これからしばらくの間、仏教をテーマに書いていきます。書きたいことは、仏教で教えていることの中にセイラーボブが教えていることと根本的に同じものがあるということです。
最初に唯識(ゆいしき)の本を読んだ時は、唯識思想は個人の実在を認めていない、すべては空(くう)であると説いていて、すばらしい教えだと思い、当初の計画では、大乗仏教、唯識の教えを中心に書こうと思っていました。空(くう)の思想が出てくるのは大乗仏教からであり、釈尊の死後数百年経過したあとのことです。そのため、空の思想自体は釈尊の直接の教えではないといえます。
しかし、仏教のことを学んでいくうちに、大乗仏教や唯識だけでなく、初期仏教(釈尊の直接の教え)の中にも非二元と同じことを説いているものがあるとわかり、そこから書かないといけないと思うようになりました。初期仏教の教える、諸行無常(世界は移ろいゆくものであり、永遠のものではない)や諸法無我(私という存在は実在ではない)の教えは、十分に非二元の思想といえます。
仏教の教えや、大乗仏教の空の思想が非二元の教えとまったく同じだと言うつもりはありません。でも、その根底にある非二元的なものを感じ取ることによって、非二元とは何なのかが、私と皆さんの中で深まればいいなと思っています。
どうやってブログを書いていこうか迷ったのですが、おおまかに年代順に書いていって、その時代のこういう仏教では、こんなふうに個人と世界が実在ではないと説いていますというふうに書く以外に手はないと思うようになりました。
仏教の概略についても説明する必要があり、非二元とは直接関係のないことも書かないといけない。仏教では、時代や系統によって説かれている内容が違うし、矛盾する場合もあります。そのため、私の説明が重複する部分もあるし、前後で矛盾している部分があるように思われるかもしれません。それでも、全体として見ると、ああ確かに仏教の中には非二元的な要素があるということがわかればいいのかなと思います。
予定としては、仏教の大まかな歴史→釈尊→初期仏教→中観(ちゅうがん)→唯識→禅という順に書いていきます。
釈尊、ゴータマ・シッダールタは、釈迦、釈尊、仏陀とさまざまな呼ばれ方をするのですが、このブログでは釈尊と表記することにします。理由は中村元先生、三枝充悳先生が、その著書の中で釈尊と呼んでみえるため、それにならうことにしました。
仏教の大まかな歴史
紀元前1500年ごろ、中央アジアに住んでいたアーリア人がインドへ進出。インドの先住民を支配し始める。自分たちを神と交信できるバラモン階級として位置づけ、ヴァルナ(カースト制度)のもとでインドの先住民を支配した。
やがて、北方より侵入したインド・アーリア人(支配階層、バラモン)と先住民との混血が進んだことや、経済の発展によって階級制度が崩壊し始めたことなどから、紀元前五世紀ごろになると、それまで社会を支配してきたバラモン教に反対する自由思想家(沙門)が多く現れた。沙門(しゃもん:シュラマナ)とは、バラモン教(神託である聖典ヴェーダの崇拝・祭祀の励行・階級制度の厳守)に反対して出現した宗教家、思想家たちのことです。
バラモン教では、生まれながらの階級制度によって、神と交信できるのはバラモン階級だけであり、人々は直接神に願いごとをすることはできず、バラモンにお願いすることが許されているだけでした。そうしたことに疑問を感じて登場してきた人々が沙門と呼ばれる人々でした。
その多くは托鉢(たくはつ)によって生計をたて、放浪したり、森に住んだりして自己研鑽と教授生活をおくり、禁欲、瞑想に励み、人間中心の道徳を説く人々でした。そうした人たちの中から、マハーヴィーラ(前549~477)がジャイナ教を、釈尊(ゴータマ・シッダールタ 前463~383:諸説あって正確にはわかっていない)が仏教を生み出しました。
バラモン教は支配階級(バラモン)の男性に対してだけのものでしたが(長男や弟子にのみウパニシャッドを伝承)、仏教は階級、性別を問わず、万人のための教えであっため、当時の社会情勢からすると、革新的な教えとして広がっていきました。
