2023/10/31

「ザ・グレイテスト・シークレット」ロンダ・バーン

前回からの続き。

ザ・グレイテスト・シークレットを読みました。結論から先に言うと、この本は紛れもなく非二元の教えについて書かれた本です。そして、ロンダ・バーンは、「ザ・シークレット」も「引き寄せの法則」も否定しておらず、それはそのままで自説を曲げてはいない。「引き寄せの法則」の上に、もっとグレイトな秘密として非二元の教えがあるというのです。ただし、ロンダ・バーンは、この本の中では「非二元」「ノンデュアリティ」「アドヴァイタ」という言葉は一切使っていません。それは、ザ・グレイテスト・シークレット。勝手に訳すと、最も偉大な秘密なのです。

本の紹介のため、冒頭部分を少しだけ引用させていただきます。黒字は引用部分。

p17
はじめに
 2006年に『ザ・シークレット』を世に送り出してからというもの、私は夢という言葉でしか言い表すことのできない人生を歩んできました。『ザ・シークレット』に書かれた原則の数々を心から実践し続けることで、私の心は考えられないほどポジティブになり、そのポジティブな心が日々の幸せに、健康に、人間関係に、そして経済面にも表れるようになりました。そして気づけば、自分を取り巻くあらゆるものに、心からの感謝を抱くようにもなっていたのです。
 それでも胸の中で何かが、真理をもっと探究しなさいと私をずっと駆り立て続けていました。私自身まだ何を探せばいいのかもわからないというのに、私の背中を押していたのです。
 私は自分でも知らないうちに、10年の旅路に続く道へと歩み出しました。はじまりは古代ヨーロッパの伝統、薔薇十字団の教えを学びはじめたことでした。何年にもわたり、私は薔薇十字団の深淵な教えの数々学んでいたのです。それだけでなく、仏教、キリスト教神秘主義、神学、ヒンドゥー教、道教、イスラム教神秘主義も長年かけて学びました。そうして古代の伝統と歴史に残る教えの数々を学んだ私はふたたび今の時代へと立ち返り、J・クリシュナムルティ、ロバート・アダムス、レスター・レヴェソン、ラマナ・マハルシなど近代の賢者たちや、現代を生きる賢者たちの教えを学びはじめました。(引用おわり)

そして2016年に、デーヴィット・ヴィンガムという人物と出会ったことで、彼女の10年間の探求は終わります。その後も彼女は様々な人から教えを学び、それをもとにして、この本を書きあげます。

本の内容は、彼女が様々な人から学んだことを12章からなる文章で説明していきます。主となる説明はロンダ・バーンの言葉で説明され、それを補完する形で、様々な人の言葉が引用されています。形式としては「ザ・シークレット」と似たような形式です。各章の最後には、「ザ・シークレット」の時と同じように、その章のまとめがあって、わかりやすい言葉で説明されています。

本の中の太字で書かれている題目から、いくつか選んで引用させてもらいます。

p35
あなたは肉体ではない

p37
あなたはマインドではない

p39
本当にあなたは自分が考える自分自身だろうか?

p43
大胆ななりすまし屋

p50
あなたは、すべてに気づいている意識

p54
マインドという覆い

p69
意識で在り続けるために(ここでは、意識で在り続けるためのプラクティスが説かれています)

p72
ステップ1:「意識がありますか?」と自分に訊ねてみる

p87
覚醒する(エンライトメントという言葉はなく、例えば、「私たちではないものから覚醒する」というムージの言葉が引用されています)

p102
トラブルの源を信じてはいけない(トラブルの源とはマインドのことです)

p186
意識は幸せと同じ

p187
外界に幸せは存在しない

p218
すべては意識

p220
世界映画(意識は世界を投影するスクリーンであると説いています)

p242
終わりなどないのです(私たちは永遠の意識)

この太字の部分を読むだけでも、非二元の教えそのものだと思いませんか? でも、彼女は非二元という言葉は一切使っていません。非二元よりも、もう少し大きな枠組みでとらえています。というのも、引用する人たちが、必ずしも非二元という枠組みで語られる人たちばかりではないからです。

この本の巻末には、「賢者たち」として、言葉を引用した主な人たちや団体など、30人以上のリストとその説明が掲載されていますが、その人たちは、必ずしも非二元という枠組みには納まらない人たちも入っています。

