであるということになります。そしてあなたは、二歳か二歳半に言葉を学ぶまでは、思考するマインドを持っていませんでした。ということは、あなたはもともとそれなのです。

究極のもの、それがあらゆる異なるパターン、姿形となって現れているのです。そしてまた、これは顕現と呼ばれ、顕現は見せかけのものにすぎないと言われています。それは、見かけ上、そのように現れているにすぎません。それを自分で調べてみると、それは見せかけのものだとわかります。この肉体は実在で、固く実体があるかのように現れています。それは構成要素へと分解することができます。他のあるゆることもそうです。

そこにあるのは、たった一つの本質、一つの知性エネルギーであり、それがパターン、姿形となり、あらゆるものとなって現れ、表現しています。そして、あなたはそれなのです。それをあなたの中で共鳴させ、それを認識してください。あなたがそれを味わうと、それが光となり、あらゆる心配、不幸が落ちていきます。

もはや、あなたが完全な体と呼ぶものはありません。自身に対する観念的なイメージもありません。実際にはそれは無なのです。そうしたものに凝り固まっていると、そこに心配や多くの痛みが閉じ込められていて、それが分離を引き起こすのですが、それが理解されれば、もはやそれがずっとそこに留まることはありません。というのも、幻想は絶えず現れては消え、変化しているからです。

そして、そこには、幸福(well being)のパターンがあり、何も悪くはないはずです。そしてまた、それほどよくないパターンもまたあるはずです。もし、その一つに焦点を合わせてその中へ入っていくと、ひどいことになります。でも、それをあるがままにしておいて、それが起こるに任せておけば、あなたはそれに対して良いとか悪いとか言うことはできないはずです。

シェイクスピアは、何も良いとか悪いとかいうことはない。思考がそうしているだけであると言いました。それがここで理解、認識されるべきことです。そして私はあなたたちに、それを味わい、自分で調べ調査するようにと言っているのです。はるか昔から、このことは認識されてきましたが、それは同じものなのです。それは究極のもの、それはたった一つの本質、それはたった一つの命、そしてそれが私です(I am that)。体でもマインドでもありません。

ラム・ダスは「あなた自身でありなさい」と言いました。あなたが信じているものや、思っているものではなく、本当のあなた。そしてまた、真実を知れば、真実があなたを解放すると言われています。何から自由になるのか。自分は分離した存在であるという信念からです。信念という言葉を見てください。辞書で定義を調べると、何かを理由もなく、調べもしないで受け入れることです。

私たちは、自分は人である、自分は個人であるということを当たり前だと思っています。それを調べもしないで。でも、それを調べてみると、あなたは人ではありません。人(person)は、古代ラテン語のペルソナ、マスクから来ています。究極のものに、別の言葉、別のラベルを貼り付けたのです。あなたが究極のものを認識すると、それに何かを付け加えたり、何かを取り除いたりすることはできません。

仏教では、大いなる完成といい、何かを付け加えたり、何かを取り除いたりすることはできません。大いなる完成は非観念の意識です。それがあるだけです。観念、信念を落として、ただその意識の中に座ってください。あなたの生の中を意識とともに座って、立って、歩いてください。

今、意識のない人はいますか? もちろん、私には意識があると言うでしょう。すぐにわかることです。でも、すぐにあるゆる種類のラベルを貼り付けるのです。ただ、あなた自身でいてください。自身で認識して理解してください。そうすると、そこには何かををする誰かはいないとわかります。

すると、生きることが簡単なものになります。それは心地良い夏のようになり、生きることが簡単なものとなります。私はこれで十分でしょう。カットが引き続きやってくれます。

カット:みなさん、ようこそ。オンラインのみなさん、ようこそ。ギルバートからすばらしいコメントが届いています。「一つの意識、一つの全体。それは時間や空間で分割されることはない。あなたは意識であり、それである。それは疑いようもない。それに何かを付け加えたり、取り除いたりすることはできない。そのままにしておいて。シンプル」。

アメリカのジュリアから。「たくさんの人たちが、信念や思考がなくても、自分は魂(soul)だと思っているようです。私はボブの言葉が大好きです。『私には三つの魂(soul)がある。両足の裏(sole)とケツの穴(ass hole)だ』」。(一同笑い)エレーナがそれに対して「パーフェクト」と言っています。他に、おはようのメッセージが届いています。あらためておはようございます。誰か初めに質問やシェアしたい人はいますか?

