セイラーボブ
2024/07/30
見かけ上の「私」を信じることが、あなたのすべての問題の原因です
かつて人々は、地球は平らだと信じていましたが、調査した結果、そうではないことがわかりました。かつてはバクテリアやウイルスと呼ばれる邪悪な力について、あらゆる種類の信念がありました。でも、体やマインドがあるという考えを調査する人はあまりいません。なぜでしょうか? この見かけ上の「私」を信じることが、あなたのすべての問題の原因です。
2024/07/29
人間は高性能のロボットと同じではないでしょうか
私は常々、人間は高性能のロボットと同じではないかと思っています。バッテリーの代わりに食べ物を補充して動きます。脳はAIのようなもので、ChatGTPのように、自分で学習する能力を持っています。
それで、何がロボットと違うかというと、後天的に植え付けられた情報によって、「私は人間だ」「私は生まれた」「私は生きている」「私は死ぬ」と思い込んでいます。でも、非二元を学ぶと、そんなことは後天的に植え付けられた情報にすぎないということを理解します。そして、常住普遍の魂なんてものも、「私」なんてものも存在しないという理解に至ります。
そうだとすると、私たちはロボットと何もかわらないことになります。バッテリーが切れたら身体が動かなくなって、意識が消えるだけです。動物も同じです。だとすると、ロボットも動物も人間も、実際には同じようなものではないでしょうか。人間だけが、自分は特別だと思っていますが、実際には自然の一部にすぎません。
ロボットや動物と人間が決定的に違うのは、人間だけが心理的な苦悩を持つという点です。なぜ心理的な苦悩を持つかというと、「自分が生きている」、あるいは、「自分がこの生をコントロールしている」と思っているからではないでしょうか? 悩み事は、本来自分ではコントロールできない物事を、なんとかしてコントロールしようとするから起きるのではないでしょうか。
ロボットだったら、そんなことは考えもしないでしょうし、動物だったら、少しは悩むかもしれませんが、悩んでいるより先にエサを探さなくてはならず、悩んでいる暇なんてないのではないでしょうか。
私も心理的な苦悩をいくつも抱えていた苦しい時期がありました。周囲の状況から起こる悩みばかりでなく、病的なものもありました。振り返って今思うのは、そうしたことの特効薬は、放置しておくというか、忘れてしまうことが一番ではないかと思います。もちろん、原因がある悩みについては、原因を解決すべく、できるだけの努力はすべきだと思いますし、病的なものについては医者や薬の助けも必要かもしれません。
でも、基本的には、そうしたことをコントロールできる「私」はいない、悩みの主体となる「私」は実在ではない、ということを理解して、今やるべきこと、やりたいことに焦点をあてることが解決の近道ではないいでしょうか。問題や悩みを解決しようともがけばもがくほど、エネルギーはそちらへ流れ、悩みや問題は大きくなっていきます。もともと問題はマインドが作っているものにすぎず、実体などないのですから。
悩みや問題の解決は、非二元の教えを理解することがベストだと思います。でも、大きな悩み事を抱えている方で、非二元の教えよりももっと即効性のある解決策を探してみえる方は、以前ブログに書いた、こちらを参考にしてみてください。何かの参考になるかもしれません。
2024/07/28
人の心もまた、実は「非常に単純な計算作業の繰り返しでできている」
特別回 AIと仏教 その1
この話は非二元に通じるところ大いにありだと思います。深く考えさせられました。
私もChatGPTにはいたく驚いていて、英語学習に活用しています。自分の作った英文が文法的に正しいのか、自然なものかをChatGPTに聞くと、詳しく教えてくれます。もうびっくりするほどです。ChatGPTは英語学習に革命を起こしているといっても過言ではありません。瞬時に翻訳・通訳する時代はもうすぐそこまできていて、英語学習そのものが不要になるかもしれません。
私は常々、人間は高性能のロボットと同じではないかと思っています。この続きは明日書くことにします。
2024/07/26
人を神格化して見ると判断を誤る
この話は非二元とは直接的には関係ありませんが、最後の5分はスピリチュアルの道を歩む多くの人に参考になると思います。多くの人は完全な師を求めています。私もそうでしたが、誰かが「私は覚醒した」などと言おうものなら、その人が何を言おうが、それがどんなに的外れなことであっても、マスターの言うことだから何か重要なメッセージに違いないと思って、盲目的に追従してしまいがちです。また、自分も同じ体験をしたいと思うあまりにトリップしてしまう人もいます。覚醒した人などどこにもいないと肝に銘じて、自分の頭で判断することが大切なのではないでしょうか。大切なのはメッセージであり、そのメッセージが私たちに役立つものでなくてはいけないと思います。
佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その52」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)
2024/07/23
ボブ、96歳の誕生日おめでとう!