私が知っている、もしくは聞いたことがある人の名前を挙げると、
セイラー・ボブ・アダムソン、
ディーパック・チョプラ™医学博士、
ジョエル・S・ゴールドスミス、
バイロン・ケイティ、
J・クリシュナムルティ、
ピーター・ロウリー、カリヤニ・ロウリー、
ラマナ・マハリシ、
ムージ、
スリ・プーニャ(パパジ)、
ルーミー、
ルパート・スパイラ、
エックハルト・トール、
ウパニシャド、
アラン・ワッツ、
バラマハンサ・ヨガナンダです。
この他にも20人ほどの名前がありますが、私はその人たちの名前を聞いたことがありません。

このブログは、あくまでもセイラーボブのことを中心に書いているブログなので、リストの中から、セイラーボブとカリヤニ、ピーターの部分を引用させていただきます。光栄なことに、セイラーボブは、その「賢者たち」のリストの最初に掲載されています。

セイラー・ボブ・アダムソン
 セイラー・ボブ・アダムソンはオーストラリア人で、私のふるさとであるメルボルンに住んでいます。私が彼を知ったのは2016年、私たちの真の姿に気づいたあとのことでした。当時私はアメリカに住んでいたのですが、その何年も前にまだメルボルンに住んでいた当時、通勤のために毎日毎日、何年にもわたり、セイラー・ボブの家の前を通っていました。まさか、将来自分の人生にとって重要な役割を果たすことになる自己実現の導師の自宅を車で通り過ぎていたなどとは、思いもよらなかったのです。2016年にセイラー・ボブのことを知った私は、すぐに彼に会おうと飛行機に飛び乗りました。彼はもう80代になっていましたが、私は何度か彼のセミナーに参加し、一対一のセッションを持つこともできました。そして彼に会うたびに気持ちが軽くなり、幸せが増し、解放感が増えていったのです。まだ私はスピリチュアル的に覚醒しはじめたばかりで、今はもうはっきりと理解していることをなんとか把握しようと必死になっていました。セイラー・ボブがニサルガダッタ・マハラジの弟子としてインドで自分の本質に目覚めたのは、もう数十年も前のこと。それ以来ボブは真実を聞きたいと願う人々に、自宅から彼の教えを教え授け続けてきたのです。今は90代になっていますが、まだ自宅でセミナーを開催し続けています。「今それを考えるのをやめて、何か問題があるかね?」という彼の言葉ほどシンプルで重要なものは、そうありません。セイラー・ボブは『今何か問題が?(What's Wrong With Right Now?)』『存在と意識:ただこれがあるだけ(Presence-Awareness: Just This and Nothing Else』という本を出版しています。また、彼のウェブサイトを見れば、彼のことをよく理解できるでしょう。sailorbobadamson.com

ピーター・ロウリー、カリヤニ・ロウリー
 ふたりは、私のふるさとであるメルボルンに住む、オーストラリア人の夫婦です。長年の壮絶なスピリチュアルの探求とインドへの旅を経て、ピーターとカリヤニはふたりとも自分の本質に覚醒しました。そろって覚醒する夫婦は非常に珍しいのですが、おかげでふたりがメルボルンで開くセミナーは本当に特別なものになっています。数年前にメルボルンを訪れた私はふたりのセミナーで、人生が変わるような体験をしました。そして幸運にも何度か、カリヤニと電話でのセッションを持つ機会にも恵まれたのです。ふたりの本『宝石の輝き(A Sprinkling of Jewels)』『ただそれだけ(Only That)』(邦訳はナチュラルスピリット)は、カリヤニの執筆によるものです。詳細はウェブサイトにて。nonduality.com.au

正直なところ、この本を読んで、どう評価していいのかわかりませんでした。これは、まぎれもなく非二元の教えについて書かれた本だと思います。わかりやすくて、内容もいい。具体的にどうしたらいいのかというプラクティスも書いてある。一部、引き寄せの法則と絡めて語られる部分があったりして、全面的に賛同するわけではありませんが、ずいぶんと参考になることがありました。

ちなみに、この本の中では、ざっと数えたところ、セイラー・ボブ、カリヤニ、ピーターの言葉がそれぞれ5回ずつ引用されています。もちろん、ニサルガダッタ・マハラジからの引用もあります。大半の引用はわかりやすく、すばらしいものです。ただ、一見非二元とは関係ないと思われるものもあります。

昔からある教えなのに、大げさなタイトルをつけて、こんなに多くの人の言葉を引用して、あざといではないか!と、私の中のひねくれ爺さんがつぶやきました。でも、ロンダ・バーンは、掲載された人の多くに会っているし、何度もセミナーに出たり、可能なかぎりの資料を読んだりして、ちゃんと体験、理解して書いています。もちろん、そうした人の了解も取っていることでしょう。