バラモン教は、生まれながらに階級によって人の身分が決まっていて、神と交信できるのはバラモン階級だけであり、バラモン階級の神官を通じて神に救いを求める宗教であったのに対して、釈尊の説く仏教は自らの努力(瞑想と経の学習)によって、自らの内側(心)を変えることによって幸福を獲得するという教えでした。
バラモン教の根底にあったのは、穢れ(けがれ)の思想であり、人の価値は生まれによって決まるというものでしたが、仏教ではそれを否定し、個人の努力によって幸福になる道を教えました。
釈尊の生涯については後述。釈尊の死後すぐに、すでに悟りを開いていた弟子たち500人が集会(結集:けつじゅう)を開いて、経(釈尊の言葉)と律(出家者が守るべきルール)の確認をします。
当時は文字で記録する文化がなかったため、口述で記憶する方式で伝承されました。釈尊の誕生から、この頃までが釈尊の直接の教えであり、初期仏教(原始仏教)と呼ばれます。
仏滅後、百年ほど経つと教団は二つに分裂し、それが約二十へと分裂します。それぞれが部派を形成し、仏典の解釈にそれぞれ独自の見解を持つようになります。この頃の仏教を部派仏教(小乗仏教)と言います。部派仏教における経典の解釈研究をアビダルマと呼び、アビダルマ仏教ともいいます。
部派仏教では、教理の研究に没頭し、衆生を救済するという仏教本来の目的を忘れ、自分一人の解脱をめざすようになりました。こうしたことの反動から、紀元前後に、自己の解脱よりも他者の救済を目的とする大乗仏教がおこりました。
大乗仏教では、空の思想や唯識思想など、もともとの釈尊の教えではない思想が生まれました。
一方で、仏教はスリランカへと伝わり(南伝)、そこから東南アジアへと伝わりました。現在、スリランカ、東南アジアで残っている仏教は初期仏教に近いもので、釈尊存命中の仏教に近いものです。
他方、仏教はシルクロードなどを通して、多くの三蔵法師などの働きによって中国へともたらされました(北伝)。中国では、大乗仏教がさかんとなり、唐の時代に全盛期をむかえ、日本へと伝わります。中国ではやがて禅と浄土教が生まれ、それも日本へと伝わります。(広済寺HP参照)
インドにおける仏教は、イスラム勢力(ゴール朝)によって1200年前後に完全に破壊され、その後もイスラム勢力(ムガール帝国)がインドを支配したため、仏教は完全に忘れ去られ、ヒンドゥー教の社会へとなっていきました。
釈尊の生涯
釈尊は紀元前五世紀(諸説あり)に、インドとネパール国境近くの小さな部族国家、釈迦族の首長の長男として生まれました。(釈尊の育ったカピラ城が、現在のインドであるかネパールであるかはいまだに論争あり)。母親のマーヤーは釈尊を生んで七日後に亡くなったため、母親の妹(父の後妻)によって育てられました。
釈尊は王様(父親)に溺愛され、種族の長としての英才教育を受けます。16歳で結婚し、子供を一人もうけ、何不自由のない生活を送るのですが、やがてそうした生活に疑問を抱くようになり、すべてを捨てて29歳で出家します。
出家ののち、何人かの師のもとで学ぶのですが、その教えに満足できず、最終的には一人で山の中で修行に励みます。6年間の苦行によって、やせ細り枯れ木のようになるも、悟りは開けず、35歳の時に山を降ります。
山を降りて、川で沐浴をしたあと、村娘から乳糜(にゅうび:牛乳でたいた粥)をもらって飲み、菩提樹の下に行き瞑想し、そこで悟りを開きます。悟りを開いたあと、釈尊は多くの人々に自らの教えを説きました。王族の加護も受け、出家信者は1000人を超え、サンガ(教団)が形成されていきました。
釈尊には、他の宗教の開祖に見られるような弾圧や迫害の歴史はありません。王族の加護を受け、寄進によって竹園精舎と祇園精舎(精舎とは精進する家という意味)を構え、季節によって弟子とともにその二か所の往復を繰り返しながら弟子たちに教え続けました。
生活はきわめて質素で規律正しく、人と争わず、温厚なものでした。80歳になり、郷里に向かう旅の途中で病(食中毒)に倒れて亡くなりました。
