佐々木閑先生の YouTube を見るうちに、法顕伝を読みたくなって読んだ。
もう少し冒険談のようなものを想像していたのですが、旅の行程と、そこにはどんな仏教があったのか、どんな仏教遺跡があったのかということが淡々と書いてある。
驚くべきことは、法顕が中国を出発したのは紀元399年で、法顕が64歳の時。当時の平均年齢からすると、ものすごく高齢になってから出発している。行くときは何人か一緒に出発したのに、帰る時はたった一人。死別したり、別れたり。ちなみに、玄奘三蔵法師よりも、200年以上前。よくぞこんな旅行記が残っていることか。
インドにたどり着くまでに6年。インド滞在6年。インドから中国に帰るのに3年。合計15年の旅で、中国に帰ったのは78歳の時。帰ってからは持ち帰った経典の翻訳に従事。85歳で亡くなる。これを読むと、人間何かを始めるのに年齢はあまり関係がないかもしれない。でも、60歳を超えてタクラマカン砂漠を歩いてインドまで行ける人がどれだけいることか。
参考:佐々木閑先生の法顕の講義は、佐々木閑の仏教講義 4「仏教再発見の旅 28」 から佐々木閑の仏教講義 4「仏教再発見の旅 34」 の7回。
回想 子規・漱石 (岩波文庫)
高浜虚子という人の文章はひどすぎる。物語の構成力もない。この人が小説家として大成しなかったのもうなずける。これは読み物としては失格。漱石とのやり取りなど、資料としては意味があるかもしれないが。
俳句の作り方の本をあれこれと読んでみたが、あまり良いものがない。この本も、読んでいて納得できない場面が多かった。以前買った角川学芸ブックス 新版 20週俳句入門の暗記用の句を言われたとおり全部覚えたけど、かえって下手になっただけ。俳句の作り方の本を読むのはもうやめ。実際に俳句を作る時間を多く持つようにする。だいたい、虚子とか碧梧桐とか秋櫻子とか、解説がないと意味がわからないような俳句ではどうしようもない。そういう人たちが子規の作った俳句の世界をお稽古ごとにおとしめたのだと思う。虚子とか碧梧桐とか秋櫻子の句を読んでも、はっと感動することがない。子規の俳句を継承しているとはいいがたい。
B面の夏 (角川文庫)
俳句もさることながら、ルックスがいいので師事してしまう。
俳句もさることながら、ルックスがいいので師事してしまう。
一つだけ引用させてもらいます。
流星を受けそこねたる相模灘(さがみなだ)
これはいい。このシリーズで古典をさらっと読んでから難しい本を読むといいかも。
確かにすらすら読める。抜粋ではあるが、原文もついている。なかなかいい。