引用されている人の中には、私的には疑問を感じる人もいます。でも、私はその人たちの本を少しかじった程度の知識しかなく、会ってもいないので、偉そうなことは言えません。また、そうした人たちの言葉もすばらしいものなので、どうしたものかと困ってしまいます。

もっと困るのは、「引き寄せの法則」は自由意志にかかわる問題であり、非二元の教えの根本は、自由意志はないという点です。ロンダ・バーンは、「引き寄せの法則」は真理であるといい、その上にもっと偉大な秘密があると言って、この本を書きました。この本の中にも、「引き寄せの法則」について述べる箇所が何か所も出てきます。大前提が矛盾している気がしてなりません。

釈然としない思いをカリヤニにメールしたところ、カリヤニの答えは明快でした。カリヤニはロンダ・バーンの「ザ・シークレット」は読んだことはないけれども、「ザ・グレイテスト・シークレット」にカリヤニの言葉や名前が出たおかげで、何人かの人から連絡があり、まったく非二元を知らなかった多くの人たちを非二元に導いたのだから、それでいいのだということでした。

過去一年ほどの間、セイラー・ボブのミーティングのYouTubeを見ていて思ったのは、アメリカやヨーロッパからやってくる人が以前より多いような気がするということでした。今では、アメリカとヨーロッパ向けに時間をずらして、それぞれズームミーティングをやっています。ひょっとすると、この本のせいかもしれません。この本は、世界中で、ものすごい数の人に読まれているはずです。

カリヤニの話を聞いて、ロンダ・バーンに対する評価が変わりました。ロンダバーンは、非二元とは無縁の人たちを、非二元という言葉は使わないにしても、非二元的な教えに目を向けさせたということで、その功績は大きいのではないでしょうか。また、セイラーボブや、カリヤニ、ピーターのことを的確に理解していて、好意的に書いているところも好感がもてます。

私がこの本で一番感心したのは、非二元の教えの理解というのは、ともすると、特別な人にしか起きない神秘的な出来事(例えばエンライトメントのようなもの)としてとらえてしまう傾向がありますが、ロンダ・バーンはそういうものとしてはとらえておらず、誰にでも理解できる教えとして書いているところです。

そしてまた、私たちの本質は意識であり、それは手に入れたり、何かになったりするものではなく、すでにあるものだということをちゃんと書いているところです。この本の非二元(あるいは非二元的教え)は、一般の人にとっては、例えば、「I AM THAT」や「ただそれだけ」よりもはるかにわかりやすいと思います。

非二元の教えはスピリチュアルの分野でもマイナーな教えで、それほど多くの人に興味を持たれている分野ではないと思います。でも、ロンダ・バーンのおかげで、徐々に一般の人に広がっていくかもしれません。

非二元の教えを理解した人の中には、世界は幻想や夢だと知って厭世的になる人もいるかもしれません。幻想や夢だと理解したうえで、この世界の中で、引き寄せの法則はあると思って、希望に満ちて生きることは悪いことではないし、願望が実現した人にとっては、引き寄せの法則はあるということになると思います。

あれこれと書きましたが、非二元の本をあれこれ読んだけど、非二元で教えていることが何なのかよくわからないという人には、この本がわかりやすいかもしれません。とりあえず引き寄せの法則は脇に置いておいて読んでみてください。あ、新品なんか買わなくていいですよ。そんなことをすると、また印税が彼女に入って、ほら、引き寄せはある、と言いかねません。

ただ、一言だけ言わせてください。「ザ・グレイテスト・シークレット」の裏表紙には、ロンダ・バーンの写真が載っています。この本を書いた時点で、ロンダ・バーンは70歳のはずなのに、それがどう見てもせいぜい30代か40代にしか見えない。しかも美しい。その15年前に書かれた「ザ・シークレット」の写真より若く見えるやないか! 若さも引き寄せたと言うのか!と、また余計なことを書くと、しかられる。でも私の中のひねくれ爺さんがどうしても書けという。
ロンダ・バーンは変節漢ではない。変節漢とは私のこと。

2023/10/27

ロンダ・バーン

前回のつづき

私がロンダ・バーンの「ザ・シークレット」を読んだのは、2007年頃だと思います。私の住んでいる街の小さな書店でも山積みになって売られていました。すぐに引き寄せ本だとわかったのですが、当時とっても苦しい状況にあった私は、キャッチ―なタイトルにつられて、またしても引き寄せ本に引き寄せられてしまいました。当然、何も状況は変わらず、いつものごとく、本は処分しました。