釈尊の教えは弟子たちによって受け継がれましたが、生前、自らは一文字も経典を書かなかったため、釈尊が何をどう教えたかのかは正確にはわかっていません。釈尊の死後、生前に釈尊が語ったものを弟子たちが口頭で伝承しました。口頭による伝承は相当長く続き、経典が作られ始めたのは釈尊が亡くなって数百年後のことと言われています。その後、仏教は時代とともに変化していきます。
初期仏教(釈尊が説いた教え)
宗教としての仏教が成立するのは、かなり後になってからであり、初期の段階では宗教ではなく、哲学的な思想集団でした。現在日本に仏教として広がっている様々な宗派は、釈尊のもともとの初期仏教とは、組織も形態もかなり違うものです。
初期仏教では、僧侶が家庭を持つことはなく、日本の寺のように世襲のお寺というものもありませんでした。僧侶が葬儀を執り行うことはなく、托鉢によって身を立てる純粋な求道者でした。
釈尊の説いた初期の仏教がどういうものだったのかを、(中村元の仏教入門 ・原始仏教 その思想と生活 (NHKブックス) ・仏教入門 (岩波新書) )を参考に簡単にまとめてみます。
釈尊の教えた仏教の特性
1 超越者の存在を認めず、現象世界を法則によって説明する。
仏教では、この世界全体を司るような超越存在を認めない。世界は特定の法則(因果の法則)にそって自動的に展開していくと説く。
2 努力の領域を肉体ではなく、精神に限定する。苦行ではなく、瞑想によって自己の内側を変えることによって、「苦」の消滅をめざす。
3 修行のシステムとして、出家者による集団生活体制をとり、托鉢によって生計を立てる。修行に時間をあてるため、生産活動を放棄して、人々からもらう余りもので暮らしていく。
基本的な概念
仏教の基本となる教えは、「煩悩を捨てる」ということです。煩悩とは何かといえば、「私」や物に対する執着心のことです。その、煩悩がすべての不幸の始まりであると説き、それを消し去る(捨てる)ことが、釈尊の基本的な教えです。
原始仏教(初期仏教)はニカーヤ(阿含経:あごんきょう)によってその様子が伝えられています。釈尊は次のように考えました。
我々の生きている世の中は苦しみばかりである。必ず歳を取り、やがては病気になって死ぬ。死んだあとはまたどこかに生まれ変わって、そこで同じような苦しみを味わう。永遠に続く輪廻の中で同じような苦しみを味わい続けなければならない。そこから抜け出す唯一の方法は、輪廻のエネルギーとなっている煩悩を修行によって消し去ることである。
釈尊の教えは、釈尊の側からの一方的な提示という例は少なく、ほぼ大部分は、釈尊を訪ねた人々が問い、それに応じて釈尊が答えるという形をとっています。多種多様な問いに釈尊が臨機応変に答えるという、対機説法でした。
釈尊は、当時の哲学者たちが論争を繰り返していた、哲学的な形而上学的(けいじじょうがくてき)な論争に加わることをしませんでした。哲学的な形而上学的な論争とはどういう意味かというと、例えば、「世界は有限か無限か?」「身体と霊魂は同一か?」「悟りをえた人にとって死後の世界はあるのか?」「アートマンは実在か?」といったようなことです。
こうした問題に関して釈尊は肯定も否定もしませんでした。この件に関してよく引用されるのは仏典に出てくる毒矢の刺さった人の話です。ある人が道を歩いていると、倒れて苦しんでいる人を見つけます。駆け寄って見るとその人には毒矢が刺さっています。そしてその人は倒れている人に向かって、「この矢を射たのはどんな人か? バラモンか? 王族か? 背は高かったか? 低かったか? 色は白かったか? 黒かったか?」と、あれこれと尋ねます。
でも、そんなことをしている間に毒がまわって死んでしまいます。まず第一にやるべきことは、誰が矢を放ったかではなく、毒矢を抜いて治療することです。同様に、今生きている人にとっては、「世界は有限か無限か?」「身体と霊魂は同一か?」「悟りをえた人にとって死後の世界はあるのか?」「アートマンは実在か?」というような形而上学的な問題はどうでもいいことで、実際に必要なことは、今生きている人が持っているさまざまな苦しみや悩みを理解して、その人の苦しみや悩みを取り去ることがなすべきことである、それが人にとってもっとも大事なことであると釈尊は説いたのです。
