2021/02/28

「私」は消えない。

多くの人が非二元を学び、どうしたら「私」が消えるのだろうかと考えています。
いくら「私」は想像の産物であるということを理解しても、「私」は繰り返しやって来ます。

生きているかぎり、肉体と思考があり、「私」が消えることはありません。
いくら思考を止めようとしても、思考を止めることはできません。
止めたと思っても、すぐに次の思考がやってきます。
肉体と思考があるかぎり、「私」はそこにいるように見えます。

もともとそこには何もないのに、私たちはそこに「私」がいると勝手に想像しています。
いるはずのない「私」がいると思っています。

もともといるはずのないものなら、消す必要もないのではないですか?
もし本当に意識の中から「私」が消えたら、あなたは車や建物にぶつかってしまうでしょう。
すべての記憶が消え、言葉も忘れ、人との会話も成り立たず、すぐに病院に入れられてしまうでしょう。

多くの一瞥体験者が、「そこに私はいなかった」と言います。
では、その体験を覚えているのは誰ですか? 私がいなかったのなら、それを記憶しているのは誰ですか? それを気憶しているのは「私」ではありませんか?

非二元の教えの一番大切なところは、私が「私」だと思っている存在は実在ではないということです。
ところが、ちまたにあふれる本やブログは、そのことと覚醒、エンライトメントをセットにして、私は実在ではないという理解は覚醒や一瞥体験によってもたらせるというものがあまりにも多い。

非二元、アドヴァイタの本質は理解であり、覚醒ではありません。
「私」がいないという体験を探す必要はまったくありません。
本当は「私」はいないと理解していればそれで十分です。
体験を求めれば求めるほど、迷路にはまり込むことになります。

2015 メルボルン

2021/02/27

セイラーボブの教えていることは覚醒やエンライトメントではありません。

「私」は実在ではなく、単なる観念のかたまりにすぎないと理解できれば、観念のかたまりが覚醒しないのは自明のことです。

セイラーボブの教えていることは、何かを体験することや、何かになることではありません。
セイラーボブの教えていることを理解しても、覚醒やエンライトメントは起きません。何か特別な体験をしたり、人々が自慢げに語る一瞥体験が起こるということもありません。

(ああ、そういうことだったのか)(自分はもともとそうだった)と理解するだけです。
覚醒した人やエンライトメントした人なんてのはいません。誰かが、「私は覚醒した」と言ったら、そいつには気をつけてください。

「永遠に続く至福」「とめどないエクスタシーの連続」「思考の停止」「意識の変容」「終わりのない幸福」「異次元の意識」。全部まやかしです。

日本中にどれだけの仏教寺院があって、どれだけの禅僧がいると思いますか? タイやミヤンマー、チベット、そして世界中にどれだけの仏教寺院があって、どれだけの僧侶がいると思いますか? そのうちの誰かが覚醒した、悟りを得たというニュースを聞いたことがありますか?(もちろん、仏教や禅で言うところの「悟り」がエンライトメントだと言うつもりはありませんし、仏教や禅が教えているのはエンライトメントだと言うつもりもありません)

千日回峰を成し遂げたというニュースは聞いたことがありますが、誰かが覚醒、悟りを得たというニュースは聞いたことがありません。このインターネットが発達した世の中でも、そうしたニュースはまったく目にしません。

覚醒したという知らせは、いつも、「自称」であり、その知らせをたどっていくと、必ず覚醒ビジネスへとつながっています。

インドには、自称「覚醒した人」がたくさんいます。ニューデリー空港の売店に行くと、それらしき人の写真パネルと一緒に本が山積みになって売られています。覚醒はインドの産業だからです。彼らは世界中から人々を集めて、金を巻き上げているのです。

日本のネット上でも同じことが起きています。彼らのキーワードは巧妙で、「目覚め」「気づき」「癒し」「一瞥体験」「セラピー」「精神世界」「瞑想」「グループワーク」「遠隔…」などです。