詳しい内容はまったく覚えていません。そこで図書館でロンダ・バーンの本を五冊借りてきました。


ロンダ・バーンはWikipediaによると、1951年生まれの72歳(日本語版Wikiは1945年生まれになっているが、英語版では1951年生まれ)。ロンダ・バーンWikipedia
もともとはテレビのプロデューサーで、2006年にインタビューを集めた映画「ザ・シークレット」を制作。それを下敷きにして書籍の「ザ・シークレット」を書いた。(以上ザ・シークレットWikiより)

ロンダ・バーンと「ザ・シークレット」の一般知識はWikipedia を読んでもらったほうが手っ取り早いのでそちらを読んでください。要するに引き寄せの法則です。「ザ・シークレット」は「ザ・グレイテスト・シークレット」の帯の記載によると、2021年の時点で3500万部を売り上げているそうです。印税はいかほどか。勝手に想像すると、一冊100円としても35億円。映画や、その後の関連書籍の印税も含めると、彼女の手にした額は、もう一つゼロが多いかもしれない。

英語版Googleの画像検索で、ロンダ・バーンを検索していたら、彼女のカルホルニアの家が売りに出されているという記事が出てきた。そのお城みたいな家の売値は23億9000万だそうです。(ロサンゼルスタイムズ)。まさに引き寄せそのもの。

「ザ・シークレット」はどんな本かというと、いわゆる「引き寄せの法則」がシークレット(秘密)であり、それを24人の人の言葉を引用して裏付けする形式になっている。もともとは、秘密を知っている偉大なマスターたちを探してインタビューをするという映画がベースになっている。実際には秘密でも何でもなくて、何十年も昔からある「引き寄せの法則」を化粧直しして映画、あるいは本にしたにすぎない。

彼女の巧みなところは、そのパッケージ化の仕方と売り方。登場人物の大半は著名な作家か博士であり、昔からある手垢のついた本や人を登場させていないところ。いろんな博士や作家の言葉引用して、無理やり「引き寄せの法則」にしてしまう。

「ザ・シークレット」の中に、どれほど「非二元的な教え」が書かれているかと、読み直してみました。すると、不思議なことに、「非二元的な教え」と読み取れないこともないところが何か所かある。しかも、そこから「引き寄せ」のパワーがくるのだそうだ。

p256(以下引用部は太線で表示)
宇宙の一つの意識
ジョン・ハガリン博士
「宇宙は本質的に思考から発生しました。量子力学や量子宇宙学がこれを確認しています。私たちの周りに物質も凝結した思考から出来ているのです。究極的には私達は宇宙の源です。ですから、私達は自らの体験を通し、自分の力を本当に認識した時、その力を利用して、もっともっと多くの事を達成できるようになります。何でも創造してください。私達の内なる意識の場で全てを知ってください。それが最終的に宇宙を動かしている宇宙意識でもあるからです」

p258
「神の心は一つのもので、それだけが唯一の現実です」チャールズ・フィルモア

p261
ジョン・アサラフ
「私たちは全員繋がっています。それが見えないだけです。『あちら』も『こちら』もありません。宇宙の全てのものは繋がっています。ただ一つのエネルギーの場なのです」
 私たちが全て一つだという観点から「引き寄せの法則」を考えるとその完璧さがわかるでしょう。
これで、なぜあなたが他の人に否定的な思いを抱いた場合に、それがあなたに戻って来て、なぜあなた自身を害するかが理解できるでしょう。私たちは一つなのです!
 あなたが否定的な思いや感情を放射し、害を現実化しなければ、あなたは害される事はありません。あなたには選択する自由意思があります。あなたが否定的な思考をして、否定的な気持ちになると、こと一つであることや全ての善から自分を引き離してしまうのです。あなたには否定的な思考が、全て恐れに基づいていることがわかるでしょう。恐れは分離の思考、自分が他の人から切り離された存在だと思うことから来ているのです。
(このあとも非二元的ととれる文章が続くが、ちょっと長いので省略)

p278(秘密のまとめの中の一節)
私達はみんな繋がっていて、すべては一つです。

時々、ネット上で、「引き寄せの法則」と「非二元の教え」をごちゃ混ぜにしている人を見かけますが、ひょっとするとそれはロンダ・バーンからきているのかもしれません。私としては「引き寄せの法則」は「非二元の教え」とは相容れないと思っています。

他の四冊も内容を検証してみましたが、どれも完全な「引き寄せの法則」本です。

「ザ・マジック」・・・魔法の実習法の書。28日間の実習によって引き寄せる。
「ザ・パワー」・・・ザ・シークレットの続編。この本では、イエス、仏陀、ハーフェズの言葉までも引用して「引き寄せの法則」を補足している。
「ザ・シークレット日々の教え」・・・一日一ページの日めくりになった言葉で「引き寄せ」を実践する。
「ザ・シークレット人生を変えた人たち」・・・引き寄せた人たちの実例集。