Are you unaware? Bob's 96th birthday catch up. 21 July 2024
こんなにたくさんの人が集まったのは記憶にありません。この日はボブの96歳の誕生日。おそらくみんなこのあとのパーティに行くのでしょう。
ボブのスピールのあと、集まった人たちが順番にボブに感謝の言葉を言っていきました。30年以上も通っている人もいます。
ボブが40年以上にわたって人々に対して行ってきたことは、「心理的な苦悩からの解放」です。そしてここに集まっている人たちは、ボブによって心理的な苦悩から解放された人たちです。ラメッシもその一人だと思います。
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59:40から
ラメッシ:ハーイ。このパターン(自分のことを指して)はヒンヅーのバックグラウンドからやって来ました。私の叔父はサドゥ、僧です。私は若いころから、そうしたことに興味があり、グル、メンター(良き助言者)を探さなくてはいけないと思っていました。でも、メルボルンに住む白人の老人が私のメンターになるなんて考えたこともありませんでした。(一同爆笑)
まったく驚きです。しかも、船乗りで、元アル中なんです。(笑い)羊の毛を刈っていて、けんかばかりしていた。(笑い) 彼は本物です。
あんまり長く話てはいけないのですが、ヒンヅー教のサンスクリットの二行詩について話すと、ボブがよく引用するするのは「サット-チット-アナンダ」、「ナーマ・ルーパ」です。
サット-チット-アナンダは、存在ー意識ー至福です。そして、あなたの存在は自明のことです。そして知る働き、チットは自分がいるという認識です。だれもが自分が存在していると知っています。自分がいると信じているのではなく、知っています。その、自分が存在するというその認識の中に至福があります。それがアナンダ、存在することへの愛です。サット-チット-アナンダです。タジーがさっき言ったように、その知る働きへ立ち返ってそれを認識すること(が大切)です。というのも知る働きは非観念の意識であり、内在する認識だからです。その知る働きの中にボブが言う、原因のない喜びが起こっています。その知る働きは観念化されないものであるため、彼はそれを様々な言い方で言います。
「もしそのことを考えなかったら、今何が問題なのか」。それもまた同じことを指摘しています。そのことを考えない時、そこには内在する知る働きがあり、それは観念化されない意識です。ですから、そこへ戻り続けることです。それを何度も何度も認識すること。物語がやってこようと、観念がやってこようと、内在する知る働きへ戻り続けることです。その内在する知る働きがあなたなのです。
2024/07/19
2024/07/16
誰がその努力しているのでしょうか
では、別の視点から見てみましょう。今ここで、誰もが呼吸をし、心臓が鼓動し、血液が体中を巡っています。
髪の毛や爪が伸びています。細胞が入れ替わり、食べ物が消化されています。
誰がその努力しているのでしょうか?
「次の呼吸をしなくちゃ。心臓を鼓動させなくちゃ。食べ物を消化しなくちゃ」と言っている「私」や考えがマインドの中にありますか?
それとも、それは努力なしに起こっているのでしょうか?
セイラーボブ
2024/07/12
記憶は架空のもである 私は実在しない
引き続き、佐々木閑先生のすばらしい話が続いています。この話などは非二元そのものです。あまり転載させていただくのもどうかと思いますが、備忘録として残しておきたいと思います。
佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その48」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)
2024/07/09
求めない生き方
この話は非二元とはあまり関係ないかもしれませんが、思うところあって転載させていただきます。
昨今の「持続可能な成長」とか、「環境にやさしい」とかいうフレーズを耳にするたびに、そんなまやかしではなく、「求めない生き方」こそが解決策ではないかと思えてなりません。
必要以上に快適に生活しようとすること、過度においしいものを食べようとすること、もっとGDPを増やそうとすることよりも、求めない生き方の中にこそ幸せがあるような気がします。できるだけそうやって暮らしていこうと思っています。
佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その47」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)
2024/07/05
すべてはそれなり
すばらしい話があります。これもまたインドの伝承で、ムクタナンダからのものです。
ある男が生の本質を知りたくてグルを訪ます。生の本質は何なのですかと尋ねるとグルは、「汝それなり、すべてはそれなり」と答えます。
男はその言葉に打たれて理解します。グルの家を出て、「我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり」と言って歩きました。
村人たちが向こうから走ってきて、「逃げろ象がやって来るぞ」と言いました。
男は、「ああ、我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり」と言いました。
野生の暴れた象が角を曲がって男に向かって突進してきました。
男は象を見て、「我はそれなり、汝それなり、すべてはそれなり」と言いましたが、象は男をつかんで木へと放り投げました。
数日後、手足を骨折して入院した男をグルが見舞いに行くと、男は言いました。「どうして言ってくれなかったのですか? 私の身体を見てください」
するとグルは、「人々が象が来るから逃げろと言ったのを聞かなかったのか? 彼らもまたそれなのだ」
ピーター・ローリー
2024/07/02
ここでは何も悪くはありません
いいですか、いつもここへ立ち戻ってください。今ここ、この瞬間、現在へ。
ここでは何も悪くはありません。
それと同じで、考えなかったら過去は存在するでしょうか?
考えなかったら、未来はあるのでしょうか?
セイラーボブ