ボブ:ギルバートが言ったことについてですが、時間と空間を調べてみるということと同じです。もしあなたが考えなかったら、どんな時間があるというのですか? 考えなかったら、過去は存在しますか? そして、空間の外では、思考も仮定もありません。ということは、あなたも私もこの部屋の中のあるゆるものも、空間の内容物なのです。部屋そのものが空間の内容物なのです。それゆえ、空間のような意識と言われているのです。空間の内容物は、すでに指摘したように見せかけにすぎません。そのように見えているにすぎません。真実を知れば、あなたは解放されるでしょう。

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お知らせ
セイラーボブのポインターがいっぱい詰まった美しいカードが発売されました。
四つの色を基調としたカードで、それぞれに美しい写真とともにポインターが印刷されているそうです。
内容については、今日の動画の 40:13あたりから説明しています。
amazon.comで買えるようですが、日本のアマゾン(amazon.co.jp)では買えないようです。(https://www.amazon.com/dp/B0BZRLK18R?ref=myi_title_dp)価格は23.99ドル、日本までの送料11.46ドルとなっています。

2023/05/12

生まれるものは何なのですか

生まれ変わる(re-incarnate)とは、ふたたび肉体に入ること(in-carnate)、肉体の中へ戻ることです。でも、そもそも何が生まれるのですか? 再び生まれるものは何なのですか? 独立した存在がいて、それが旅をしているのですか? それは記憶ですか? それは一つの思考ですか、それとも思考の束ですか? 体が消え去るとき、体と同一化していたものはどこへ行くのですか?
                                      セイラーボブ

2023/05/09

self-aware

私たちは意識(awareness)なのです。でも、それを独立した存在だと思っています。
「私たち」あるいは「私」は自身に貼り付けた架空のラベルであるということを理解、認識しなくてはいけません。
実在、すなわち存在は今この瞬間であり、それは自ら認識(self-aware)します。
言葉を変えると、「自分が存在するという認識」のことです。
                                    セイラーボブ

2023/05/08

それは存在意識、意識の存在、それがここにあるものです

2023.5.7ミーティング 39:35から

カット:オンラインで見ているみなさん、ようこそ。今25人の人が参加していて、もちろんその数は変動しますが、たくさんのウエルカム・メッセージやスピールに対する賛辞が届いています。ビルから、「心からのすばらしいスピールでした」。そしてたくさんの「おはよう」が届いていますが、質問はありません。オンラインのコミュニティ、映像、話題に啓発されてみなさんがシェアするかもしれません。そして、私たちはすべての人がシェアするように招待しています。

というのも、これは本当にとてもシンプルなことだからです。存在を認識すること、存在の奇跡を認識することは、複雑なことでも高度に洗練されたことでもなく、鋭い知性や識別力といったことが必要なことでもありません。それは存在意識、意識の存在にすぎず、それがここにあるものです。ボブが初めに言ったように、それは何かを教えることではありません。

それは教えることではありえません。それは、その瞬間をシェアすることにすぎません。それがある程度いつものことなっている人もいれば、この瞬間、存在の中にただリラックスした時、思考のない人もいます。そうした瞬間に注意を向けることは、ある程度認識することにかかっています。それは重要なことであり、愛すべきこと、そのために私たちはここにいます。というのも、私たちは生の神秘をシェアするためにここにいるからです。

私はまだそれを経験していないとか、知的には理解したけれども、という観念を持っている人もいます。でも、知的にということには意味がありません。観念を知的に理解することはできるかもしれませんが、非二元は観念とは何の関係もありません。思考や知識とは何の関係もありません。知的な物語は理解ではありません。それは物語の中の信念にすぎません。

それは、否定できないような理解の深み、あるいは、自分は存在するということに気づくことであり、それが理解です。私たちが何かを理解する時のやり方とは違った確かさ。それは存在のとてもシンプルな認識です。そして、マインドではなくハートをそれに注ぐことです。マインドをリラックスさせてください。(携帯を見て)クラウディアからです。「リマインダーをありがとう」。クラウディア、よく来てくれました。

誰かそれをシェアしたい人はいますか? それがどのように明らかになったのか、どうやってそれが輝いたのか、その認識を存在することへの愛へ注いだだけでそれがさらに輝いた時、それがどのように現れたのか。(ボブを見て)生全体が現れたことを体験することであり、その最高点、最も深いところからのそのハートの表現、生、存在の一体性、喜び、輝きが表現された瞬間。それが明らかになった瞬間、それが自ら輝いた瞬間、そしてそれを不鮮明にするものが何もない状態。それは非常な喜びです。