あなたが、「私も覚醒したい」「私も一瞥体験がしたい」「私も癒されたい」と思った瞬間に、彼らの術中にはまったのだということを理解してください。彼らはあなたから金を巻き上げるか、毒にも薬にもならない教えを刷り込むだけです。そうしてあなたは、終りのない精神世界の旅をさまよう羽目になります。

「あなたは不完全だ」「あなたは今のままではだめだ」「あなたは癒される」「あなたは解放される」。こうした言葉には注意してください。

人々にはいつも、「救われたい」「解放されたい」という思いがあります。でも、誰が救われるというのですか? 救われる「私」は単なる観念であり、そこには誰もいません。

自分ではない何者かになろうとする焦燥と奮闘を手放す時、本当の意味での平安が訪れます。

悩み、災難、不幸、生老病死は人の常です。
それが生きていくということであり、いくら姑息な手を使って避けようとしても避けられません。

でも、そうした出来事は、どこに現れていますか?
もし、そうした出来事にとらわれず、こじらせなければ、それはやがて去っていくものではありませんか?

そうした出来事とは関わりなく、いつも背後にあるものは何ですか?

2017 タスマニア

2021/02/26

お知らせ

永らく皆さんに読んでいただいたこのブログですが、3月7日をもってブログとしての更新を終了させていただき、ホームページ化します。(ホームページと言っても、体裁は今とほとんど変わりません)

それまでに書く内容は、今までこのブログで何度も書いたことと同じであり、その繰り返しになるかと思いますが、セイラーボブの言葉を借りるのではなく、私自身の言葉で書いていきます。多少辛辣なことも書きますが、それはあくまで私個人の意見であるとご了解ください。

セイラーボブの教えを広く皆さんに知っていただきたいという思いでこのブログを書いてきましたが、その役目はある程度果たせたのではないかと思っています。

去年の夏ごろから、ニサルガダッタ・マハラジの言葉を訳してブログに掲載する一方で、セイラーボブの本を翻訳して出版できないかと考えました。私はプロの翻訳家ではないし、本の出版をやったことはありません。でも、あれこれと調べるうちに、翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと・寺田真理子著あなたを出版翻訳家にする7つの魔法を読んで、私でも出版できるのではないかと思うようになりました。

そして、著作権者に了解を取る前に一通り全部訳してみて、問題なく訳せたら著作権者の了解を取って出版社を探すことにしました。

二か月ほどかけて、「What's Wrong with Right Now!」を翻訳してみたところ、問題なく訳すことができたので、著者権者であるギルバートにメールで出版の許可をお願いしたところ、返事はノーでした。

私はギルバートとは旧知の仲で、約半年間も一緒にボブのミーティングに出席していたので、快く許可してくれると思っていたので驚きました。

メールで何回かやり取りした後、facebook のビデオチャットで会話しましたが、やはり返事はノーでした。

ギルバートが言うには、セイラーボブの使う英語には独特の表現があって、英語ネイティブですらどう解釈していいかわからないものが多くあるので、それを他の言語に翻訳すれば、誤解のもととなる、翻訳しない方がいい、ボブの教えはあくまで英語で理解すべきだと言うのです。そして、もしボブの教えを人に伝えたいのなら、翻訳ではなく、自分で本を書くなどして、自分の言葉で伝えた方がいいとも言いました。

確かに、ボブの使う英語には、どう翻訳してよいか困るものがたくさんあります。
例えば、awareness, livingness, being, seeing, knowing.

