永らく皆さんに読んでいただいたこのブログですが、3月7日をもってブログとしての更新を終了させていただき、ホームページ化します。(ホームページと言っても、体裁は今とほとんど変わりません)
それまでに書く内容は、今までこのブログで何度も書いたことと同じであり、その繰り返しになるかと思いますが、セイラーボブの言葉を借りるのではなく、私自身の言葉で書いていきます。多少辛辣なことも書きますが、それはあくまで私個人の意見であるとご了解ください。
セイラーボブの教えを広く皆さんに知っていただきたいという思いでこのブログを書いてきましたが、その役目はある程度果たせたのではないかと思っています。
去年の夏ごろから、ニサルガダッタ・マハラジの言葉を訳してブログに掲載する一方で、セイラーボブの本を翻訳して出版できないかと考えました。私はプロの翻訳家ではないし、本の出版をやったことはありません。でも、あれこれと調べるうちに、翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと・寺田真理子著とあなたを出版翻訳家にする7つの魔法を読んで、私でも出版できるのではないかと思うようになりました。
そして、著作権者に了解を取る前に一通り全部訳してみて、問題なく訳せたら著作権者の了解を取って出版社を探すことにしました。
二か月ほどかけて、「What's Wrong with Right Now!」を翻訳してみたところ、問題なく訳すことができたので、著者権者であるギルバートにメールで出版の許可をお願いしたところ、返事はノーでした。
私はギルバートとは旧知の仲で、約半年間も一緒にボブのミーティングに出席していたので、快く許可してくれると思っていたので驚きました。
メールで何回かやり取りした後、facebook のビデオチャットで会話しましたが、やはり返事はノーでした。
ギルバートが言うには、セイラーボブの使う英語には独特の表現があって、英語ネイティブですらどう解釈していいかわからないものが多くあるので、それを他の言語に翻訳すれば、誤解のもととなる、翻訳しない方がいい、ボブの教えはあくまで英語で理解すべきだと言うのです。そして、もしボブの教えを人に伝えたいのなら、翻訳ではなく、自分で本を書くなどして、自分の言葉で伝えた方がいいとも言いました。
確かに、ボブの使う英語には、どう翻訳してよいか困るものがたくさんあります。
例えば、awareness, livingness, being, seeing, knowing.
また、ある時ボブは私に、"Live your livingness!" と言いました。livingness を辞書で調べても、載っていません。(生の本質)(生き生きとした命)(生そのもの)というような意味であるとはわかるのですが、それを翻訳するのは大変です。
「命の本質を生きなさい」「生き生きとした人生を送りなさい」というような翻訳に落ち着くとは思うのですが、何かしっくりきません。
ボブの本にはこうした言葉が随所に出てきます。ギルバートの言うことはもっともですが、高木悠鼓さんはちゃんと訳してみえるのだから、他の言語に翻訳するのもありではないかと思いました。
ギルバートが私の翻訳力を疑っているのかと思いましたが、そうではないようです。
ギルバートは、私よりはるかに英語が堪能なオーストラリア在住の日本人に、「ただそれだけ」は日本でちゃんと翻訳されているのか、と尋ねたことがありました。
私も含めボブのミーティングにやってくるほとんどの日本人が、セイラーボブは覚醒した人だと勘違いしてやって来るのを目にして、ちゃんと翻訳されているのか、翻訳では正しく理解されないのではないかと思ったのだと思います。
高木さんの翻訳は素晴らしいと思うのですが、あの本を読んで、どれだけの日本人がセイラーボブは覚醒した人ではなく、覚醒など無いと言っているということを正しく理解しているでしょうか?
「ただそれだけ」の最後のページの終わりの三行を読むだけでも、そこには覚醒などないとちゃんと書いてあるのに、ほとんどの人はそのことを理解しません。
「What's Wrong with Right Now!」の出版はあきらめました。もともと、一番翻訳したいと思っていた本は「Living Reality」です。この本がセイラーボブの教えを理解するにはベストだと思います。
でも、この本は厚さが「What's Wrong with Right Now!」の3倍近くあって、訳すのに時間がかかるし、売れるかどうかわからない高価な本を出版する出版社を探すのは容易ではないと考えました。もし、「What's Wrong with Right Now!」を出版できたら、「Living Reality」も出版したいと考えていました。
「Living Reality」の著作権者であるジェームズ・ブラハは、このブログで「Living Reality」の一部を抜粋翻訳する許可をくれたので、本全体の翻訳も許可してくれるのではないかという思いもあり、「Living Reality」を翻訳することにしました。
これも同じように、一通り全部訳してみて、問題なく訳せるとわかってから著作権者の了解を取ることにしました。昨年の9月から約三か月かけて、全体の80パーセントぐらいまで訳しました。その時点までは問題なく訳せたし、あと一か月もあれば終わるだろうと思っていました。
でも、ある日ふと思ったのです。私は一体毎日毎日パソコンに向かって何をやっているんだろうかと。全部訳して、仮にジェームズ・ブラハが出版を許可してくれても、出版してくれる出版社があるだろうか? このコロナ禍の中で出版社を探すだけでも大変なこと。仮に出版できたとして、どれだけの人が買ってくれるだろうか? 読んだ人の何人が内容を理解するだろうか?
私のブログの毎回のアクセス数平均は60前後です。その全員が買ってくれたとしても60冊です。書店で見かけて買ってくれる人がどれだけいるでしょうか? 覚醒した人の本を買いたいと思う人はいると思いますが、「覚醒していない人」「覚醒なんてないと言う人」の本を買いたいと思う人がどれだけいるでしょうか?
いくら私がセイラーボブの教えを正しく理解していると思っていても、翻訳家でもないシロウトの私が、ネイティブでさえ理解に苦しむボブの特殊な言い回しを日本語に訳すのは問題ではないか?
そんなことを考えているうちにギルバートが言う「ボブの教えは英語で理解すべきだ」という言葉がだんだん大きくなっていきました。セイラーボブの教えていることは、私なりの言葉でもう十分にブログに書いた。たくさんの人に読んでもらい、またこれからも読まれると思います。それで十分だと思うようになりました。
同時に私は、「本を翻訳して出版した人」になりたいという自身の虚栄心、エゴに気づくようになり、出版したいという気はなくなりました。
もともと私は偉い人になりたかったわけではありません。マスターやメッセンジャーになりたかったわけでもないし、本を出版したかったわけでもありません。
ただただ救われたかった。ただただ「覚醒した人」になりたかった。
私はボブに会って救われ、覚醒などないと知った。私の探求は終わりました。
そして今、このブログの更新も、そろそろひと段落つけたいと思うようになりました。
もちろん、セイラーボブが教えてくれた非二元こそが私にとっての最高のものであるという思いは変わらないし、今後も Facebook 経由で時々はボブのミーティングも見るつもりです。
2016 ボブの家