でも、その反対の心配もあります。それは、雲を認識することです。そこには不鮮明さがあり、明瞭さが妨げられてしまいます。それを体験することができません。そうした可能性もまたあります。なぜなら、今その瞬間に体験していることが生を体験していることだからです。何か違ったようにあるべきだという考えはまた別の考えです。それを認識することもまた良いことです。

参加者:ちょっと話させてください。何と話していいのかわからないのですが、まずボブにお礼を言いたいのです。今朝のスピールを心から楽しみました。それはすばらしかった。あなたが話をして、カットが共鳴したシンプルさについてです。そのシンプルさは、虚偽を見抜くことによってのみ起こります。

それがなされるまでは、生はとても複雑なものに見えます。というのも、私たちは見せかけ、時間、分離した存在を実在であると信じるように条件付けされていて、それにますます執着するようになるからです。社会もそうです。そして実際、「私」という視点からはまったく抵抗しがたい複雑なものです。

そして、ここへやってきて調査をすることは、そうした観念を打破するためにはとても大切なことだと思います。私たちはそうした観念を暗黙のうちに信じています。それはたくさん見て調査することを必要としますが、ボブが言うように、私たちはそれを自分でしなくてはいけません。それは洋服を仕立てるようなものです。誰も代わりにやることはできません。

なぜなら、それぞれ人、あるいはパターンはユニークであり、ある人には役立つことが、他の人には役に立たないかもしれないからです。でも、ポインターをそれぞれ違ったやり方で聞くというのはパワフルだと思います。あなたが今朝言ったことが好きです。どの思考が役に立つのか、どの思考が単に自己中心の考え・欲望・あれこれ起こって欲しいことなのか、どの思考が何をすべきかのガイドになって役に立つのかを見分けること。

見せかけを見抜くこと、見せかけは絶えず変化しているということを知ることは驚くべきことです。随分長い間この部屋へ通っていますが、天井にはたくさんのひび割れが起き、塗料がはがれています。それは永遠のものではなく、何も永遠ではありえません。空間のものすべては、あなたがスピールで言ったように、堅固に見えても実際は、空間という言葉でさえ実際ではありません。言葉によって騙されて、言葉がそれであるかのような確かなものとなります。それは調査されなくてはいけません。

そうしたことすべては、調査してみると驚くべきものです。指摘されたところを見てみると、それは自身にとっての真実となります。とても感謝しています。

2023/05/07

吐き出す息とともにそれを手放してください

息を吸うとあなたは生気づき、息を吐くと消沈します。思考を息に乗せてください。新たな呼吸はインスピレーションとなりえます。古い思考は吐き出されるでしょう。吐き出す息とともにそれを手放してください。
                                    セイラーボブ

2023/05/06

マインドを超えて、焦点を意識に向ける

どうして落ち着かないマインドがマインド自身を鎮めることができようか?
もちろんできない。
ぶらつき回るのがマインドの性質だ。
マインドを超えて、焦点を意識に向けさえすればいい。
                            ニサルガダッタ・マハラジ

2023/05/05

呼吸に乗せて出す

2023.4.30ミーティング 1:16:09から

アニータ:ボブは今、ハートのセンターについて語りました。時間の存在しないこの瞬間に入っていくための一番速い方法は、呼吸によるものだと思います。それは胸の呼吸を通じて伝統的に行われているものです。というのも、それによって今この瞬間に入っていけるからです。それによって、精神を混乱させたり、あちこちへと駆り立てたりする思考を取り除くことができるからです。それが、今この瞬間にまっすぐに入っていく一番良い方法の一つだと思っています。

ジェーン:ボブはそのことについてよく語っています。何て言いましたか? 思考を乗せる・・・

カット:「思考を呼吸に乗せる」です。

ジェーン:思考を呼吸に乗せる。

ボブ:思考を呼吸に乗せて出す。

カット:詳しく話してもらえますか?