また、ある時ボブは私に、"Live your livingness!" と言いました。livingness を辞書で調べても、載っていません。(生の本質)(生き生きとした命)(生そのもの)というような意味であるとはわかるのですが、それを翻訳するのは大変です。
「命の本質を生きなさい」
「生き生きとした人生を送りなさい」というような翻訳に落ち着くとは思うのですが、何かしっくりきません。

ボブの本にはこうした言葉が随所に出てきます。ギルバートの言うことはもっともですが、高木悠鼓さんはちゃんと訳してみえるのだから、他の言語に翻訳するのもありではないかと思いました。

ギルバートが私の翻訳力を疑っているのかと思いましたが、そうではないようです。
ギルバートは、私よりはるかに英語が堪能なオーストラリア在住の日本人に、「ただそれだけ」は日本でちゃんと翻訳されているのか、と尋ねたことがありました。

私も含めボブのミーティングにやってくるほとんどの日本人が、セイラーボブは覚醒した人だと勘違いしてやって来るのを目にして、ちゃんと翻訳されているのか、翻訳では正しく理解されないのではないかと思ったのだと思います。

高木さんの翻訳は素晴らしいと思うのですが、あの本を読んで、どれだけの日本人がセイラーボブは覚醒した人ではなく、覚醒など無いと言っているということを正しく理解しているでしょうか?

「ただそれだけ」の最後のページの終わりの三行を読むだけでも、そこには覚醒などないとちゃんと書いてあるのに、ほとんどの人はそのことを理解しません。

「What's Wrong with Right Now!」の出版はあきらめました。もともと、一番翻訳したいと思っていた本は「Living Reality」です。この本がセイラーボブの教えを理解するにはベストだと思います。

でも、この本は厚さが「What's Wrong with Right Now!」の3倍近くあって、訳すのに時間がかかるし、売れるかどうかわからない高価な本を出版する出版社を探すのは容易ではないと考えました。もし、「What's Wrong with Right Now!」を出版できたら、「Living Reality」も出版したいと考えていました。

「Living Reality」の著作権者であるジェームズ・ブラハは、このブログで「Living Reality」の一部を抜粋翻訳する許可をくれたので、本全体の翻訳も許可してくれるのではないかという思いもあり、「Living Reality」を翻訳することにしました。

これも同じように、一通り全部訳してみて、問題なく訳せるとわかってから著作権者の了解を取ることにしました。昨年の9月から約三か月かけて、全体の80パーセントぐらいまで訳しました。その時点までは問題なく訳せたし、あと一か月もあれば終わるだろうと思っていました。

でも、ある日ふと思ったのです。私は一体毎日毎日パソコンに向かって何をやっているんだろうかと。全部訳して、仮にジェームズ・ブラハが出版を許可してくれても、出版してくれる出版社があるだろうか? このコロナ禍の中で出版社を探すだけでも大変なこと。仮に出版できたとして、どれだけの人が買ってくれるだろうか? 読んだ人の何人が内容を理解するだろうか?

私のブログの毎回のアクセス数平均は60前後です。その全員が買ってくれたとしても60冊です。書店で見かけて買ってくれる人がどれだけいるでしょうか? 覚醒した人の本を買いたいと思う人はいると思いますが、「覚醒していない人」「覚醒なんてないと言う人」の本を買いたいと思う人がどれだけいるでしょうか? 

いくら私がセイラーボブの教えを正しく理解していると思っていても、翻訳家でもないシロウトの私が、ネイティブでさえ理解に苦しむボブの特殊な言い回しを日本語に訳すのは問題ではないか?

そんなことを考えているうちにギルバートが言う「ボブの教えは英語で理解すべきだ」という言葉がだんだん大きくなっていきました。セイラーボブの教えていることは、私なりの言葉でもう十分にブログに書いた。たくさんの人に読んでもらい、またこれからも読まれると思いますそれで十分だと思うようになりました。

同時に私は、「本を翻訳して出版した人」になりたいという自身の虚栄心、エゴに気づくようになり、出版したいという気はなくなりました。

もともと私は偉い人になりたかったわけではありません。マスターやメッセンジャーになりたかったわけでもないし、本を出版したかったわけでもありません。
ただただ救われたかった。ただただ「覚醒した人」になりたかった。

