2021/10/02

セイラーボブの新刊「SAILOR BOB: Bags of pointers to nonduality 」の感想

SAILOR BOB: Bags of pointers to nonduality を読みました。

すばらしい内容でした。
この本は、セイラーボブの教えを正確に理解するのに役立つと思います。本の構成としては、最初に、s・a・i・l・o・r・b・o・bという頭文字から取ったキーワードについて、セイラーボブのポインター(数行の話)があり、そのあとでカットの詳しい説明文が続きます。その説明文がわかりやすく、間違った解釈をすることなく理解する助けになると思います。内容としては、セイラーボブの本というより、カットによるセイラーボブの教えの解説書といえるかもしれません。

セイラー・ボブの教えを理解するためには、ジェームズ・ブラハの Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob Adamson (English Edition) がベストだと思います。ブラハの本は非二元全般から見たセーラー・ボブの教えについて書いていますが、この本はセイラーボブや非二元の予備知識がすでにある程度ある人向けだと思います。セイラーボブの教えを多角的に理解するためには、両方読むのがベストだと思います。

共著者であるカット・アダムソンはセイラーボブの奥さんです。カットの経歴について、この本の中で彼女が書いていることや、ネット上で彼女が語ったことを中心に簡単にまとめておきます。

カット・アダムソンは1974年、ポーランド生まれ。高校を卒業後、船舶士官ship's officer:大型船を操縦する人)になることを夢見て軍隊式の五年生の大学へ入学します。大学は難関であったうえ、共産主義崩壊以降のポーランドの法律では、女性が船舶士官なることは認められていませんでした。

結果はどうなるか全くわからなかったのですが、彼女は懸命に努力し、各方面への様々な働きかけののち、やっと道が開け、ポーランドで初めての女性船舶士官となりました。夢を追い続けて、ポーランドで初めて船舶士官となった女性として、何社もの新聞や雑誌に取り上げられたそうです。

卒業後、十数年間、大型船のキャプテンとして世界を旅します。その一方で、精神世界にも興味を抱き、インドの非二元の師を訪ねたり、ベトナムの禅寺で座禅を経験したりして、様々な精神世界を旅します。一定期間乗船すると、一定期間の休暇が取れる勤務形態だったそうです。

やがて結婚するのですが、最初の結婚生活は破綻し、メルボルンのセイラーボブを訪ねます。私が2016年にメルボルンに行った時には彼女もミーティングに通っていて、当時はまだセイラーボブの生徒の一人でした。

当時彼女はまだ町からボブの家へ通っていたため、ミーティングのあと、二度ほど彼女と一緒にトラムに乗って、町までの小一時間の間、楽しく会話したことがあります。彼女はとても誠実で聡明な人で、私のくだらない質問に対して、わかりやすくていねいに答えてくれました。

その後彼女は船の仕事をやめてボブと結婚します。苦労して手に入れた、実入りの良い大切なキャリアだったにもかかわらず、船の仕事をやめたのです。このへんのいきさつはあまり詳しく知りません。彼女がどんな船に乗っていたのかや、ボブとのなれそめの一端は、このYouTube を参考にしてください。彼女の制服姿はなかなかカッコいいですよ。

結婚後は、Facebook や YouTube で見る限り、二人とも幸せそうで、セイラーボブの生活も随分華やかになった印象を受けます。

彼女の精神世界に対する造詣の深さは、この本に出てくる言葉からもわかります。プラトンの洞窟の比喩、シュレディンガーの猫、NLP、クルト・ゲーデル、不確定性原理、トマス・ヤング、ダグラス・アダムスなどなどから、法華経や唯識の話まで。

彼女もボブのところへやってくる他の人同様、長い長い精神世界の旅をしてきたことがわかります。それゆえに彼女の説明は深く、それでいてわかりやすいのだと思います。こっちが知りたいようなことをもれなく書いてくれています。以前このブログにも書きましたが、彼女のYouTube内での発言が私の最終的な理解の助けになりました。

本の内容を紹介するために、少しだけ本から引用させてもらいます。「O、Ordinary」 というキーワードにまつわるポインターです。細字の文字は私(拓)が付け加えたものです。(p224から)

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O-Ordinary(普通の・ありふれた)

ボブ:(ゾクチェンを説いた)パドマサンバヴァが書いた、"Self-Liberation through Seeing with naked Awareness"「ありのままのアウエアネスで見た自己解放:未邦訳」というすばらしい本があります。彼はその本の中で、彼らが「それ」と呼ぶものすべての名前をあげています。彼は書いています。ある人はそれをマインド、アートマン、セルフ、自己の不在、如来、その他たくさんのサンスクリット語の名前で呼び、そして最後に、ある人は単にそれを、「普通のアウエアネス」と呼ぶ。(ここでのアウエアネスは意識という意味。私たちの普通の意識のこと)

(ここからはカットの解説文)
普通のアウエアネス? 本当に? がっかり! 私もまた、感覚器官を喜びで満たしてくれるような至福を探していました! 誰が普通のなんて欲しいものですか! なんと退屈な! 私はエクスタシーが欲しい!

「普通」を手に入れるために、瞑想をしたり、様々な修行をしたり、読んで、見て、聞いて、そうした僧院やアシュラムを旅したのではありません。私は人間の進化の頂点であると思われるエンライトメントを達成しようとしました。とても特別なものが欲しかった!

何年もの間、それを聞くのを拒絶しました。その部分のポインターを聞く間、マインドのスイッチを切って無視しました。そんなはずはない。そうしたすべての礼拝場、すばらしい像、寺院、ピラミッド、敬虔な詩、彫刻や絵画が、普通の毎日のアウエアネスをたたえるためにあるはずがない。それでは意味がない。

それでも、すべてのものには仏性があると言われています。真実とは決して変化しないもの。主は、変化することなく普通にあなたとともにある。それは何も特別でも、とびきりのことでもない。それでも、その普通らしさのせいで、奇跡的であったり、心を揺さぶるものであったり、驚くべきものであったりすることが損なわれるわけではありません。

反対に、普通の、存在すること知ることの喜びは全く完全で、満足できて、足りないものは何もありません。ニサルガダッタがよく口にしたように、「もう何も悪くはない」です。

ボブ:あなたは、普通に注意深く座りさえすればいいだけです。それはそこにあります。それは即時です。それは、どんな観念化もされることなく、今、あなたとともにあります。それは単に、純粋な普通のありふれた毎日の意識です。人々は、ただそれとともに座ろうとせず、マインドで理解しようとします。

(ここからはカットの解説文)
それが普通のことであるため、それが通常のことで、明白でとらえがたいものであるため、私たちはそれがあたりまえのことだと思い、その重要さを見逃します。それは通常の日常の目覚めた状態です。それはもともとそれなのです。それは確かに普通ですが、それはまた、偏在、全能、
全知という点で、途方もないことです。

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私に、「それはあなたの日常の普通の意識のことだよ」と教えてくれたのは、ギルバートの Facebook でした。そのポインターをセイラーボブの言葉として見聞きしたことはありませんでしたが、この本の中にそれを見つけてうれしくなりました。

この本には、セイラーボブのところへやってきて、「私」から解放された何人かの人の話も出てきます。その人たちがどんなふうに人生の問題を乗り越えていったのか、ボブがどう対応したのかが参考になります。

考える材料として、いくつかのエクササイズも載っています。また、巻末には、深く考えるための111の質問が載っていますが、それはセイラーボブのホームページにあるものと同じものです。以前ブログで紹介した時とは内容が多少変わっていたので、書き直しておきました。興味のある方は参考にしてください。

私はこの本を繰り返し読もうと思います。