五冊の本を検証してみましたが、ここまでのところでは、ロンダ・バーンは非二元の語り部ではなく、「引き寄せの法則」の人です。これを非二元について書かれた本だと読むのはかなり無理がある。そのロンダ・バーンが、「ザ・グレイテスト・シークレット」では非二元について書いている。

次回につづく。

2023/10/24

引き寄せの法則

私は、いわゆる「引き寄せの法則」を全く信じていません。「引き寄せの法則」というのは、強く信じていると、それが現実化するという教えです。この類の教えは、「引き寄せの法則」という呼ばれ方をされるはるか昔からあって、時代によって、体裁を変え、説き方を変えて繰り返し説かれてきたものです。

私の場合は、「引き寄せの法則」系の教えをもう50年以上前から知っていて、その教えを信じては捨て去り、またしばらくしては信じては捨て去るということを繰り返してきました。最初は父からでした。父は当時、「信念の魔術」という本を私に読むようにと勧めてくれました。当時まだ中学生だった私は、この本を読んで、強く心に念ずれば、思考は現実化するのだと思うようになりました。

病この治りやすきもの」という本は、「治る、治る」と念ずることによって、病気が治るという本でした。その他に、本のタイトルは思い出せないのですが、ジョセフ・マーフィーの本も父のすすめで読んだ記憶があります。

それから月日は流れ、30代の頃に、弟が癌を患ったため、なんとかそれを思考の力で治せないものかと思い、生長の家の本(生命の實相全40巻)や日本教文社の本をたくさん読みました。それも、思考は現実化するという類の教えです。

それからしばらくして、強迫神経症、いろんな悩みや苦しみの時期があり、それを思考の力で乗り越えられないものかとナポレオン・ヒル関連の本に凝った時期がありました。また、ワクワクしたことをやれば、願望が実現するというのも一種の引き寄せと考えるなら、広い意味ではバシャールも引き寄せの教えかもしれません。

そしてまた月日は流れ、お金にひどく困った時期があり、思考の力でなんとかならないものかと思い、エスター・ヒックス(エイブラハムの教え)やロンダ・バーンの本を読んだ時期がありました。でも、そうした本に傾倒しても、しばらく必死になってやってみるものの、しばらくするとやめてしまうのです。

どうしてやめてしまうのかというと、いくら信じても念じても、何も思い通りにならないからです。お金も健康も恋愛も、何もうまくいかなかった。今だって、経済的に裕福でもないし、あえて嫌いな表現を使うなら、人から見れば負け組。家庭を持たなかったおかげで、世界を回る長期旅行はできたのですが、それだって、いい歳をしてバックパッカー宿ばかり泊まる旅でした。

社会的な成功とは程遠い人生で、人生は苦しみの連続であるというのが私の人生観です。そういう人生観を持っているからそうなるのだというのが、「引き寄せ」本の常套句なのですが、初めからそんなふうに思っていたわけではなく、人生は思い通りになると思っていた時期もありました。でも、人生が思い通りにいっている人は精神世界の本なんか読まないし、引き寄せの法則なんかに興味を示さないのではないでしょうか。苦しいから、解放されたいと思ってあれこれの本を読み、探求をするのではないでしょうか。

もちろん今では、そんな「私」は実在ではないと知っているので、何も問題はありません。セイラーボブに出会えたのは友人のおかげですが、まったくの偶然であり、非二元の教えに出会いたいと思っていたわけではなく、むしろエンライトメントしたいと思っていました。それなのに、エンライトメントはないだなんて、ひどい。

引き寄せの法則は、非二元の教えとは関係ないと思っています。セイラーボブや、その関係者から、引き寄せの法則の話を聞いたことはありません。そもそも非二元の教えでは、私たちの生きている現実は幻想であり夢なのですから、その幻想や夢の中での成功を目指してジタバタするのは意味がないような気がします。それに、セイラーボブの教えでは、思考は起こってくるものであり、それを自分でコントロールすることはできないというのが基本です。

なぜこんなことを書いているかというと、カリヤニ、ピーターと話をした時、日本ではどんな非二元の本が読まれているのかと聞かれたため、日本で出版されている非二元の教師の名前を何人かあげたあとで、精神世界の本の中でも、非二元という分野はマーケットが小さくて、あまり読まれておらず、むしろ願望実現のためのロンダ・バーンのような本の方が売れている、ロンダ・バーンなんてちっともよくないと私は言いました。