私はボブに会って救われ、覚醒などないと知った。私の探求は終わりました。
そして今、
このブログの更新も、そろそろひと段落つけたいと思うようになりました。

もちろん、セイラーボブが教えてくれた非二元こそが私にとっての最高のものであるという思いは変わらないし、今後も Facebook 経由で時々はボブのミーティングも見るつもりです。

2016 ボブの家

2021/02/25

ニサルガダッタ・マハラジ 目次

ニサルガダッタ・マハラジとは

ニサルガダッタ・マハラジ YouTube

  ・ニサルガダッタ・マハラジ 1979フィルム

  ・ニサルガダッタ・マハラジ ドキュメンタリー'Tatvamasi' (I am That)

  ・汝それなり ニサルガダッタ・マハラジ ドキュメンタリー With Sailor Bob Adamson

ニサルガダッタ・マハラジの言葉(このページをスクロールして順番に下へ読んでいってください)

ニサルガダッタ・マハラジの言葉 まとめ

長い間、ニサルガダッタ・マハラジの言葉を掲載してきましたが、マハラジの言葉はこれで終了です。
サイト上にはまだまだ素晴らしい言葉がたくさんあるのですが、諸事情により終わりにします。
私なりにマハラジの言っていることをまとめてみます。

まず第一に、マハラジはエンライトメントや覚醒については何も語っていません。
ということは、マハラジの教えていることは、エンライトメントや覚醒ではないということです。多くの人が、マハラジは覚醒した人だと勘違いしています。彼の教えていることは覚醒ではありません。

マハラジが教えていること。
①あなたの想像以外、何もあなたを苦しめはしない。
②タットバマシ(汝それなり)
③理解することがすべてである。

大胆に言ってしまえば、この三つがマハラジの教えの神髄です。
サイト上にあるマハラジの言葉を読んで思ったのは、多少の表現の違いはあるかもしれませんが、セイラーボブは、かなり忠実にマハラジと同じことを教えているということです。セイラーボブの教えていることも覚醒ではありません。あくまでも理解です。

2021/02/24

ニサルガダッタ・マハラジの言葉

“Liberation is not an acquisition but a matter of courage, the courage to believe that you are free already and to act on it.” 
 Nisargadatta Maharaj

「解放とは獲得するものではなく、勇気である。あなたはもうすでに自由であると信じる勇気、そしてそれにもとづいて行動する勇気のことである」
Nisargadatta Maharaj

「利己的執着なしに生きることを学びなさい。そのためには、あなたは自分の本質が不屈の恐れを知らない永遠の勝利者でありことを知らなければならない。あなたの想像以外に何もあなたを悩ますものなどないと絶対の確信をもっていったん知ったなら、あなたは欲望や恐れ、概念や思考にとらわれることはなく、真実のみに生きる」
Nisargadatta Maharaj

欲望とは快楽の記憶である。そして恐れは苦痛の記憶である。どちらもマインドを落ち着かせない。
Nisargadatta Maharaj

あなたは、私は理解したと考えているのは誰かという謎を解くまでは、理解したとは言えない。
Nisargadatta Maharaj

2021/02/23

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

It has nothing to do with effort. Just turn away, look between the thoughts, rather than at the thoughts. When you happen to walk in a crowd, you do not fight every man you meet, you just find your way between. When you fight, you invite a fight. But when you do not resist, you meet no resistance. When you refuse to play the game, you are out of it.
Sri Nisargadatta Maharaj

それは努力することとは何の関係もない。思考そのものを見つめるのではなく、方向を変えて、思考と思考の間だけを見つめなさい。人込みを歩く時、あなたはすれ違う人に衝突することなく、間をすり抜けていく。あなたが抵抗すれば衝突を招く。あなたが抵抗しなければ、衝突はない。あなたがゲームを演じることを止めると、あなたはそのゲームから自由となる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/22