ボブ:息を吸い込む時、それは何をやっているかというと、インスピレーションが来るということです。思考に囚われてしまった時、問題となる思考を呼吸として出すのです。呼吸を吸い込んで、それに思考を乗せて出すのです。呼吸が終わるやいなや、そこにはほんのわずかの隙間があります。その隙間。

カット:吸って、吐く。

アニータ:そこにはまだ動きがあります。呼吸が止まった時、その動きの間に、それがあります。

カット:その通りです。

ジェーン:そこには小さな隙間があります。

カット:呼吸が出ていくと、そこには邪魔されない存在があります。それが呼吸を可能にします。出たり入ったり。それはまた、主たる質問の、今そのことを考えなかったら何が問題ですか?につながります。それは、思考を止めろということではないのです。それは、思考は悪いものであり、思考のない空のマインドを持つべきであるということではないのです。なぜなら、それをすることができるあなたは存在しないからです。

思考がない瞬間もあなたは存在し、呼吸をしているということに気づくことが重要です。あなたは依然として存在し、意識があり、存在しています。それを「あなた」と呼ぶ必要はないし、何かと呼ぶ必要もありません。なぜなら、それを「あなた」「私」あるいは「自分」と呼ぶためには思考が必要となるからです。

ボブ:そこには思考も考える人もおらず、考えることは自然に起こっているということがわかります。次の思考は何なのか。言うことはできません。思考がやってきて、「私が考えた」と主張します。あなたがそう主張したとたんに、あなたは主体、考える人を作り出し、それが思考を考えたとなり、思考は対象物となります。考えることを主体と対象物に分けたのです。

では、考える行為なしで考える人は存在できますか? できません。考える行為なくして思考はありません。シェイクスピアは言いました。「何も良いとか悪いとかはない。考えることがそうしているだけだ」。

2023/05/04

思考が続いていてもオーケーです

2023.4.30ミーティング 1:07:24から

カット:様々なやり方でやってくる最も明らかな問いは、マンジュが言ったように、依然として自分は人であるかのように感じるというものです。あるいは、私たちがよく耳にするように、「知的には理解したが、そうは感じない」というものです。それは、何かを感じる必要がある「私」がいるという推定なのですが、その想像上の「私」は何を感じる必要があるのでしょうか。

「こうじゃない。何かこれとは違うもっと別のものだ。これは良くない」というものです。生はこの瞬間を完全なものとして創造していますが、そこには想像上の「私」がいて、「いいや、生が間違っている。もっと違っているべきだ。それが何かはわからないけど、こんな風じゃない」というものです。それが、「そうは感じない」「知的には理解したけど」「理解はしたけど体現していない」という質問となります。

こうした質問を揶揄するつもりはありません。というのも、この質問は私の人生においてもいつもあったものだからです。依然として収縮を感じる、分離していると感じるのは本当のことです。何度聞いても、何度自分に言い聞かせても、そんな風には感じないというのは、今この瞬間における体験です。でも、真実はそうではないのです。それは信念です。それは体験していることではありません。それは信念です。

参加者A:マンジュに言いたいのです。分離の感覚は完全なものです。そして、その分離から抜け出して、我が家へ帰るべきだという感覚もまた完全なものです。それはそのように展開すべきものなのです。

カット:そのとおりです。

参加者B:知的には理解した、そんな風には体験しないというのは、認識の問題、考え方の問題で、そこには何か手に入れなくてはいけないことや達成しなくてはいけないことがあると考えてしまいます。そうではなくて、ボブがいつも言うように、思考なしで今この瞬間、存在として生きることだと思います。信じていることを飛び越えること、自分がいるとかいないとか、それを手に入れようとか見つけようとかを飛び越えることだと思います。他の人がどう表現するのかわかりませんが。

ジェーン:思考は敵ではありません。思考は単なるナレーションです。ボブが言うように、言葉を学んでからずっと続いています。そして今言われたように、思考の「私」もまた完全なものです。でも、大切なのは、あなたはその「私」ではないということです。つまり、あなたはナレーションではないということです。それは、あなたである存在の上の上に現れています。その存在意識が本当のあなたです。そこには分離はなく、一つのもの(oneness)があるだけです。でも私たちはナレーションと同化します。

私たちはナレーションではないのですが、ナレーションが続いていても問題ではありません。でも、思考が悪いものだと考えると、抵抗が生まれます。「自分は手に入れてない」とかなんとか。でも、それでいいのです。それはそう起きるべくして起こっているのです。私はポール・ヘダーマン(Paul Hedderman)のポインターが好きです。彼は例え話をします。