すると二人が、驚くべきことを教えてくれました。ロンダ・バーンは、カリヤニのミーティングにも出たことがあり、カリヤニからいろいろと学んで本を書いたが、その本は引き寄せの法則のさらに上にある教えの本として、「ザ・グレイテスト・シークレット」を書いたというのです。

私が読んだのは「ザ・シークレット」が最後で、その後のロンダ・バーンの本は気にもとめていませんでした。ザ・グレイテスト・シークレットは2021年4月発行なので、最近はもうあまり精神世界のコーナーへは行かない私が知らないのも無理はありません。

それにしても、引き寄せの法則の教えのロンダ・バーンが非二元の教えの本を書くとはどういうことだろうと思いました。それまでの自説を曲げて、もっと上の教えがあるよなんて本を書く変節漢は許せないと思い、そんなのは良くないのではと言ったのですが、カリヤニはロンダ・バーンのことを悪くは言いませんでした。

家に帰ってからロンダ・バーンの本を読めばいいかと思い、それ以上のことは聞きませんでした。帰ってきてさっそく図書館へ行き、ロンダ・バーンの本を調べたところ、多治見市図書館には7冊のロンダ・バーンの本がある。非二元の本なんて、誰の本も一冊も置いてないのに、ロンダ・バーンだけで7冊もある。人間の欲望の深さが知れようというもの。

そのうち2冊は貸し出し中で、肝心のザ・グレイテスト・シークレットは貸し出し中だった。いつ返却になるかわからないので、しかたなく、ザ・グレイテスト・シークレットはAMAZONに中古を注文し、在架の5冊を借りた。

次回に続く。

2023/10/20

カリヤニとピーターがやってきた。

「10月になったら、観光旅行で日本に行くから、機会があれば会いましょう」というメールをもらったのは4月のこと。待つこと半年。日程が届いたら、京都がメインの旅。京都なら日帰りできると、カリヤニ夫妻に会ってきました。

8年前、カリヤニとピーターは私をメルボルンの自宅に招いてくれて、ボブを囲んでとても親切にしてくれた。カリヤニには、その翌年にも会っているが、ピーターとは8年ぶり。何か手土産をと思ったが何にしたらいいのか思いつかない。名古屋には美味しい銘菓はたくさんあるが、それをオーストラリアの人が美味しいと思うかがわからない。あれこれ考えたあげく、スーパーで売っているお菓子をたくさん買って、浮世絵の絵はがきを添えて持っていった。


海外のスーパーに行っていつも思うのは、日本のように美味しいお菓子が売っていないということ。メルボルンのスーパーでは、せいぜいポテチ、クッキー、ビスケット、チョコレートぐらい。万一口に合わなくてもお土産にしてもらえばいい。


新幹線に乗って、ちょっとした旅気分。名古屋から30分で到着。彼女たちの旅の時間の多くを使ってしまっては申し訳ないし、会って話をするだけで十分だと思っていたので、午後に待ち合わせ。さりとて半日あるので、カリヤニのホテルから歩いて行ける範囲をちょっと観光して夕食を食べる計画。

ホテルのロビーで再会の挨拶。お茶を飲みながら、今日の打ち合わせ。さっそく歩いて八坂神社へ。

本殿の前で、「お賽銭を投げて、二回頭を下げて、二回手を叩いてお祈りする」と手本を見せたら、ピーターも同じようにやってお祈り。
「みんなは何をお祈りしてるの?」と聞くので、ここは縁結びの神様として有名だから、良いパートナーが見つかるようにとお祈りしてるよと教えたら、
「ひえ~つ、もうカリヤニがいるから要らないよ~」だって。
カリヤニがおみくじを引いたら中吉でした。


丸山公園を抜けて知恩院へ。友禅苑という庭園を見学。カリヤニもピーターも日本庭園が大好きだそうで、喜んでもらえた。


さらに歩いて祇園の花見小路通へ。平日だというのに、結構な数の外国人観光客でにぎわっていた。やっぱりここが外国人にはうける。

さて夕食。もちろん京都には何回か来たことはあるが、最後に来たのはもう15年ぐらい前。全然詳しくない。ネットで事前に夕食の店をあれこれ検索してみたが、どの店が良いのかよくわからないうえに高い。どうしたものかと思ったが、気取った店なんかより、私がいつも行くような庶民の行く店がいいだろうと思って、スシローにしようと思った。事前にネットで調べたところ、四条にあるスシローは外人観光客に人気で、予約しても1時間以上待たされることがザラだと口コミにあった。