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

There is no need of a way out! Don't you see that a way out is also part of the dream All you have to do is see the dream as dream. ...Wherever it leads you, it will be a dream. The very idea of going beyond the dream is illusory. Why go anywhere Just realize that you are dreaming a dream you call the world and stop looking for ways out. The dream is not your problem. Your problem is that you like one part of your dream and not another. Love all, or none of it, and stop complaining. When you have seen the dream as a dream, you have done all that needs be done.
Sri Nisargadatta Maharaj

出口は必要ではない! 出口も夢の一部だとわからないのか。あなたは夢を夢だと認識しさえすればいい。それがあなたをどこへ導こうと、それは夢なのだ。夢の外へ出ようというのは幻想だ。どうしてどこかへ行こうとする。世界という夢を見ているということを理解して、出口を探すのを止めなさい。夢があなたの問題なのではない。問題は、あなたが夢のある部分を好み、ある部分を嫌うことだ。すべてを愛するか、全部を嫌うかにしなさい。そして不平を言うのを止めなさい。夢を夢だとわかった時、あなたのすべきことは終わる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/21

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Instead of searching for what you do not have, find out what it is that you have never lost.
Sri Nisargadatta Maharaj

持っていないものを探し求めないで、一度も無くしたことがないものを見つけなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/20

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

All separation, every kind of estrangement and alienation is false. All is one.
Sri Nisargadatta Maharaj

すべての分離、あらゆる種類の疎遠と疎外は虚偽である。
すべては一つのものである。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/19

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Abandon the false and you are free of pain; truth makes happy, truth liberates.
Sri Nisargadatta Maharaj

虚偽であるものを放棄すれば、痛みから解放される。
真実は幸福をもたらし、解放する。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/18

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

For me the moment of death will be a moment of jubilation, not of fear. I cried when I was born and I shall die laughing.
Sri Nisargadatta Maharaj

私にとって、死は恐怖ではなく、歓喜の瞬間となるだろう。
私は泣いて生まれたが、笑って死ぬことになるだろう。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/17

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Let the dream unroll itself to its very end. You cannot help it. But you can look at the dream as a dream, refuse it the stamp of reality.
Sri Nisargadatta Maharaj

夢が最後まで展開するのに任せなさい。
あなたはどうすることもできない。
でもあなたは、夢を夢として見つめ、現実というスタンプを押すことを拒むことはできる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/16

ニサルガダッタ・マハラジの言葉

Nature is neither pleasant nor painful. It is all intelligence and beauty. Pain and pleasure are in the mind.
Sri Nisargadatta Maharaj

自然は愉快でもなければ苦しくもない。
それは知性と美に満ちている。
苦痛と喜びはマインドのものである。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/15

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

I ask you only to stop imagining that you were born, have parents, are a body, will die and so on. Just try, make a beginning-it is not as hard as you think.
Sri Nisargadatta Maharaj

私が想像するのを止めるようにと言っているのは、あなたが生まれ、両親がいて、体があって、やがて死ぬ、そういったことだ。
やってみなさい。思っているほど難しいことではない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/14

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The desire for truth is the highest of all desires, yet, it is still a desire. All desires must be given up for the real to be.....When all search ceases, it is the Supreme State.
Sri Nisargadatta Maharaj

真実を求める欲求は最高の欲求だが、それでもそれは欲求である。
実在として在るためには、すべての欲求を放棄しなくてはならない。
すべての探求が終わるとき、それが究極の状態である。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/13

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Cooperate with your destiny, don't go against it, don't thwart it. Allow it to fulfill itself.
Sri Nisargadatta Maharaj

運命とともにありなさい。決して逆らってはいけない。邪魔してもいけない。
運命が成就するのを許しなさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/12

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The world you perceive is made of consciousness; what you call matter is consciousness itself.
Sri Nisargadatta Maharaj