それまでのバラモンたちが議論してきたような、「アートマンとブラフマンは一体である」とか、「世界は無限か有限か」とかいうような結論をえられないことで争うよりも、こころの平安を目ざす宥和的(ゆうわてき)な教えでした。
世界は永遠か、終わりがあるのか。有限か、無限か。霊魂は存在するか、しないか。死後の世界があるか、ないか。私はこうしてことを、確かなものとして説かない。なぜならそれは、心の清らかさ、安らぎという目標とは関係なく、欲望からくる苦痛を超える修行には役にた立たないからである。(仏陀の言葉:弟子マルンキャプッタへの教え・マッジマ・ニカーヤより)
三宝(三宝)
初期仏教では、仏・法・僧が仏教の基本要素です。
仏とは釈尊のこと。法とは釈尊の教え。僧とは、個人としての僧侶のことではなく、僧侶の集団である僧団(サンガ)のことです。この三つがあって仏教ということができます。
苦しみと無常
私たちの人生は苦しみにつきまとわれていて、容易には苦しみから逃れることはできないということを原始仏教では説いています。人生では、人は絶えざる不安のうちにあり、苦しみに取りつかれている。生老病死を四苦といい、愛する者と別れること、怨み憎んでいる者に会うこと、求める物が得られないこと、肉体と精神が思うがままにならないことの四つを加えて、四苦八苦といって、それが仏教の根底にある人生観です。
その苦はどうして起こるのか。一切の物事もろもろは因縁によって起こります。因とは主要な原因、縁というのは副次的な原因という意味です。いろんな原因や条件が合わさって、物事は成立している。
そしてそれは実体のあるものではなく、常に変化していて一瞬もとどまることがない。現象世界におけるあらゆる物事と同様に、個人存在は連続する変化のうちにある。その底にひそむ確定的な実体は存在するか、と言えば、永久不変な実体というものはない、生あるものは必ず死ぬ、諸行無常であると説きます。
諸行無常。どこにも無常でないものなど存在しない。すべては変化していく。セイラーボブの話を思い出します。
十二支縁起(じゅうにしえんぎ)
なぜ心の苦しみが起きるのかを、十二の要素に分解して、それが連鎖して起こる様子を説いています。最初に原因としての無知(無明:むみょう)があり、それが最終的には心の苦しみへとつながっていきます。佐々木閑先生のYouTubeがとてもわかりやすいので、そちらを見てください。
私なりにまとめるとこうなります。
無明(むみょう)とは無智のこと。物の状態を正しく見ることができない状態。そこから行(ぎょう)が生まれる。
行(ぎょう)とは何かをしようという思い。そこから識(しき)が生まれる。
識(しき)とは迷った心。そこから名色(みょうしき)が生まれる。
名色(みょうしき)とは概念化のこと。物を心の中で勝手に分類わけしてレッテルを貼る。そこから六処(ろくしょ)が生まれる。
六処(ろくしょ)とは認識感覚器官(五感と心)のこと。そこから触(しょく)が生まれる。
触(しょく)とは認識器官が外界と触れあうこと。そこから受(じゅ)が生まれる。
受(じゅ)とは外界を受け入れること、反応すること。そこから愛(あい)が生まれる。
愛(あい)とは好みのこと。そこから取(しゅ)が生まれる。
取(しゅ)とは執着のこと。そこか有(ゆう)が生まれる。
有(ゆう)とは、私という存在が生まれること。そこから生(せい)が生まれる。
生(せい)とは人生のこと。そこから老死(ろうし)が生まれる。
老死(ろうし)とは老いること死ぬこと。心の苦しみ。
佐々木閑先生の説明を聞いてとても驚きました。言っていることがセイラーボブの言っていることとあまりにも似ています。もちろん表現は違うし、説明も違うのですが、本質的に同じことを言っているのではないでしょうか。
無知ゆえに世界があると思い込み、そこにラベルを貼りつけて、それが実在するかのように思い込んでいる。私も世界も物も、生まれることも死ぬこともなく、実在ではなく、無知から生まれたものにすぎない。
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