何か他にないかとGoogle mapを見ていたら、くら寿司がある。くら寿司は全然混まないと判明。しかも、そこは個室風のつくりになっていて、まだ多少コロナを恐れている私にはもってこい。くら寿司で夕食。全然混んでなくて、待ち時間ゼロだった。メルボルンにも回転ずし屋は何軒かあり、彼女たちもよく行くという。でも、本場日本の回転ずしだから、これでいいのだ。

夕食後、また歩いてホテルへ。ホテルのロビーでお茶を飲みながら、またお話。この旅のこと。お互いの近況。非二元の話など。街歩きをしながらも、あれこれと話をしたが、話は尽きない。

メルボルンのカリヤニの家に行った時、とても大きな家と庭に驚いたが、そこは山火事の多いところなので、引っ越す予定だと言っていたのを思い出し、引っ越したのか聞いたところ、携帯に入っていた新しい家の庭の写真をたくさん見せてくれた。

ピーターはガーデニングが好きだそうで、自分で庭を手いれしているという。その庭がどうみても大きい。藤棚のコーナー、日本庭園風のコーナー、木がいっぱい植えてあるコーナーなどがある。「今度の家も馬鹿でかい(huge)家だね」と言ったら、「そんなことはないよ。日本の家に比べたら大きいけど、オーストラリアでは普通だよ」とピーター。そういう問題じゃないでしょ!

非二元の話では、彼女たちがU.G.クリシュナムルティに会った時の話がとても興味深かった。非二元の話には、いくつか参考になるような話があり、シェアしたいと思いますが、長くなってしまうので、また別の日に書きます。

話は尽きないが、二人の貴重な旅の時間をあまり多く使わせてもらってもいけないと思い、一時間半ほど話したあとで帰路につきました。別れ際、まだコロナの影響もあるいし、握手をしたものかどうかと一瞬迷っていたら、カリヤニがしっかりハグしてくれて、ホッペにチュー。ピーターもがっちりハグ。あちらにしてみたら、ごく普通の挨拶なんでしょうけど、こっちは慣れないので照れることしきり。

二人に会って思ったのは、彼女たちはまぎれもなく非二元の教えを体現して生きているということ。私と話をするときも、しっかりと目を見て話し、決して上から目線ではなく、気取ることもなく、あなたも私も同じ一つのものだよという雰囲気を感じさせる。一緒にいて、なんともいえず心地良い。

非二元の教えを理解することはそれほど難しくない。でも、それを体現して生きることはそれほど容易ではない。さらに、それを体現して生きている人が、非二元の教師となって教えることは誰にでもできることではない。非二元の教師になること自体はそれほど難しくない。誰かの教えを読んで、丸暗記するか少しアレンジして、あとはオウムのように繰り返しそれを話せばできる。

ただ、その人が心底教えを体現して生きているかどうかが問題。それは、その人に直接会って、目と目を見つめあって話せばわかる。それはボブが言うところの「共鳴」であり、「heart to heart」というもの。

カリヤニとピーターは、もう何十年も非二元を教えていて、不定期ではあるものの、今もミーティングを続けている。本物の非二元の教師は稀有な存在であり、教えを理解したからといって、誰でもなれるわけではない。なったとしても本物であるかどうかはすぐにバレてしまう。カリヤニとピーターは、信頼に足る非二元の教師。

カリヤニとピーターとの再会は忘れられない思い出になりました。帰ってきて、カリヤニとピーターのホームぺージやYouTubeを見返していたら、参考になるようなことがいっぱいある。了解が得られたら、少しづつそれもブログに載せていきたいと思います。

2023/10/17

私の探求は終わった

私はあらゆる場所を探求して、自らの疑問に対する答えを見つけようとした。
「そこにエンライトメントはあるのか?」
だがしかし、探求そのものに疑問を抱いたことはなかった。
エンライトメントは存在すると思い込んでいたため、探求しなければならなかった。
探求そのものが私を窒息させ、自らの自然な状態から遠ざけていた。
精神的にも心理的にも、エンライトメントなどというものは存在しない。
なぜなら、魂や精神などというものは全く存在しないからだ。
私は生涯を通して、ありもしないものを探す愚か者だった。
私の探求は終わった。
                              U.G.クリシュナムルティ

2023/10/13

悟りなどというものはありません

 「悟りなどというものはありません。完全なる命が、一人ひとり、そしてあまねくすべてのものとして出現している。ただそれだけです」
                               
U.G. クリシュナムルティ


“There is no such thing as enlightenment, only the perfection of life arising as each person and every thing.”
ーU.G. Krishnamurti

2023/10/10

人とは、単なる記憶にすぎない

人とは、単なる記憶にすぎない。
あなたは、植え付けられた知識によって周りの物事を理解する。
あなたはおそらく現代芸術を理解するためにはそのアーティストの説明を必要とするだろうが、花を理解するためには誰の説明も必要としない。
あなたはどんな事にも対処できる。
あなたはどんな事もできる。
もし、ありもしない想像上のゴールを目指してエネルギーを浪費しなければ。
                                                                                              U.G.クリシュナムルティ

2023/10/06

意思の果たす役割は何ですか?