あなたが認識する世界は意識でできている。
あなたが物質と呼ぶものは意識に他ならない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/11

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

The essence of saintliness is total acceptance of the present moment,
harmony with things as they happen.
Sri Nisargadatta Maharaj

聖人らしさの真髄は、今この瞬間を完全に受け入れていること、起こるに任せていること。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/10

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Your own self is your ultimate teacher. The outer teacher is merely a milestone. It is only your inner teacher that will walk with you to the goal, for he is the goal
Sri Nisargadatta Maharaj

あなた自身があなたの最高の師である。
外側の師は単に目印にすぎない。
内側の師だけがあなたと共にゴールまで歩いてくれる。
なぜなら、彼こそがゴールだからだ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/09

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Suffering is a call for inquiry, all pain needs investigation.
Sri Nisargadatta Maharaj

苦悩は調査を要求している。どんな痛みも調べてみる必要がある。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/08

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Nothing troubles me. I offer no resistance to trouble - therefore it does not stay with me. On your side there is so much trouble. On mine there is no trouble at all. Come to my side.
Sri Nisargadatta Maharaj

何も私を煩われせはしない。
問題が起きても私は抵抗しない。
それゆえ、問題が長引くことはない。
あなたの側にだけたくさんのトラブルがある。
私の側ではまったくトラブルはない。
私の側へ来なさい。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/07

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

I am told I was born. I do not remember.
Sri Nisargadatta Maharaj

私は生まれたと人から言われた。思い出せない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/06

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Absolute perfection is here and now, not in some future, near or far.
Sri Nisargadatta Maharaj

おおいなる完成は今ここにある。未来やどこかににあるのではない。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/05

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

When pain is accepted for what it is, a lesson and a warning, and deeply looked into and heeded, the separation between pain and pleasure breaks down, both become just experience - painful when resisted, joyful when accepted.
Sri Nisargadatta Maharaj

痛みをレッスン、警告としてありのまま受け入れ、深く観察して注意を向けると、痛みと喜びの分離は無くなり、どちらも単なる経験となる。抵抗すれば痛みとなり、受け入れれば喜びとなる。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/04

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

Punishment is but legalized crime. In a society built on prevention, rather than retaliation, there would be very little crime. The few exceptions will be treated medically, as of unsound mind and body.
Sri Nisargadatta Maharaj

刑罰は合法的な犯罪に他ならない、
報復ではなく、予防に基づく社会では犯罪はほとんどない。
ごく例外的に、マインドと体が病んでいる場合は治療が施される。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/03

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

There is no such thing as a person. There are only restrictions and limitations. The sum total of these defines the person. The person merely appears to be, like the space within the pot appears to have the shape and volume and smell of the pot.
Sri Nisargadatta Maharaj

人などというものは存在しない。
そこには制限と限界があるだけだ。
その総計を人と定義している。
人は、そのように現れているだけであり、空間の中に鍋の姿形があって、鍋の臭いがしているのと同じだ。
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/02

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

All that a guru can tell you is:
'My dear Sir, you are quite mistaken about yourself.
You are not the person you take yourself to be.'
Sri Nisargadatta Maharaj

グルがあなたに言えるのはこれだけだ。
「拝啓、あなたは自身のことを全く誤解しています。あなたは自身が思っているようなものではありません。」
Sri Nisargadatta Maharaj

2021/02/01

ニサルガダッタ・ マハラジの言葉

True happiness cannot be found in things that change and pass away. Pleasure and pain alternate inexorably. Happiness comes from the Self and can be found in the Self only. Find your real Self and all else will come with it.
Sri Nisargadatta Maharaj

本当の幸福は、変化し去っていく物事の中には見つからない。
喜びと痛みは容赦なく交互にやってくる。
幸せは自己からやって来るものであり、自分の中にしかない。
本当の自分を見つけなさい。そうすれば、他のことは一緒にやってくる。
Sri Nisargadatta Maharaj