そこには鉄道駅があって、電車がやって来ては去っていきます。思考はそうした電車であり、やって来ては去っていきます。あなたという存在は鉄道駅です。鉄道駅は動きません。それはいつもそこにあって動きません。電車はやって来ては去っていきます。それでいいのです。

問題は、その思考の一つにしがみついたり、電車に止まれと言ったりする時に起こります。それが問題です。もしそのことを考えなかったら何も問題はないのです。たとえ思考が続いていたとしてもそれもオーケーです。それも問題ではありません。分離した存在がいると考えて自己同化することが問題なのです。抵抗しさえしなければ、思考がやって来て去っていくことに問題はありません。思考は減っていきます。

2023/05/03

すべては束の間のものです

2023.4.30ミーティング 33:00から

カット:(携帯を見ながら)マンジュからです。「ハーイ、ボブ。私は依然として自分が人であるかのように感じています。どうやって完全にそれを無くして、本当の私を確立したらいいのでしょうか。依然として人のように感じています」。

マンジュ。誰が人のようだと感じているのですか? それは、人がいるという感覚で、それが意識の中に浮かんでいるのではないですか? それとも、誰かがそれを感じていて、人がいるというラベルを貼っているのですか? そこにあるものが何かをどうやって知ることができるでしょうか? (ボブを見て)何かコメントはありますか?

ボブ:ええ。思考、感覚、感情がやってきますが、それらはどれも同じものの三つの側面なのです。あたかも、自然の中に蒸気、水、氷があるようなものです。太陽が水を蒸発させ、雲となって太陽を覆います。すると、それが冷えて水となり、氷となります。それでもそれは依然として一つのものの三つの側面なのです。

最初は思考なのですが、それが感覚、感じとなり、その感覚に怒り、恐れ、憂鬱、罪悪感といったラベルが貼られます。そしてそれが長く留まると、感情となり、体の中へと入って神経などすべての要素をかき回します。怒りなどが体に入ると大きなダメージを与えることになります。でもそれをそのままにして、変更も修正も訂正もしないで触れないでおけば、それは変化していきます。

それはあたかも生における変化のようなものです。それが今昼間であるなら、何が起きるでしょうか。地球は太陽の周りをまわっています。もう少し回転すると、光は終わりとなって、こんどは暗闇がやってきます。地球は暗闇や光については何も知りません。冬、夏、その他のことも同じです。思考がやってきて、これは良いと言います。良いものを失いたくはありません。なぜなら、その反対は悪いだからです。

何かがやってきて、あなたがそれを好みます。すると、あなたはその良い事を手放したくありません。そして、すべてのものは束の間のものであり、自然に絶えず変化しているということを理解しません。私たちは、良い事を手放したくありません。なぜならそれが好きだからです。それでも、それは変化します。手放したくなくて、そこに留めたい時、何をするでしょうか。抵抗します。そこに留めようとします。

しがみついて、それが去っていくのを止めようとします。抵抗は葛藤であるということを理解しません。どんな抵抗も葛藤を生み、それを留めようと戦うことになります。良いと悪いが互いに葛藤しますが、それが一つの棒の両端だということを理解しません。そして、葛藤があなたに恐れ、心配、憂鬱、罪悪感をもたらし、やすらぐことができません。そうやって、抵抗、葛藤、病気が起こります。

2023/05/02

でも、海はそのように見え続けます

海は青いという認識があります。海は青く見えます。そうとしか見えません。でも、もし私があなたに、海からバケツ一杯の青い水を汲んできてくださいと言ったら、あなたは何と答えるでしょうか? 馬鹿なことを言わないで、水が青くないのはよく知っていますと言うでしょう。それは明らかです。あなたは何度も海を見たことがあります。何度も調べました。でも、海はそのように見え続けます。
                                    セイラーボブ

2023/05/01

変わらずにあるものは何ですか?

あなたはいつ始まりましたか? 生まれたのは何なのですか? 人々は私に、彼らの過去に何が起こったかを告げます。そして私が、「どうして知っているのですか?」と尋ねると、「そこにいました」と言います。そこにいたのは何なのですか? あなたは子供の頃と同じ体をしていますか? 自身に対して、同じ自己観念やイメージを抱いていますか? 変わらずにあるものは何ですか?
不変の意識の上に「私は在る」という思考が生まれ、そしてそれが死んでいくものです。それは二歳の頃、子供が自分自身を分離させるのに十分な言葉とラベルを覚えた時に起こります。
                                   セイラーボブ