2023.5.21ミーティング 41:58から
参加者:あなたが以前おっしゃったことについてお尋ねします。あなたは、夢の全体を愛するか、全く愛さないかにしなさい、そこにはそれを愛するものも、嫌うものもいない、と言われました。もし、何も愛さないとしたら、何が起こるのでしょうか?
ボブ:あなたが愛そうが、そうでなかろうが、それがあなたの行くべきところへと運んでいくでしょう。呼吸は続き、心臓は鼓動し続けます。生、愛がパターンとなって自然に表現し続けます。あなたはそれにラベルを貼るかもしれません。でも、あなたは今、自分は存在しないと言うことはできません。あなたは、その純粋な存在です。
カット:それはニサルガダッタの言葉の引用なのですが、重要なことは、夢があなたの問題なのではない、問題は、それが楽しいことであればそれをもっと留めておきたい、嫌なことであればそうではないという好みが問題だということです。これが欲しい、あれが要らないと言うのは、「私」という参照点です。全部を愛するか全く愛さないかと彼が言う意味は、全部を等しく扱うという意味です。
選択をするなということです。でもそこに、喜びや愛、痛みを選択する行為者がいるという意味ではありません。それは不可能です。体は常に生き残ることや喜びのために選択があり、痛みをはねつけます。でも、本当のあなたは、体、マインドを超えたものです。体とマインドには苦痛や魅かれるものがあります。
彼が言っているのは、惹きつけられたり嫌ったりする夢の一部を超えて、あなたは純粋な空(くう)、純粋な認識する空(くう)であり、その中で苦難が起こっているということに気づきなさいという意味です。でも、すべてを愛するか嫌うかするとどうなるかというのは、とても良い質問でした。
参加者:ええ、それにはいくつかの点でたくさんの意味があるからです。それでどうなるのか? なぜ?
カット:ええ、そこにはあらゆることに対して多くの抵抗があります。それが苦難の絶頂です。生はしばしば幻想をエスカレートさせ、そこで大転換が起こります。それがボブや私、多くの人に起こったことです。抵抗、自己嫌悪、拒絶、恐れ、心配、そうしたことが不可能の絶頂までエスカレートして、生か死かという崖の絶壁に立つような状態へとなります。
抵抗が大きいと、しばしば、もう何も失うものなどない、もう死んでしまおうという地点に至ります。ああ、もういい。何も怖くない。ええ、魂の闇夜です。それはニサルガダッタが勧めていることではありません。なぜなら、あなたは行為者ではないからです。起きることは起きるのです。あらゆることが宇宙全体で起きるべくして起きているのです。
あなたが両親を選んだわけではありません。子供時代のトラウマ、問題、経済事情を選んだのもあなたではありません。あなたは何も選んでいません。でも、しばしば生があなたをそう仕向けるのです。あたかも、63年前にボブをそう仕向けたように。苦悩がもはや耐えられなくなって、彼は銃口を口の中に入れました。
その引用で言っていることは、混乱した戦場の上にスペースを見つけて、そこを飛ぶようなものです。体は戦場です。そこには混乱があります。それはすべて、本当のあなたである意識(アウエアネス)の中で起こっていることです。
参加者:ありがとう。