ミーティング2023.10.10 36:53から

質問者:意思の果たす役割は何ですか? 私の言っているのは、注意を意図的に向ける能力、意思のことです。

ボブ:もしそこに生(life)がなかったら、あなたに意思はありますか?

質問者:ですから私はあなたにそのことについて話してもらいたのです。それが重大な鍵だと知っています。それは未解決の質問です。

ボブ:あなたは今、生きていますか? それで、あなたの役割は何ですか?

質問者:私は今、認識しています。

ボブ:あなたの役割は、その質問をすることです。

質問者:そうなんですか?

ボブ:よくわかりませんが、あなたは質問しています。

質問者:どのようにして、ボブという人間が、自分はそれであるということを知るようになったのですか? その当時それが起こった時、ボブの注意力の果たす役割は何でしたか?

ボブ:私が指摘するのは、役割があると思っていたボブには、役割はなかったということです。彼には役割があると思っていたために、問題をかかえていました。そこに誰かがいると思っているときは、いつも問題があります。そこには、ただ生(life)だけがあり、あなたはその生(life)なのです。あなたのまわりに現れているあらゆるものは、その生(life)の表現です。誰、あるいは何がそれから分離しているでしょうか?

質問者:私に尋ねているのですか? それとも(一同笑い)

カット:ええ、それは考えるまでもないことです。でも、それはたびたび尋ねられる重要な質問、自由意志という幻想についてです。それはたやすく見破ることができます。たとえば、意思が注意力となって、特定のものをボブ、花、部屋として見つめます。そこには選択をしている誰かがいるのか? それとも、単なる思考が意識の中に現れているのか? そしてその思考に続いて、意識の中に行動がやってくるのか? 自身が、特定の物事が存在するということの信者であることを選んだのか? 特定の音楽や食べ物の好みを自分で選んだのか? 

それともそれは、体の条件付けによって、単に意識の中に現れたのか? 私たちがその中に深く入っていくことによってそれがわかります。行為者、コントローラー、自己という幻想が、いかに余分なものであるかということがわかります。生ははるかにシンプルなことです。幻想が邪魔しなければ、生はもっとシンプルに展開していきます。なぜなら、苦悩も邪魔しなくなるからです。

動物を見てみると、どうやって獲物を捕まえるのか? たとえば、ライオンがアンテロープの群れを襲う時、どうやって一匹を選ぶのか? そこに意思、意識的な選択があるのか? いいえ、それは本能です。体の条件づけによって獲物を選び、本能的にそれを追いかけるのです。私たちも同じです。でも大きな違いがあります。私たちの頭の中にはコメンテーターがいて、いつも物語を語っています。

そこには、食べる事、交尾をする事などへの欲求があります。そしてそこにはコメンテーターがいて、「いや、これは私だ。私がやっている。私が選択している」と言います。そして、幻想の「私」にだまされるのです。その「私」は物語の中にだけ存在します。それが人間の条件付けとなり、苦悩、感情的心理的苦悩を生み出すのです。

途中省略

1:04:25から、カビーシャが、スーフィの詩人ハーフェズの詩の歌を歌いました。

Beyond the idea of right doing.
Beyond the idea of wrong doing.
There is a field.
A beautiful field.
I'll meet you there.

善悪の思考を超えたところにある場所
そこには美しい場所がある
そこであなたと会いましょう

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ボブが lifeと言う時、「命」と訳した方がいいのか、「生(せい)」と訳した方がいいのか、いつも迷います。時には「命」と訳し、時には「生」と訳しています。いわゆる生物ではないものも lifeの現れとして現れているとボブが言う時、命と訳すと違和感があるような気がします。
あらゆるものが、一つの lifeあり、一つの生、一つの命なのだという意味です。言葉には限界があります。

2023/10/03

あるともないとも言えません

鏡の中には何が見えますか? 反射です。
反射しているものは鏡の中にはないとは言えませんね?
でも、鏡に近づいていって、反射しているものを掴もうとしても、それがそこにあると言うことはできません。
あるともないとも言えません。
でも、鏡は反射によって汚れることはありません。鏡は反射が現れるための基盤です。
それを今理解してください。反射かどうかを調べるために、鏡の中へ入ることはできません。
                                   セイラーボブ